身長差「あっ」
政務の隙間を縫ってできた僅かな空き時間。城の回廊にてジョセフはアレインと雑談をしていたが、ふとアレインが自身の頭に手を置き、なるべく平行になるように腕を動かしジョセフの頭に当て、声を上げた。
「……陛下、如何されましたか?」
ジョセフは続く言葉を数秒待ったが、アレインがそのままの状態で何か考え事をしているのを見かねて声を掛けると、養子はハッとして「すまない」と自身の腕を下ろし、苦笑いを浮かべた。
「もしかしたら貴方と背が並んだかも、…ってなんとなく気になってな」
「陛下も成人を迎えられましたからな」
昔は自分が膝をついてようやく目線が合う程小さかったのに、今ではすっかり背丈も伸び、体だけでなく心もコルニアを統べる王として立派に成長した。パレヴィア島に着いたばかりのアレインの姿を思い返し、ジョセフの胸に熱いものがこみ上げる。
「……実はな、島にいた頃はジョセフと同じくらい大きくなるのが目標で、どうやったら身長を伸ばせるのか島の大人たちに訊いて、牛乳を飲んだりして…とか色々やってたんだ」
「それは……初耳ですが」
「め、面と向かって言うのは照れくさいじゃないか」
アレインは少し頬を赤らめた後、気を取り直して一つ咳払いをした。その視線が、昔を懐かしむように遠くを向いた。
「貴方がどれだけコルニアのために努力し耐え続けていたのか。…勿論、全部解っているだなんて思い上がりはしないが、それでも同じ屋根の下……一番隣で見てきたつもりだから、少しでも早く貴方と同じ目線で世界を見たかった。守られてばかりで、貴方に傷が付くのを見てることしかできないのが嫌だったんだ」
「アレイン陛下、それは違います。貴方様がそのように思い悩む必要はないのです。全て私が己の意志で選んだ道なのですから」
幼いアレインに、そんな悲壮な決意をさせてしまっていたことに愕然とする。遅いにも程があるが、それでも彼の罪悪感を消したくて言葉を重ねると、養子は遠くに向けていた視線をこちらに戻した。
「ジョセフならそう言うと思った。でも、本当に気にしないでいいんだ。今はどちらかというと、昔の俺が羨ましい、なんて考えてるし」
「…昔の、ですか?」
「並べば当然のように目線が合うのもいいが、大きな貴方を見上げる時間も好きだったと最近気がついて……。まあ色々言ったけれど……昔も今も、ないものねだりなだけなんだ。気にしないでくれ」
アレインは穏やかに微笑みを浮かべたが、その表情にどこか諦めのような影が見えて、思わず彼の腕を掴んだ。
決して逃してはいけないと、己の直感が警告を鳴らしている。どこまでも相手を思いやる優しさと、自身の傷をなんでもないかのように演じきれてしまう強さをもつ彼が、一瞬だけ見せた隙を素通りしてしまったが最後、二度とこちらに見せないよう隠してしまうのだろう。そんな決意を、これ以上させたくなかった。
「…………ジョセフ?」
「…その、……」
咄嗟に掴んだものの、肝心の言葉に詰まった己に内心で舌打ちをする。聖騎士として、体の傷を癒す術を知ってはいる。しかしどうすれば心の傷に寄り添い、癒せるのか、パレヴィア島に着いて以降続く悩みは、今もまだ解決できないままだ。
十年前の、母と故郷を失った時にできたアレインの傷は、島の幼馴染と共にいる時間が癒してくれた。しかし今の話に限っては、自分がつけてしまった傷なのだから、きっと自分の言葉でないと駄目なのだ。
神父のように人の悩みを聞き導くのが仕事であれば、寂しい思いをさせずに済んだのだろうかと、今はパレヴィア島の土の下で眠る友人を思い浮かべたが、仮にこの悩みを知られたら「馬鹿だな」と酒を飲みながら一笑されそうな気がした。
結局自分は自分でしかない。どのような道を辿っても、あの荒くれ神父のように騎士という生き方を変えることはないのだろう。
(ならばせめて、思ったことを伝えるべきか)
下手でも、不恰好でも、当たり障りのない言葉でなく、自分で考えた心からの思いを伝えなければ、あの日祭壇で受け取った信頼とその証を裏切ることになる。
「……私は、陛下が隣にいて、共に歩むことができる今の位置を、その……好いて、いるのですが」
「…………えっ」
「無論、島で貴方と過ごした時間も尊く思っておりますが、その十年を経てこうして共に歩める今が、より大切に思えると言いますか……いや、これでは陛下の悩みへの答えには…………陛下?」
掴んでいた手を離し口元に当てて考えながら話せば、アレインの顔が先程の比にならないほどに赤く茹で上がり、口をはくはくとさせており、少し不安になって声を掛けると、「貴方は…いや、うん……」とよく分からない言葉を発した。
「申し訳ございません。やはり不躾でしたか」
「そ、そんなわけないだろっ、嬉しいに決まってる!その、嬉しいんだが……ああ、もう!」
そわそわとせわしなく動いていたアレインの手が止まったかと思うと、一歩こちらに足を踏み出し、勢い良く抱きしめられた。
「あの、陛下?」
「本当に……まったく、困ったな。俺ばかりが救われて、貴方に何も返せないまま、また貴方に救われて…」
表情は見えないが、戸惑いの裏に喜びが滲んでいるような声音を聞いて、どうやら嫌な思いはさせていなかったらしいのを悟り、取り敢えず胸をなでおろす。しかし、言葉の内容にまた新たな疑問が浮かんできた。
「恐れ多くも、陛下を救えたようなためしは無いと存じておりますが」
困惑を伝えると、アレインは一度身じろぎをしたが、やがてより強く抱きしめられてしまった。
「……まあ、ジョセフらしいな。貴方が覚えてないだけさ。十年前から、共にいると言ってくれたあの日から、ずっと、そうだったよ」
「私はただ、思ったことを伝えただけです。そんな大層なものでは…」
「またそうやって……いつもそうだ。なんでもないかのように、それが当然みたいな顔をしてやってくるんだから、たまったもんじゃない」
「も、申し訳ございません…?」
「ははは、責めてはないよ。……冗談と受け取られたら、困るけど」
すり、と頬ずりをされ、アレインの髪が優しく肌に触れる感触に、今更ながらその距離の近さを自覚して落ち着かなくなり、体をよじろうとしたが、背中に回された腕は想像以上に力強かった。そうまでして離れたくないのかと多少困惑したものの、特に減るものでもないので諦めて養子の好きにさせることにした。
「うん、でも……そうだな。俺を守る盾になろうと前にいるのではなく、仕えるために後ろにいるでもなく、俺と共に歩むために、隣にいてくれるジョセフが、俺も好きだ」
アレインは暫くの間そのままでいたが、やがて名残惜しそうに体を離した。
「本当はもっとこうしていたいが……そろそろ政務の時間だからな」
ぱちん、と自身の頬を両手で挟むように叩き、アレインは「よし!」と自身に気合を入れた。
「コルニアのため、フェブリスのため、俺と共に来てくれるか?宰相殿」
「…随分と、切り替えが上達されましたな」
「境界線ははっきり分けた方が、余計な迷いを生まずに済むって分かったからな。さぁ、行こう」
「かしこまりました。このジョセフ、貴方様がそう望まれるのであれば、共に歩ませていただきます」
快活に笑う主君とコルニアの未来を切り拓くために、ジョセフは歩き出した。