ただ一つの世界に囚われた迷い子と導になりし桜「…梅宮、お前どこまで考えて動いてた?」
さわさわと穏やかな風の吹く風鈴高校の屋上。
今日は見回りの当番だという杉下を見送って、屋上には梅宮と柊、二人の姿だけが残っている。
そんな穏やかな空気の屋上には似つかわしくない、ぎゅっと眉をひそめた少し厳めしい顔で梅宮を見る柊に、しゃがみこんでいそいそと畑いじりをしていた梅宮はその手を止めてきょとりと柊を見上げた。
「何のことだ?」
本当にわかっていないのか、それともわかっていて答える気がないのか。
ちゃらんぽらんそうに見えてその実言動にしっかりとした芯を持ち合わているこの男は、大抵明け透けな物言いをするくせに時に全くその真意を汲み取らせてくれないこともある。
ふぅ、と息を吐いた柊はそもそもの発端と思われる出来事に思いを馳せる。
思い出されるのは桜たち一年生が風鈴高校に入学してくる前日のこと。
商店街で暴れているヤツらがいる、という通報を受けて駆けつけ粛清を果たしたその後、事の次第を報告するため梅宮がいる屋上まで柊が一人足を運んできた時のことだ。
***
「へえ...やるなぁソイツ…」
幸いにも比較的軽い被害で済んだ街のこと、その場にいて誰よりも先に一人で戦っていた見慣れない一年生のこと。
黙って話を聞いていた梅宮は柊が話終えると何やら楽しげな声色でぽつりと一言呟き、そうして口許に笑みを湛えたまま全てを見透かすような目で柊を見た。
「柊は、その一年のことどう思った?」
一見穏やかそうに見えるのに、嘘や誤魔化しは一切受け付けないぞと訴えかけてくるその目が苦手だった。
単に外からこの街へ来たヤツへの興味か、それとも他に思うところがあるのか。
まあ別に嘘や誤魔化しを言う必要もないし、と先程出会った白黒頭の一年生のことを思い出す。
どうにも一人で戦うことに慣れてしまっているようだった。
他人と関わることに怯えや恐れがあるようにも見えた。
けれども、困っている人や危険が迫っている人を咄嗟に助けずにはいられない優しさを持ったヤツのようで、…現在の風鈴高校の在り方にも嘘偽りなく賛同していた、と思う。
だから。
「…一癖ありそうだがきっと筋は悪くない。少なくとも悪いヤツではない、と思う」
「そうか、柊がそう言うならそうなんだろうな」
パッと明るく笑った梅宮に、反面柊は苦々しげに顔を歪める。
どうやら件の一年生に興味を持ったらしい。
…いや、元々興味はあったのだろうが、この出来事がそれに拍車をかけたと言う方が正しいか。
頼むから妙なトラブルは起こしてくれるなよ、と微かに痛む胃を抑え、報告は済んだと踵を返して屋上を後にしようとした柊を梅宮の声が引き留めた。
「あ!そうだ柊!頼みがあるんだけど!」
閃いた!とばかりの声色にげんなりとして振り返る。
今度は何を言い出すのか。毎度毎度好き勝手にこちらを振り回すのも大概にしてほしい。
深々とため息を吐いてから、仕方なく聞くだけ聞いてやる、という体で身体ごと梅宮に向き直り先を促した。
「…何だ」
「明日さぁ、一年連れて街の見回り行くだろ?今日のその一年…桜だっけか。桜と杉下の二人、まとめてお前が見てやってくれ」
確か二人とも多聞衆だったはずだから。と、へらりと笑って告げられた梅宮の突拍子もない言葉に柊は思わず目を瞬いた。
何でまた。別に構いやしないが…。
「…何でわざわざ?」
「んー?杉下はちょっと気難しいところあるし、桜は街に来たばかりだろ?ちょっとでも見知ったヤツ、馴染みのあるヤツと一緒の方がいいだろうと思ってさ。だから、頼むな?」
気づけば口から零れ落ちていた疑問に対する答えはわからなくもなかったが、けれど納得はしきれなかった。
しかし頼むな?なんて有無を言わせぬ口調で言われれば柊はもう頷くしかない。
最初から拒否権なんてないのだ。理由を聞こうと聞くまいと同じことだった。
「…わかった、二人は俺が指導する」
「おう、ありがとな!」
***
そうして不承不承任されて、いざ校庭で二人と顔を合わせればもう既にやり合った後だというし、中学生を追い回していた獅子頭連のメンバーに二人揃って飛び蹴りをして挙げ句桜は思い切り十亀に...獅子頭連に喧嘩を売るしで、あの日は本当に血を吐くのではないかと思った。
明らかに相性最悪。けれどどこか似通った部分のある二人。最初はそんな印象だった。
でも。
「…杉下が、随分変わっただろ」
明らかに変化し、成長しているのは桜ばかりではない。
先に学校へ向かったという桜と杉下を追いかけている途中、桜だけを先に行かせ、自分はその場に残って桜の後を追おうとする連中の足止めをしていたことも。
学校に駆けつけた後、棪堂に惑わされる桜を誰よりも真っ先に杉下がぶん殴り目を覚まさせたことも。
その後聞こえてきた、杉下の叫びも。
すべてが今までの杉下ではあり得ないと思えることだった。
中学生の時にはもう梅宮を狂信的なまでに慕い、ついてきていた杉下。
昔から梅宮のことを脅かそうとするものに一切の容赦なく、感情を剥き出しにして力任せに、強引に自分の身すら省みずその拳を振るっていた。
一度無理をしていないかと聞いたことがあったが、梅宮のことを恩人だと、世界を作ってくれた人だと言い、穏やかに笑っていたのをよく覚えている。
そんな杉下がてっぺんを獲りにきたのだと言う桜のことを到底許せるはずがないし、実際事あるごとに杉下は桜に突っかかっていっていた。
よくよく考えてみれば、その時点で変化はあったのだ。
「お前以外に興味のなかった杉下が、"梅宮のため"じゃなく"桜のため"に動いてた。全てを梅宮に捧げてたアイツに、主体性が生まれてた」
ムカつくからでも、嫌いだからでも。
それがどんな理由であれ杉下の中に"梅宮のため"以外の意思が生まれ、その意思に基づいて行動を起こすようになっていた。
「なあ、お前はこうなること、わかってたのか」
桜が杉下に変革をもたらすことを、どこかで感じ取っていたのか。
だから、桜と杉下をできる限り多く関わらせようと二人まとめて柊に任せてきたのか。
うまく纏まらなくてぐちゃぐちゃになってしまった柊の言葉を、じっと黙って聞いていた梅宮はただ一言。
「柊は俺のこと神様か何かだと思ってんの?」
「ぁ!?」
人が真面目に話しているというのに、コイツは…!!
怒りに震える柊をまあまあ、と宥めながらよっこいせと立ち上がった梅宮は柊の方へと向き直る。
「いや、悪い悪い…真面目な話、結果が全部良い方に動いてくれただけで、俺は別に大したことはしてねぇよ」
俄に真剣な色を帯びた梅宮の声にぐ、と押し黙る。
ゆるりと優しげに微笑みを浮かべた梅宮は、今この場にいない後輩の姿を探すように少し遠くに目をやった。
「普通なら誰も近寄りたがらないこの街に、風鈴に来る物好きなヤツ…腕っぷしに自信があるんだろうな、ってのはすぐ予想がついた。誰彼構わず喧嘩を売る喧嘩狂いか、それとも不良の名門のてっぺんを獲りに来たか…まあ何にせよ、ほぼ確実に杉下とぶつかるだろうなと思ったし、いっそぶつかってほしいとさえ思ってた」
ぴくり、と柊の眉が動く。
こちらはおかげで血を吐きそうな思いをしたんだぞ、と未だ遠くを眺める梅宮のことをギッと睨みつけるが梅宮は何処吹く風といった感じで全く意に介さない。
馬鹿らしくなって目線を下げ、一先ずは梅宮の話を聞くことに集中する。
話を聞けば、つまりはこういうことだった。
梅宮は、梅宮一人に執着し、それを世界の全てとする杉下に思うところがあったものの、それを打ち砕く何かが見つからずやきもきしていた。
杉下は強い。生半可な相手なら一撃で伸してしまうし、その強さの根源がどこにあるのか知っているこの街に住むほとんどの住人は、わざわざ杉下の地雷を踏み抜くこともないし、そもそも踏み抜く理由も持っていない。
だから杉下の梅宮至上主義を打ち砕くには、外部からの力が必要だと梅宮は考えた。
お誂え向きに街の外から風鈴に来るヤツがいる。
人となりも、強さも、目的も何もかもが推測の域を出ず不透明なのが懸念点だったが、不幸中の幸いというべきか、街で起こったトラブルの渦中にソイツ…桜の姿があった。
柊に聞けばどうやら悪いヤツではなさそうで、その強さも杉下と渡り合うのに申し分無さそうだった。
であればもう、迷う必要はない。
せめてものお膳立てとして、万が一のストッパー役として、柊のところで二人まとめて見てもらおう、と。
結果として、梅宮がお膳立てするまでもなく二人は衝突したし、桜が無傷で杉下相手に一撃入れたところで勝負はお預けとなった。
柊に視線を戻し、ニッと快活に梅宮が笑う。
「アイツ負けず嫌いだからさ、そんなことされちゃ嫌でも桜を意識するしかなくなるだろ。後はもう事あるごとに全身でぶつかって、理解して、一緒に成長していってくれたら万々歳、って感じだったんだけど…思ってた以上に相性バッチリだったみたいで良かったよ」
梅宮の話を全て聞き終えた柊の口からは深々とため息が零れ落ちる。
結果が全て良い方に動いただけと言いながら、結局は梅宮が思い描いた通りに事が進んで、今梅宮の理想どおりの現実が生まれている。
手のひらの上で転がされたような不快感に辟易として、しかし柊にとってもかわいい後輩の目覚ましい成長は嬉しいもので何とも複雑な気分になった。
「やっぱお前嫌いだわ…」
ぼそりと柊が呟いた時、微かにギャーギャーと騒ぐ声が聞こえてきた。
気づけば随分長く話し込んでいたようで、見回りを終えた一年生たちがもう戻って来る頃合いになっていたらしい。
…下から屋上まで声が届くって、どんな声量で騒いでるんだ。
ぷちぷちとすっかり常備薬として定着している胃薬を取り出して呑み込み、そんな柊に用法用量は守れよ、と悪びれる様子もなく注意を飛ばしてくる梅宮に小さく舌打ちを返す。
やれやれと肩を竦める梅宮を残して、近所迷惑甚だしい手のかかる後輩たちを叱りつけるべく柊は屋上を後にした。