すっかり溶けたふたつの「トーマ」
ああ、拗ねているな。
不満げに尖った唇が雄弁に語っているのを見てトーマは腰を浮かせたけれど、ほんの少しだけ意地悪してみたくなって。
「どうしてそっちに座るんだい」
膝に布団をかけ直し、カップアイスの蓋を剥がした。それを綾人に差し出してから、改めて斜め前からの痛い視線を受け止める。
こっち、と言わんばかりに自分の隣をばたばた叩いた綾人は、こたつの中で探り当てたトーマの膝を踵で押し出そうとした。
「こら若、お行儀が悪いですよ」
「トーマがここにくれば済む話だよ」
「二人で並ぶにはさすがに狭いでしょう」
動く様子のないトーマを睨み、頬杖をつく綾人。続いたわざとらしいため息にとぼけてみせれば、ぷいと顔を背けられてしまった。
そこまで隣に座りたいのなら自分で動けばいいものを。しかしそうしない理由があるのだとトーマには察せられた。
今綾人が座っているのは、実はトーマの定位置。キッチンが近くて、そのせいか一番寒い場所であるために綾人が選ぶことはないのだ。それをわざわざ腰掛けて健気にトーマを待っていたというのだからずいぶん可愛いことをするな、と大の大人に対して似合わない感想を持ったものだ。
ただそれがトーマが横に潜り込んでくることを期待した行動だったらしいと気付いたのは、いつもとは違う位置に膝を押し込んでからだった。小さく驚いた綾人の顔がみるみる曇っていくのを見せられて、そこでようやく思い至った。
隣に来てほしかったのだ。それもトーマから自発的に。
「来年は大きいこたつでも買いましょうか。二人で座れるくらいの」
なるほどやはりトーマの恋人は可愛い。だからもう少し見ていたくてさらに意地悪を重ねてみたのだけれど。
子どもでもやらないだろう拗ね方をする横顔を見ながらもうひとつのアイスを開封する。期間限定の文字が踊るそれらは綾人が選んだものだった。
「……トーマの馬鹿」
「馬鹿!?」
「わからずやだね本当に」
むくれた綾人が柔らかくなり始めたアイスをスプーンでつつく。一口食べて緩んだはずの頬は、トーマの視線に気づくと途端に膨れてしまう。
はあ可愛い。じとりとした目すらそう感じる。そう言えばさらにへそを曲げてしまうに違いないからどうにか黙っておいたが。
「すみません若、機嫌直してくださいよ」
「知らない」
「どうしてですかぁ」
「知らないったら知らない」
素直に落ち込んで全力で拗ねて。むき出しの感情はそれだけ甘えてくれている証拠だとは思う。トーマだって、その一歩間違えれば面倒くさいくらいの態度が好きだ。世話焼きの性が疼くのもそうだけれど、何より、そんな面倒なところをトーマが嫌がることはないと確信してさらけ出してくれる恋人からの厚い信頼が、嬉しくないわけがない。
しかし。確かに可愛いし好きだけれど。さらに自分がまいた種だというのに。一向にこちらを向かない瞳にトーマの方が寂しくなってきてしまった。
「ねえ若」
綾人を呼ぶ自分の声はやけに弱々しかった。それはあちらにも伝わったようで、トーマを無視してぱくぱくとアイスを食べ進めていた手がふと止まる。
こたつの中で探り当てた綾人の膝に自身のそれをぶつけながら。それを受けてほんの少しでもこちらに興味のある素振りを見せてしまうのだから、綾人だって構ってほしくて仕方なかったのだろう。
「こっち向いてください」
「……知らないって言ったろう」
「ほら、あーん」
すっかり緩くなった自分のアイスをすくい上げる。綾人が選んで買ったものなのだから綾人も食べるべきだと、そう言い添えて。
スプーンに触れたところからじわじわと溶けていくそれを改めて差し出すと、綾人はようやくトーマのことを見た。
「おいしいですか」
「……おいしい」
そんなしかめっ面で本当においしいものかと聞きたくなるけれど、またすぐに口を開けて次を催促してくるあたり事実ではあるらしい。
今度はたっぷりとすくったそれを差し出せば、綾人は落ちてきた髪を耳にかけながら小さな口をめいっぱいに開けた。
そっとスプーンを引き抜く。薄い唇の隙間から真白いアイスが滲んでいる。それを指摘するか拭ってやるか迷い、結局トーマはどちらも選ばなかった。
「若、失礼しますね」
やがてきゅっと引き結ばれた唇に嚥下を確認すると、その顎を掴んで額を突き合わせる。トーマだけを見てほしいわがままと、魅惑的なそれに引き寄せられてしまった欲と。
綾人の唇に白く浮いた跡をなぞるように軽く舌を這わせた。冷たかった。こたつのせいで火照っていた体にはずいぶん心地よくて、もう必要もないのについぬるぬると往復してしまう。
ほんのりと甘いのはアイスのせい、だけではない。ふっとかけられた吐息の熱にそう思わされる。トーマのせい、綾人のせい。
止まらなくなる前に、いやもう手遅れかもしれないけれど、その前に離れなくてはいけない。名残惜しさを誤魔化さずにわざと音を立ててから身を引けば、今度は綾人が首を伸ばす。
「……トーマ、もう一度」
それはアイスの方ですか、それとも。
野暮な質問はやめておいた。二度も意地悪をすればそれこそ本格的に拗ねてしまう。
伸ばされた手を絡め取る。スプーンは取り上げた。アイスも追いやった。テーブルに乗り上げそうな勢いで唇を押し付け、伏せられた眦を眺めながら貪る。トーマを迎え入れるように空いた隙間にねじ込んだ舌は、ひやりとした上顎に触れた。
残っていたアイスの香りよりずっと甘ったるい唾液を舐め尽くすように暴れ回れば、鼻を抜ける艶声がトーマの耳を打った。小さく震えながらトーマを求める様子は可愛いなんて言葉では足りない。ひたすらに抱き締めたってこの高ぶる感情には見合わないのだ。
「ね、トーマ」
直接体内に吹き込まれるような囁きに、惜しみながらひとまずの息継ぎを取る。いつまでだって触れていたかった。
「こたつは小さいままでいいよ」
「ああ、オレとくっつきたいだけですもんね。知ってます」
綾人の口の端から零れていた唾液を拭い取り、すっかり機嫌も良くなったらしいと何の気もなく意地悪のねたばらしをしたのだけれど。
すぐに綾人の頬は膨れてしまった。再び馬鹿と罵られたけれど、上気した顔で睨まれたってちっとも怖くないし、むしろトーマは嬉しくなってしまうだけだというのに。
そのまま文句を垂れそうな口を塞ぐ。軽く掠めて、すぐに離れるだけ。とりあえずのつもりで、だって今さらそんなお遊び程度で終われるはずもない。
けれど綾人は自分の隣の空間をとすとす叩いてトーマを急かした。まったく、せっかちなことで。
ふんと鼻息を荒くして怒ったふりをするその人を宥めながらようやく腰を上げる。途端に晴れた表情に浮かんでしまうらしい笑顔を愛しく思いながら、座り込む手間も惜しく、崩折れるように伸し掛かった。