でも夢だったかもしれない ざぶんと、浅くて暖かい波に引きずり込まれるような感覚がした。幼い頃、祖父に連れられて訪れた漁港で、堤防からつるりと足を滑らせ、海に落ちてしまったことがある。深くて暗い漁港の海は冷たくて、まるできらめく水面から引き離されるかのごとく、重くて固い空気にぎゅうっと押し潰されるような感覚があったけれど。
あの時とは違い、滑らかな浜辺の砂は、さらさらと包み込むように水木をうずまきの中へと誘っていった。水中で瞬きをすれば、雨のような雫が、光る空へぱらぱらと登っていく。
そうだ、雨が降っていたんだ。これを失くしてしまったら大変だと、水木は真っ黒で丈夫な傘をぎゅっと握りしめた。今だって輝く水面にはぽつぽつと雨の波紋が広がっている。手を伸ばせばすぐにでも地上へ出られるような状況の中で、だが水木は眠るように目を閉じてしまう。そうしなければいけないような気がしたのだ。
途端、大人びた誰かの手が水木の手首をぐっと掴んだ。
驚いてハッと振り返れば、何故だか水木はどこにでもあるような普遍的な児童公園のど真ん中に立っていた。見下ろせば、二十歳にも満たないであろう片目を隠した青年が、引き留めるかのよう水木の手首を掴んでいる。何がなんだか分からないと混乱する彼に向かって、青年は小首を傾げながらも冷静に話しかけてきた。
「俺たちどこかで会ったことがある?」
うねりはないのに癖は強そうな白髪に、すべてを疑っているかのような陰鬱な瞳、頼りなさげに見えて掴む力は異常に強い白い手。鬼太郎の深い素性なんてろくに知りもしないけれど、水木は本能的に理解した。これはきっと、自分が知らない未来の鬼太郎だ。
「いや……どちらかというと俺の台詞かもな」
離さずに持ってこられた傘の束をぎゅっと握りしめ、水木は土でドロドロになった自分の足元を見やる。雨は上がり、公園は雨粒の残滓を乱反射させながら晴れ晴れと光っていた。芝生と砂場はひどい有様だったけれど、それを残念だと思うような幼心は、流石の水木もとうの昔に失ってしまっている。今はただ、砂場の泥濘で溺れていた低級の妖怪が慌てて逃げていく様を、ぼうっと見つめるだけだ。
「君、見えるんだ。可哀想」
不意に、手を離した青年は感情のない声でそう呟いた。未来の彼は、妖怪が見える人間のことを『可哀想』だと思っているらしい。
「そうでもねぇよ、こうしてお前と話せてるし。俺は水木」
「知らないやつに名前、あまり教えない方がいいよ」
「危ないから?」
子供であれば大人に散々言われているであろう不審者への警戒かと思いきや。
「そう、呪われるから」
青年は遠くを見つめたまま、至極つまらなそうな表情でそう言った。今更そんな当たり前のことを言わせるなと、少しだけ面倒くさそうな雰囲気すら醸し出している。
そうだ、鬼太郎は生まれたその瞬間から命を狙われるような、呪いの禍根で育ってきた存在だった。彼の実父が節々で語る、彼らの環境や待遇が素敵なものだったとはお世辞にも思えない。大人びた子供の素直な一面だと勘違いして、一瞬でも愛らしいと思ってしまった自分が恥ずかしい。水木はぬくぬくと育ってきた自分の安易な発想を、まるで親である鬼太郎に咎められているような気分になった。
「そんなことも知らないで大丈夫なのかよ」
「まぁなんとか……? 周りのおかげで死なずにやってるよ」
「弱いならなおさら、自分の素性とかすぐ明かすなよ」
水木が知っている鬼太郎よりもずっと刺々しい態度で、されど青年は優しい忠告をしてくれる。きっと昔から本当はこういう性格だったのだろうと、水木はどうしてだか胸が苦しくなった。
ふと、呆れたように水木を見上げていたその大人びた瞳が、何かに惹き付けられるかのよう静かに動いた。その先に何があるのだと視線を追えば、そこには呪いとは無縁そうな下校中と思わしき子供たちが、わあわあと騒ぎながら雨上がりの土を投げ合っていた。
そういえば自分もあんな馬鹿らしい遊びをする子供だったと、水木は己の幼少期を思い出す。水が加えられて泥になった土はひやりとしていて大層気持ちが良いのだ。流動的なそれを救い上げようと泥濘に手を差し込むあの瞬間。幼い水木にとってはあれがたまらなく快感だった。
彼らを見つめる青い瞳がどこか羨ましそうに感じられたのは、そんな経験を経てきた水木の思い込みだろうか。
「混ざりたいのか?」
「まさか、もうそんな子供じゃないし。子供だったとしても、どうせうまく遊べない」
そんなことはとっくの昔に諦めたのだと、彼は子供らしからぬ苦々しい自嘲をした。妖怪を知らない普通の子供達と遊ぶくらいなら、一人で過ごしていた方がマシだと笑う。
「鬼ごっこも色鬼も、そんなくだらないことやりたいとすら思わないけど。でもいざ人間とやったって、どうせ俺が勝つから」
逃げるように歩き出した青年は、その途中で濁った水溜りをわざと強く踏んだ。ぴしゃりと泥水が跳ねて、中から弱々しい低級妖怪達がわらわらと溢れ出してくる。少年はそれこそ遊ぶようにそれらを容易く踏みつぶしていったが、決して楽しそうな表情はしていなかった。きょろきょろと辺りを見渡し、似たような水溜りを見つけようとしている。
だがお眼鏡に叶う水溜まりは見つからなかったらしく、結局彼は、濡れたままのブランコへ何のためらいもなく座り込んでしまった。そういう大雑把でガサツなところは、今の鬼太郎からきちんと引き継がれているな……と水木は遠い目をした。水木がどこへも行かず、ちゃんと自分のことを見守っているだろうと信じ切っているところも。
「なぁ、水木は靴飛ばしって知ってる?」
「知ってるよ、逆に知らないのか?」
「知らない。友達いないから」
あっけらかんと言い放つ彼に悲愴感はなかったけれど、善人たる水木はどうしたってそれを見過ごすことができない。幼い鬼太郎はそうやってわざと水木の感傷をくすぐってくることもあったが、おそらく目の前の大人びた鬼太郎は無意識的にそんな言動をしている。あぁもう本当に、こいつは昔から――。
抑えようのない愛憎が、水木の中でナイフのように渦を巻く。嗚呼、いつだって自分はこの存在の憐憫にこうして振り回されるのだ。己の寂寥を誤魔化すかのよう、水木は心の中だけで絶叫した。
「じゃあ教えるからやってみようぜ。俺、上手いぞ」
そうして結局、彼は覚悟を決めるように、自分も隣だってブランコに座ってしまったのであった。そこは随分と濡れていたはずだが、不思議と不快な感覚がしない。
暗く陰鬱な瞳がきらりときらめいたように見えたのは、そうであってほしいという水木の都合の良い錯覚か。
「……経験ないからって、手加減しなくていいから」
「するかよ」
晴れ渡った雨上がりの空に、二つの靴が軽やかに飛んだ。靴も足も泥まみれになるだろうと危惧するような二人であれば、そもそもブランコにさえ座っていない。負けた方が相手の靴も含めて取りに行くというルールを取り決めて、二人は何度も何度も、泥まみれになりながら靴を飛ばした。
そして当然のごとく、鬼太郎は侮れなかった。当初は経験的に自信がある自分の方にアドバンテージがあるのではないかと水木は思っていたのだが、意外にも結果は拮抗し続けている。時には水木が飛ばした靴を自分の靴で跳ね飛ばすという、時間差の小細工までしてきたくらいだ。どちらが勝っているが微妙な時は必ず自分の勝利を主張し、梃子でもブランコから動かなかった。あれの負けず嫌いは成長しても健在なようである。
いつまでも暮れない空の下で、二人は大げさにブランコをこぎながら笑った。どちらが先に笑い出したのかも分からないが、こんなくだらないことを愉しいと思ってしまう自分達がとにかく可笑しかったのだ。水木が気まぐれにブランコを漕ぐ足を止めて隣を見れば、美しい青年も水木を見て愉快そうに微笑んでいた。
あぁ、やっぱり綺麗だな。今も未来も滅多に見られないその透明な瞳を目に焼き付けようと、水木は必死に瞬きを抑える。
「やばい、こんな楽しいの久々だ。水木、お前すごいな」
「俺もわんぱくだったもんでね」
きらきらと乱反射する瞳が眩しい。水木が知っているよりもずっと素直な表情で、青年はけらけらと笑った。
「自分でわんぱくを自称するな」
「俺はよく石蹴りながら帰ったりしてた」
「なんだそれ、そんなのしたことない」
「するだろ、白線の上から落ちたら今日は最悪みたいな」
「ダッサ、そんなのしないよ」
幼い子供の考えることなんて往々にしてそんなものだろう。他人を気にすることもできなければ、手持ちぶさたのまま帰宅することもできない。くだらない自分ルールを制定して、訝る大人の目も気にせず遊び帰った記憶は誰にでもあると水木は思っていたけれど。
「つーか、そんなの端から見たらすっごい変じゃん」
一筋縄ではいかない世界で生きてきたからこそ、彼は普遍的な存在よりも自意識が強く、またある意味では荒廃した人格を形成してしまったのだろうか。本当はすべてが疎ましいと言外に語る鬼太郎の表情を、水木は短い関係ながら何度も見てきたつもりだ。
きっとそんなくだらない遊びを分かち合える対等な友人すら、彼は――。
「人に見られてるのを意識をしないでする、小さなことが楽しかったりするんだよ」
彼のこれからの人生を垣間見たような気がして、水木は思わず顔を歪めてしまいそうになったけれど、それでもなんとか笑顔を作りながら、持っていた傘をこれみよがしに見せつけた。
「雨の日に傘、回すと楽しいし」
それは水木が幼い頃によくしていた無意味な行為だったのだが、やはり青年は納得がいかないと唇を尖らせている。無意味で無価値な遊戯を何の疑問もなく行えるのは、安寧と安全が確約された人生に余裕がある者の特権なのだと、平和と恐慌を経験した水木は知っている。
「じゃあもし水木がやってるとこ見たら、追い抜きながら茶化してやる」
「もうさすがにやらんな」
子供の俺に会えたらそうしてくれ。冗談めかして苦笑する水木の横で、青年は新しく生まれた水溜りを静かに見つめていた。いつまでもこうしていたい、叶うことならこの意地の悪そうな年上と永遠に遊んでいたい。くだらないことは愉しいのだと、平等や対等こそが熱くなれる根源なのだと、そう教えてくれたこの男と、ずっと。
「……帰りたくないなぁ」
清々しい空気の中に、そんな青年の呟きが溶けて消える。
「……毎日楽しくないか?」
「楽しくない。高校は行けないし、行ってもつまらないし、妖怪のやつらはうるさいし、いつも狙われてるし」
そう言って、青年はまたつまらなそうな表情をしてしまった。唯我独尊、鬼太郎の人生は自由の権化に見えて実はそうではなかったのだろう。むしろ『自由に振る舞わねば』まともに生きられないほど、隙あらば他者の思考が入り込んでくる苛烈な人生だったのだ。それを知ってしまったとて、水木にできることなど何もない。水木が知っているのは妙に大人びた表情をして、子供らしいわがままのひとつも言えず、希望も絶望も知ってしまったあの幼い鬼太郎だけなのだから。
「早く大人になりたいなぁ」
自分と同じ目線で、すべてを愉しめる存在がいるかもしれないから。
窮屈な人生を定められた子供の微かな願い。希望も絶望も知ってしまったあの幼い鬼太郎も、もしかしたら同じことを考えているのかもしれない。
ぎゅっと痛んだ胸を抑えて水木は考える。自分はどうしたら良いのだろう、自分には一体何ができるのだろう。世界すら救ってみせるような上位者の鬼太郎に対して、弱い自分ができることなんて何もない。目の前にいる青年はただの未来で、水木の知っている彼が求めていることなんて――。
なんだかひどく喉が渇いてきて、水木は公園に備え付けられているであろう公共の水道を探した。生水だが無いよりはましだろうと立ち上がったところで、同じく立ち上がった青年に静かに制止されてしまう。鬼太郎は水木の考えていたことを察したらしい。
「飲まない方がいいよ」
何故だと水木が問う前に、青年は逆に質問を投げかけてきた。
「ねぇ、水木には友達いる?」
「多くはねぇけどいるよ」
「毎日楽しい?」
「あぁ」
「そっか」
白くて美しい青年が満足気に笑った瞬間、晴れ渡っていたはずの空に再びポツポツと雨が降ってきた。太陽は出ているのに雨ばかりが降るものだから、視界がきらきらと光って仕方がない。
「いつかお前にもきっと……仲間がたくさんできるよ」
それは対等に何かを愉しめる好敵手のような存在ではないかもしれないけれど。それすら命の長いお前はたくさん失ってしまうかもしれないけれど。そんな哀れみを噛み締めた水木は、どうしてだか帰らなければいけないという、漠然とした使命感に突然襲われ始めた。本当は今すぐにでもこの大きな子供を抱きしめて、大丈夫だよと安心させてやりたいのに。雨がこの身体を濡らす度に、水木の焦燥感はどんどん大きくなっていく。
恐慌状態のまま持っていた傘を開こうとしたら、それすらやんわりと少年に止められてしまった。彼はどんな絵画の天使よりも美しい微笑みを浮かべながら、やさしく水木の手を取り歩き出した。
「水木こそ、いいやつだからさ」
彼の視線は新たに生まれた水溜りだけに向けられていた。水木はふと気づく。
雨に濡れる度、彼の身体が薄く透け、まるで霧のように消えていくことに。
「まって、お前ッ……!」
足を止めようとする水木を、それでも青年は強い力で引っ張った。名残惜しそうに離れていく二人の指が、最後に幼いキスをする。
「きっと、良い死に方ができるよ」
青年は最後の仕上げとばかりに水木の背を強く押した。水木の足が、ひときわ綺麗に澄んだ水溜まりへずるりと飲まれていく。
落ちる――ぐらりと傾く視界の中で、真っ白い青年は水木を見下ろして楽しそうに笑っていた。白い睫毛に乗った雨が、瞬きの度に、まるで涙のようにぽろぽろと零れ落ちていく。
それは、この世界で一番うつくしい雨だった。
「おれは鬼太郎。いつかまた会うと思うから、頑張って生き延びろよ」
ざぶんと、浅くて暖かい波に引きずり込まれるような感覚がした。滑らかな浜辺の砂は、さらさらと包み込むように水木をうずまきの中へと誘っていく。水中で瞬きをすれば、雨のような水木の涙が、光る空へぱらぱらと登っていく。
「ありがとう、水木」
楽しかったよ。
水面のなかでそんな嬉しそうな声が反響した――ような気がした。これもまた、そうであって欲しいという水木の願望だろうか。またも暖かな泥濘の中で目を瞑ってしまいそうになった瞬間、今度は小さな少年の手がぐっと水木の腕を掴んだ。真っ白いその手はあの青年の大人びた手を思い出させたけれど。それは泥濘に迷い込んだ水木を引き上げるには少々頼りない小さな子供の手であった。
「水木さん!」
気づけば水木は雨が降る公園の中で、四つん這いになりながら、げえげえと泥にまみれた吐瀉物を吐き出していた。呼吸ができない。息を吸おうとすれば何かが詰まって、息を吐こうとすれば粘土のような泥が胃の奥からドロドロと飛び出てくる。
「よかった~! 水木さん、とにかく全部吐いて!」
「あれ、こういう時って背中をドンッ!ってすればいいんじゃねぇか?」
「それは餅を詰まらせた時でしょうよ!」
ようやく戻ってきた意識で辺りを見回せば、見慣れた猫娘とねずみ男が自分を取り囲んで大層不安そうに騒いでいた。あぁそうだ、そういえば自分はここで彼らと共に怪異に巻き込まれてしまったのだと、ようやく水木は現実を思い出す。随分と透明で綺麗な水溜まりを踏んだ瞬間、体ごとそこに引きずり込まれてしまったことも。
「……だいじょぶ、だいじょうぶだから」
何度か泥水を吐き続けているうちに呼吸が整ってきた。自分を見下ろす三人を安心させるよう、水木はうずくまりながらもひらひらと手を振った。あの公園はあんなにきらきらと輝いて美しかったのに、現実世界は灰色の雲に覆われた薄暗い大雨だった。
自分はどこへ誘われていたというのだろう。何が真実で何が夢だったのか、あるいは幻だったのかすら水木にはもう何も分からない。持っていたはずの傘はどこかに消えてしまっていた。あの世界に落としてきたのだとしたら、妖怪の消滅と共に無くなってしまっただろうか。何も分からない。水木は自分が何を信じればいいのかも、何をすればいいのかも、何ができるのかも分からない。
それでも、あの美しい青年の想いだけは噓じゃなかったと信じたいから。
「……鬼太郎、靴飛ばしするぞ」
「はっ? なんですか?」
「鬼ごっこも色鬼も。白線の上から出たらおしまいのあれも一緒にするんだ」
水木は目の前にある鬼太郎の手首を必死に掴んだ。込み上げてくる吐き気に耐え切れず、嗚咽を漏らしながらも絶対にその手を離そうとはしない。
あぁ、ここにある。雨に濡れても消えない、確かな手がここにある。その事実に、水木は今にも泣きだしてしまいそうなほど安堵した。
「俺はガキの頃は石蹴りながら帰ってたし、雨の日は傘回しながら歩いてた」
「水木さん、どこかおかしくなってしまったんですか?」
心配そうな表情を作った鬼太郎を前に、されど水木は決していつものようには笑わなかった。手首を掴む手にぐっと力を入れる。
「全部夢ならそれでいいんだ」
祈るように、乞うように、願うように。
「全部夢なら、それでいいから」
瞬きをした水木の瞳から、涙とも雨とも分からぬ雫が流れていった。何を言っているのか分からないと首を傾げる旧友二人を横目に、だが鬼太郎はそれ以上何も言わなかった。お決まりの澄ました態度も止め、水木にだけ聞こえるよう『うん』と呟く。
大雨の中、二人がそれ以上の会話をすることはなかった。
あとで聞いた話である。鬼太郎は水溜まりに飲み込まれた水木を引き上げるため、その領域に片手を入れて静かに目を閉じた瞬間があったらしい。猫娘が妖怪を祓うまでのほんの僅かな一瞬で、時間にしたらそれこそ数秒の話だったと。それがどんな作用をもたらしたのかなんて水木には皆目見当もつかないし、あの雨の妖怪がどんな能力を持っていたのさえ実際に戦っていない彼には分からない。あの日に見たすべては水木の都合のよい幻覚で、泥を飲んで呼吸困難に陥っていたがゆえの臨死体験だったのかもしれない。
けれど水木は思うのだ。あの時、あの世界の水を飲んでいたとしたら。繋がった世界から流れ込む雨を拒絶するように傘を開いていたとしたら。
あの大人びた子供が、ずっと出口である美しい水溜まりを探していたとしたら。
それに後日、水木は見てしまったのだ。雨の中、戸惑いがちにくるくると傘を回し、そうしてやっぱり理解ができないと言わんばかりに首を傾げる幼い鬼太郎の姿を。
遥か後方を歩いていた水木に彼の表情をうかがうことはできなかったけれど、それでも鬼太郎はきっと微妙な顔をしながら、いつかに見た青年のように唇を尖らせているのだろう。
同い年ではないけれど、茶化すような性格でもないけれど。友達でもなけば仲間でもない、親子だけれども。
今から走って彼の横を追い抜こう。そうして今度は水木が笑って言ってやるのだ。
傘を回して、人に見られた気分はどうだ? ってね。
でも夢だったかもしれない