再生　▷再生
　
　ツンツンとした紺青の髪の毛が冷たい風に揺れていた。透き通るような空気の中で、ジュンは空を見上げ薄く煌めく朝の陽の光を見つめている。瞬きとともに、ジュンの瞳に一瞬光が反射した。
　ジュンは手のひらを口元に持っていく。はぁ、と息を吐いて凍えた手を温めた。それからポケットに手を突っ込んで、二本の缶ココアを取り出す。首元から取ったマフラーをココアに巻いて、着ている上着の内側に抱え直した。少しでも長く温かさを保っていられるようにということだろうか。
　腕時計を見て「遅せぇな……」と呟いている。次いでスマホを開いて何かを確認すると、ため息をついた。
　ジュンは誰かを待っている。
　踵を上げ下げして、少し屈伸をして。どこか風が避けられるところへ移動すればいいのに、通りが見渡せるその場で立っている。
　少しずつ壁に当たる朝日が角度を変えて、僅かながらも救いのような暖かさを連れてきた。
　何かメッセージが来たのか、またスマホを開いた。
　ジュンは上着の襟に顔を埋めてにやける顔を半分隠した。それから近くのガラス窓を見て、風に弄ばれた髪の毛を手ぐしで直す。ついでに緩んだ顔も元に戻した。
　暫くして、歩道の少し先で止まったタクシーから男が降りてきた。若草色の髪にスラリとした長身の男は、澄んだ空気の中で殊更に清浄な光を放っていた。
「おひいさん！」
「ジュンくん！」
　振り返った男、日和が手を振る。キャリーケースを引いてジュンに近づく。そこにジュンは小走りで駆け寄ってキャリーケースを受け取った。
「ううっ、寒いねっ！」
「ほら、ココアっすよ」
　ジュンは胸元から缶ココアを取り出すと、ややぶっきらぼうに二本とも日和に渡した。
「ふふっ、あったか〜い！」
　満面の笑みを浮かべて、日和は缶で頬を挟んだ。
「おかえりなさい、おひいさん」
「ただいま、ジュンくん」
　笑顔を交わし合って、二人は人気の殆どない早朝の歩道を歩いて行った。

　■停止

　――――――

　
「……なぁに、これ……」
　日和が低い声で言った。
「今朝早く、新装開店のパチ屋に並ぼうとしたら、ジュンジュンが寮の前の通りで一人で立ってるっしょ？　なんとなーく撮ってみたんだよなァ」
　燐音のスマホで再生された動画を一通り見て、日和は燐音をキツく睨んだ。
「盗撮だよね！？」
「ンな、やべェもんじゃねぇっしょ？　ジュンジュン観察日記、くらいのもンだろ」
「すぐ、消して」
「つまんねェの、日和ちゃんが喜んでくれると思ったのになァ」
「……消して！　……ぼくに動画を送ったらすぐに！」
「きゃははっ！　ほいっ」
　燐音は日和に手を出した。
「何この手？」
「新装開店ってわりにはショボイ台ばっかでよ、俺っち懐が寂しいのよ」
　ペシッと音を立てて燐音の手をはたく。
「訴えられないだけ感謝して欲しいね！」
　ちぇーと言いながら燐音は動画を日和に転送し、目の前で自分のストレージから削除した。
「……ここで動画は終わり？」
「ん？　ああ、このあとパチ屋に向かったからな」
「そう、」
　日和は燐音に気づかれないように、ホッと息を吐いた。

　この後、三日ぶりに会えた二人は寮へ戻るのも待てず、すぐ近くの建物の陰でキスをした。
　あまり綺麗とは言えない建物の狭間。陽も差さず凍てつく風が吹き抜ける中、震えながら冷たい唇を重ねた。カチカチと歯が鳴るのがおかしくて、二人してすぐに吹き出した。
　ほんの短いキス。それでもジュンと離れている間どこか欠けているようだった心の一部が、繋ぎ合わされた気がした。


　――――――


　燐音には厳しい態度をとったが、日和はこの動画が消えないようにロックをかけた。
　誰もいない共有ルームにやってくると、日和はイヤホンをして再び動画を再生した。

　一人で見る今回は、思わずにまにましてしまう。
　凍える身体を揺らして自分を待ちわびるジュン。彼が二度目にスマホを見たときは日和からのメッセージを見たのかもしれない。
　『もうすぐ着くね。早くジュンくんに会いたいね』
　日和はタクシーが着く少し前にジュンにそうメッセージを送っていた。
　綻んだジュンの顔を見ていると温かい気持ちになってくる。
「ふふ、ジュンくんてば」
　でもメッセージを作成していたときの日和も、きっと同じ表情をしていたと思う。

「おひいさん？」

　イヤホンの音声と重なるように、ジュンの声が聞こえた。目の前でひらひらと手を振っている。
　日和はスマホ画面を消し、イヤホンを外した。
「じゅ、ジュンくん」
「何見てたんです？」
「なんでもないね！」
「……ふーん？　何かいやらしいヤツっすか？」
「そんなわけないよね！？」
「動揺してる……。へぇ、おひいさんもそういうの見るんすね」
「違うね！　これはジュンくんの……！」
「？　ジュンくんの？」
「……観察日記みたいなものだね……」
「はぁ！？　……見せてください」
　しぶしぶ動画を再生して見せた。先程の続き、ジュンがはにかみながらココアを渡すシーンが流れた。ジュンの顔が徐々に赤く染まり、むすっとして日和を睨む。
「……盗撮っすか」
「違う、ぼくじゃない！　燐音先輩が！」
「あんた、メアリの写真だけじゃなく、オレの動画まで燐音先輩に送るように頼んでたんすかっ！」
「えっ？　えっ？　えぇっ！？」
　ジュンはふいっと日和から顔を背けて、共有ルームから出ていこうとする。
「そうじゃない！　そうじゃないねーー！」

　共有ルームには、珍しく焦った日和の声が響いた。