道侶密かに道侶の契りを交わした夜。
我が夫殿は、満足してさっさと実家に帰ってしまわれた。元よりとっくの昔に関係を持った仲である、三拝など今更のことだ。
思い人を射止めたことで満足してたのは己だけで、相手は不安であったらしい。衣を乱すことすら恥ずかしいと目を閉じる男が、一度開けば朝まで離さぬのだから。同じ男としては、同等に求められることは嬉しい限りだったのだが。ただただ不安がゆえのことだった。
とうとう耐えかねた「約束が欲しいのです」という掠れた声。己を中に閉じ込めたままで言われたのだから、堪らない。
さて。
我が父上と、夫の父は親友だ。その弟の藍先生とも昔から親交がある。特に成人もまだの若造が宗主を継いだ当初は、それはもう大変に世話になった。
その甥の曦臣とも、幼馴染の仲である。
昨日までは恋人で、昨夜からは夫だ。
可愛い甥っ子が事前報告もなく道侶を得たなどと知れば、一悶着はあるだろう。叔父っ子の彼が報連相しないわけがないのだ。
そう思い迎え撃つ覚悟を決めてたのだが、とんと音沙汰がないままに。そのうち時代の波にいっしょくたに呑み込まれてしまった。
*
事実曦臣が藍先生に報告していたと知るのは、次に意識が浮上したときだった。
死んだし、切り刻まれたし、封印された。
それはいい。今は、置いておこう。
取り急ぎ目の前の「孟瑶」である。
正しく聶に居た頃の「孟瑶」の姿である。最期に会った時は金氏の校服だったように思うが。
「そういう貴方も随分と若い」
言われてみれば、己も聶氏の校服である。宗主の頃ではない、弟子と同じもの。これを着ていたのは、宗主になるまでのことだ。つまり青春時代。
それでいて孟瑶は聶氏に居た頃なのである。時代がちぐはぐだ。
「この方は、この時代の私が良かったらしい」
隣を見上げれば、衣装から肌から青白い相貌の男。無表情のその男は、自身の叔父に睨まれていることで、辛うじて立っている様子だった。弟の方ではない。間違える筈がない。
意識が浮上する前、確かに名を呼ばれた。
封棺大典。身体は囚われ、中身はこの男に呼応する。
我が実弟の立派な姿をみれたのだ、この状況も悪くはない。悪くはないが、原因の彼には我々の姿が見えないようで、呼んでも応えることはない。
今は宿ですやすやとおやすみだ。
そのまま穏やかに忘れたらいい。
十何年も前に死んだ夫など、忘れてよい。思い出させたのかもしれないが、死んでいるのだ。もう、死んでいるのだから。
とはいえ。
早くに死ぬだろうことは、覚悟の上でも辛いものだった。
何時かは手を放すから、幸せを掴んだらいいと綺麗事を思う。
死んでも、一生を縛り付けたいと思う。
後者が己の本音だと思っていたが、死んでみたら諦めがついていた。
名を呼ぶ声にも、もう私は応えてやれないのだから。
*
「約束が欲しいのです。心だけではなく、身体だけでもなく、一生残るものを」
天に誓い、祖先に誓い、互いに誓う。契りを交わす。
愛しい貴方が望むなら、幾らでも。
*
手に火傷を負い驚く。
やはり藍先生は怒っていた。
曦臣に触れようとした手に、ぺしっと貼られた札の熱いこと痛いこと。
「どうせ触れはしないのに!」
口に出てしまったのは、姿が子供に戻っているからだろうか。
孟瑶は枕元、ただ寝顔を見詰めていたのでお咎め無しだ。
「おまえは、曦臣の望みを聞いただけだと思っていた」
静かな声は、胸に重い。
「悲しむ前に、別れてくれるだろうと思っていた」
父同士は親友で、藍先生はその弟である。家同士の付き合いにすると長い。薄っすらと事情を知る人物だった。
「叔父上、誰と話しているのですか」
目が覚めた曦臣は、しかし顔色の青白さは変わらなかった。
「あまりに賑やかで、呼応したのでしょう。夢をみました」
明玦殿と阿瑤が賑やかに話しているのです。聶に居た頃の阿瑤と、ずっと若い頃の明玦殿。時代がちぐはぐでした。
しかし少し笑った表情はするりと落ちる。
「夢だ」
そしてまた深い眠り。
欲しい時に欲しい愛情を貰えなかった子供は、どんなに愛情を注いでも、割れた器の様に零れて満たされない。優しいだけの月一の母。叔父は親代わりだが親でなし。恋人とは頻繁に会えない。
そのうち時代の波にいっしょくたに呑み込まれてしまった。
焼けた故郷と、その復興。何があったのか閉関した弟。あの頃の曦臣に、私とも別れてくれとは言えなかった。置いていくだろうとわかっていても。
*
曦臣の周囲に札を貼り終えると、藍先生は伝令蝶をどこかへと飛ばす。余程に触られたくないらしい。相当のお怒りだ。触れない、と言ったのに。
翌朝、藍先生は封棺の確認に出ていく。入れ替わりに、藍の先輩方がやってきた。伝令蝶の飛んだ先だ。
「一人で帰れるのに。迎えを寄越すなど」
恐縮する曦臣の背後で、先輩方は印を切っていた。
「背後をとられましたね」
孟瑶の暢気な声。今にも倒れそうな者が、何をするというのか。母の様に、父の様に、何か「間違い」を起こすというのか。
「孟瑶、おまえ曦臣に何をした」
「まるでご自身に責任はない様な言い方をする」
誰も彼もが、曦臣を残して消えたのだ。
優しいだけの月一の母。見捨ててしまった父。殺してしまった夫。義弟は連れて行ってはくれなかった。
夢もみたくなるだろう。
藍先生が封棺に何かしたのか、曦臣の目が覚めたのか、去る背中を見届けたのが意識のある最後だった。