【番外編】九尾の日和と人の子ジュン「ジュンくんだいすきだよ」
「ぼくはきみを愛してるね」
幼い頃から与えられてきた愛の言葉。
あの日、おひいさんに拾われてからそれは惜しむことなくオレに与えられている。小さな頃はそれをただ純粋に喜んで「オレもオレも」と返していたのだが、大人になるにつれ、その言葉を純粋に受け取ることができなくなっていた。
———これは「愛」の意味がかわった日の話。
日和は悩んでいた。
ついにジュンに"反抗期"がきてしまったようなのだ。先週あたりからそわそわと様子がおかしいなとは思っていたのだが、ここ数日でそわそわとした態度はツンケン、トゲトゲしたものへとまるっと変わってしまったのだ。
「ねぇ、ジュンく「ちょっと放っておいてください!」
この通り。まともな会話もできやしない。
天使のように愛らしかったジュンくんが・・・というショックも大きいものだが、日和の中を占めている懸念はそれだけではない。———もし、ジュンくんが自分のことを育ての親としてだけ見ていたら。これが専らの懸念であるのだから、自分でも自分をどうしようもないと思ってしまう。でも、だって、それでは困るのだ。日和はジュンを家族として純粋に愛しているだけではないのだから。
またやってしまった。
同じ家に住んでいるんだから悪手でしかないと分かっているのにおひいさんを避けてしまっている。今はおひいさんの優しさで見逃してもらってるようなもんだけど、あの人がこの状況に飽きたらすぐに問い詰められてしまうだろう。
その時オレはなんて言うのだろうか。いや、言えっこないんだ。こんな気持ち。そう、だって、ジュンは日和に恋してしまったのだから。
それは春雷の閃光のように落ちたというものではなく、夏の照りつける日差しのようにじりじりとジュンの心を焼いていった。はじめは少しの違和感だったのだが、いつの間にかジュンの心を占めて無視できないほどの大きさになっていた。勿論、経験のない初恋を最初は自覚することができず、日和の一挙手一投足に速くなる鼓動を病だと思い込み落ち込む時間もあったのだが、丁度日和がその頃に中身も見ず「表紙が綺麗だったから」とどこからか仕入れてきた本の内容がぴたりとジュンの気持ちに当てはまってからの自覚は早かった。自覚してしまえばあとはもう落ちるだけ。ジュンは日和を見ることができなくなってしまった。ドキドキが止まらないのだ。
それに———この気持ちは"いけないもの"だとジュンには分かっていた。恋心を知ったのとほぼ同時に気づいてしまった。日和はジュンのことを家族として愛してくれている。こんな思い、伝えたところで日和にとってはいい迷惑だろう。ましてや日和は妖怪で自分は人間。生きている時間が違う。ジュンが読んだ本に書いてあった「初恋は叶わない」と言う言葉が痛いほどに身に沁みている。そう。叶わない。分かってはいるものの、常に日和が近くにいるこの生活では忘れろと言う方が難しい。
日和から逃げた勢いのまま、日和の家の庭にある木に登りもの思いに耽っていたジュンの周りに小鳥が集まる。いつもここには歌いにきているので、小鳥たちはジュンと歌うために集まってきたのだろう。
「ははっ、くすぐったいっすよぉ。オレ今歌う気分になれなくて・・・ちょっ、わかった、分かりました!くすぐってぇ」
集まってきた中に一羽だけいた青い鳥がジュンの肩にとまり、歌えと言うように頬をくすぐる。耐えきれなくなったジュンが「少しだけですよぉ」と馴染んだメロディを口ずさむ。口ずさみながらあぁ、これも恋の歌なんだなと気づいた。幼い頃に日和に教えてもらった歌。歌詞の意味もわからず、ただ教えてもらったことが嬉しくて何度も何度もこうして歌ってきた。自分でも気づかないうちに歌に日和への思いが乗っていく。おひいさん、好きです。一緒にいられることがこんなにも幸せなのに、苦しくてどうしようもない。夢中になって歌っていると、カサという音とともに肩に乗っていた青い鳥が羽ばたく。
「妬けちゃうね、ジュンくん。そんなに愛しい愛しいって誰に向けてその歌をうたってるの?」
音もなく現れた日和に驚いてバランスを崩す。落ちる、と思った身体はしっかりと日和に抱き留められてほっとする。
「おひいさん・・・」
思わず呟いてしまった彼の名前に、え?ぼく?ときょとんとした日和の頬に徐々に紅がさしていくのをジュンもまたきょとんと見つめていたが、日和がなぜ頬を染めているのか気付いた時、ジュンは瞬時に耳まで真っ赤に染まりあがった。
「わ、ち、ちがいます!あの、えっと、そう!急に現れたからびっくりして名前呼んじまって、」
状況が違えば通ったであろうジュンの嘘もその真っ赤な顔では嘘だと丸わかりで。ただ、この時の日和にも余裕はなかった。
「・・・へぇ?ぼくのジュンくんはぼく以外に懸想してるって言うの?」
急に冷たくなった日和の放つ空気にジュンはピシリと固まってしまう。
「ねぇ、それはだぁれ?ぼくの目を盗んでジュンくんを誑かすなんて許せないね。」
日和の尻尾がゆらりと揺れる。
「こんなところに人の子・・・はいないよね。妖怪?それとも、動物たちに気を許していたのが悪かったのか「おひいさんです!」
重い空気に耐えきれずにジュンが殆ど叫ぶように日和の話を遮る。
「おひいさんのことが、好きです。・・・たぶん。」
「たぶん?」
なんだこのマヌケな告白はとジュン自身が一番思っているのだからそんな目で見ないで欲しい。
「だって仕方ないじゃないですか。おひいさんを見てるとドキドキするし、触れられるともっと触って欲しいって思うんです。でも、こんなの初めてで、どうしたらいいのか分かんねぇですし、本に書いてあったから、そうかなと思っただけで本当は別の、違う気持ちかもしれないし・・・」
それに、
「おひいさん、気持ち悪いって思いません?」
いくつかの本を読んで得た初恋の知識。その登場人物たちに自分の感情は驚くほどぴったりと当てはまったのだが、唯一、どの本にも当てはまらないことがあった。
「恋は、男の人と女の人がするもんなんでしょう?」
言って、ポロリと涙が溢れる。知っている。恋の描かれる本は全部がハッピーエンドではなかったから。これは失恋というもの。自分の言葉で失恋してしまった。
声も上げずに目も逸らさずにただ静かに涙を流すジュンの頬にそっと手を触れた日和がすぅ、と息を吸う。
「時代錯誤だねっ!!!!」
予想していなかった大きな声にジュンの身体がびくんと跳ねる。
「時代錯誤!そんなもの、周回遅れにも程があるね!だいたい、ぼくとジュンくんが愛し合えないそんな常識ならいらないね!丸めてぽいって捨てちゃおうね!ここはずっとぼくときみだけの世界だったでしょう?ぼくはきみがすき。きみはぼくが大好き!それ以外に必要なことなんてないよね?体裁なんていらない。王子さまとお姫様だけがハッピーエンドを迎える時代は幕を閉じたねっ!ジ!エンド!だねっ!」
近距離から発せられる大きな声にジュンの耳には耳鳴りがやまない。そんなジュンのことなどお構いなしに日和はジュンに向き合い、その左手を優しくとる。
「・・・やり直しだね。何事も始めが肝心だからね。ジュンくん、ぼくはきみのことがだいすきだね。勿論、家族愛だけでこんなことを言ってないね。生涯の伴侶としてぼくとともに生きてほしい。・・・ぼくに思われたからにはジュンくんの人生は常に最高だね!うんうん。よかったね、ジュンくん!きみはそのしあわせをまるっと抱えてぼくの隣で生きていけばいいね♪」
言うと日和はとったジュンの左手をくるりと表向けて、手のひらにキスを贈る。
「はぁ〜」
贈ったキスの返事はときめいたジュンの顔だと信じて疑わなかった日和だが、返ってきたのは重たいため息だった。
「ちょっと!悪い日和っ!ぼくの告白にため息でお返事するなんて、どういうつもりだねっ?!」
「あんたって本当に惜しいですよねぇ〜。途中まではオレも感動してたのにさぁ、余計なこと言わねぇと黙 れないの、ほんと、おひいさんっぽいってゆうか・・・っ、ふふ、あはは」
ため息をついたかと思いきや本格的に笑い出したジュンにむすっとしたポーズをとってみたものの、何がツボに入ったのか、笑いの止まらなくなったジュンが勢いよく抱きついてきたので、笑いが日和にも伝染する。暫く笑った後、ふと目が合うとどちらからともなく重ねるだけのキスをした。
「ねぇ、おひいさん」
「なぁに?」
山の向こうに落ちようとしている赤い陽を二人並んで見つめる。寒くないようにと尻尾でジュンを包み抱くと嬉しそうに寄り添ってくるその仕草が何よりも愛おしい。
「さっきの、しあわせをまるっと抱えて〜ってやつ。」
「なぁに?ため息ついて散々笑ってまだ文句を言うの?」
「ふふっ、ちがいますよぉ。あれね。やっぱりオレ一人じゃうまく抱えられないと思うんです。」
「しあわせを?」
「はい。・・・だから、隣にいるだけじゃなくて、おひいさんにも一緒に抱えてほしい、なんて」
欲張りですかね?とはにかむジュンを今度は身体全部を使って抱きしめる。
「ふふっ、わがままなジュンくんだねっ!でも、仕方がないからぼくも一緒に抱えてあげようね」
仕方ないねなんて言葉とは裏腹に、日和の後ろで大きく揺れる尻尾を今は見えてないフリをしてやって、ジュンも日和の胸にぎゅっと抱きついた。