ハイヒールと水族館それはとても些細な変化だ。
「靴ですか?」
「はい。カラム先輩となら少しヒールが高くなっても大丈夫だと思ったので!」
ずっと気になっていた私の背の高さ。
ヒールを履いてしまうと周りの男性よりも大きくなってしまうからずっとローヒールだった。
だが、カラム先輩とのデート、どうしてもヒールが履きたい気持ちがあった。
私も少しでもよく見られたい!
お洒落がしたい!
カラム先輩となら背の高さも約10cm差、少しくらいならヒールがあっても見た目は悪くないだろうと思い履いてきた。7cmならギリギリカラム先輩よりも大きくはならないだろう。
そしていつもよりも近くにカラム先輩のかっこいい顔が見られるのも履いてきて良かったと実感している。
カラム先輩はにっこりと笑って頷いてくれた。
「背の高い女性はとても素敵ですし、お洒落はどんどんしてください。私もプライド様のお洒落姿を見られるのはとても光栄なことです」
やはりカラム先輩は大人だ。こうやっていつも私のことを受け入れてくれる。
「ありがとうございます、カラム先輩!」
「では足元にお気をつけください。あといつでも足が疲れたらおっしゃってくださいね。休憩は早めに取りましょう」
「はい、いつもお気遣いありがとうございます」
本当にこの御方と付き合えるなんて奇跡だ。
いつもよりも高い目線はほぼカラム先輩と同じ目線だ。これがいつもカラム先輩が見る景色なんだと思うだけで楽しい。見上げなくても横を向いただけでカラム先輩の顔が見られるのもまた新鮮だ。
カラム先輩と手を繋いで歩く。デート場所は水族館。そこまで大きくない街中の水族館だからこそヒールで来た私はカラム先輩と中を見て周る。
「わぁ!見てくださいカラム先輩!魚の鱗がキラキラ輝いています!」
「クラゲは幻想的で綺麗ですね!本当にこれだけ綺麗だと、海の月と書く意味が分かる気がします!」
「うわぁぁぁ!!エイです!!凄いマントを広げて泳いでるみたい!!ノコギリも凄いですねカラム先輩!!」
………………
「カラム先輩?」
「え?ああ、そうですね……」
私がはしゃぎ過ぎたのかカラム先輩が私から目を逸らして宙を泳ぐ。あまりの興奮と落ち着きの無さに呆れられてしまったのかも知れない。さっきからずっと生返事ばかりだ。
「あの……すみません………恥ずかしかったですか?」
「え?」
「子供のようにはしゃぎ過ぎました」
「い、いいえ!とても愛らしいと思っていました!!」
カラム先輩は慌てた様に言う。
ジッと見つめればまた目を逸らされた。
「いつもように話をしてくれないから……、私といても楽しくないですか?」
不安からぎゅっと手を強く握ってしまう。
「そ、そんなことはッ!!」
いつも落ち着いているカラム先輩が大きな声を上げたことにびっくりした。カラム先輩も慌てて手で口を押さえるも、周りの目線を集めてしまい、居心地も悪そうにしている。
「………取りあえずそろそろ席取りに行きましょう。イルカのショーの後にまた戻りましょう」
「ええ……」
いつもよりも大股にスタスタと歩いて行くカラム先輩。人の注目を集めてしまったからか、それとも私が何か怒らせてしまっただろうか?
手を繋ぎながら引っ張られる形で後をついて行く。……途中で私は何も無いところで躓いた。
「キャッ」
ドンッとカラム先輩の背中に体当りする形になってしまった。鍛え上げられたカラム先輩の身体だから倒れることは無かったことは幸いだ。
久しぶりのヒールで転ぶなど恥ずかしい。
「大丈夫ですか!?お怪我は!?」
「いえ!?全くなんともありません!!それより、すみません、痛かったですよね?」
「私は問題ありません、それより歩くの早かったですね、大変失礼致しました」
とりあえず今カラム先輩には完全に余裕がない事だけは分かった。
いつもの余裕あるカラム先輩がどうしたのだろう?
初デートの時ですらここまで取り乱すことはなかったのに。
またゆっくりと歩いてくれるカラム先輩は暗くても分かるほど耳まで真っ赤になっている。
「カラム先輩?」
「と、とりあえず座りましょう!」
まだイルカのショーには早いから席はガラガラなのにカラム先輩は一番後ろの席に座り私と手を離して前のめりになり顔を覆った。滅多に見たことないカラム先輩の姿に私の方がなんと声を掛けていいのかオドオドしてしまう。
耳も赤いし体調が悪いのだろうか?
無理をしていたのだろうか?
もう帰った方がいいのではないか?
私があれこれ考えている内にカラム先輩は1つ大きく息を吐いてから私を見てくれた。
「すみません、先程は怪我はありませんでしたか?」
「え?ええ、大丈夫です。本当にお気になさらず」
少しカラム先輩の背中にぶつけた鼻が痛い位だ。
座った事でだいぶ落ち着いたカラム先輩はまた私の手を繋いでくれる。
「すみません、このイルカショーが終わったら見ていない場所にもう一度戻りましょう」
「あの、カラム先輩の方こそ体調大丈夫ですか?無理せずまた今度にしても──」
「いえ体調は大丈夫です!!」
そう言葉ははっきりと言いつつも、やはり目が泳いでいる。
「あの…?」
「とりあえず私の事は問題ありません!このショーが終わる頃には元に戻しますので、すみませんがそれまでここで休ませてください!」
やはり言葉ははっきりと、なのに目は合わせてくれない。
「あの、やはり私のハイヒールが原因ですか?いつも通りローヒールの方がいいですか?」
やはり女性と目線が同じくらいになるとカラム先輩も嫌だろうか?
それとも私のこの吊り上がった目が近くなったことで無意識に彼を威嚇してしまったのだろうか?
出来る限りの化粧で相手を威嚇しているようは見えないようにしているのだが……やはり距離が近くなったことでその効果も薄れてしまったか?
「いえ、ハイヒールを履きたいという気持ちがあるのでしたら履いて下さい!貴方には我慢をして欲しくないです!」
本当に無理をしていないのだろうか?
手は繋いだまま、話をする時は顔を見てくれたカラム先輩だったが、その後は明らかに私を見てくれなかった。
一方でカラムはバタンと自室のベッドに倒れ込んだ。
「………はぁ〜〜〜」
毎回プライドとのデートに余裕などあるわけない。
デートコースが決まれば余裕を持つために下見をしてシュミレーションをして、挑んだところで彼女からの思ってもいない発言や行動にどれだけ心臓が危ういか、今日だって……と目を瞑り思い出すのはいつもよりも近いプライドの笑顔だった。
「………〜〜〜」
それだけでカラムの欲は容易に限界を超えた。
明るい太陽の下で見ていた時もドキドキはしたもののまだ冷静でいられた。
だが、水族館の光が落とされた薄暗く青白い光の中で見るプライドのキラキラした紫の目が、赤い唇が、いつもとは別の色に見え、その彼女が私の名を呼び、微笑みを向けてくれる状況に完全に理性が吹っ飛んでいた。
とても美しく、更にいつもよりも近く自分の目の前にあるものだから吸い込まれそうになった。
キスをしたいと何度思っただろうか?
いつもよりも近いということは、いつもよりも我慢をするハードルが下がると言うことだ実感した。
いくら暗いとはいえ人がいる場所で、しかも相手はまだ高校生で、この国の王女で、まだ彼女はそれを望んでいない………と何度も心を鎮めようとしたのだが、今自分は〝それが許される関係性〟だと意識すれば、耐えがたい欲望が湧き上がった。
今日ぐらいは耐え切った自分を褒めたい、と思うほどだ。
イルカのショー後は何とか心も落ち着き彼女と少しだけ距離を取ることで耐えた、が、プライドには嫌な思いをさせてしまったことは申し訳なかった。
ハイヒールを履いてお洒落をしたい気持ちも分かる。ならば次からは私もシークレットブーツを履けばいいのか?と頭を悩ますも、それは根本的な解決ではないとも理解している。
彼女を前に欲を出してはいけない、それが出来たならどれだけ楽だろうか。
そもそも好きだから付き合っているわけで、
好きだから欲は出るわけで、
それを望んではいけないという方が動物としての本能を完全に否定し無視した話である。
とりあえず今心にある欲は別の方法で発散させなければならない。
ならば、と今日の為に用意した服を脱ぎ去り手にしたのはいつもの運動着だ。
鍛錬場に行けば誰か、少なくともアランはいるだろう。
いなくても一人で走り込みや筋トレをすれば少しは気も晴れる。
頭が冷えてからプライドに連絡をして今日の詫びと次回、今日の失態を挽回する旨を連絡せねばならない。
すぐに連絡をすればいいと分かっていても今の頭では考えがまとまらない。
今だけは少し頭を冷やさせて欲しい。
「よし、行こう」
カラムは部屋を出た。