氷室と年齢操作しょたずとさん俺としたことが、口に含んでいたコーヒーをぶちまけてしまった。
信じて故郷に残していった親友がゴリラの如き偉丈夫に育っていた挙句、見知らぬ若い男を拾っていた。
実際は若く見えるだけで俺たちと同じような年齢の立派な医師だが、今はそんなことは問題ではない。
俺たち、の、俺以外の部分を構成する、我が親愛なる親友神代一人が珍しく寝坊しているもので、身支度を整えた俺がおめざのビスケットと二人分のコーヒーを手に、彼の寝室へ様子を見に行っ
よそから来た医師、富永という男は真面目で実直、一人のプライベートには一切踏み込まない。一人の部屋のある神代家の居住空間にも、緊急の用がなければ入ることはないという。
なので、富永くんの設定する禁足地に踏み込むことを子供の頃から許可されている俺が、眠れる森の美男子にご機嫌伺いに来たってこと。
勝手知ったる部屋で椅子に腰掛け、
「具合悪いんなら俺が診てやるから、まず顔でも見せてくれよ~」
と声をかけると、一言、やだという答えが返ってくる。
「嫌か~……そうかそうか……」
やだ。なんて。最近の厳しい、親父さんそっくりの話し方からしたら随分可愛いお返事だな。
「顔を出したらお前、笑うだろ」
「なんでだよ。お前だろ? 一人の何を笑うんだ。すごい寝癖でもついてんのか」
「俊介ほどじゃない。……本当に笑わない?」
一人にしては気弱な発言に、俺は首を傾げる。
「ったりめーだろー?富永くんだって笑ったりしね……ぶほっ」
被っていた布団から一人が勢いよく顔を出したところで、文頭のコーヒーぶちまけのくだりに繋がる。
「……一人の……息子くん?」
「神代一人、俺自身だ。見忘れたの?俊介」
「う……一人ぉ~っっ お前なのかぁあ、コーヒー飲む?」
「まず掃除しなね。あと、小児の体にブラックコーヒーはよくないからな」
「一人だ……」
ぶちまけたコーヒーを雑巾に吸わせている手元が、眼鏡の内側に落ちた涙で滲んでいる。
俺は顔を保てているのだろうか。
「俊介、これでは人前には出られん。着替えを持ってきてくれ……」
「ああ、うん。そうだな。任せろっ」
一人とは別の理由で顔を見られないように診療所のバックヤードに滑り込み、入院患者用衣服の棚から、男児用の下着とズボン、シャツなどを調達する。
この腕の中のズボンとシャツに、見覚えがある。
一人の母静江さんの生前、共に街に行った時に一人が自分から選んで叔母さんに買って貰ったものだ。
さして高品質ではないものだが、手入れの良さでまだ草臥れてはいない。
当然とうの昔に着られなくなったものだが、せめて最後まで、幸せだった頃の思い出を手元で管理したかったのかもしれない。自らには頓着しないあいつに、そんな面があるとはな。
洗面台の鏡を覗くと、何とか目元の腫れが落ち着いていた。