その花はそのギタリストの髪には常にとある花の髪留めがつけられていた。大きく、綺麗なその髪留めはかつての人を忘れない為の言わば形見のようなものだった。
ギタリストはある女性と同棲していた。体が小さくよく子供扱いをされていたギタリスト、もちろん嫌だったがその女性になら子供扱いされても何故だか心地良かった。
楽しい日々が何年も続いていたある日、帰宅するとテーブルの上に花瓶に一輪の花が。
「どうしたんだ?この花」
「おかえり、キレイでしょ?アネモネっていうお花なのよ」
「ふーん、綺麗な赤色だな」
珍しいな、と言うのが最初の感想だった。その後も花瓶には様々な花が生けられていった。この花は何の花かを聞くと嬉しそうに説明する姿が愛おしくも思えた。
そんなある日の事、女性が体調不良を訴えた。幸いなことに軽い貧血という事で一日眠ったらすぐに元気を取り戻した。花瓶には大きな赤い菊が生けられていた。
数ヶ月後、今度は激しく咳き込み呼吸困難に陥り緊急入院する事になった。原因は分からず仕舞いだったのだが明らかに女性は痩せ細っていた。
それからは毎日毎日、女性の為に病院へお見舞いに行った。病院にも花瓶があり、そこには日替わりで様々な花が生けられていた。
「この花は病院の人が用意してくれてるのか?」
「ううん、私がこの花は良いなって思ったらここに生けるようにしてるの」
そう答える女性の表情はどこか違和感のある笑顔だった。
入院から数週間後、いつもの様に見舞いをしていると担当医師が入ってきた。どうやら健康観察の時間のようだった。ギタリストは病室の外に出て健康観察が終わるのを待った。
「どうも、…あの方のご親戚ですか?」
「いいえ、同棲者です」
「そうですか…少々よろしいでしょうか?」
「?」
担当医師に連れられて向かった一室、そこで告げられたのは原因がわからないことと
「…え?二ヶ月?」
あまりにも非情な宣告だった。
そこから先の事は覚えていない。何か医師から問いかけられていたような気がするが頭が真っ白で何も耳に入ってこなかった。気づけば病室に戻っていて女性の方が心配そうにこちらを見ていた。
「…どうしたの?」
なんでもない、そう返そうとしたが言葉が出ない。なんでもない訳が無い、最愛の人がたった二ヶ月しか生きられないのだ。でもそんな事言えるはずがない、そんな事口が裂けたって言えるものか、何とかして誤魔化そうとしていた。
「無理しなくていいのよ、私の事は私が一番知ってるんだから。…もう長くないんでしょ?」
「…やだ、死なないでくれよ…一人にしないでくれよ…」
とめどなく溢れてくる涙、堪えられない感情と思いが形となって現れていた。そんなギタリストを慰めながら女性は話し始めた。
「実はね、ここのお花も今までのお花も全部買ってきたりしたわけじゃないの。私が咳き込んだら口からいっぱいのお花が出てくるようになったのよ」
「…え?」
にわかに信じ難いその言葉、だが信じざるを得ないだろう。冷静に考えるとこれまで生けられていた花は季節感が違うものばかり、アネモネは春の花なのに対して菊は秋の花、それが生けられていたのは冬の事だった。
「最初はお医者さんも信じられないって感じだったけど私が外にも出ていないのに毎日毎日花瓶にお花が生けられているのを見て信じるしかなくなったの。もちろん、今まででも例がないから治しようが無いのだけれどね」
「……」
嘘であって欲しかった。何かしら治療法などがある病気であれば嘘でも良くなるから、と声をかけられたのに前代未聞の病気なのだからなんて声をかければいいのか。
「…アタシは残された時間をどうすれば良いんだ?あと二ヶ月…たったの二ヶ月をどう過ごせば良いんだよ…」
「そうね…私は…」
数日後、女性は再びギタリストと同棲を始めた。ギタリストは残された時間を全て彼女の為に費やした。決して離れず、決して一人にはさせず、決して寂しい思いをさせなかった。
ある時は共に料理をして、ある時は共に外出をして、そしてある時は共に風呂にも入った。今までの日々を噛みしめるように、残された時間を無駄にしないようにずっとずっと一緒に過ごし続けた。
あくる日の朝、いよいよ彼女は起きれなくなった。最早動く力も残されていなかったのだ。
「……」
「……」
聞こえてくるのは微かな息、まだわずかながらに猶予はあった。二人のまさに最期の時間、相棒のギターを手にしたギタリストは再び込み上げてきた涙を精一杯に堪えて力一杯歌った。
最期まで残るのは聴力、自分の姿が見えなくてもいい。せめて自分の声とギターの音色が届いて欲しかった。
精一杯歌いきったあと、彼女は必死に堪えていたのだろう。力の限り2回、大きな咳をするとゆっくりと旅立った。枕元にはギタリストが使っているギターの名前と同じ、カレンデュラの大輪があった。
彼女が旅立ってから今年で何度目の春だろうか、髪飾りと同じカレンデュラが今年も花壇いっぱいに咲き誇っている。実は最期のあの花が受粉し、種となって残ったのだ。
「今年も綺麗に咲いたよ、緋彩」
かつての同居人の名前を呟いたギタリスト、カレンデュラの花言葉には別れの悲しみという意味がある。確かにその通りかもしれない、でもこうして毎年変わらず咲き誇るカレンデュラを見るとそんな花言葉なんて嘘のようにも思えてくる。
例え別れても再び同じ様にして咲き戻ってくれる花を見るとかつての同居人が戻ってきてくれてる様に感じる。
ギタリストは
月見山渚は今年の春もカレンデュラの緋彩と共に過ごす