今宵こそはと、サンタクロースなんて存在するはずがない。
そんなことを口にしたら良識ある大人は怒るのか、なんてことが気になって、気がついた時にはついと口から漏れていた。最も、数分前まで駅前に置かれている目が痛くなるほどの電灯装飾に彩られたツリーに目を奪われていた自分が口にするには説得力が欠けるのかもしれないけれど。それでもあんなものが子供騙しのまやかしだということを自分はうんと小さい時から、おそらくこの世の誰よりも良く知っている。
「欲しいものが分かるテレパシー。重い荷物を持って空を飛べる念動力。瞬間移動ができるテレポート。その全部の能力を持ってたって、それでも世界中の子供に一夜でプレゼントを届けるなんて出来やしないと思いませんか」
そもそも世界最強なんてことを謳っていたあの人にも、そして結果的にはその彼に打ち勝った僕でさえそんな所業は出来やしない。なら、そんな存在が実在しないと自然に悟ってしまうことも仕方ないと思って欲しい。そう告げると、前も見ないで歩くカップルばかりの人混みに苦々しげな顔をしていた師匠は、一転して呆れたような表情になった。いくら帰り道が暇だからといって、クリスマスにする話じゃないとでも言いたげに。
「夢のない奴だな」
「ダメですか?」
「いいけど、他の奴の前では絶対に言うなよ」
そういうの信じてる奴もいるんだからさ、と彼は言った。流石に空気が読めないと良く言われる自分とて、その子供騙しで心踊らせているような幼子達の前でその嘘を暴くなんて所業をするつもりはない。こんな話師匠以外にはしませんよ、と言う言葉に白い吐息が返される。
「俺がサンタさん信じてたらどうすんだよ」
「信じてるんですか?」
「いるかもしれないだろ。まだフィンランド行ったことないし」
「フィンランドまで呼び出さないでくださいよ……」
いわく、何も一人でできる必要はないらしい。能力に合わせて分担して、そうして皆で力を合わせたらそんな魔法みたいなことも実現できるかもしれないと、そういうことらしい。柄にも無く随分ロマンチックなことを言うんだなと少しだけ驚いた。けれど、そういえばこの人は地に足のついた現実主義者のようで、その裏では嘘みたいな話を信じて、そして他者に信じさせる夢想家だった。そういうわけで数時間前まで貴重な冬休みに雪男なんかを探す旅に連れまわされていたわけなのだが。
「まぁでも、お前が言うなら居ないんだろうな。サンタクロース」
まさか彼がそんな簡単に御伽話を破り去るなんてと、小さな衝撃と共に罪悪感に似た何かを感じる。自分のせいで誰かの信じていた世界を打ち壊してしまったような、取り返しの付かない悪事を働いたような気分になり、言わなければよかったと後悔が滲む。
「……お前って分かりづらいな」
「なにがですか」
「全部だよ全部」
異議を唱えようとしたところで、それよりも早く師匠の左手が自分の右手を握りしめてそのまま上着のポケットに押し込める。熱い、そう言おうとして彼の手が熱いのではなく自分の手が冷え切っていたことに気がつく。時に、凍てついた肌には温かさが痛みとして伝わるのだということを初めて知った。
「同意して欲しいんだか否定して欲しいんだか分かんねぇけど、別に、お前がそう思うならそれでいいんじゃないの」
「なんか適当ですね」
「世の中そんなもんだろ」
師匠が言うならそうなのだろうか。サンタクロースがいなくても、皆で力を合わせればサンタクロースになれることもあるのだろうか。
(だったら、いいな)
やっと、彼の言った自分に対する評価が存外に的を得ていたことに気がついた。話を聞いて自分の話を同意して認めて欲しくて、けれど否定して誰もが見ている幻想を一緒に見るための理由も与えて欲しいなんて、心底分かりづらくて面倒臭いにも程がある。それでも僕が望めば彼はその為の言葉を施してくれる。
サンタクロースなんていなくても、自分に必要な言葉を提示してくれるのいつだって師匠だ。
「……今日からは僕も、サンタクロースはいる派になろうかな」
「なんだそりゃ」
小さく笑って、彼はもう一度ポケットの中の自分の手を握りしめた。その仕草が、笑顔が、泣きそうなくらいに温かくて。
そのせいで今日も、貴方の嘘を暴けないでいる。