残されたもの 魏無羨はこれでも一応途方に暮れていた。
今の状況で途方に暮れない人はほとんどいないだろう。一度死ぬ前の魏無羨なら、もう少しは不遜な態度でもしてみせたかもしれない。とはいえ、一度魏無羨はこの世から消え、死んでいる間に十六年も時が経っていたらしい。そんな事態なのだから、魏無羨だって多少は途方に暮れても許されるのではないだろうか。
せめて魏無羨をこの世に蘇らせた莫玄羽が詳細を書き残してくれていれば良かったのだが、どうやらそこまでは考えなしだったのか、それとも詳細を書くことを躊躇っていたのか。
魏無羨の魂を呼び寄せ、己の魂魄を犠牲にした莫玄羽は魏無羨に負けず劣らず周囲に敵しかいない状況ということは否応なく理解した。一体何をして金家から追い出されたのか詳しくは分からないが、金家にも莫家にも居場所がなかったことだけは確かだ。そんな莫玄羽と一度話をしてみたかったなと思う。もし話が聞けたなら、怨んでいる相手くらい分かるようにしておいてくれとか、陣の描き方のちょっとした間違いなんかを説教してしまうかもしれないけれど。
魏無羨だって最初から敵に囲まれていた訳ではなかった。帰るべき家である蓮花塢があり、家族と呼べる人達もいた。同門の子弟達も、蓮花塢の街の人達もみんな魏無羨のことを好いてくれたし、魏無羨も彼らのことをとても大切に思っていた。そんな大切な場所を飛び出してもがいていたけれど、結局のところ魏無羨が助けたかった人達の命を守ることはできなかったし、師姉も目の前で失ってしまった。
そんな風に失うものばかりだった魏無羨の最後の瞬間、藍湛だけは魏無羨の腕を掴んでくれていた。
昼間見かけた藍氏子弟の襟元の雲紋で思い出した姿を、魏無羨はもう一度思い浮かべる。藍忘機は魏無羨にとっては生涯唯一の知己だった。それはもう過去のものになったのだと思っていた。
(「今でもそうだ」)
遥か昔に聞いたはずの藍湛の声に、「魏嬰」と呼ぶ彼の声が続いて思い出される。
今、同じ質問を彼にしたら何と答えるのだろうか。聞いてみたい気持ちはあるが、邪道中の邪道で蘇ってしまった魏無羨に向けて彼が口にする言葉は耳にしない方が良いに決まっているとも思う。邪道に対する苦言と身を滅ぼすだの何だのという忠告が雨霰と降り注ぐに違いない。今となってはそんなことすら遠い昔のことになっているらしいことを、一人で思う夜のなんと手持ち無沙汰なことだろうか。
乱葬崗でずっとひとりで吹いていた陳情笛も今は手元にない。あれは一体今どこにあるのだろう。もしかしたら壊されてしまったかもしれないなと思う。長らく握っていなかった随便も折られてしまっただろうか。それとも趣味の悪い誰かの戦利品にされたりなどしていないだろうか。いずれにせよ、今の魏無羨の手は何も握っておらず、ただ手を伸ばしても空虚だけを掴んでしまう。
落ち着かなさに何かないかと周りを見回してみても、莫玄羽の部屋に残されたものは何も無いと言って等しい。この部屋に残されたのは、彼の身体だったものひとつと魏無羨の魂だけだ。ただ、修練した身体は無くても、思い出や後悔などをいやというほど刻みつけられた魂はここにある。
まぁ、無いなら無いで作れば良いんだよな。そう思えば気は楽だ。魏無羨は伸びをしてから立ち上がり、部屋の前の植木から千切った葉を手に空っぽの部屋に座る。思い出したのは、随分と昔に聞いた曲だ。襟元の白き雲がいつも目に眩しかったのを思い出しながら、魏無羨はねだって彼から聞かせてもらった旋律を草の笛で奏で始めた。