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    巽さんとマヨイさんがメリバに向かう話の序盤です

    #巽マヨ
    Tatsumi x mayoi

    巽マヨがメリバに落ちる前の穏やかな日常シーン 巽とマヨイは寮を離れ、二人だけの新居で生活する事にした。
    近頃様々な制度の変更や世相の移り変わりにより自身の生活リズムや都合に合わせて寮を出る者が増え、二人もその流れに乗った。
    というのも二人はユニットでの立場だけではなく、私的な面でも永く将来を共にしたいと真剣に考えており、既に交際していたのだ。マヨイは巽の告白を受け入れ、愛し合う関係になっていた。そんな中寮は他人の目がある訳で、恋人の二人にはやりにくいこともある。ライブの場で手を繋いだり全身で密着しているようなユニットのメンバーなので今更だが、それはそれとして。
    初冬には母でも妻でもないと否定していたマヨイは今、巽に妻として扱われても抵抗しない。寧ろ彼の妻だと自認する程に心を開いている。元々巽がマヨイに熱意あるアプローチを行っていた事はユニット結成当初から周知の事実であった為、事務所からは「うんいいよ」の二つ返事でこの申請が通った。

    「タッツン先輩、マヨさん、同棲おめでと!晴れて新婚さんだねェ?」
    「あっ、藍良さん……!」
    お似合いな先輩達を祝いつつからかう藍良も、二人の仲の良さをよく知っていたので嬉しそうな顔をしている。ユニットでは母と父を担うような大人びた二人なのであまり違和感も感じない。一彩もまた同様に嬉しい気持ちだった。
    「おめでとう巽先輩、マヨイ先輩。一足先にマイホームを手に入れたって感じかな」
    「ありがとうございます。集合住宅の一角をお借りする事にしたんです。流石にマイホームとまではいきませんな。一国一城の主というのも魅力的ですが」
    「僕からしたら寮生活を抜けて家庭を持つというだけでも十分君主のように感じるよ。羨ましいな。ひとつ屋根の下で暮らす事は藍良にも兄さんにも断られたからね」
    「ったり前じゃん!おれがあのアイドル天国の寮から出るわけないし!てかヒロくんと二人きりで朝から晩まで居たら、それこそカルチャーショックのストレスでおかしくなっちゃうってーの!」
    「そんな事言ってるけど、この間振る舞った鮭の汁物は美味しそうに飲み干していたよね?」
    グウ、と音をあげて「美味しかったんだから仕方ないじゃん」一彩の脇腹をつつく藍良。二人のやり取りが微笑ましく、暖かい。
    巽は本当であれば、旧館で生活していた時のように四人で寮を出ようと考えていた。しかしこれにマヨイが複雑な心地で吃り、話し合いに至った。マヨイにとっては、確かに後輩達の事は家族のように大切で愛おしく、目に入れても痛くない我が子のような存在である。四人一つ屋根の下で暮らす事は騒がしく楽しい、幸せな生活だと思う。
    一方で、ようやく事実婚に至り夫婦となった巽とは、どうしても“そういう期待”もしてしまう。しかしながら後輩達がいる場では教育上宜しくない事はしづらいし、後輩達も自分のユニットの先輩達が乳繰り合ってる所なんか見たいものではないだろう。この事情の絡まった心中を巽に説いて、マヨイの意向を汲み取る事になった。
    同棲生活の主導権は比較的マヨイにある。部屋選びはマヨイが率先して行った。巽はどこでも寝られるし、隣人の声や音が響くタコ部屋でも洞窟の硬い土床でも生活できてしまうので、住み良い住宅選びの参考にはならなかった。それなりに売れてきて期待もされているアイドルなのだからまともな場所を選ぶ必要があると説得し、駅から少し歩くが警備員が常駐している場所を選んだ。エントランスロビーに入るには生体認証もしくはカードキーが必要で、部屋の玄関扉はディンプルキーを使う。防犯上安心できる部屋だ。……念の為、中でも特別防音が効いていると謳う部屋を選んだ。表向きには音量を高めに設定して映画を見たり、メンバーで集まって大きな声で騒いでも大丈夫……という話をしている。
    家具も基本的な物は大体マヨイが選んでいる。ヤカンで湯を沸かそうと考えていた巽を抑えてケトルを手に取り、フライパンはIHで使用できるタイプを選んだ。白く落ち着いた部屋には遮光カーテンが掛かっていて、テレビは少し大きめでブルーレイ再生機能がついている。好きなアイドルの円盤を再生できるように。このテレビの説明をした時、最も目を輝かせたのは藍良だった。
    「新居かァ、いいなァ。何となく憧れはあるよォ」
    「僕と暮らす?」
    「ヒロくんはダメ〜」
    くすくす笑いながら「よかったら遊びに来てくださいね」と言うマヨイに、後輩達は明るく頷いた。

    =

    カシュ、カシュ、カシュ……
    キッチンからリズム良く物どうしの掠める音が聞こえてくる。この音は聞き馴染みがある。卵を溶いているらしい。
    「おはようございます……相変わらずお早い……」
    「マヨイさん。おはようございます。まだ寝ていても良かったのに」
    眠気で三つ編みをいつもより緩くしたマヨイが起床してくる。低血圧で朝の弱いマヨイの為にリビングは遮光カーテンが引かれて未だ少し暗い。巽は早朝目を覚まし、既に朝の祈りを済ませて朝食作りに励んでいる。キッチンから見えるリビングのテレビではYouTubeの料理チャンネルが自動再生で次々新しい動画を流していた。卵液へ三角形に切れたパンを漬ける手元を見て、「フレンチトーストですか」と問う。
    「お好きですか?」
    「ふふ。そうですね……甘くて食べやすいので、実家でよく作ってもらったのを思い出しますね。長く漬けるんですけど、軽めにレンジに入れても同じ事ができます。フライパンを出してもらえますか」
    ボウルごとレンジで弱く1分。裏返してもう1分。その間に巽がフライパンでバターを温めて、そこへパンを落とす。IHの火力を最小まで落として蓋をしてしまう。
    「片面五分、少し時間をかけて焼くとふわふわになるんですよ」
    「成程、パンケーキと同じですな」
    焼ける間にコーヒーを用意する巽、机を拭いて皿を出すマヨイ。引っ越してから少し経ち、家具も部屋に馴染んでいる。リビングの遮光カーテンが開かれ、間接照明が霞むほどに眩い光が差し込んだ。

    フワフワしたフレンチトーストを楽しむ。蜂蜜が皿に流れていく。先程の料理チャンネルの自動再生が終わるとワールドラリーカーの公式チャンネルが飛び出した。短い悲鳴をあげてマヨイが子供向けアニメチャンネルに切り替えたが、何故かこちらでも擬人化された車や列車が大暴れする回を放送していた。ニコニコしている巽をじっとりと睨むマヨイにより、今はディスカバリーチャンネルが流されている。画面の向こうでは著名映画監督が出演しており、不朽の名作と名高い代表作品の裏事情を熱く語っている。そんな熱意も話半分に耳に流しながら、二人がしているのは買い物の話だ。
    二人はこの休日、ショッピングモールまで出向いて日用品の買い出しに行こうと打ち合わせている。日曜は生配信の仕事の為に潰れて平日昼間だが、平日昼間こそ人混みの苦手なマヨイにとって、またアイドルである二人にとって活動しやすい時間帯になる。
    「前回柔軟剤を買い忘れてしまって……あとラップも……」
    「メモをしておきましょう。そういえば掃除機が欲しいと思いまして。コードレスではなくちゃんと給電式で大きい方が良いですね」
    「やっぱり違うんですか?狭い所に置ける方が良いかと思いましたが……」
    「パワーが違いますな。あと、個人的にはサイクロン型より紙パック型の方が好みです。フィルターは結局目詰まりして掃除が面倒なので」
    いっその事掃除ロボットを推薦してみようかと案じたマヨイは、巽が自分で掃除したいタイプである事を改めて考え、心の内で棄却する。マヨイは机上に作業道具の店を広げがちな性質だが巽は常に整理整頓していたい性格だ。サイクロン型はフィルターのメンテナンスが大変だという紙パックへの拘りまで聞いて、マヨイはふっと笑った。

    夕焼けの差し込むオレンジ色の車内。ラジオから機嫌の良いパーソナリティの声がする。傾いた日差しが建物の隙間からチラチラ見えて、カーナビの画面にシャドウフリッカーを起こしている。流れて行く景色を眺めながら楽しかった半日を振り返る。

    '
    掃除機を選び、日用品を買ってから食糧もついでに買いこんだ。専門店の並ぶ場所では花弁の入った茶葉を売る店で足を止め、サークルに持ち寄りたいという巽の希望でひとつ試しに購入した。レコードショップでは数多くのアイドルユニットのパッケージが店頭に並んでいる。ライブ外の日常風景を収めた特典映像付きと謳うポップに、他のユニットが事務所内でこの収録を行なっていた事を思い出した。
    「平日の昼間は人が少なくて良いですね。土日になったら随分混み合う予感がします」
    「ええ。あのお店などは……きっと行列ができていると思います」
    マヨイの指差す先にはシュークリームの専門店がある。北の方で生まれ、道外には未だそれほど店舗を構えていない話題の店で、サークルでも未だ立ち寄った事がない。
    「ミルク感の強いクリームと、クロワッサンみたいにバターが効いてサクサクした生地が美味しいとか。色々なSNSの情報アカウントで絶賛されているのを見ました。餡子を一緒に挟んだり苺を一緒に挟んだ物もあって。」
    「ほう。それは美味しそうですな」
    「……ひとつ買って帰りませんか?」
    少し視線を傾けて此方を伺う顔。勿論巽は笑顔で頷いた。
    '

    保冷剤と同居しているシュークリームは箱で冷え、他の買い物袋と並んで後部座席に座っている。食糧を蓄えて膨らんだエコバッグはマヨイが「ひっくり返るといけないから」とシートベルトをされていてまるで赤子のようだ。
    『オープニングナンバーにリクエスト頂きましたのはこちらの曲〜ちょっと前配信サイトからシングルリリースされた楽曲ですネエー、“虎視眈々”!』
    高いテンションの司会者から繰り出されたのは不穏な音楽。穏やかな景色には不釣り合いなメロディが流れ出す。
    「これ……この間撮影したミニドラマのテーマ曲です」
    「と、言いますと……ああ、マヨイさんがかなり評価されていた、あの?」
    ミニドラマ。それはアイドルや芸人をひな壇に登らせ、怪しい映像や写真を見せてああだこうだとリアクションさせるバラエティ番組が、少々真面目に脚本を書いて短編ドラマ撮影を行った時の映像だ。あくまで“俳優や女優のような演技のプロは使わない”という縛りの元制作され、バラエティ番組の枠を用いて放送されたもの。番組は放送終了後ネット配信もされ、それなりに再生数も良かったらしい。
    このバラエティ番組は昨今では珍しくオカルトやミステリーを探求するコンセプトであり、客層も子供騙しでは無い画を求めている。そう考えた番組プロデューサーは外部からホラー描写の得意な演出家を起用してきたのだ。
    ゴールデンタイムの番組だろうとやりたい事を貫き、「怖すぎて子供が泣いた」と視聴者からクレームが飛ぶ、いわくつきの演出家である。過去に二度ほど放送自粛の内容を撮ってしまってから仕事は減り、怖い話が盛り上がる夏場以外にテロップで見かける事はない。近頃は自主制作映画で細々と自分の描きたいものを表現していた彼は、“人間の怖い所”をテーマにドラマを組み立てた。
    主人公を苦しめる様々な人々に与えられる苦痛。職場の怖い先輩、嫌な同僚、恐ろしい隣家の住民の仕打ちに耐えられず、主人公は恋人に助けを求める。しかし、今までの凶事は主人公を自身へ縋らせる為だけに彼が仕向けていたものであり、それを知ってしまい耗弱した主人公は、心中の強要という形で命を落とす……という、とてもゴールデンタイムには流しにくい……もとい、深夜帯に相応しい脚本だ。
    当然低予算での制作を求められていた為、主役に据えるメインタレント以外はモブ役も撮影班も大道具も素人同然の面々ではあったが誰もが十二分に力を発揮していたし、演出家の求める“自己中心的で狂っている恋人”という難題にマヨイは都合良く答える事ができた。ミニドラマとしてはそれなりのレベルに仕上がっている。テーマ曲まで設定されているのは演出家の強い拘りである。
    アイドルのテレビ番組を全て押さえる藍良は勿論リアルタイムで視聴済みだ。彼から出た感想は「マヨさんとは距離置いたほうが良いな。取って食われる」だったので、マヨイは半泣きになった。身内ゆえの冗談混じりの感想である。
    「いえあの、演じる事は楽しかったんですけどぉ……あれ、内容も方向性も挑戦的すぎてだいぶ炎上したので評価されてたかどうかは……」
    「はは。炎上もマーケティングのひとつではあると思いますよ」
    撮影中の様子は脚本と打って変わって朗らかでスムーズではあったが。まあ、燃えた。設定が一部センシティブだった事もあるし、過激なテーマで趣味が悪いとも叩かれているし、 何よりこのミニドラマが放送された枠は神秘を深掘りするバラエティであってホラー番組では無い。一部では「局で干された演出家を友達の番組プロデューサーが使っただけ」とか、「番組のメインタレントの子を目立たせる為に作られた趣味の動画」とまで酷評するコメントもつけられている。
    それでも番組のハッシュタグには演者へのファン目線なコメントも少なくないし、この演出家の作風が好きで追いかけている熱烈なファンも多い。この内容でGOサインを下したプロデューサーは、ネットの賛否両論は称賛の声だけ受け取ればいいと笑っていたし、演出家はマヨイの事をいたく気に入っている。
    「うぅ……撮影のスタッフさん達も番組プロデューサーの方も良く褒めては下さいましたが……複雑です……」
    「でも、演じるマヨイさんが楽しいと思えて作品も話題になったならそれは良かったんですよ」
    巽の優しい言葉に納得する。マヨイは「巽さんがそう言うなら」と深く頷き、ラジオから流れる音楽に耳を傾けた。


    二人は買い物を終えてショッピングモールから帰宅する。マンションの近くに広がる駐車場は月極契約。これは巽の唯一譲り難い点で、マヨイは譲歩したのだ。採算にわたって運転態度に注意を受けてきた為か、巽は街中を走る程度なら一般的な運転を行うようになっていた。
    部屋に帰って家電製品を開封したり掃除用具を物置に整理したり、甘い物の箱を冷蔵庫に仕舞い込む。食料の一部はすぐさま夕食のシチューに用いられ、それ以外は冷蔵庫に吸い込まれて行く。夕飯の後に取っておいたシュークリームは少し時間を置いてから食べることにし、巽がお風呂の用意をしている最中マヨイはテレビの設定をいじって自身のVODアカウントにサインインした。
    「これがネットフリックス、ですか。CMで見た事があります」
    「映画とかドラマとか色々見られるんですよ。オリジナル作品が豊富で、結構面白いのが多くて」
    時間泥棒だと笑うマヨイからリモコンを受け取りホーム画面に並ぶドラマタイトルを眺める巽。そのうちの一つを選べばシーズン3のエピソード一覧が表示される。下までスクロールしてかなり本数がある事が分かる。3ということは、このシリーズはシーズン1、2が既に配信されているらしい。
    「確かにこれは……ずっと見ていられそうですな」
    「そそ……そうなんですよぉ。なので映画の方がおすすめですよっ?先が気になって見続けて、気づいたら朝になってたりとか普通にあるので」
    「マヨイさんの見たい映画はどれですか?」
    「ええと、そうですね。吹替が無いやつもあるんですけど気になってるのはいくつか……」
    と、自分の後で観るリストから漁ろうとしてマヨイは手を止める。自分のリストインしたラインナップの趣味が偏りすぎている。今再生するということは巽と共に、初めて二人きりで一緒に観る映画になる訳で。それを賛否両論の奇作とか、ゾンビアポカリプスとか、18+指定のサスペンスとかをあてがってしまって良いのか。突拍子も無いサメ映画とか。
    「良くないですねぇぇ……!?ま、待ってください!当たり障りの無いのを選ぶので!!」
    「俺はマヨイさんの好きなジャンルで構わないのですが」
    「あっ、ほらあの、この辺りの映画とか結構……!これとか!私も未だ見てないんですけど素直に王道で面白いって聞きました!火薬の量がすごいって……」
    当たり障りの無い、といいつつ選んだサムネイルでは海外の俳優がハードボイルドに映り込み、背景で乗用車が二台爆炎に吹き飛ばされている。カーチェイス要素があるのではと一瞬嫌な予感がしたが、巽の興味を惹かれた子供のような表情に負け、再生ボタンを押すしかなかった。



    『お風呂が沸きました♪』
    映画に集中していたマヨイは突然の給湯器からの大声でビクンと肩が揺れる。シュークリームに掛かっている粉糖を吸い込み咽せてしまったマヨイを気遣って巽は冷蔵庫の冷えた水を注ぎ渡した。
    「大丈夫ですか?先にお風呂入ります?」
    「げほげほ……ッだ、大丈夫です……映画止めておくので、先に入ってしまってください」
    マヨイの背中を撫でた後巽は風呂に向かう。再生を中止して別の映画を観ても、今見ていた作品は途中からまた見られる。一人になったマヨイはホーム画面へ戻り、ジャンル別の作品一覧を眺めてぼんやり考え事をした。
    恋人と二人で観る映画なんて、何が良いとか悪いとか微塵も想像がつかず、どんな選択が正しいか分からない。しかし、流石にこの選択はちょっと……というチョイスだけは想像に難くない。マヨイは趣味が偏っている自覚がある。悲劇の中で小さな希望を見つけるような話に興味を惹かれる傾向があるのだ。報われない男性が失意のまま世相に復讐を働いたり、登場人物達が誰しも救われないが傷を舐め合い安らぎを得るような、そんな鬱蒼とした映像。彼等はどんなに暗い気持ちで観ていても、何故だか心地良く自身に寄り添ってくれる。失敗の後大成功を収めるサクセスストーリーも、幸せを謳い永遠の愛を誓い結ばれるロマンスも、観られなくはないがあまりに眩しすぎて観ていて辛くなってしまう事がある。絶対的正義の味方が悪を断罪するヒーロー者も、どちらかといえば得意ではない。
    大衆に受けがよくて“面白い”と賛美されるような映画はそういった爽やかな後味の作品なのだということも理解している。けれど、マヨイは未だに闇ばかりの悲恋の方がお気に入りで。
    「(巽さんと二人きりで過ごす時間がもっと増えたら、変わるのでしょうか。私……)」
    出会って半年を過ぎても、こんな場所にいるなんて考えられなかった。巽の事を畏れていた初夏が既に懐かしい。
    今は幸せに手を伸ばす権利がある事を知った。そしてこの指先は幸せが向こうから絡め取ってくれる。きっと純粋なロマンスだって平穏な気持ちで見られるようになるかもしれない。
    とある恋愛映画をひとつ選んでみた。映画内容の詳細なあらすじ一覧が表示され、男女が全裸でシーツに包まった、絵画のように美しいサムネイルが映し出される。
    「いやでも恋愛モノは……まだちょっと……」
    急に耳まで熱くなり、何だか気恥ずかしくなってしまった。しかしあらすじをざっくり見た感じ少し興味が湧いたので、折角だから後で観るリストに挿入しておいた。誤魔化すようにホーム画面に戻り、残り一口まで追い込んだシュークリームを頬張ってしまう。合わさった生クリームと餡子をより一層甘ったるく感じる。
    「マヨイさん、お風呂が開きましたよ」
    「えっ?!お……お早いですね?」
    「そうでしょうか。昔の癖ですな」
    いつのまにか背後には巽が立っていた。マヨイが物思いに耽っていたのもあるが巽の入浴も早い。烏の行水だ。入れ替わって風呂へ向かうマヨイから「長くなるので先に観ていて良いですよ」と言われはしたものの、内容が飛んで分かりにくくなってはいけないと考え巽は律儀に待つ事にした。

    今度はリビングに巽一人となった。ガラスポットに気に入っている茶葉を落とし、沸かし途中でケトルを持ち上げて沸騰させずに湯を注ぎ、ハーブティーを作る。ポットの中に染み出して行く色素を眺めながら、巽はリモコンに手を伸ばし、先程までマヨイが行っていたようにジャンル別の作品を一覧であれこれ見ることにした。
    アカウント名には“あ”さんと表示されている。マヨイがレッスンなど仕事上利用しているタブレットを見た際、“あ.pdf”とか“新規.docx”とか、“最終(2)(2).txt"とかいう名付けが適当なファイルが多かったなと思い出される。巽的にはデジタルに詳しくないのでまともに案件名を書き込まないと分からなくなる事間違い無しだが、マヨイはどうやらファイルの位置や更新順だけで中身を判別しているらしい。写真のサムネイルを見ただけで誰とどこで撮った物か言える藍良も同様な能力があるだろう。デジタルネイティブというのだろうか。ユニットメンバーの、我が伴侶の機械に対する強さは舌を巻くものがある。巽もマヨイとは一つしか変わらないのだが。
    アカウントのページを見ているうちに、マイリストのようなものを見つけた。巽は先程のやり取りを思い返す。マヨイの自分の趣味を隠したがる素振りはかえって巽の好奇心を掻き立てた。躊躇いなくリストを開くとそこには様々なサムネイルが並び、どれもおどろおどろしい雰囲気を放っている。マヨイはたびたびオカルトや怖い話を得意とする性質があるので、確かにこの手の映画に興味があることは頷けた。しかしこのリストはホラーやサスペンス作品ばかりであるというのに、最も上にはピンク色のサムネイルをしたロマンス作品が収まっている。それが何だか巽は愛しくなった。リストインした時間は分からないが、マヨイがこのような映画にも興味があるのだと分かっただけで収穫である。蒸らし終えたハーブを取り出しカップに注ぎ入れ、温かい茶を飲みながら次に観てみたい映画の詳細情報を次々と流し見していく。


    いつもの三つ編みを解き、緩く癖のついた髪を後ろに流してマヨイが戻ってくる。巽は髪を結った状態も下ろした姿も好きなのだが、ロケ地の宿やライブ後のシャワールームでしか見られないこの姿に特別感を感じている。
    「すみません、私が上がるまで待ってくださって……」
    「いいんですよ。作品一覧を観ていました。本当に色々な作品があるんですね」
    巽はカップをもう一つ出してハーブティーを注ぎ、マヨイの前に置いた。ほのかに甘く心地よい香りがする。
    「良い匂いですね。今日買っていたものですか?」
    「いえ、これは自前で元から好んで使っていたものです。精神を落ち着ける効果があって、眠る前に飲んでおくと睡眠が深くなるとか。チルってやつですな」
    ほうと息をついて茶を口に含み、「確かに落ち着く風味がしますね」と微笑むマヨイに嬉しくなる。
    「では続きを再生しましょうか」

    ネットフリックスで王道な映画を観ながら、風呂上がりに暖かいお茶を飲んで、ソファでまったり過ごす時間。マヨイは(これってネットフリックスアンドチルというやつなのでは!?)とハッとした。ネットフリックスを見ながらいちゃつく、とかいうスラングだ。当然「巽さんはそんな性的なスラング知らないはず……」と解釈違いを起こし、頭の中で否定したが、何だか一度意識してしまうと期待してしまう。この部屋が防音のしっかりしている場所なのも、元はといえば映画やライブDVDを見るためと言いつつも、そういう期待も込めての選択だし……
    画面の中では主役の男性がヒロインと熱い接吻を交わしている。ドキ、と胸が跳ねて直視できない。隣に座る巽の顔も見る勇気がない。ただ物語の中での出来事だというのにこんなに意識してしまうのは、期待している自分に気づいてしまったからだろう。
    ほんの少しだけマヨイは巽に身を寄せる。しかし大きな爆発を映し出す急展開は巽の目を奪っており、マヨイの心情には気づいていない様子だった。

    「とても面白かったです。マヨイさんの選ぶ映画には外れがなさそうですな」
    乾いた笑みを浮かべるマヨイを尻目に巽はティーセットを片付けた。机には寝る前に使うハンドクリームが転がっている。二人で使おうと思い買った少し大きな缶のものだ。
    ハーブティーを飲んでから上映中に歯磨きもしていたので巽はすぐに眠るつもりなのだろう。黒い画面にエンドロールが流れている。すごく、普通に集中して見終わっていた。当然、肩を密着させる以上の接触は無い。
    「明日のレッスンは何時から開始でしたっけ?」
    「……あ、ええとぉ……一彩さん達は打ち合わせがあるそうなので13時集合ですね。場所は予めお送りしてあった部屋ですぅ……」
    ぼんやり返事をしながらエンドロールを切り上げてテレビを消し、マヨイは手にハンドクリームを塗ってしまう。
    「(い、いやいや!何事も無く寝る流れになってますけど、折角の二人暮らし、明日遅出の、お休みの日の夜なんですよ……?!ちょ、ちょっとくらい……)」
    キス、くらいは。食器を洗ってクリーム缶に手を伸ばす巽に「あの、」と小さな勇気が向けられる。
    「どうかしましたか?」
    「……ぁ……そ、その。……ま、マッサージ。しましょうか?」
    勇気が足りなかった。クリームを塗りたてのマヨイの手は艶々していて滑りが良い。巽は喜んで「お願いします」と頷いた。

    変に意識してしまって緊張しているのだ。寝室の間接照明がスパやエステのように落ち着いた雰囲気を作り出している中で、巽の腰や両脚を揉み解しながら、マヨイは熱い溜息をつく。巽の肉体は自分よりは筋肉量がある。しかし太いというわけでは無い。脂肪のついていない所を見ても一般的な人より細身の部類になるだろう。それでも、不可逆的な怪我をして尚軽快な身のこなしをするし、そもそもの身体能力が高いのだと伺える。細く見えるこの腕も案外逞しく、力強く背中に添えられたり腰を抱いてくるのだから、油断できない。
    マッサージの終わりを囁かれ、「ありがとうございます」と寝巻きを着直す巽。その背後の死角でマヨイは未だにもだもだして、自分の掌を睨んでグニグニ揉んでいた。マッサージとして素肌にじっくり触れはした。巽の体温を吸ってその手がとても熱くなっている。しかし本当にしたかったことは達成できなかった訳で、そんな自分の臆病さに嫌気すら感じてしまう。折角二人きりなのに。
    「マヨイさん」
    「はひっ」
    巽はマヨイの裏返った返事が愛しくなる。小さく揺れる肩も、照明のオレンジと混ざって緑がかった潤む目も。
    巽は半身を起こしてマヨイに近づき、ちゅ、と音を立てて唇に吸い付く。彼の踏み出せなかった所を飛び越えていく、そういう男を体現していく。
    「(あ……、キス……)」
    認識した途端、マヨイの脳内はドロリとチョコのように溶けてしまった。キスをしている、力が抜ける。骨伝導で唇どうしの音がする。とても温かい。
    唇を食む巽はマヨイの後頭部と背中に手を添えて抱き寄せ、もう少し深く舌を押し付ける。唇を舌先でつつくと緊張が解けて歯列が緩く開き、その奥には熱く震える舌が待っている。ざらついた味蕾と味蕾を擦り合わせれば、えもいえぬ心地よさと同時に“いけない場所”に触れてしまっている背徳感が背筋を走った。歯列の裏側をなぞり、ビクビク跳ねる舌を追いかけて捕まえる。柔らかな肉同士が絡まってヌチュリといやらしい音が漏れる。巽とマヨイのお互いの唾液がぐちゅぐちゅに混ざり、責められているマヨイの口の端から流れていく。
    巽は彼がずっと深く触れたがっている事くらい何となく察していたのだ。マッサージを申し出た様子は明らかに何かを隠していた為、こちらから触れようと確信に至った。防音の聞いた部屋にしたい、映画やDVDを見たいから、と言うマヨイには、裏の目的があったこともなんとなく気付いていた。巽も同じ理屈を持っていたからである。巽もマヨイの事は積極的に触り倒したい。二人きりの世界に来たのだから尚更である。けれど奥手な彼の事だから、少しずつが良いに決まっている。キスもハグも初めてではなくとも、このひとつ屋根の下二人きりでは“初めて”だ。
    「ん、んんぅ……ッ、ふ……」
    肩をすくめるマヨイの背筋がゾクゾクと震え出し、甘い呻き声が鳴る。その心臓はバクバク早鐘のように脈動していて、密着している巽は胸からその音を感じ取っていた。自分だけでは無くマヨイも気持ち良いと感じている事が分かり、幸福感を強く感じる。
    ちゅく、と唇が離れて溢れた唾液がこぼれてしまう。お互い顔も身体もとても熱くなっている。ふーっと深く呼吸する巽とは正反対に、マヨイはハァハァヒィヒィと呼吸を乱していた。その目には涙が溜まり、トロリとした表情からして相当限界まで高まってしまったらしい。正座して揃えた太腿はキュッと閉じられている。
    「明日は平日ですし、遅番と言っても練習ですからね。これ以上はお預けということにしておきましょう」
    「ぁ、は……はひ……ぃ……」
    巽が優しく囁くので、マヨイは背中を支配したままのゾクゾクに犯され失神しそうな心地だった。元々集中力も想像力も逞しいマヨイは脳イキや催眠状態に達しやすい。音声や妄想を高めれば性器に触れずして絶頂することもできる。そんなマヨイが愛しく思う巽から頭を撫でられ濃厚なキスを続けられたら果ててしまうなんて火を見るより明らかで。
    故に、マヨイが果てる直前に巽は顔を離した。巽はマヨイに対しては何故か「困っているマヨイさんはとても可愛い」という嗜虐心が働いてしまうのだ。
    つまり今のマヨイは生殺しである。おやすみなさいと和やかに呟く巽と共に布団に入りはしたものの、燻った身体の熱は深夜二時まで冷めなかった。
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