おせおせ。ひけひけ。(仮) 夏の暑さもだいぶん落ち着いた頃。
放課後の喫茶店。
「伏黒。
で、どこまでいったん?」
ずい。と視界いっぱいに虎杖の顔。その端に、にやついた釘崎の顔がある。
カップに注がれた一滴も減っていないブラックコーヒー。そこに映った自分の顔は、いかにもげんなりといったふうだった。
「何の話だ」
わざとらしいと思いながらも知らぬふりをすれば、肩にどかりと腕が乗る。
「何って。俺から言わんとダメ?」
「言わせるの? 虎杖に」
「何だよ。言えばいいだろ」
「うわ。そっけな」
「もっと照れるとか、積極的に報告するとかならかわいいもんなのに。何よ面白くないわね」
「面白くない」か。そう言われるとそうかもしれない。「あの人」も、実はそう思っているかもしれない。
「加茂さんと、どこまでいったん?」
「あの人」とは。そう。加茂さん。加茂憲紀。呪術高専京都校の先輩だ。
俺と加茂さんは、現在所謂「お付き合い」をしている。
さかのぼればあれは四月のこと。エイプリルフール。どう転んでも大丈夫だと虎杖と釘崎に焚きつけられて、ままよとメールで告白したのがきっかけだ。それからなんやかんやで半年ほど関係は続いている。
五条先生にもバレているせいだろう。加茂さんが卒業後も共同任務でペアを組まされたり、やたらと京都の任務をわざわざ俺に持ってきたりされていた。遠距離とはいえ、頻繁に会っているのだ。
肝心の「どこまでいったん?」の答えであるが、どことかいうレベルではない。それゆえ報告が億劫なのだ。
膨らむ期待がありありと浮かんだ二人の表情。これ以上過度な期待をされるのがいたたまれなくなって、俺はついに口を割った。
「……手、繋いだ」
それを聞いた虎杖の表情が、いかにも「聞き間違いではないか?」といった風に変わる。
釘崎の眉間に深く皺が寄った。
「えと。ごめん。もっかい。どこ繋いだって?」
「比喩じゃなくて直接でお願い」
「比喩も何も、手だって。手」
二人によく見えるよう、肩ぐらいの位置で左手を開いて、それを右手人差し指でさす。
わかっている。これは目の前のこいつらにとっては進展のうちに入らないのだ。
「手……そか……半年で、手……」
「仲良くおてて繋いだのね……よかったじゃない……」
一気に冷める空気。そうか。そんなにもか。がっかりさせて申し訳ないという気持ちもあるにはあるが、俺だって好きでこの状態で止まっているわけではないのだ。
「加茂さんが初心すぎてどうにもならないんだよ」
俺が溜め息まじりにそう言うと、何故か二人がまたにやにやしだした。
「へぇ。優しいじゃん伏黒」
「加茂さんに合わせてあげてるんだ。ふーん」
何が面白いのか俺にはわからないが、もっとよこせという空気が出ていたので話を続ける。
「十八までは…なんていうか、そういう……ことは……だめだとか言われてる。
それ以前にちょっと触るだけで大袈裟に反応するし。
初めて手繋いだ日なんて、ずっと押し黙って目も合わせてくれなかった」
「ふんふん」
「へぇー。で、伏黒は加茂さんに言われた通りイイ子ちゃんしてるのね」
「無理矢理って雰囲気にならないし、嫌がってるならするべきじゃないだろ」
虎杖と釘崎が顔を見合わせてにんまり笑う。
「伏黒、大人じゃん」
「ちょっと見直したわ」
「そういう二人はどこまでいったと思ってたんだ?」
「そりゃあさ。元ヤンの伏黒のことだからさ。ね」
「ねぇ。もう、会うたび。ねぇ。ところかまわず」
「比喩じゃなくて直接でって言ったの誰だよ」
「は? レディに言わせることじゃないでしょ」
「そーだそーだ」
本当に、調子のいい奴らだ。
「ま、相手が求めてないなら現状維持でいいかもね。無理矢理進展させようとすると嫌われそうだし」
「十八か……長いな。頑張れよ伏黒。俺もできることあったら協力するから」
ああだこうだと言いながらも、理解があって助かる。ゴリ押しの無理は、あの四月一日だけで十分だ。
◆
放課後。カラオケハウスの一室。輪になって座り、頭を寄せ合う男三人。
「半年で、手?」
「手、だけカ?」
怪訝そうな表情の東堂。首を傾げるメカ丸。
呼び出しやすいという理由だけで、そもそもこいつらに恋愛相談なんぞをしようと思った私が馬鹿だったかもしれない。
「そうだ。悪いか?」
「俺ですらもう少し進展できる気がすル」
「俺の理想ならもう同じベッドで寝るぐらいはすると思う。しかし高田ちゃんが待ってと言うなら俺はソファで……」
ああ。恥を忍んで女性陣も交えるべきだった。
後悔しながら、せめて吐き出して楽になるぐらいの相手にはなってもらおうと話を続ける。
「仕方ないだろう。なんというか、触られると全身がむずむずするんだ。正気でいられなくなる」
「わかるぞ加茂。俺も高田ちゃんとの握手会は内なる獣と理性の戦いだ」
「俺モ。わかル」
「何もかも放り出してその場から逃げたくなる」
「わかるぞ」
「わかル」
……なんだ。少しは話がわかるんじゃないか。
思えばメカ丸とこういう話をするのは初めてかもしれない。東堂は勝手に話してくるが。
悪くない。のかもしれない。
恋愛あるあるのようなものをしばらく話した後、メカ丸が何かに気付いたように私に話を振った。
「なあ、加茂。相手は若いんじゃなかったカ?」
「伏黒。あいつ二年だろ。十六歳?」
「ああ。だから十八まで同衾などは我慢しろと言ってある」
東堂とメカ丸が顔を見合わせ、頷いてからこちらを見る。
「加茂……それは酷じゃないか?」
「そうダ」
「な、っ……なんだ? 二人揃って」
「俺たち、一年や二年の時なんてエロいことしか考えてなかっただろ?」
東堂のその言葉を聞いて、私の脳裏は疑問符で埋め尽くされた。
かたや深く頷くメカ丸。
メカ丸。お前にもわかるのか。若いの男の気持ちが。
「わか……らない……」
「おう。これだから箱入りの坊ちゃんは。そういや一年の時、女の好みも答えられなかったもんな」
「伏黒は男ダ。そういうことだロ」
「うぅ……」
そういえば、在学中に私には理解できない話があったことを思い出した。
わからないと言っても、茶化すだけで教えてくれなかったではないか。
「あんまり我慢させとくと、飽きて捨てられるかもよ」
「だナ」
「へ……?」
「俺だって、高田ちゃんだから許してるようなモンだ」
「まぁ東堂は付き合ってもないけどナ」
捨て、られ、る?
その言葉がずっと頭に残って、じわじわと体を蝕んでいく感覚があった。
伏黒君に。捨てられる。
それは嫌だ。
私の胸の内など知らない東堂は、せっかくカラオケに来たのだしと言うように勝手に曲を入れ始める。
メカ丸が隣に寄ってきて、こそりと耳打ちしてきた。
「余計なお世話かもしれないけド、お尻の準備はちゃんとしておけヨ」
お尻の準備? なんだそれは。
「わからないだろうから後で調べロ。健闘を祈ル」
ずっとピコピコした音と東堂の声が部屋に響いていて、頭の中は伏黒君のことと尻の準備のことでいっぱいだった。
◆続く◆