晩餐「なぁ、今日の晩俺の家で飲まねぇか?」
バイトを終え、ロッカールームで着替えていると煙草の匂いをまとったチームメイトのタコが声をかけてきた。
彼とはもうずいぶん長い付き合いになるが、お互い暗黙の了解でプライベートに立ち入ることを避けており、飲みの誘いなど今回が初めての事であった。
「珍しいな。君が人を飲みに誘うなんて。」
「…まぁな。酒はあるし、飯も俺が作るから何も用意せずに今から家来いよ。」
「そうか。ならありがたくお邪魔させてもらうよ。」
着替え終わると、なんとなく気まずさを残しつつ2人並んで蒸し暑い夏の夜道を歩いて彼の家へ向かう。
歩き始めてから10分ほど経った。彼も気まずいのか、口数が少ない。
先程から何の話題を振ってもすぐ会話が終わってしまう。自分から話を振り続けるのもしんどいし、彼の家に着くまで後どれ程かかるのか分からない。
いっそ黙ってしまおうか…と思ったところで今日のバイトを無断欠勤していた黄色いイカの存在を思い出した。
「そういえば今日、ーーくんは体調不良なのか?彼ほどバイト中毒の男がバイトを休むなんてよっぽど具合が悪いのかもしれない…君、彼の家知ってるだろ?君の家に行く前にお見舞いにでも行くかい?」
会話中の間が気まずいのでなるべく長々と話す。
黄色い彼の話題を振ればこのタコも会話を続けやすいだろうと踏んでこの話題を選んだが、彼は
「アイツはもう大丈夫だ」
という一文しか発さず夜道には再び沈黙が訪れた。
気まずい。
こんなに気まずいなら誘いなんて断れば良かった。今からでも予定を思い出したと言って帰ってしまおうか…という考えが浮かんできたところで
「ついた。ここの2階。」
彼の家の前に着いてしまった。
カンカンと階段を登り廊下を進むと僕の前を歩いていた彼は奥から2番目のドアの前で立ち止まり、ガチャガチャと鍵を開けて重い扉を開いた。
扉を開けた瞬間廊下まで漂ってくるキツイ煙草の香り。心底帰れば良かったと思った。
「何ぼーっとしてんだ。入れよ」
彼は煙草に火をつけながらそう言う。
もう逃げられないみたいだ。
「…おじゃまします」
ひと足先に部屋に入った彼がパチッと電気をつけると部屋の様相が明らかになる。
壁が茶色く変色しているし煙草の香りもキツイが、存外綺麗にしているじゃないか。正直、ドアを開けた瞬間の煙草臭さが物凄かったので彼がここまで部屋を綺麗にしているとは想像もしていなかったのだ。ほんの少しの感動を胸に質素だが清潔感のある部屋を見渡す。
「メシできるまでの間なんか飲んで待っとくか?」
「あ…じゃあビールとかあるか?」
「あるぜ、はいよ。じゃあそこ座って待っとけ」
「ありがとう。…テレビつけていいか?」
「お好きにどーぞ」
どうにも会話が弾まない。気まずさを誤魔化すためなんとか静寂だけは避けたかった。ありがたくテレビをつけると、芸能人達が目隠ししたまま高い肉と安い肉を食わされてどっちが高級か当てる例のアレが流れていた。空きっ腹を視覚から刺激されたため、手に持っていた缶を開けビールを胃に流し込む。高くても安くても肉なんて食えればなんでもいいだろ…つまらない。
なんて思いながらぼーっとテレビを見ているとバイトの疲労からか急激な眠気に襲われ、あっという間に眠り込んでしまった。
「おい。メシできたぞ」
肩を叩かれて目を覚ます。
覚醒した意識と共に鼻腔に流れ込んでくる胡麻油の美味そうな香りに思わず腹が鳴った。
身を起こすとちゃぶ台の上には美味そうな料理が並んでいる。
「すまない。準備してもらってるのに寝てしまって…」
「いいって。気にすんな。それより食おうぜ」
「そうだな…いただきます」
「はいよ」
ツヤツヤの白米、角煮、肉野菜炒め、スープ
どれを口に入れても暴力的な美味さである。
角煮は肉厚だが絶妙に柔らかく、ほんのり甘い脂がタレと良く合う。口に入れたら蕩けそうだ。
甘いタレを存分に絡めた角煮を炊き立ての白米の上に乗せて食うとこれまた脳が溶ける美味さである。
スープは肉も野菜もゴロゴロ入っていて、食べ応え満点である。コンソメとニンニクの効いたパンチのある美味さで上に振ってある黒胡椒のアクセントで全体的に引き締まった美味さである。
ここに来るまで何度も何度も帰ろうかと考えたがそれが全てチャラ、いや何億というお釣りが帰ってきそうなレベルで美味い。
「美味い!何もかも美味い!君料理上手なんだな」
「どーも」
褒めたと言うのに返事はそれだけ。
照れているのか?
…いやしかし美味い。何故こんなに美味いんだろう。何か秘訣でもあるのだろうか…
あれ、というか待てよ、
「なぁ…君、これ、なんの肉?」
下を向いて米のみ食っていたこの家の家主はすっと顔をあげて黙って僕の目を見る。
目が逸らせない。
メシの美味さに気を取られ先ほどまで気が付かなかったが、視界の端に見えるキッチンのシンクから黄色くて大きい何かが飛び出している気がする。
一気に体中の血が冷えていく。
尋ねなければよかった。
明らかに食ったことがない味の肉。
死ぬほど美味い肉。
肉なんて高くても安くても食えればいい…なんて思っていたが、まさか…嫌だ。知りたくない。考えるのをやめろ!
「格付けチェ〜ック。お前が今食ってるのはなんの肉でしょうか。3,2,1正解は〜」
先ほどまでの口数の少なさが嘘に思えるほど彼は急に饒舌になった。
やめてくれ、聞きたくない。そう言葉にしようとするも脳が事態を理解し始めており、少しでも口を開いたら食べたもの全て吐いてしまいそうだ。この味は、汚れのない良い思い出として残しておきたい…知ってしまったら僕は、僕は…!!
「ーーでした。」
彼はいとも簡単に黄色い男の名を出した。
「ウグ…ォゲェェェ…」
脳が全てを理解した瞬間吐き気が堪えきれなくなり食べたもの全てを畳にぶちまける。
「あ〜あ。せっかく作ったのによ…俺かわいそ〜」
そう言って彼は自嘲気味に笑った。
「ハッ…君、こんなことしといて何が可哀想だ」
「まぁ聞けって。…俺の借金、作ったのコイツだったんだよ」
「…は?」
コイツ、と言いながら僕の吐き散らした吐瀉物を踏みつける彼はやけに清々しい表情を浮かべている。
「や、だからさ。クマスト壊したの俺じゃなくてコイツなの。俺に罪なすりつけて、俺が苦しんでるの近くで見て知ってたのにずーっと隠してやがったんだ。俺がやめたらアイツのカンストに支障きたすからって」
彼は僕の吐瀉物をグリグリ踏み潰しながらこちらに目を向けた。
「で、この後どうする?」
「はぇ?」
予想外すぎる言葉に素っ頓狂な声が出た。
てっきり、全てを知ったからには僕の命もこの場で終わりを迎えるのだろうと思っていたため”この後”という単語の意味が理解できなかったのだ。
「ど…どうするって…?」
「美味かっただろ?おかわりあるぜ。この後つまみにゲソも揚げる」
しばらく頭をぐるぐるさせ、僕が出した結論は
「…そんなの食べるに決まってるだろ!一旦口ゆすいでくるから待っててくれ…着替えもあるなら貸してくれ」
“クズなら食われても仕方ないな!!”だった。
もう考えるのはやめよう。
その時の快楽に従順に生きよう。その時食える美味いものは存分に食おう。
もう何も考えたくない。
風呂を借り、シャワーを浴びてほんのりヤニ臭い服に着替える。
僕が風呂から上がった時にはすでに吐瀉物は片されており、僕たちはまるで何事もなかったかのように食卓を囲み直した。
「それじゃあ改めて」
「「いただきます」」