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    inaeta108

    @inaeta108 イオ の物置です

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    たりないふたり2

    #キラ白
    cyraWhite

    「あの好中球」と久々に再開したのはつい先だっての戦場だった。広い体内、そして数多い好中球である。巡回中にしろ戦場にしろ出会うことはなかった。モニター越しには何度か一方的な対面を果たしていたから、生きていることは知っていた。相変わらず右側だけ長い前髪と、無駄のない鋭い動きはモニター越しにも目を引いた。そのうち偶然会うこともあるだろう。そうしたらお互いの無事の再会を祝えばいい。キラーTは密かにそう思っていた。
    それなのに、ウイルスや雑菌をあらかた片付けた戦場で遭遇したあいつは。瞬きほどの間こちらを見て、首をひとつ傾げて、仕留めたのであろう雑菌を無造作に引きずって仲間のもとに歩いていった。それだけだった。
    めでたく活性化を果たしてエフェクターT細胞に、そして鍛錬を積んでキラーT細胞咽頭班班長に上り詰めた今でも、初めての戦場のことを思い出すと頭が熱くなる。禍々しい感染細胞、絶望と恐怖。そしてあいつのこと。一時は屋上にすら足を向けられず、特訓場所も変えざるを得なかったほどだ。
    その焼けつくような記憶が身体中を駆け巡った。悔しいのか、悲しいのか、苛立っているのか。どれも正しく思えたし、どれも違うように感じた。


    だから、見たくもないし会いたくもない。
    そのはずなのに、目が勝手に姿を追うのだ。
    苛立ちは募るばかりだ。
    今だって、赤く汚れた頬を無造作に拭う姿に何の珍しさもないはずなのに、金色の瞳から放たれる視線は棘にかかったかのように容易に外れてはくれなかった。
    好中球はくるりと辺りを見渡した。そして周囲に生きたものが何もいないことを確認すると一つ首を傾げ、白いブーツの行く先をくるりと変えた。ざくざくと瓦礫を踏み越え近づく姿をキラーTはただ見つめていた。想定外だ。焦る内心とは裏腹に燃えるような瞳は細められ、眉間に皺が刻まれる。一般細胞なら息を呑んで逃げ出す表情だ。だが、好中球は意にも介さず口を開いた。

    「何か用か」
    「何でもねえよ。ただーー悪くない動きだと思っただけだ」
    「……仕事をしただけだ。ーーだがまあ、ありがとう」
    誤魔化すためについつい余計なことまで口走ってしまう。好中球は虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに淡々とした表情に戻った。そのまま軽く会釈をすると仲間の元に踵を返す。
    キラーTは深く息を吐いた。殴り合いでも始まると思ったのか、そわそわとした表情でふたりの様子を伺っていた班員たちも一様に緊張を緩めている。


    覚えているかとは聞けなかった。
    と言って、初対面を装ったあたりさわりない挨拶などさらにできなかった。眼鏡の嫌味な同期に言われるまでもなく、そう器用なタチではないのだ。
    だが、キラーTのことを認識したらしい好中球はこの一件以降、視線に気がつくとこちらに会釈を返すようになった。ハタからーーそれこそ班員たちから見れば挨拶を交わす立派な顔見知りである。偶の邂逅を、彼らはいつも落ち着かなさげに眺めていた。


    いっそ視界に入れなければいい。
    そう思っていても、その白い姿が視界の端を掠めると、否が応でも体が勝手に反応してしまう。緊張の残る戦場であっても、ざわつく雑踏であっても。言いようのない焦燥が、苛立ちがキラーTを包むのだ。そうすると鍛え抜かれた足は勝手にずかずかと大股に瓦礫を乗り越え、あるいは整備された街路を突き進み、彼の元にたどり着いてしまう。それなのに息を吸い込んで出てくる言葉は大抵の場合好中球の行動を非難するものだった。
    非免疫細胞を庇って負傷する姿を見ると、その間抜けさを詰りたくなる。
    血小板だのに纏わりつかれて戯れる姿を見ると、その暢気さを叱責したくなる。


    その日も確かにそうだった。

    「オイ、好中球テメー」
    「ん? キラーTか。どうした?」
    「どーしたもこーしたもねーよ! 免疫細胞が何ホヤホヤ荷物抱えてお散歩してんだよ!」
    好中球は両手の荷物を抱え直すと体ごとキラーTの方を向いた。
    「ああ、これか。血小板の荷物が高く積まれすぎてしまったから降ろすついでに運ぶ手伝いをしていたんだ」
    「はァ? 体よく使われてんじゃねーよ!そんな事する暇があったら菌の一匹でもぶっ殺してこい!」
    「運び終わったらすぐパトロールに入るぞ。それにレセプターが反応すれば荷物を置いてでも飛び出すつもりだ」
    淡々と言葉を返す、その表情は平坦なままだ。それもまたいつものことだった。どれだけキラーTが怒ったとしても、こちらの言葉に頷きつつも自分の行動を変えることはない。その事実は殊更にキラーTを苛立たせた。
    「ハッ! そりゃ忙しいこったなァ! 赤血球の真似事し過ぎて戦い方を忘れんじゃねーぞ!! 俺たちは免疫細胞まで守るほど暇じゃねーからな!」

    雑言を投げつけるとキラーTは反応を確かめることなく好中球に背を向けた。部下達もそれに倣う。黒の集団は足音高く大通りに向けて歩みを進めた。
    角を曲がる時、礼でも言われているのか血小板に囲まれてしゃがみ込む白い背がちらりと視界を過った。それにキラーTはなんとも言えない腹立たしさを覚えたが、舌打ちを一つ溢すだけにとどめた。こちらはこちらで班員達を連れて見廻り中なのだ。ウイルスの類に感染した細胞が紛れ込んでいないか、街や施設に異変はないかの確認を行いながら、いざ出動となったときに遅れを取らないように小道の一本まで頭と体に叩き込む。地道だが重要な仕事だ。
    大通りはいつもと変わらず賑やかだった。軒を連ねるカフェや商店、暇を持て余す一般細胞と配達に励む赤血球。屋上から眺めていた風景の中に今は足を踏み入れて、守っている。

    キラーTが頭を振って感慨を追い出そうとした時、突然、周囲に破壊音が響き渡った。
    後を追うように聞こえてくる奇声と咆哮、そして一般細胞たちの悲鳴。ウイルスか、細菌か。頭が瞬時に侵入者の規模と場所を推し量る。音からして数はそう多くなさそうだ。だが。
    「テメーら、全速力だ!」
    「イエッサー!!」


    見えたのは、赤く汚れた背中だった。
    そして次に目に飛び込んできたのは、その背が白くてでかいぷよぷよとした雑菌に飲み込まれるところだった。
    それを認識したキラーTは、一足飛びに駆け寄って雑菌に剛腕を叩き込もうとした。だが、腕がぴたりと止まる。指令のない状態での勝手な攻撃は規則違反だ。
    「クソッ!」
    誰に向けるでもない罵倒に、硬直していた一般細胞の背が跳ねる。好都合だ。
    「テメーら邪魔してんじゃねぇ! 鬱陶しいんだよ死にてーのか!!」
    その眼光に非免疫細胞達が散り散りに逃げてゆく。キラーTはギリと奥歯を噛み締めた。
    こうして威嚇のひとつもすれば非免疫細胞達は自ら素早く避難するのだ。それを悠長に声をかけたりするからこんなマヌケな目に遭う。先程見た光景がフラッシュバックする。一般細胞を庇って喰われる白い筈の背中。
    キラーTが雑菌に向けて拳をもう一度握りしめた時だった。巨体が妙な動きをした。苦痛に身を捩るような、内側から揺さぶられるような。ぐわん、ぐわんと大きく捻られたそれは次の瞬間、赤い体液を撒き散らしながら爆発した。いや、違う。内側から切り裂かれたのだ。誰の手で?決まっている。
    全身を赤く染め上げた好中球はその場に膝をつき、荒い息を溢している。その帽子についたレセプターは折り畳まれ、間抜けな警報音も今は止んでいる。他の好中球たちもようやく集まってきて、何事かを話しながら事切れた雑菌を解体し始めた。キラーTは瓦礫の山を見回した。派手に破壊されてはいるが負傷者はなし。瓦礫に挟まる間抜けな一般細胞もいない。この程度ならじきにやって来る血小板たちが片付けるだろう。

    「班長、あの」
    遠慮がちな声が聞こえた。ソバカスが目立つ若い班員がこちらを伺っている。戦闘力はまだまだだが、度胸があり機転も効く優秀な後輩だ。キラーTは乱暴に帽子を取った。べとりとした感触に眉を顰める。
    「オウ、俺らが手ぇ出すことは無さそうだな。巡回に戻んぞ」


    ーーーーーーーーーー


    巡回ルートの後半だったのは幸いだった。咽頭地区リンパ基地までの道のりはそう長くなかった。シャワールームに飛び込み、血やら体液やらを手早く落としたキラーTを待っていたのは副班長だった。胸腺学校時代からの同期である彼は咽頭班の中でも一際気易い。とかく血の気が多いキラーT細胞にしては頭脳派で、時に脳筋だの単細胞だのと評されるキラーTをさりげなくフォローしてくれる得難い存在だ。
    サングラスの奥の目が弧を描いている。キラーTは殊更に不機嫌な表情を作った。

    「災難でしたねぇ」
    「全くだ。なんかベタベタしてとれねーし」
    「ま、そっちもそうですが」
    「……何がだ」
    「何事もなくてよかったなって話です。顔見知りが目の前でヤられるなんていい気はしませんからね」
    「…ンな間抜けな戦い方してるからだろーが」
    「アンタ色々わかりやすいですからね」
    煩え、と拳を構えて見せると副班長はわざとらしく首をすくめた。
    「第二グラウンドの方で訓練進めとくんで手が空いたら来て下さい」
    言いたいことを言いたいだけ口にした副班長はグラウンドへと向かっていった。キラーTは肩にかけていた黒いバスタオルをランドリーボックスに乱雑に放り投げた。

    許せなかった。
    それはあんな雑魚に喰われる好中球か、それとも焦った自分自身か。

    数が多くてどこにでもいる先兵部隊。キラーT細胞にとっては所詮露払いのような存在だ。街でも戦場でも、むしろ普段は目に止まることすらないはずの。それなのにあいつの姿だけはいっそ忌々しいほどに視界に飛び込んでくる。副班長に揶揄されるまでもなく“拘って”いることには嫌でも気づいていた。

    ーー原因などとっくに分かっている。弱くて情けない過去の亡霊。そのせいだ。
    きっと自分は好中球を見ると弱かった自分を思い出してしまって、そしてそれを当人は覚えてすらいないから。だからどうしようもなく苛々してしまうのだろう。
    そんな風に思っていた。


    ーーーーーーーーーー


    少しの変化が訪れたのは、ある日の訓練中のことだった。
    キラーTは珍しくリンパの壁際を歩いていた。次の訓練に使うサンドバッグを倉庫から運んできたのだ。班長自ら手を動かしているのには少々訳があって、要するに副班長にしごきすぎと言われたからだ。適切な休憩は訓練の効果を倍増させる。準備の間、小休憩とする!精々体を休めておけ腰抜けども!!パフォーマンスというのも時には大事なのである。
    そんなわけでへなちょこナイーブ共なら3人がかりでひいひい言いながら運んでくるであろう重量級のサンドバッグ一式を軽々と担いでいた、その時だった。リンパの壁の向こう、休憩コーナーに白の制服がチラリと見えた。

    「よお」
    「キラーTか、お疲れ。重そうだな」
    「はッ!こんなん大したことねーぜ」
    「そうか。流石だな」
    素直な賞賛に気を良くしたキラーTはもう少しナイーブ達を休ませてやることにした。サンドバッグを地面に置き、態とらしく肩をすくめる。
    「俺がいちゃあいつらの休憩になんねーからな」
    「そうか。キラーTは大変だな。何か飲むか?」
    「珈琲。熱いやつ」
    両手にカップを持った好中球はふわりと危なげない様子で壁を飛び降りた。珈琲をキラーTに手渡すと、そのまま隣に立ってグラウンドの方に視線を向けた。並んでお茶をしている状況だ。黒い瞳の先では班員たちが思いおもいの格好でへばっている。

    「調子はどうだ」
    「ん? そうだな。朝晩の冷え込みと乾燥のせいか雑菌やウイルスの侵入が増えてきたな」
    「じゃねーよ。ンな事は聞かなくても知ってんだよ舐めてんのか? お前のだよ好中球」
    「俺の?……悪くはないな。今も上腕の方を回ってきて二匹ほどは仕留めたが。お前はどうなんだ? キラーT。最近は訓練ばかりでリンパ菅が賑やかだと記憶細胞がぼやいていたぞ」
    「あの野郎、ヘタレた事ばっか言いやがって!」
    太い眉がぐい、と上がる。キラーTに言わせれば記憶細胞が“入って”いる時の奇行の方が余程うるさいし近寄り難い。
    「お前もあんな奴とばっか話してんじゃねーよ好中球! 引きこもりが感染るぜ!」
    「そう言うなよキラーT。この間スギ花粉が侵入した時なんかも、まぁ色々あったが参考になったぞ」
    確かにリアクションが大仰だから驚くこともあるが、豊富な知識と経験に裏付けされたアドバイスには学ぶところも多いのだ。苦笑まじりにそんなことを説明しながら好中球は緑茶に口をつけた。つられてキラーTも珈琲の芳香を楽しむ。
    おおよそ悪態めいた乱雑な言葉を投げつけても、好中球は特に意に介した様子もなく、時にうなずき、時に首を傾げながら会話を紡ぐ。戦場でもなく路傍でもないこの場所の所為だろうか、それとも味気ない紙コップの飲み物が緩衝材の役割を果たしているのか。あからさまな追従も揶揄もないシンプルな言葉のやり取りは常のことなのに、今日のそれは不思議と心地良かった。
    ふたりの間を暫しの沈黙が通り過ぎる。キラーTは少し下にある白い頬をぼんやりと視界に収めた。
    実のところ、好中球の容貌を間近でゆっくりと眺めたことなどこれまでなかった。戦闘中の一瞬の邂逅だとか、戦闘後のちょっとした挨拶だとかそれくらいだった。それこそあの屋上以来だ。だから、瞬きのたびに影を落とす睫毛が存外長いことを、鼻梁がすっきりと端正なことを、血に汚れていない肌がどこまでも白いことを今の今まで知らなかったことにキラーTは気づいた。横顔を彩る無造作な白髪に逞しい腕が近づく。

    「なあキラーTーー」
    青白い口唇が何事かを紡ごうとした時、ピンポーン!と間抜けな音を立ててレセプターが立ち上がった。平坦だった表情は急激に殺気を帯びる。
    「すまないキラーT! 続きはまた今度!!」
    それだけを言い置いた好中球は煉瓦の僅かな凹凸を足掛かりに壁を軽々と登っていく。白い手袋がひらりと振られた。
    目的地を失った腕で収まりの悪い髪を乱暴にかき混ぜるとキラーTは帽子を深く被り直した。再びサンドバッグを担ぎ上げ、グラウンドに向き直る。班員たちは十分に休憩を取れただろう。


    ーーーーーーーーーー


    季節の変わり目というのは何かと慌ただしい。免疫細胞といえどその法則からは免れないようだ。寒さが日一日と深まるなか、最後の砦たるキラーT細胞の訓練にも力が入っている。ウイルスが猛威を振るう前に、ナイーブどもを鍛え上げなければならない。そんなわけで今日もリンパ管グラウンドには悲鳴とも気合いともつかないものが響き渡っていた。

    「あ」
    声を上げたのはプッシュアップの回数をカウントしていた副班長だ。そのまま眉を釣り上げて、わざとらしくキラーTの方に向き直る。
    「班長、そろそろ休憩としますかね?ナイーブ共もヘロヘロだ」
    グラウンドから遠く、リンパの壁の向こうにある休憩コーナーに白い姿があった。数日に一回、同じような時間に見える光景だ。一瞬だけ逡巡したキラーTは舌打ちを一つこぼし、声を張り上げた。
    「おい、テメーら! 休憩だ! そのヘタレた体を使いもんになるようにしておけよ!」
    そうして副班長に声をかける。
    「俺がいちゃ休憩になんねーだろ。ちょっとその辺歩いてくるからナイーブどもが逃げ出さないように見張っとけ」

    キラーTはゆっくりと歩みを進めた。どうせ急ぐことはない。
    これはあくまでも訓練の間に行う休憩だ。激戦区になりやすい咽頭地区だから好中球の行き来も多い。休憩のタイミングが偶然合ったから、ちょっとした挨拶と情報交換をするだけだ。雑菌の侵入傾向の最新情報だとか、他地区の様子だとか。

    キラーTは大股で歩きながらさりげなく白い背に視線を向けた。左手をポケットに突っ込んで、右手が曲がっているのは紙コップを持っているからだろう。と、その背が僅かに丸まる。あれは好中球が誰かと話す時の癖だ。キラーTは僅かに目を細める。眺めるうちにその背は伸び、左手がゆっくりと二、三度振られた。
    キラーTは妙な落ち着かなさを覚えて帽子を取った。そしてそのことに首を傾げた。何が落ち着かないのかはよくわからなかったが、きっと熱い珈琲が暫しの平穏をもたらしてくれるだろう。そう思った。
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    inaeta108

    MAIKINGたりないふたり3流石に疲れた。
    キラーTは深く深く息を吐いた。

    気付かぬうちに勢力を拡大していたがん細胞を発見、殲滅までをやり遂げたのだ。無理もない。
    傷の手当て、部下の激励、上官への口頭報告。帰還後の一通りの任務を完了させたキラーTは今日のことを振り返っていた。早急に報告書をまとめなければならない。

    まずは一日の始まりからだ。
    近頃はウイルスもすっかり鳴りを潜めている。だから毎日は訓練と訓練と訓練で埋め尽くされていた。長期にわたるインフルエンザの襲来に苦しめられていたあの時とは大違いだ。そう。へなちょこナイーブが好中球に世話になったあの時。あいつも今では筋骨隆々、期待のエフェクターT細胞として訓練に励んでいる。だから、少しばかり礼でも言おうかと思っていたのだ。
    巡回終わりにリンパ管の近くで偶然その姿を見つけたから声をかけた。感染細胞を被害を広げる事なく駆除する、いつも通りの素早く確実な動き。部下をわざわざ先に帰還させたのは、付き合わせて訓練の機会を逃すのはよくないと思ったからだ。久々にゆっくり話したかったからとかそんなんじゃない。断じて。
    だが、NK細胞の乱入と、そこから始まる騒動のおかげでゆっ 9178

    inaeta108

    MAIKINGたりないふたり4初夏は免疫細胞にとって良い季節だ。乾燥や寒さから脱し、暑すぎることもなく、少し世界が平和になる。
    だからこの時期は種族を跨いでの慰労会が開かれることがあった。とはいえ24時間体制の免疫システムである。特に決まった非番のない好中球などは入れ替わり立ち替わり、パトロールついでに顔を出す程度だが。それでも今日は雑菌の侵入も落ち着いているらしい。白い制服は常よりも多かった。
    天井が高く、開放的な雰囲気の会場はその大半が黒色の集団で占められていた。テーブルや椅子が運び込まれ、飾り付けられたリンパ管内の集会場はちょっとしたパーティー会場へと姿を変えていた。こういった機会の音頭を取るのは大抵がキラーT細胞軍で、参加率が最も高いのもキラーT細胞軍である。軍隊式集団行動を旨としている彼らに、こういった行事への拒否権は基本的に存在しない。御多分に洩れず、咽頭班班長も班員たちと共にテーブルを囲んでいた。

    「面倒くせえ。ンな暇あったら筋トレしてえ」
    「まぁそう言わずに。訓練ばかりじゃ皆死んじまいますって。偶には気も鬱憤も晴らさないと」
    実の所あまり大勢の席を好まないキラーTは些か不機嫌だった。隣に座る副班長 8080