甘い甘いオレだけの 宇宙を彷徨う大きな船の中のとある一室。誰もが寝静まっている静かな船内の筈がカチャカチャと何かが動く音がした。
「えっと……たしか、お湯の中で暫く温めたこれを冷蔵庫で冷やして暫く置いておく……だったよね?うぅ……もっとしっかり見ておけば『何をしているんだ?小僧』うわぁぁぁ!」
突如自分以外の声に鼓膜を刺激され、大きな叫び声が口から飛び出した。心臓をバクバクと激しく運動させながら、余計な驚きを与えてきた男に向かって鋭い視線を投げつける。
「いきなり近づくなターレス!」
「おいおいここはオレの船だぞ。家主が好きに動くのは当たり前のことだ」
くつくつと笑いをこぼしながら自分の正当性を主張する男に思わず悟飯は舌打ちをしてしまう。もっともっと文句を言ってやりたいところだが、それをしたところで暖簾に腕押し、意味のないことだろう。ターレスには悟飯の言葉が響くような心など持ち合わせていない。
「で、質問に答えていないぞ。何をしていた?」
改めて一人で何をしていたのかを問い出した。ターレスは最初は悟飯がここから逃げ出す計画でも立てているのかと考えていたが直ぐにそれは違うであろうと予想した。その理由は悟飯の周りに置かれている器具にある。
お玉、卵の殻、鍋に沸かしたお湯、どれを見ても脱出を試みようとする人の用意する物とは思えなかった。料理だ。悟飯は料理をしていた。それは理解できた。しかし目的がわからない。料理が趣味というわけでもないだろう。今の今まで悟飯が調理場で作業をしている姿など見たことがない。なぜ今日突然料理など始めたのか、ターレスが知りたいのはそれだった。
「プリンを……作ろうと思って」
「……プリンとは何だ?」
「え!?ターレスはプリン知らないの!?」
料理名を聞いてもターレスの知識の中にはないものだったらしい。それは悟飯にとてつもない衝撃を与えた。
「プリンは卵と牛乳と砂糖さえあれば簡単に作れるお菓子だよ!甘くてトロトロで……口の中に入れるとあっという間に消えちゃう美味しいお菓子!」
「ほう、それをなぜ突然作っていた」
「それは……」
プリンの素晴らしさを語る為に大きく開いた口は一気に萎んでいく。もごもごと言い辛そうにしているがターレスという男はそれを許すような男ではなかった。目を細めてじっと悟飯を見ることで言葉にせずとも語っていた。嘘偽りなく話せと。
「お母さんが……夢に出てきて……昔プリン作ってくれたの思い出したんだ……。美味しかった、また、食べたいって思って……でも帰れない、から……」
帰れない、帰ることなど不可能だった。ここは広くて暗い宇宙の海。どんなに親が、故郷が恋しくてもそれは不可能であると、幼い子供でも十分に理解できた。それでも、夢で見た懐かしい母親の味を求めて記憶の引き出しを開けて自分で作ろうと試みた結果がこれだった。誰もいない深夜の調理場で苦戦しつつもなんとか形に出来た所で見つかってしまった。
(捨てられるかな……)
折角完成したそれが食べることが出来そうにない悲しさが悟飯の心を曇らせていく。自然と顔は下を向き、その悲しさを悟らせまいと表情を隠していた。
「さっさと食って寝ろよ」
「え?」
予想外の言葉が聞こえた。「捨てろ」「甘ったれめ」「お前にそんなものはいらない」数々の否定の言葉が槍のように降ることを覚悟していたのに、聞こえてきた言葉は許しの言葉だった。
「いいの?」
「腹を満たすことまで止める気はない」
用事は済んだとばかりに部屋から出ていこうと足を動かすがそれは直ぐに止まることになる。
「ま、待って!」
足を止めて振り返ると白く小さな手にはコップに入った黄色い固形物。おそらくこれがプリンというやつだろう。差し出されたそれを冷静に分析し答えを導き出していく。
「なんのつもりだ?」
自分で食べるために作ったそれを差し出してくる姿に訝しんだ。まさか毒殺でも企てているのだろうか。大きな手でそれを払いのけようと腕を上げた所で悟飯の口からは続きの言葉が紡ぎ出されていった。
「た、食べたことないの!人生半分は損しているから!食べていいよ!あげる!」
胸元に押しつけられたコップを思わず手に掴み受け取ってしまった。渡したことに満足した悟飯は物凄い勢いで片付けをして冷蔵庫からもう一つコップを取り出すと棒立ちするターレスの横を素早く通り過ぎて部屋の扉から飛び出した。
「ボク、一個あれば良いから!残りもあげる!」
まるで悪役が去り際に放つ決め台詞のように悟飯の言葉が廊下に響いたのだった。
※※※
「ターレス様?それは何ですか?」
次の日の朝、船員の一人が調理場の椅子に一人で座るターレスに声をかけた。コップに入った何かを少しずつスプーンで掬って食事をしている姿は普段の彼からは想像できないものである。恐れ多いと思いつつも好奇心が勝り尋ねてしまったのだ。
「プリンだ」
船員の知らぬ未知の単語。それ以上の説明はなかった。これ以上問いかけても答えは得られそうにない。船員はこの部屋に来た当初の目的である水を手にするために冷蔵庫の扉を開いた。
冷蔵庫の中には見覚えのない三つのコップが入っていた。中身を確認すると今現在ターレスが口にしているプリンと呼ばれる物体と同じものが入っている。
「一応、言っておくが」
船員の指がコップに触れようとしたまさにその瞬間、「プリンだ」の一言から沈黙を貫いていたターレスが言葉を口にした。
「それは全てオレのものだ。一欠片でも触れたらお前を殺すからな」
じわりとターレスから滲み出た殺気に船員の指は素早く引っ込められたのだった。
終