とりあえず3枚使った あとちょっと、を聞くのはもう四度目になる。シーツに投げ出された淡藤色の髪にいい加減遅刻しますよと声をかけたところで、むぅと寝ぼける綾人は布団に包まり直して眠いと訴えるだけだった。
昨晩無理させた自覚があるだけにきつく怒ることもできず、その身体を持ち上げてどうにか起こした。
いや、確かに無理させたのはトーマかもしれないが、もっととねだったのは綾人のほうだ。健全な男子が好いた人からああも迫られて大人しく引き下がれるわけないだろう。
今だってそう、朝の光に透ける柔肌は目に毒だ。女性なんだからパンツ一枚で眠るのはやめてくれと何度注意しても、体がだるくてそれどころではないと寝てしまう。これもやはりトーマが原因のために怒ることもできず。いやトーマは悪くないのだが。
そうして開かない目を擦る綾人に赤いブラジャーを押しつけた。
「オレがあっち向いてる内に付けてくださいね」
「む、……うん」
夕べ、赤は透けにくいからと言い訳をして、ほんのちょっぴりの独占欲も混ぜながら選んだそれ。トーマがよく身につけるお気に入りのパーカと同じ色。
こんな美人が選んだのはトーマなのだ。綾人と共に仕事をする知らぬ誰かに対しての主張は気づかれることこそないはずだが、まあ自己満足とはそういうもので。
「着ました?」
「ん」
未だにぽやぽやと寝ぼけている綾人は肩紐を通しただけでうつらうつらと首を揺らす。噛み跡を残した乳房が呼吸に合わせて上下して、いつまでもそんなものを晒されてはたまったものじゃない。ぞくぞくと体を駆け巡る良くない感情が顔を出す前に、白い背中に回り込む。
うっとり微笑んだ綾人がそこにしなだれかかって、いくら声をかけてもうんともすんとも言わず。じいと見上げてくる瞳がトーマを急かす。まったくこの人はオレをどうしたいんだ。
仕方なくその膨らみをそっと持ち上げれば、もっちりとした重みが指の間に沈み込んだ。腕の中の女が ん、と息を漏らす。
無。無だ。考えてはいけない。昨晩の熱など思い出すな。部屋の隅を睨みつけながらどうにかカップに押し込めてホックを留めると、目を細めた綾人が脚を持ち上げてみせた。
「なんですか、その脚」
「まだストッキングもあるよ」
「あるよ、じゃなくて……はあ、とりあえずシャツ着ててくださいね」
ベッド下にはびりびりに破かれた使い物にならない黒ストッキングが丸まっている。ゴミ箱に捨てる余裕も無いほど盛り上がった記憶がぶわりと蘇って、思わず頭を抱えた。
新しいストッキングを開封するトーマの背にくすくすと笑いが飛んでくる。やめてください、元気だったねって言わないで。
「はい、足上げてくださ……なんでボタン止めてないんですか」
「あとでトーマがやるから」
「自分でやってくださいよ!」
肩に引っかけられただけのワイシャツから覗く赤い下着。とろりとした瞳の綾人に見下されて、素直な自身がどくりと脈打った。隠しながら膝をついたつもりが、器用なつま先がそれをそっとつつく。
「こら」
「ふふ、可愛くてつい」
「悪戯するならオレはやりませんよ」
大人しくなった脚の上を滑らせながらストッキングを押し上げる。絹のようになめらかな脚が黒く覆い隠されて、綺麗な輪郭を際立たせた。
新品のストッキングはなかなか伸びない。足先から少しずつ引っ張っては形の良い脚を撫でる間も、頭の上から降ってくる視線がトーマを煽っていく。ぱた、ぱた、と生地が肌を叩く音がやたらと響いた。
内腿に残る赤い花ごと黒く染めて、持ち上げられた尻を通る。触れただけで伝わる柔らかい感触と、ストッキングの艶の向こうにほんのり透ける肌のせいで気がおかしくなりそうだ。
「ここ、ずれてるよ」
どうにかトーマの心臓が破裂する前に腰まで持ち上げたが、確かに股の縫い目が浮いている。ぴっちり沿わせておかないと歩きづらいのだとか。
なるほど、と言われるがままに手を伸ばしたところで、そこが随分と際どい場所であることに気づいた。
ごくりと鳴った喉からは思ったよりも大きな音が出て、むくむくと大きく育っていく馬鹿なそれに背中が震える。
それを見ていた綾人はトーマの髪を耳にかけて、あろうことか脚を開いて続きを乞うた。本当にやめてくれ。痛いほど主張する自身に頭がくらくらする。
唇を噛み締めながらそっと縫い目を摘めば、綾人は腰をくねらせてわざとらしく鼻にかかった声を出す。服を着せたばかりだが、このままひん剥いてやろうか。それもいいかもしれない。一度この人を困らせてみたいとは思っていた。
「……はい、できました」
「あれ、おしまい?」
「おしまいです。さ、朝ごはん食べますよ」
すんでのところで鋼の理性が邪魔をした。綾人を送り出さなければ。
目の前にぶら下げられたエサに食いつく妄想をどうにか押し込め、綾人の腕を引いてリビングに向かう。意気地なし、なんて罵られるが、むしろよく我慢したと褒めてほしいところ。もうスカートは自分で穿いてください。
つまらなそうに唇を尖らせる綾人のそこにトーストを突っ込めば、小さな一口ではむはむ食べ進めながらぶつぶつと不満を垂れていた。
それは歯を磨く間も、髪を結う間も、メイクを施す間までも続いて、トーマに口紅を差し出すまで止まらなかった。
「今日はこの色なんですね」
「トーマが可愛いって褒めてくれたからね」
「どれも全部可愛いですよ」
ふわふわの唇に色を載せるのはトーマの役目。ぱきりとした赤が映える唇は未だにつんと尖っている。
「怒ってますか」
「怒ってないよ。拗ねてる」
「すみません。でもちゃんとお仕事に行ってもらわないと」
「トーマのけち」
「はいはい、続きはお仕事が終わってからのご褒美です」
文句を垂れる口にちゅうと吸い付く。余分な色が落ちて紅が馴染んだ唇がはくはくと震えていた。
トーマを弄んだ蠱惑的な笑みはどこへやら、頬を染めてもう一回と騒ぐ綾人を玄関から追い出すのには苦労したが、こちらだって遊ばれてばかりではない。ジャケットまで羽織った真面目な顔の社会人が、トーマの行動ひとつでこうも乱されているのがたまらなく心地良かった。夜のことを考えて、今日一日何にも集中できなくなってしまえ。
そうして勝ち誇った笑みを浮かべるトーマは、その日の晩、何回破ってもいいよと大量の黒ストッキングを抱えた上機嫌の綾人が帰ってくることなど予想していなかった。