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    幼なじみ千ゲのプール開き
    名前のあるちょっと嫌な感じのモブが出ます。

    【プール開きのお知らせ】

     配られたわら半紙には来週から始まるプール授業についての説明や持ち物についての知らせが記載してある。今年は冷夏らしく七月に入ってもまだ過ごしやすい気候が続いているが、この窓際の席ではカーテンを閉じなければ眩しさで黒板が見えなくなる日もあったので夏はもうすぐそこまで来ているのだろう。

    「今配った手紙は親御さんに必ず渡すように。プールは二クラス合同で行うことになっていて、四組は二組と合同で入るから覚えとけよ」

     二組はゲンが在籍するクラスだ。普段は合同授業を行うときは隣の三組と一緒になることが多かったが、今回は職員の都合なのか時間割の都合なのか、何にせよ千空にとっては嬉しい知らせだった。ゲンとは龍水のプライベートビーチに遊びに行ったり小さなビニールプールで涼んで遊ぶこともあり、水遊びは夏の定番になっていた。きっとこのプール開きも喜んでいるだろうな。

    「千空ちゃん!四組もお手紙もらった?!あのね、プールが始まるんだって!」

     放課後、ゲンのクラスに迎えに行けば予想通りの笑顔で言うものだから、千空は声を出して笑った。



    【持ち物は指定の水着、水泳帽、ゴーグル、タオル。全てに大きく名前を書き、特にゴーグルは名前が消えやすいので定期的に名前があるか確認してくだい。】

     千空はビニール素材のプールバッグに水着類を全て詰め込み着替え場所である二組の教室に足を向けた。四組の教室は女子の更衣室として使用されるらしく、「男子は早く移動しなさい」と女性教諭に急かされながら他の男子たちもぞろぞろと教室を出てくる。
     今日がプール開きということもあってか生徒達はソワソワと落ち着かず、プールバッグをボール代わりに投げて遊びながら歩く姿も見られた。はしゃぎすぎて怪我すんなよ、とクラスメイトに笑いながら二組の教室のドアを開けた。

    「あ、千空ちゃん!ふふ、一緒にプールできるの、嬉しいね!」

     千空を待ち構えていたように立ち上がるゲンが可愛い。登校する時からずっと言っていたが、どれだけ楽しみにしていたんだか。とはいえ千空も汗が流せて涼しさを感じられる夏場のプールは好きだったのでゲンを笑ってばかりもいられない。
     千空に続いて四組の男子たちも入って来れば、途端に教室内は賑やかになる。小学一年生の男児が四十人も一つの部屋に集まればそれは騒がしくもなるだろう。あちこちで突然じゃんけんが始まったり「変身!」と何かに変身し始める声が聞こえてくる。

    「お前ら、早く着替えろよ!あと十五分で授業が始まるからな!」

     男性教諭の声が響き、そろそろと数人が着替え始めると周囲もつられるように机にプールバッグを置いて水着を出していく。時計を確認した男性教諭が教室から出て行くとまたざわざわと賑わいが戻るが、それでも並行して着替えている生徒がほとんどだった。

    「俺達も着替えるか」
    「うん!」

     窓際から三列目、一番後ろがゲンの席だった。その机にバッグを置き、中から水着を取り出す千空の横でゲンはボタンがついた巻きタオルを手に取ると、パチンパチンと全てのボタンを留めてすっぽりとタオルを被り、器用にタオルの中で服を脱いでいく。

    「タオル新しく買ったのか」
    「うん。学校の水着に着替えるのちょっと恥ずかしくて。龍水ちゃんに買ってもらったの」

     千空とプールで遊ぶ時には基本的に身内しかいなかったが、学校ではそうもいかない。プライベートゾーンについて百夜や龍水から教えを受けていたこともあり二人は自分の身体を大切なものとして守り貴ぶ思いはあったが、ゲンの心はそれ以上に他人に肌を見せることへの嫌悪感が強かった。
     周囲には脱いだパンツを振り回したり尻を向けて遊ぶ男子もいる中、そんなゲンの姿はもしかしたら目立っていたのかもしれない。

    「ぶっ!あさぎり何でタオルなんて巻いてんだよ。お前女子なのか?」

     半分笑いながら吐き出されたその言葉は見えない槍となってまっすぐにゲンの心に突き刺さる。その男子は今日欠席している司の次に背が高く、クラスの中でも手のかかるガキ大将のような存在だった。

    「…あは、ゲンは男の子だよお。三山くんだって知ってるでしょ」
    「…ほっとけゲン。着替えようぜ」

     千空がじろりと睨み付けながらゲンの肩に手を添えて身体の向きを変えれば、三山はチッと舌打ちをして自身の着替えに取りかかる。ぎゅっと口を引き結んで俯くゲンの頭をわしゃりと撫でれば「くすぐったいよ」と少し笑ってくれたが、いつもの華やかさはそこには無い。
    「あんな奴の言うことなんか気にすんな」
    「…うん。気にしてないよ。ありがとう千空ちゃん。でも、…これでゲンが上着なんて着てたら、また女の子なのかって言われちゃうね」

     ゲンが言う上着とはラッシュガードのことだ。身内以外の人間がいる海やプールではゲンは必ずラッシュガードを身につけていて、今回も学校側に事前に龍水が交渉してラッシュガードの着用許可を得ていた。

    「関係無えだろ。気にせず着ろ」
    「…でも…」
    「…なら俺もラッシュガード着る。いらねーっつったのに百夜の奴が入れてやがってよ。着るつもりなかったからランドセルの中に置いてきちまったが、持ってくる。俺も着るから、ゲンも着よう?」
    「え、でも、そしたら千空ちゃんまで嫌なこと言われちゃうんじゃ」

     不安そうに顔を歪ませるゲンに笑って欲しくて、自分に出せる精一杯の優しい声で語りかける。

    「大丈夫だから。な?」

     うるりと膜が張った瞳を見つめると「うん」とゲンは静かに頷き、「ありがとう」と笑った。

    「すぐ取ってくるから、待ってろ」

     幸いにもまだ千空は着替えていなかったので、上履きを足につっかけて自分の教室へと急いだ。
     ゲンが他人に肌を見せたがらない理由はきっとまだ全てを言語化するのは難しくて。同じようにそんなゲンを守りたいと思う自分の気持ちもまだ言葉では全て説明しきれない気がしていた。ただ千空はゲンの隣にいたかった。隣で笑っていて欲しかった。そのために自分が出来ることは全てしたかった。
     廊下にいた女性教諭に事情を説明すると「ここで待ってなさい」と言われ女性教諭が千空のランドセルから黒のラッシュガードを持って戻ってきた。これできっとゲンも笑ってくれる。百夜のおせっかいにも感謝しなければ。礼もそこそこに駆け足で二組の教室に足を向けると、何やら中が騒がしかった。

    「そんなタオル巻いてんじゃねえよ、気持ち悪い!」
    「やだ!やめてよ!」

     この声は。
     ガラッと千空が勢いよくドアを開けると、しんと教室内が静まりかえり視線が千空に集まる。

    「せん、く…ちゃん…」

     その真ん中にいたのは、大きな目を見開いてぼろぼろと涙を流すゲン。袖を通していないラッシュガードを抱きしめるようにうずくまったその身体に身につけているのは水着のみで、むき出しになった真っ白い背中は頼りなく震えていた。
     すぐ横に立つ三山の手が握りしめているのはゲンのタオルで、しっかり留めてあったはずのボタンは全て外れている。

    「せんくう、ちゃん…!」

     ゲンの顔がぐしゃりと歪み嗚咽がこぼれ落ちた瞬間、千空の中で何かがプツリと切れる音がした。

    「テメェ…三山、ふざけんなよ…!!」

     自分の中にここまでの怒りが湧き出たことがあっただろうか。気付けば千空は三山に殴りかかり、倒れた三山の上に馬乗りになっていた。その拍子にガシャン!!と大きな音を立てて近くにあった机が倒れたが、千空にはもう聞こえていない。

    「何すんだこのチビ!」
    「うるせえ!!ゲンに何しやがったテメェ!!」
    「いてっ!この野郎!!」

     三山は不意を突かれて倒れはしたが、起き上がれば体格差は明らかだ。振り下ろされた拳は千空の顔に当たり、机や椅子を巻き込みながら倒れ込む。鼻と頬の感覚が鈍くなり鼻血が伝ってくるのがわかったが、不思議と痛みは感じなかった。

    「許さねえぞ三山ァ!!」

     動物のような唸り声は本当に自分から出ているものなのか、今の千空にはわからなかった。普段の冷静さなんて綺麗さっぱり吹き飛び、気付けば三山の髪の毛に掴みかかっていた。取っ組み合いになるうちに千空の腕や足に擦り傷が増えていくが、何発食らおうが何発殴ろうが千空の怒りが収まることはなかった。

    「千空ちゃん!!やだ、やだよぉ、やめて!!先生、誰か、先生呼んで、っ」

     

    【ラッシュガードの使用については基本的には禁止とします。事情があり着用を希望する場合はご相談ください】

     プール開きのお知らせにはそう書いてあったが、千空は昔から日に焼けると肌が赤く腫れ上がってしまう体質だった。成長するにつれて皮膚も強くなってきているようではあるが、親としてはやはり心配で。泳ぎづらいからいらないという千空の言い分もわかるのだが、もしかしたら必要になるかもしれないと忍び込ませたラッシュガードは今頃役目を果たしているのだろうか。
     大学の講義を終えて食堂で塩鯖定食を食べながらプールを楽しむ息子に思いをはせていた百夜の元に、一本の電話が入った。

    「お電話代わりました石神です。はい、…え?千空が?!」

     千空の担任から聞かされた話はどうにも信じられるものではなく、百夜は電話口で狼狽えた。あの千空がクラスメイトと殴り合いの喧嘩をするだなんて。「とにかくすぐに向かいます」と伝えて電話を切り、午後の授業の代打交渉に走る。幸いにも今日の午後に担当していた講義は一コマだったので代理もすぐに見つかり、最低限の荷物を手に校舎を出る。駅まで走る時間も惜しく、タクシーを捕まえて飛び乗った。
     一秒でも早く千空の元へ行きたかった。あの優しく聡い子が人に手を出すなんて、どんなことがあったのか。

    「千空…待ってろよ」

     落ち着かずに踵を揺らしていると運転手に咳払いされてしまい背筋を伸ばす。たった三十分の距離が三千里にも感じる。今この時間にも千空が一人で苦しんでいたらと思うと胸が張り裂けそうだった。
     やっと小学校について昇降口へ走ると、そこにはぽつんと見慣れた子どもが膝を抱えて座り込んでいた。この丸い頭は。

    「…ゲンくん…?」
    「っ、百夜パパ…っ!」

     顔を上げたゲンの目は真っ赤に腫れ上がり、頬には痛々しい涙の痕が残っている。顔を押しつけていたのであろうズボンの膝部分も涙で色が変わってしまっている。どれだけの時間、この子はここで泣いていたのだろうか。

    「ごめんなさい、ゲンのせいなの、千空ちゃんは悪くないの、ごめんなさい…!」

     あぁ、きっと千空はこの子のために。
     百夜は緩く微笑んでゲンの頭に手を伸ばす。

    「ゲンくん。心配すんな。大丈夫だから」
    「百夜パパ、…っ!」
    「もうちっとだけここで待っててくれ。今日は三人で帰ろう」
    「うん、…うん…っ」

     ゲンの頭をぽんぽんと宥めるように撫でてから職員室へ足を向ける。コンコン、と軽くノックをすると内側から扉を開けたのは千空の担任だった。

    「お忙しいところすみません」
    「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしたようで…千空は?」
    「こちらの部屋です」

     職員室の中から繋がる扉に向かうと、その部屋からは女性が何やら詰め寄っているような話し声が聞こえてくる。まさかこの声の矛先に千空がいるのかとゾッとして慌ててドアを開けると、大きなソファに埋まるように腰掛けた千空の姿があった。

    「…百夜…」

     ハッとしたように百夜を見るその顔は傷だらけで、何か言いたげに口を開くが音にはならず、そのまま静かに口を引き結んだ。俯きかけたその頭に百夜が手を置くと、千空は眉間にきゅっと皺を寄せて百夜を見る。言い訳も弁解もせずに全てを飲み込むつもりなのだろうか。なんて不器用で愛おしい子なのだろう。

    「何があった?」

     ソファに座る千空と視線が合うように百夜がしゃがみ込むと、向かい合わせに置かれたソファに腰掛けていた女性が息巻いて話し出す。その隣には千空ほどでは無いが頬や腕に傷を負った三山が座っていた。

    「何があったじゃありませんよ!お宅のお子さんがうちの子に暴力を、」
    「すみませんが今私は千空に聞いていますので。少し待ってくれますか」

     百夜がぴしゃりと言い放てば女性は不服そうに顔を歪めながらも口をつぐんだ。
     しんと肌を刺すような重苦しい沈黙が部屋に落ちるが、百夜はただ静かに千空の言葉を待った。
     俺はお前の言葉で聞きたいんだ。そんな願いを込めながら、千空の膝の上で握りしめられた小さな手を解くように包むと、そっと千空が口を開いた。

    「…こいつが、ゲンのタオルを、とったんだ」
    「プールで、着替えてるときに、」
    「ゲンは見られたくなくて、タオルを巻いてたのに、それなのに」
    「ゲンが泣いてて、俺は、…っ許せなくて、だから、」

     こんなにもたどたどしく話す千空を見るのは幼少の頃以来ではないだろうか。必死に自分の感情を整理して話そうとする千空の目に涙が浮かび、ぼろりと零れた瞬間、百夜はその小さな身体を力一杯抱きしめていた。

    「よくわかった。話してくれてありがとうな、千空」
    「…っく、…ひっ…」

     思えば昔から静かに泣く子どもだった。押し殺した泣き声が切なくて愛しくて、百夜の鼻の奥がつんと痛んだ。

    「な、なんですか!そんな、うちの子が悪いって言いたいの?!先に手を出したのはそっちなんでしょう?!」
    「…うちの息子がお宅の息子さんに手を上げたことについては、申し訳ありませんでした」
    「っ、百夜、」
    「ですがそちらの息子さんも謝らなければいけない相手がいるようで」
    「な、そんな」
    「まぁまぁ石神さん、今回はイタズラがヒートアップしてしまっただけのようですし…浅霧くんも男の子なのに色々と気にしすぎる面があったので、そこが気になってしまったのかもしれませんしね」

     へらりと笑って言い放った担任の言葉に、ピシリと百夜の表情が固まる。百夜の脳裏に昇降口でぼろぼろと泣きじゃくっていたゲンの姿が浮かび、両手を身体の横でぐっと握りしめた。

    「…つまり、タオルを取られたことで泣いたゲンくんの方がおかしいと?」
    「いえ、そこまでは言いませんが…」
    「ふざけんな!例えどんなことであろうと、人が嫌がることはしちゃいけねえって教えるのが親であり大人の役目だろうが!」

     耐えきれずに百夜が吠えると担任は浮かべていた薄っぺらい笑顔を引っ込め、「いや、その」と目を泳がせる。

    「確かに千空が人を殴ったことだって褒められたことじゃねえ。それについては俺が責任持って教えていくつもりだ。…だがそいつはどうなんだ。今誰にも正されずに生きていくのは、あまりにも不憫じゃねえか」

     三山はピクリと肩を震わせてゆっくり顔を上げる。いくら身体が大きくてもこの少年もまだ小学一年生だ。大人に囲まれすっかり萎縮しきっているその姿からは反省や後悔の色も見えるのに、ここで誰もそれを汲み取ってやらなければこの子の気持ちは全て捨てられてしまうだろう。それはあまりにも可哀想だった。

    「…人は誰でも間違えるものです。でもその間違いから学び、成長していくんだ。子どもから学びの機会を奪ってはいけないと、私は思います」

     百夜は静かにそう言い切ると千空の背中に手を添え「行くぞ」と優しく囁く。また浮かびそうになる涙を手の甲で拭い千空が立ち上がると「この度はご迷惑をおかけしました。失礼します」と千空を守るように一歩前に出た百夜が頭を下げた。その背中は大きくて温かくて、千空はこみ上げてくる言葉にならない感情があふれ出さないように口を引き結んだ。
     職員室を出てピシャリと扉を閉めれば午後の授業が始まったためか廊下はしんと静まりかえっていた。その痛いくらいの静けさに耐えられずに千空が口を開こうとすると、それよりも先に百夜がからりと笑った。

    「頑張ったな、千空!」

     ぐしゃりと乱雑に千空の頭を撫でると小さな身体はぐらぐらと揺れる。千空は驚いたように目を見開いた後、その赤い瞳にまたじわりと涙を浮かべた。

    「…っ、百夜、ごめん…っ、」

     絞り出された声は小さく震えていて、堪らず百夜はその胸に我が子を抱きしめる。

    「俺に謝る必要なんてねえよ。…ゲンくんを守ったんだな。偉かったじゃねえか。なかなか出来ることじゃねえぞ」
    「…っでも、な、泣かせた…!」
    「…そうだな。ゲンくん、泣いてたな」
    「守りたかっ、のに!お、俺が、泣かせた…っ!」

     千空がこれだけの傷を負う間、あのゲンが止めに入らないはずがない。千空も制御が効かないほど我を忘れて怒ることはおそらく初めてのことだっただろう。自分をコントロールできなかったことと、大切な人を泣かせたこと、そして百夜に迷惑をかけたこと。それらは千空にとってあまりにも辛く、悔しいことだった。百夜は迷惑だなんてさらさら思っていないのだが。

    「なぁ千空。守るって難しいな」
    「っ、…う…」
    「大丈夫だ。お前は強くなる。…守りたいんだろ?」
    「…っ、まもる、ぜってー、まもる…っ!」
    「おう、その意気だ。大丈夫、大丈夫だぞ、千空」

     背中をさするように撫でれば嗚咽は次第に小さくなっていく。きっとこの子は強くなる。この悔しさはきっと大きなバネとなり糧になるのだろう。

    「行くか。…ゲンくん、待ってたぞ」

     肩に手を添えて顔を覗き込むと、千空は鼻をすすりながら頷いた。ペタペタ、パタパタとと千空の上履きと百夜のスリッパの音が廊下に反響する。
     昇降口には百夜が来た時と同じように膝を抱えたゲンが座り込んでいた。一人で不安だっただろうに、千空のために待っていてくれたことが有難く、愛おしさが溢れる。

    「…ゲン…」
    「っ!せん、く…ちゃん…」

     小さく呼んだ千空の声にガバッと勢いよく顔を上げたゲンの頬は幾重にも涙の跡が重なり、白く乾燥しているところもあり痛々しい。瞼は腫れぼったく、何度も鼻をかんだのか鼻の下も真っ赤になっていた。

    「…ごめ、ゲン、ごめん…」
    「…なん、なんで、ゲンが、ゲンのせいで、…ひっ、う、」
    「っ、ゲン、」
    「せん、……ひっ、っうああああああん!!ひっ、うあ、ああぁあああん!!」

     千空がゲンを抱きしめると、ゲンは声を上げて泣いた。その両手はしっかりと千空の背中に回され、ぴたりと少しの隙間もないように抱き合う二人はまるで何かからお互いを守っているようで。
     きっとゲンもまた、千空を守れなかったことを悔いていたのだろう。あの時自分がこうしていたら、ああしていたら、千空が傷つくことは無かったのにと。
     百夜は泣き続ける二人をまとめて抱きしめると、ぎゅうと腕に力を込めた。溢れる愛おしさに、いつの間にか百夜の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。

     そのまま泣き疲れて眠ったゲンを抱えてタクシーに乗せると千空がすかさず隣に乗り込んでその頭を撫でるものだから、百夜は苦笑して助手席に乗り込んだ。
     家に着く頃には千空もすっかり寝入っていたが、その手はゲンの右手をしっかりと握りしめ、離そうとしなかった。
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