「今日はここまで、各自しっかり復習するように」
トレインの静かな宣言とともに本日の授業が終わり、僕は小さくあくびをした。
やっぱり生身で受ける授業は面倒。
それが例え運動でない座学であっても、疲れるものは疲れる。
早く用事を終わらせて帰りたい。
脳内で管を巻いていると、隣で、
「お前が実技以外の授業を生身で受けてるとはな」
と、レオナ氏が緑色の目を細めた。
「それ実技以外大体寝てるレオナ氏が言います?」
「この授業は起きてただろ。いいんだぜ?褒めてくれても」
「あー、はいはい。眠たいのに頑張って起きててねこたんすごいね」
「……にゃあ」
その返しは想定してない。
僕は堪えきれずに吹き出した。
「んっふ……ふひひ、ひっ……くっそ……!」
「可愛いだろ?」
「ドヤ顔で追い打ちかけてくんのやめてもろて」
「はん、お前のご期待に応えてやってんだろうが」
「なんでちょっと不満そうなのか、これがわからない。まさか今のも褒められるべきだと思ってらっしゃる?」
応酬を続けつつ、腹筋へのスリップダメージを耐える。
にゃあて。
過去似たようなやり取りがなかったとは言わないけども、まさか教室で来るとは思わないじゃん。
完全に意識の外からの不意打ちはズルい。
じわじわくるにも程がある。
僕の腹筋のHPは高くない、下手したらトドメになってしまう。
「紛うことなくそうだろうよ」
「はぁ〜、すっかり己がねこたんであることを利用するようになっちゃってさぁ」
「お前が逐一『ねこたんねこたん』連呼してきた成果だぜ?良かったな」
「いやそこまで常時言った覚えないが??捏造いくない」
サクサクと軽口が返ってくるあたり、この授業中は本当にずっとしっかり起きていたらしい。
どういう風の吹き回しだろう。
おまけに『にゃあ』なんて口にするくらいにはご機嫌ときてる。
わからない。
まあレオナ氏だし、特別な理由なんてなくて興が乗ったとかそんなものかもな。
いずれにせよ、僕としては彼とこうして会話しているおかげで他の生徒から良い意味で完全スルーされているので、実は有り難かったりする。
ライオンの威光に感謝。
僕一人ではこうはいかない。
「──で?お前がわざわざ出てきたからには何かあるんだろ?」
前座は終わったと言わんばかりの質問の仕方だった。
隠す意味も得もないので、僕は素直に目的を話すことにした。
「この後オンボロ寮に用がありまして。イグニハイドからオンボロ寮に行くよりも校舎からの方が近いし、なんなら授業分HP回復できるしで最後のコマだけ受けにきたんですわ」
「へぇ?」
キュートなお耳が片方だけピクリと動いた。
心なしか圧を感じるけど、やましいことは何もないので無視することにする。
というか僕だって好きで引き受けたんじゃない。
寧ろ圧倒的被害者。
可能なら全力で聞かなかったことにしたかったし、部屋に籠っていたかった。
「監督生氏がクロウリーに『特定の生徒の一日の過ごし方』を聞いてこいって言われてて、拙者もその対象なんだって。しかも生身で来いっていう指定付き。草も生えない
「はっ、無意味極まる質問だな」
「それな」
僕はこんな質問をして意味がある人物ではない。
例えば世界的スーパーモデルのヴィル氏や、魔法士として超有名且つ熱狂的崇拝者を抱えるマレウス氏などであれば日々をどう過ごしているかを知ることで喜ぶ層もいるのだろうけど、僕にはそんなユーザーは存在していない。
率直に誰得。
需要が行方不明過ぎるだろ常識的に考えて。
インタビュアーが監督生氏であることが唯一の救い。
これが陽キャだったら死んでるところだった。
いやこんなところで運を使いたくはないが。
「クロウリーが監督生に頼んだまではわかったが、断りゃよかっただろうが」
「拙者もそうしたかったんですけどね」
遠い目。
どうしてこうなった。
「受けないと実家に『色々と』連絡するって脅されてるんで受けざるを得ないといいますか」
実家というワードのせいか、レオナ氏の表情が露骨に引きつった。
反射的に自分に当てはめてしまったのだろう。
実家への複雑な感情というよりは、ご家族及び関係者から諸々の煩わしい(?)意見が飛んでくる方を想像していそうだけど。
「相変わらず手段選ばねぇな、あの鴉」
「まあこの手の脅しは実際にやらないから効力を発揮するみたいなところあるけど、万が一にもされちゃったら困る……いや面倒くさいので、無意味極まる質問に答えるだけで済むなら受けるしかないと判断した次第」
「なるほど?殊勝な心掛けだな、精々頑張れよ」
レオナ氏はニタニタと笑っている。
これは完全に自分に被害がいかないと思って楽しんでるな。
僕はあくまでも親切心で、持っている情報を教えてあげた。
そう。
親切心、あくまで。
「ちなみに聞くところによると少なくとも寮長はみんな対象とのことで」
「あ?」
「そのうち君にも話来るんじゃない?レオナ氏の場合まずはラギー氏かもしんないけど」
「……冗談だろ」
「いやぁ、冗談だったらどれだけ良かったか」
「クソ、クロウリーの野郎……」
「その時が来たら精々頑張りなよ。応援してあげるから」
口の端を吊り上げて、僕は席から立ち上がった。
説明も終わったことだし可及的速やかに用件を片づけてしまいたい。
「ま、そんなわけですんで行ってきますわ」
「おう」
レオナ氏も特に僕を引き留めたりはしなかった。
タブレットをふわふわ浮かせて、僕はオンボロ寮を目指して歩き出した。
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******
『久しぶりに完徹コース』
自分で発した言葉に自分で驚く。
それもその瞬間ではなく時間差で。
監督生と別れた後、鏡舎に着く頃になってから。
「久しぶり……久しぶり、だなあ、うん」
言ったセリフをゆっくりと反芻する。
僕は開発、研究、趣味、興味対象その他諸々の為なら平気で睡眠を削るタイプの人間だ。
NRCに来てからじゃない、来る前からそうなのだ。
長時間の睡眠を要する人間という生き物は設計がおかしいと思うし、いくら僕が天才でコスパタイパの鬼でも、悠長に寝ていてはやりたいことに対して時間が足りない。
結果、僕の睡眠はこれまで高頻度で犠牲になってきた。
要するに僕にとって徹夜というのは特段珍しくもない、身近なものだったのである。
だった、はずなのである。
「……うーん」
僕は唸りながら鏡を通過した。
目の前にはすぐにイグニハイド寮が現れ、今度は自室を目指して足を進めていく。
「そうなんだけど」
嘆きの島での一件であの子──オルトに『とてもじゃないけど、一人で放っておけないよ』と言われて以降、僕なりになるべく徹夜を減らせるよう努力はしていた。
『弟』から改めて生活習慣に苦言を呈されたことは僕にとって結構なダメージだったのだ。
だって普段ならいざ知らずあの一件の後で、オルトに修正不可能なバグが──心が出来た流れの中でだよ?さすがにクるでしょ、色々と。
そりゃあ僕も少しは自分の生活を省みようって気になるというもの。
その成果として、『久しぶりに完徹コース』が口から飛び出したのかもしれない。
徹夜じゃない判定が怪しい日があるにしても完徹が久しぶりなのは実際そうなんだから。
「でも、なんだろう」
忘れていることがあるような。
見落としていることがあるような。
自分の努力以外にも確かなことがあるような。
そんな気がして仕方ない。
「……はあ」
もやもやしたこの感覚が気持ち悪い。
何かが引っかかってとにかく気に掛かる、そんな感じ。
早く思い出してしまいたい。
「あ、寮長!いつものお客さん来てますよ」
寮に入り談話室に顔を出すと、寮生の一人がそう教えてくれた。
『いつものお客さん』は誰なのかを聞く必要はない。
この報連相もすっかり慣れたものだ。
僕が一年の頃から似たようなことが続いているんだから、それはそうなんだけど。
「なんか言われた?」
「いえ、『カイワレが戻ったら伝えろ』だけです」
「ありがと」
お礼を言うと、そこからわらわらと他の寮生達から声がかかる。
「オルトに連絡は?しないと『なんで教えてくれないの!』って怒られるぞ」
「カメラにお客さんが映った時点でやっといたよ。オルトも随分懐いたよね」
「兄ちゃんと仲良くしてくれてんのが嬉しいんだろ」
「イデア寮長、緊急の件以外はなるべく寮長に回さないようにしときますんで」
「あ、でも受けてる案件で俺たちの手に負えなくなったらヘルプお願いします」
「寮長ごゆっくり〜」
お客さん報告と合わせて、これも最早恒例行事になっている。
いつもながらさり気なく気をまわしてくれているあたり、本当手のかからないというか、わかっている子達ばかりで助かる。
まあ当初はレオナ氏との関係を大体察せられてるって意味で恥ずかしかったけど、みんな変に茶化してこないのでなんというか、慣れた。
僕が寮長をやれているのは色んな意味でこの子たちのお陰でもある。
「ん、よろしく」
僕は寮生たちにひらひらと手を振って、談話室を後にした。
改めて自室に向かって歩を進める。
えーと、なんだっけ。
そうそう、僕が何か忘れてるんじゃないかなぁ?って話だった。
「一瞬取っ掛かりが見えた気がしたんだけどな」
それが一体なんだったのかが消えてしまった。
モヤモヤ継続確定である。
いっそのこと、一時的に報知してしまうのが良いのかもしれない。
作業や思考が行き詰った時に日を置くとあっさり進んだりする現象を期待して。
ほら急がば回れって言うし。
時には遠回りも必要だよね。
「何より今は彼をおもてなししなきゃだし」
誰が聞いているでもない言い訳をつらつらと並べる。
談話室から出てから早足になってしまっているあたり、我ながら単純である。
なんなら僕の脳内はもう彼に侵食されていて、さっきまでの考え事は隅に追いやられつつあった。
──いやこればかりは仕方ないよね、早く会いたいし。
やがて辿り着いた自室の扉を前に、僕は一人で苦笑する。
手早くロックを解除して中に入ると、寮生が言うところのお客さんの声がした。
「よぉ、遅かったなハニー」
「ごめんね、ダーリン……あ」
軽口で挨拶しベッドに寝転がるレオナ氏を視界に入れた途端、僕の疑問は呆気なく氷解した。
僕は思わず、ふふ、と笑い声を零す。
今となってはそれしかないじゃん、て感じだけど、意外と自分では気づかないものらしい。
「どうした?」
「いや大したことじゃないんですが、今のレオナ氏見たらある疑問が解決しまして」
「何が解決したかは知らねぇが……まあいい、早く来い」
「りょ」
扉にロックを掛け直し、僕はゴール地点であるレオナ氏の腕に収まるべくベッドに潜り込んだ。
レオナ氏の手が僕の髪を優しく撫でる。
高い体温と安心感が心地よくて、僕の瞼はうとうととしてくる。
そう、つまりはこれが答えなのだった。
「実は今日は完徹しようと思ってたんだけど、既に眠い……」
「するなそんなもん、さっさと寝ちまえ」
レオナ氏と一緒に寝るのが僕にとって、日常のひとつになっている。
ただそれだけのことだったのである。
「あー……でも……それだけじゃないのか……」
言われなくても部屋に来るってわかるとか。
監督生氏の誘いより自然と彼を優先するとか。
すっかり仲良しになっているオルトとか。
慣れたものな寮生たちとか。
他にも色々、たくさん。
「なにがだよ」
「……『僕たち』さ……」
涙が落ちた。
半分寝ているせいだ。
そうに決まってる。
僕は笑って、ひとりごとのように呟いた。
「レオナ氏が居るのが当たり前になっちゃったねぇ……」
腕枕をしているレオナ氏からは僕の顔は見えない。
位置的に僕にも彼の顔は見えない。
どんな表情をしているんだろう。
考えながら、目を閉じた。
暖かい。
眠い。
身体機能がどんどんオフになっていく。
「……これからもだろ」
意識を手放す瞬間、レオナ氏の声が聞こえた気がしたけど、気のせいだったのかもしれない。