貴方と共に汽車の車窓から外を眺めると川沿いの桜が淡い紅色を纏い始めた。
私がまたこちらに戻る頃は満開になっているだろうか。
昨年末に月島が私に会いに上京してきた(私が呼び寄せたのだが)。
待ち合わせ場所をはっきりと伝えたわけではないが、月島の事だから私の思考を察し上野公園の彼の方の銅像の下で待ってくれているだろうと期待した。
先に来て吃驚させてやろうと企み私は銅像付近で隠れて待っていた。
しかし、約束の時間が経過しても月島は現れない。いるのは大きな花束を抱えた背広の男だけだった。
上りの列車はとうに上野駅に到着しているはずだ。
私の思惑が外れ別の場所で待っているのだろうか、もしくは何か揉め事に巻き込まれただろうか(月島は巻き込まれ体質だから)とあれやこれやと一抹の不安が過り、居ても立ってもいられず表に出たところで大きな花束を抱えた男が私の名を呼んだ。
私が月島を見間違えるわけがない。月島の背広姿も見知っている。
しかし余りにも本人とは印象がかけ離れすぎていた。花束を抱えた男が月島本人だと気が付き唖然とした。
その花束はどうした?誰かに持たされているのか?もしくは騙されて買ってしまったのか?それとも誰か女でもいるのか?と一人、気を揉んでしまった。
「…駅近くの花屋の店頭に並んでいて、その…貴方を連想してしまって…、今日は貴方の生誕日だから…、貴方にと…」
語尾はほぼ聞こえなかったが、花束は何と私宛てだと判明した。
私は大きな花束ごと勢いよく月島に抱き着いた。体幹がしっかりしている月島は私が飛びついたところでびくともしないが花束が少し押しつぶされてしまったので慌てて退いた。
驚かせるはずだったのに逆に驚かされてしまった。
紅紫の花びらが社交場の貴婦人が纏う洋装の裾の様で私は花束と共に人目も憚らず舞った。恥ずかしいから止めろと咎められたが止められなかった。
舞い上がった心のままが銀座へ二人で向かった。
新しくできた西洋料理屋やカフェーはすでに調査済みだ。特にソーダ水の上にアイスクリームが乗った飲み物は外せない。
無駄遣いをするな、とまた咎められたが、普段はちゃんと倹約しているからたまの贅沢は許してほしい。
月島にも旨いものを食べてほしい、そんな気持ちだった。
月島も西洋料理に舌鼓を打つも「米が欲しい」などとぬかすものだから思い切り肩を抓ってやった。
帝都での生活、旭川の様子など積もる話はいくらでもあったが、北へ向かう汽車の時間が迫ってきた。
陸路が発達したとて帝都と北海道の陸路は最短でも3日はかかる。お互い多忙の身だ、ゆっくりもしていられない。
駅舎は汽車に乗り込む者や見送りの者などでごった返していた。
カランカランと耳を劈く鐘が鳴り響き、無情にも汽車は出発の時を告げる。
汽車に乗り込んだ月島が窓から顔を出し、一言告げた。
喧騒にかき消されそうになったが、しかと私の耳には届いた。
私は返事も出来ぬまま動き始めた汽車をただただ呆然と見つめるしかなかった。
そんな大切な事を今この時点で告白するんだ。ばかすったれが!
月島がくれた花束はどんなに手入れをしてもいつかは枯れてしまう。
何か残しておく方法はないかと花屋に尋ねたら色褪せも少ない押し花を勧められた。
茎と花びらを分解し、本の間に挟み重しを乗せて乾燥させ、元の花のかたちへ成形する…と手間と時間がかかったが初めてにしてはなかなか出来のいいものが仕上がった。
紅紫色のカトレアと白緑の薔薇を二輪。私の日記帳に挟み、日毎、自画自賛している。
反乱分子である我々は中央政府の裁きを受けた。
首謀者である鶴見中尉殿が行方知れずの今、何も知らずについてきた部下たちを守るため私に嘆いている暇はなかった。
しかし現実はそう甘くはなかった。我々が失ったものはあまりにも多く、自分の無知と非力さを実感した。後悔と罪悪感が私を蝕み、列車の中で誓ったことも、足元が揺らぎ崩れそうだった。
月島がいてくれたら、と何度も脳裏に過っては頭を振った。
月島は文字通り満身創痍で寝たりだった。軍人として復員する可能性が低いだろうと推察していたが数か月後、函館の軍医から回復の報告を受けた。旭川から函館行きの汽車に飛び乗り衛戍病院へ向かった。
しかし病床に月島の姿は無かった。近くの兵に行方を尋ねると、月島は行先も告げず毎日朝からどこかへ出かけ日が暮れた頃に帰ってくるらしい。
大体の目星はつき、再び函館駅に戻った。
月島の成し遂げたかったことを私は奪ってしまった。
あの状況で適否判断はできないが、私は月島に死んでほしくなかった。例え恨まれようが憎まれようがその想いが変わることはない。大切な人をこれ以上失いたくなかった。
月島が居なければ樺太で、札幌で、函館で、私はとっくに死んでいた。
月島は充分に働いた。だから月島には自分の思うように自由に生きてほしい。
海を浚っている後姿をそっと見つめた。
本当は怖かった。
函館湾で助力を乞うた時、震える手を外套の衣嚢に入れて隠した。
この男を解放してやってくれと大口を叩いたくせに傲慢ではないか。
だが、この圧倒的不利な状況を打破するため、前に進むには月島のちからが必要だった。
私は私に言ってほしかった言葉を思いの丈を真っすぐに伝えた。
そして月島は軍に戻ってきてくれた。
今の私がいるのも月島のおかげだ。
中央政府からの詰問や尋問も、陸大の受験時も月島が尽力を注いでくれたから乗り越えられた。
私が生きている限り、この体がある限り守ってやりたい。
だから私は更に上を目指し直往邁進して成し遂げる。
いつの頃からか、月島の表情が少しづつ柔らいできた。
ふと目が合った時柔らかく微笑むようになった。それは二人きりの時に特に感じられた。
月島への想いは仲間や部下に対するものや、家族への想いとは違う感情に気が付いた。その感情の名はきっと…
旭川に到着するのは月島の生誕日だ。
あと1年で月島は退役する。
もう充分に働いてくれたから、余生は自由に生きてほしいが、我が儘を言うならこれからも共に生き、歳を重ねていきたいと願う。
贈答品はたくさん用意した。通達無しの帰営に驚くだろうか。
そして開口一番に年末の返事をしてやろう。私の右腕がどんな顔をするのか今から楽しみだ。