いつか書くかもココイヌ「ココ、次の月曜日空いてるか?」
メールより電話が楽。なのは相変わらずのようで、乾からの連絡は決まって何コールかの着信だった。段ボールまみれの部屋の真ん中で埃のついた手を払い、ぶんぶんと震えたスマホを取る。耳馴染みのいい声を聞いたら、自然と頬が緩むのは不可抗力だった。
「空いてるよ。事務所の整理も終わったし、あとは新居の片付けくれぇ。なんならイヌピーが手伝ってくれると嬉しいんだけど」
「いやだ」
オレから誘ってんのに。電話の向こうで口を尖らせているのが丸分かりで、こちらはヘラヘラしてしまう。
乾からの誘いはめずらしい。記憶のなかでも数えるほどしかないから、空いてる? の言葉は九井にとって棚から牡丹餅だった。つまらない軽口で彼の機嫌を損ねるのも本意では無いし、素直に冗談だと謝罪する。それに、この牡丹餅はもう何年と口にしていない代物だったから。
乾とはつい数ヶ月ほど前に、復縁をしたばかりだ。友人とか親友とか、今まで関係に名前はつけていなかったけれど、幼い頃からずっとふたりでいた間柄だ。それが道を分かって、よりを戻した。それも今度はきちんと親友として。
復縁しても会うキッカケに声をかけるのは、以前と変わらず九井からだった。なので、今回乾からこうして誘ってくれるのは、復縁後はじめて。もう何年か越しの牡丹餅だ。
なるべく声に喜びが滲まないように。そう思ってても上擦ってしまい、何度か咳払いをする。
「なに? メシ?」
「……おー、メシと、ドライブ」
「ドライブ!?」
注意せねばとおもった矢先、馬鹿デカい声で叫んでしまった。部屋がワァンと反響する。鉄筋コンクリートの家は遮音性が抜群だが、思わずきょろきょろと周囲を確認。壁を叩くような蛮族はこのマンションには住んでいないが。
「……ドライブってことは、車乗せてくれんの?」
「そー」
車。イヌピーの運転で。なんという果報か、禍福は糾える縄の如しだと、九井はこれまでのクソッタレな境遇に感謝する程だった。派手頭の同僚も衝動的な暴君も許してやる。
乗り損ねたと思っていたのだ。彼が社用の自動車を運転するのは目にしたが同乗したことはなかった。どうして甘い誘いに感じてしまって、九井はおかしな発言をしないように今度こそ気を詰める。
車なら遠出だろうか。乾のバイクには何度か乗せてもらったが、だいたいが近場の移動が目的だった。どこかに行こうとか、あの頃のじぶんたちにはそんな余裕もなくて、思い返せば一度だって喧嘩や集まり以外の目的であのバイクを使ったことはない。
だから、遊びとしてどこかにでかけるなら、ましてやドライブというのは手放しに嬉しかった。
オレたちはあの頃とは違う。もう自由なのだと、体で感じられる気がした。
「なんか準備したほうがいい?」
「準備?」
「海とか行くならさ、タオルいるだろ。山ならシートに、水筒に……」
「はは、遠足かよ」
遠足って。乾からあどけなく遠足なんて言葉が出ると思わなくて、九井は眉を下げた。
乾は中・高はもちろん、小学校だって修学旅行も経験していない。彼が浮かべているのが、一緒のバスに乗った小学三年生のぶどう狩りだったらと思うと、九井は閉口した。
「遠足って何持っていくっけ。あったよな、しおり? すげーオレ結構おぼえてるかも」
「……あー、そうだよな。オレは……全然おぼえてねーや」
じぶんから振っておいて悪手だったと反省する。なんだよそれって笑う乾の声を聞きながら、幼馴染の無邪気さに胸が締まった。
「準備は特にいらねーけど、ココって免許持ってたっけ」
「え!? オレ運転すんの? 一応普通自動車の一種はある、オートマだけど……」
「あー、マニュアルじゃねえのか。わかった。免許財布に入れとけよ」
わかったって。交代で運転するくらいの遠出になるのだろうか。無免があたりまえでいたから乾に免許の話をされるのも変な感じで、九井は刈り上げたうなじを掻いた。