ハグの日「暑~~~い……もう溶けそ~~~……」
「だぁもう引っ付くな!何で暑いって言いながら引っ付いてくんだよ!」
「桜ちゃん知ってる?ハグにはストレスを解消する効果があるんだよ。俺今暑さのせいでストレスMAXだからさ、ハグで癒して~」
「そ、そうなのか……ってなるか!それだと余計暑くてストレス溜まるだろ!」
ナイスノリツッコミ~、ところころ笑う桐生はそれでも桜の腹の辺りへ回した腕を解くことなく桜の背中にくっついたままでいる。
その日は多聞衆の三学年全員が体育館に集まって、一対一での特訓をしていた。
ただでさえ蒸し暑い体育館の中である。
それも散々特訓で動き回った直後となれば、身体は熱く火照ってとてもではないが他人と密着しようとなんて思えないはずだった。
しかし。
「おい、いい加減離せよ」
「もーちょっとくらいいいじゃん。ハグがストレス解消になるのはほんとだし。桜ちゃんも誰かにやってあげたらいいよ」
「誰かって誰にだよ…もう好きにしろ」
暑いには暑いが、案外不快というほどでもない。
無駄に抵抗する方がむしろ体力を使いそうで、桜は桐生が満足いくまで好きにさせることにした。
「んふふ、桜ちゃんやーさしー」
「!?」
「楽しそうなことしてるね、俺も混ぜてよ」
「あっ、じゃあ俺も…!」
「は?おいちょっ、待て!増えるな!」
それは話が違う。
桜が許したのはあくまで桐生一人に引っ付かれている現状であって、三人にむぎゅむぎゅと抱き締められるのは許していない。
慌てて身を捩り逃げ出そうとするが、「桐生君だけずるくない?」と言われてしまえばぐうの音も出ない。
空いた正面側から少しずつ左右にずれた蘇枋と楡井の腕の中に閉じ込められ、もはや身動きを取ることも難しくなった桜は諦めたようにふっと身体の力を抜いた。
「何や皆で引っ付いて」
「桜ちゃんのことハグしてるの」
「ほーんじゃあワシも混ぜてもらおうかの」
「ちょ、柘浦君暑い退いて」
「えっ」
「ガチトーンじゃんやば」
「柘浦さんこっち来ます…?」
「いやもう全員退けよ何で勝手にどんどん増えてくんだよ」
一度はがばりと腕を広げて桜の側面から桐生と蘇枋を巻き込むようにして腕を回した柘浦が、蘇枋の言葉にすっかりしょげかえったように逆側に移動して楡井と桐生の背に腕を回す。
特訓の合間の僅かな休憩時間に体育館の片隅に形成された桜を中心とする塊はそこにいる者の注目を集め、多聞衆一年の面々は皆俺も混ぜろとばかりにわらわらとその塊へと加わっていく。
「ちょっ、待て待て待て潰れる!潰れるから!!」
「うあー熱気やばい暑いキツい無理」
「……………」
「ねぇちょっと誰かすおちゃん目笑ってないんだけど俺顔合わせ続けるのやなんだけど助けて」
「ゔっ、」
「ど、どしたん大丈夫か楡井君!」
「や、…ちょうど、桐生さんの腕が…っ鳩尾、っ!」
「楡井君ーー!!」
「よぉお前らやってるかー…ってなになに一年は何してんの?押しくらまんじゅう?楽しそうだな混ざっていいか!?」
「やめとけ…っておいこら待て梅宮混ざんなっつってんだよ話を聞け!!」
俄に地獄のような様相を呈し始めた塊の中心部をさらに地獄に叩き落とすような明朗な声が突如体育館に響き、かと思ったら次の瞬間にはもう正面の方から新たな質量が飛び込んできてぎゅうっと身体が圧迫されていた。
ふと斜め下を見下ろしてみれば楡井はもはや顔が青くなっているし、桜も桜で四方八方を人に取り囲まれてむわりとした熱気に頭がくらくらとしてきていた。
「い一年!!いつまで遊んでんだ!!テメェらは今日ここに何しに来たんだ!!!?」
「「「特訓ですすみませんっ!!」」」
堪忍袋の緒が切れたのかビリビリと体育館に響き渡った柊の怒声に、塊を形成していた面々は端の方から蜘蛛の子を散らすように次々と崩れていく。
圧迫感がなくなっていくにつれ隙間から入り込んでくる体育館に漂う蒸し暑い空気すら今は涼しく感じるほど、桜の身体は全身茹で上がったように真っ赤になってしまっていた。
「桜はちょっと体冷ましてから戻れ。そのままやったらぶっ倒れるぞ。楡井も気分悪かったら保健室行って休んでこい。他は特に体調問題なけりゃ特訓再開しろ!」
柊の号令に各自が急いで行動を開始した。
桜は未だ青褪めている楡井をふらつく身体で何とか引っ張り起こし、二人連れ立って体育館を後にする。
そんな二人の背を見送り、柊は怒り心頭といった様子で梅宮に向き直った。
「…で?何でお前はここに来て何で混ざりに行ってんだ、?やめとけっつったろうがよ」
「そうカッカすんなよ柊~、こういう交流も大事よ?」
「質問の答えになってねーんだよ…!俺も全く必要じゃないとは言わんが限度ってもんがあるだろうが!」
「悪かったって、いや、俺も弟たちの成長間近で見たいなーって思ってここに来たら、何か楽しそうに押しくらまんじゅうしてたから、つい混ざりたくなって我慢できなくて」
「直情的にもほどがあるだろ杉下を見習え」
わらわらと集っていく多聞衆一年の面々の中で唯一柊の隣で静観を決め込んでいた後輩の名前を口にする。
もっとも杉下も基本的には感情任せなところが目立つタイプではあるのだが、今回ばかりは少々訳が違っていたのだ。
「杉下?…あー、アイツああいうノリ苦手だもんなぁ。最近ちょっとずつ頑張ってるみたいだけど」
もちろん梅宮に言われずとも柊だってそんなことはわかっている。
だから杉下がその輪から外れていたって何ら不思議ではないのだが、柊が今言いたいのはそういうことではなかった。
「なぁ、ところで俺も特訓見てていい?邪魔はしねぇからさ、頼む!」
しかし柊が訂正するより前に梅宮がころりと話題を転換してしまった。
そういうことじゃなくてだな、と口を開きかけ、いやコイツにそんなこと教えたら後々面倒くさいことになるかもしれないと思い直して口を閉ざす。
「………どうせ言っても聞かねぇんだろ。絶対邪魔だけはするなよ」
「わかってるって!ありがとな柊!」
一切悪びれることなくへらりと笑う梅宮にキリキリと柊の胃が悲鳴を上げる。
柊にくるりと背を向けて体育館の壁際に向かい、そこに背を凭せかけて見守る体制をとった梅宮に肩を竦めながら、柊はトラブルの芽を探すようにぐるりと辺り一帯を見回した。
「…おい、やるぞ」
「あ?別にいいけど…何でそんなぶちギレてんだよ」
ちょうどその時体育館の入り口付近から声が聞こえてきて視線をそちらに移した柊の視界に、どうやら頭から水を被って物理的に身体を冷やしてきたらしい桜の姿と、先程柊の隣にいた時同様、眼光だけで人を射殺せそうなほど鋭い目付きをして桜を睨みつけている杉下の姿が映る。
桜の少し後ろには一緒に戻ってきたらしい楡井の姿も見えた。
まだどこか青褪めた顔をしているのは、単に気分が優れない為か、はたまた目の前に立つ杉下の雰囲気に圧倒されているのか。
楡井には悪いが、今はまだ柊の介入を要するレベルではない。
あの二人は手合わせが白熱して昂ってきてからが一番問題なのだ。力ずくでも止めなければお互い倒れるまでケンカを続ける、そんな手合わせの域を越えた激闘を繰り広げかねないのである。ではそもそもケンカをさせなければいいのではないかという話だが、そうできるものなら苦労しない。
白熱するということはそれだけお互いにとって実力の拮抗するこれ以上ない最良のケンカ相手だということだ。要するにやってて一番楽しい相手。それを取り上げたらどうなるかなんて、あまり考えたくもない。
……まあ、止めたら止めたで次は中途半端に持て余した熱をどうにか発散しなければならなくなるのだが…それはもう柊が関知するところではない。
…それにしても。
わかりやすく嫉妬してぶちギレている割に桜とクラスメイトとの交流の邪魔をせず、そして妙な言い回しではあるが桜とのケンカで今少しでもフラストレーションを発散しようとしている辺り、普段の様子はどうあれ内心ずいぶん大切にしてるんだなぁ、と。
体育館の中央へと向かっていく二人の姿を見つめながら、柊は遂に口には出さなかった言葉を再び心のうちに押し留めた。