その少年の風采は、一言でいうと華美であった。
種族も美的価値観も違うはずなのに。
私は彼という存在に文字通り魅了されてしまった。
彼の姿が目の端に入っているだけで。
若き日の私の脳みそには、彼を飾り立てる言葉が湯水の如く湧き出てきた。
しかし、共通語では語彙が足りず。
容姿にまつわる語彙が豊富なエルフ語でも足りず。
この世にある言葉全てを使っても。
我が生涯をかけても彼の美しさは言葉で説明できるはずもないのだった。
学が無いはずの私は。
ひょんな事から美しき彼の生涯について書き記す大変栄誉な役割を与えられてしまった。
あまりにも恐れ多く……何度も。
何度も断ったのだが……私しか彼を記録できる者が……もう残っていなかった。
美しき青年が齎した光明を人々の記憶に焼きつけるために。
老耄はこうして筆を取る事にしたのだ。
たとえ邪悪な魔物に住処を奪われ。
人類が衰退し、口減らしに赤子が水底に沈みゆく世界であっても。
後の世に勇者と呼ばれる青年を私達は決して忘れる訳にはいかないのだ。
*
カブルーきみ死んだ事にされて勇者になっているよ……と声を掛けそうになったが眼前の男の罪を洗い流す青き瞳は涙に濡れ濁っていた。
うーん。今思い返すと……俺はこうなるように誰かに誘導されていた気もするんだが……。
びっくりすることに……特に後悔もしていない。
生物の掟に従って殺人衝動から人間を襲う魔物と、その場の思いつきで怒りの感情を他者にぶつけ、悪意を伝播させる彼らとだと。
魔物のほうがずいぶんマシだと本当に思っていた。
……一応弁明するけど最初はファリンやマルシルの力に成りたいだけだったのに……何の因果か俺が迷宮の主になってしまって。
胸にぽっかりと穴が空いたような感覚と。
なんでも出来るようになってしまったからこそ、何かしたいという欲求もなくなった。
恐らくこれが迷宮の主に与えられる最初の試練なのだろうと。
狂乱の魔術師と言わしめられる彼のあの常軌を逸した形相を思い出した。
俺個人は魔物の生態やなぜ彼らがその姿で産まれいずるのか。
それを調べていたらこんなに時がたっていたという感覚なんだが……。
長い年月の中で俺の周りで正気を保っていられる人は、ひとり、またひとりと減っていった。
どうやら俺は結果的に間違ってしまったようだ。
どういう理屈で制限されているかも分からないのに、黒魔術を行使しただけで罰せられる世界で。
仲間の幸せを祈ったはずなのに、俺の願いは彼らを苦しめてしまったらしい。
俺はたとえ世界に魔物がいなくとも、彼らと一緒に食卓を囲むあの時間さえあればいいと思っていたのに。
今完全に正気なのは俺と目の前で泣き喚く彼だけだった。
まあ、その彼もそろそろ危うい事だろう。
今の彼にあの時の瞳の輝きはもう無い。
冒険者が懐に抱えた本には、悪逆非道の魔王の俺と。ウタヤの悲劇という瓦礫に道を阻まれようとも。たとえどんな困難な道であろうと、青き瞳で人々の罪を全てを赦してきた彼との。
……なんだこれ……随分脚色されてるな。
羽生えてるし、原型ないな……。
彼は実は王子様らしい。
そんな話一度も彼から聞いたことが無い。
伝記と書いている割には彼の人柄という本筋から外れすぎていて物語じみている。
昔マルシルが読んでいたダルチアンの一族みたいだと思った。
そういえば、善良の定義を調べるために研究の合間に俺も読んでもみたっけか。
それもいまいち分からなかった。
物語に救われた彼らと、俺ではそもそもの捉え方違うとあの時の俺ですら理解したし。
余裕が無くて何故か興味もない本を必死になって読んでいた。
俺は迷宮の主になって初めて真剣に人と付き合う覚悟を決めたはずだったのに。
笑顔を貼り付けた彼に張り合うように最も不誠実に物語を消費した。
*
俺に生まれて初めて嫉妬の感情を抱かせたその男の第一印象は一言で言うなら胡散臭いだった。
だってそうだろ?
なんで世を混乱に陥らせた魔王サマの元に。
単身潜り込んできて第一声が「俺も仲間にしてください」なのかが、本当に理解できなかった。
そもそも俺と彼は面識がなかったし……。
青い瞳を爛々と輝かせ彼は俺を見つめる。
当たり前のだが下手に出ているはずなのに。
彼から与えられる威圧感が凄まじかったのは今も色濃く脳裏に焼き付いている。
その割には俺への敵意が一欠片も無く。
俺のなけなしの覚悟は無為に帰した。
廊下を血に染め上げられ。
返り血で真っ赤に濡れた顔で開口一番「仲間にしてください」とか言われても信じられるわけも無く。
大人しく首でも差し出すか。
軍にいた時のように、勇者サマの鬱憤を晴らす役割を全うするか。
あるいは最後までみっともなく足掻くか決めかねていた所。
彼は直ぐに装備を解き、床に剣を転がして俺に渡し。
突然膝を着いたと思いきや。
「あ、靴底にある護身用の短剣も要ります? これ魔物には一切意味ないんすけど」そうあっけらかんと言い放った。
予想を遥かに超える混迷な状況にさすがの俺も。
「えっと……その、君も俺と同じく魔物が好きなの?」
思わず彼に興味を持ったフリをしてしまった。
今にして思えばこれが間違いだった。
「いえ、あなたを知るまでは故郷を魔物に滅ぼされたと思っていたので……正直彼らを視界に入れる度に身震いするほど吐き気がします」
またも悪びれもなく言い放つ彼に俺は嫌悪と同時に好感のようなものを抱いていた。
何故か知らないんだけど、彼を殺すのが惜しくなった。
「何でうちに来た!?」
「うーん……どうしても知りたいことがあって……あ、当たり前ですけどぽっと出てきて仲間にしてくださいっていっても、信じられないですよね。もちろん四六時中監視つけてくれて構いませんし。なんだったら首輪でもつけときます? 俺が何か邪な事を考えたら首が飛ぶ様な」
彼は血に濡れても尚あどけない表情のまま軍人に負けず劣らずの、苛烈な事を言い放つ。
今にして思えば彼は人を驚かせるのがとても好きな人だった。
あの時のきみは慌てふためく俺を見てさぞや笑っていた事だろう。
「は、発想が物騒すぎる。そんな危ないのつけないよ! いいから帰りなよ! 」
「えー……だってこのままだとあなた人間を滅ぼしますよね? いえ、滅ぼしてみたいでしょ? 俺がなんでも出来る魔法を手に入れたら……とっても不謹慎なのは分かっているんですけど多指の人で構成された集落でどんな言語が作り上げられるのか調べてみたいですし。どれだけ近親相姦を繰り返せば健康な赤子が産まれるか調べたいですし。……いや、これは一例であって実際やりたい訳じゃなくて……そんな怪訝な表情で見ないでください!」
暗に俺が魔物の力量を測りたいから人間を滅ぼすと言い放った彼は、正直倫理の面では俺より劣っていると言わざるを得ないことを平然と告げる。
「つまり……君は興味の対象である人間を滅ぼして欲しくないと?」
「はい! 俺の唯一の娯楽なんで、無意味に殺すのやめてください!」
彼の求めるものが何かは、分かったのだが。
余りにも要求が意味不明だった。
そもそも彼は交渉しにきたとは思えない振る舞いをする。
ファリンと話している時のような……何かに飲み込まれる感覚と同時に呆れが襲う。
こいつら似てる……。
「無意味って……酷いな」
「無意味では? あなたは人間を知らなさすぎる。 恐怖に陥った彼らは互いに傷つけ殺し合うんですよ!? あなたのせいで世界は散々だ」
俺を指さし責任を取れ!
と言い放つ彼に、当時の俺はただひたすらに困惑していた。
表情には出さないようにしていたが死を覚悟していたら「仲間にしてください」と言われ……。
だって……勇者がわざわざ魔王の城に来て……言うことが……人間殺しすぎ……もうちょっと殺す人数減らせって文句普通ないよね? 俺おかしくないよね?
ひとりも殺すなだよね? 普通。
ほんと昔からきみは俺に負けず劣らずの魔王だったよ。
「俺に文句言いに来たの?」
「いえ、先程からお伝えしている通り俺はあなたの仲間になりたいんです! 人が魔物に殺されるのは仕方ない、でも人間同士の殺し合いは嫌なんです!」
正直もう俺は彼と話してる間ずっと混乱し続けて。
城に居たけど、どこかに帰りたかった。
あとちょっと泣いてたんだよ、俺。
きみは知らないんだろうけど。
「必死で頑張ってたことを無意味とか言われちゃなあ……君達に殺された魔物は多いわけだし」
「必要に駆られてやっているのであって、あの魔物達にあなた個人のこだわりとかないでしょ? いくらなんでも凡庸すぎる」
何故か友人のように知った口をきく彼は、俺の真意を理解していた。
「そうだけど……コストというか」
「んなの無尽蔵のはずなんだから気にする必要ないでしょ! いいから俺を仲間にしてくださいよ。貴方の毒牙から愛する人類を守るために……この俺が、理不尽な扱いを受けても甘んじてやるってんのに何が嫌なんすか」
俺に掴みかからんばかりに声を張り上げる彼に。
圧倒されるばかりだった。
でも、利害が一致していようと、理路整然と説明されようと。
あの時の俺は人を信じる事に労力を割く気概は無かった。
彼の瞳には嘘がないように思えたけど。
嘘をつかない人間がいると思いたくもなかった。
そもそも彼は、冒険者の時に何故か何度も俺に声を掛けてきた変な人だった。
まあ、端的に言ってなんか嫌だったんだよ彼が。
彼とは馬が合う気がしない。
「そういうところ。 まあ、一晩この城で考えてみるといいよ」
珍しく俺は人の要求をつっぱねて部屋を後にした。
*
「思うにあなたの迷宮は蘇生できるとはいえ、殺しすぎてんすよね……あなたの理想は黒魔術を行使した彼女と、その結果生まれてしまった「彼女」の対処なわけですよね? まさか……このままこの地に縛り付けられたい……って訳でもないと思うんすけど」
何故か彼は俺の後ろを着いてきて、ベラベラ喋っていた。
俺は我慢できなくて、思わず彼に声をかけてしまったんだ。
よせばいいものを。
詐欺師に興味無いですなんて振る舞えば絡め取られるに決まってるのに。
「なんで後ろついてくるの……」
「え? あなたが拒絶せず、俺に判断を委ねたので……。さっそく本題に移ろうかと。そもそも短命種の俺たちにはそんな悠長に考える余裕無くないですか? 刻一刻と終わりの時間は近づいてる訳ですし。 あなたも俺と同じトールマンですよね?」
「そうだけど……えっと、肝が太いね君……俺の事怖くないの?」
彼は鳩が豆を投げつけられたみたいなきょとんという顔をしていた。
長いまつ毛を伏せた後、彼は透き通った声で俺に語り掛けた。
「俺の見立てだと、あなたは自分を慕う人を殺せやしないので。それは俺に親近感を抱いているのではなく、あなたなりの矜持から。だから……えぇ、そうそう変わることは無いかなと。まーでも! ……ほんっとに……あなたのせいで世界は混迷を極めている訳なんですよ! ……取るに足らない面白みもない奴よりは……この騒動の起爆剤になったあなた自身が、一番まともかなと。こちらも妥協してあなたを選んだので期待に応えてくださいね」
そう言いながらあの時のきみは悪戯に微笑んだっけ……。
当時の俺はもうほんっとに、きみと一切喋りたくなかったんだよ。
それでも、きみが話しかけてくるから。
無下にする訳にもいかなくて、渋々相槌を打ってた。
気が抜けるような「へー」とか「ふーん」とか「はあ」みたいな。
万人が気に障るように対応したのに。
きみは一切気にしていなかった。
言葉尻を捉えてでも、俺との会話での接点を得ようと必死だったんだろうね。
「騒動?」
「あ、そこ気になります? ここ話したら俺の事仲間にしてくれますか?」
「……いやだけど」
「ちぇ……」
先程までギャンギャン騒いでいた彼が突然しおらしく。
拗ねるように唇を尖らせる。
俺は突然子供のような仕草をする彼に、在りし日の妹を重ねて笑ってしまった。
「なんで笑うんすか!」
「ふふ……でも俺、君には明日帰ってもらうつもりだから」
「なるほど? では、この地で蘇生できない形で死ねば……仲間として認めてくれます?」
少しでも隙を作ろうものなら、彼に「仲間に入れて」と言われるので。
あの時の俺は辟易していた。
「……それで? なぜ俺なの……君の言い分を聞くにどうやら俺が不甲斐ないせいで翼獅子の奴が他の迷宮の主にうつつを抜かして。各所で暴れ回ってるんじゃない? だから最近エルフの姿が見えなくなったって所か?」
「うーん……それ話して俺に何か得あるんすかね……」
「無いよなあ……でも、君何故か知らないけど俺に何度も話しかけてきてたよね? 俺に個人的な恨みでもあるの?」
俺がそう言うと彼の纏う雰囲気が変わった気がする。
と言っても瞬きの間の刹那で、その時の俺は、彼の僅かな変化を気のせいだと捉えてしまった。
「俺が……何度も……声掛けてた? せっかくのご好意を無下にして申し訳ないんですけど、顔もあんまり好みじゃないというか。あ、べつに男色が悪いという訳ではなくて。あなた自身が、俺の興味の対象ではなく……ご自分について、過度な自信を持つのは大変結構だと思うんですけど……」
「俺が自意識過剰だとでも言いたいのか?……財布を拾ったのはどう言い訳する?」
「財布? ……あぁ、思い出した。拾ったことありましたね。でも、その人は確か……俺が親切心で声を掛けてもスタスタと先に行ってしまって……。つーか……あんただったんすね。 聞こえてたんですね、俺の声。聞こえててあの対応だったわけか? ……いやあ……正直あなた……自立しているというか、ひとりで生きてて地に足ついてる感じが……付け入る隙なくて……マジ興味なくて……俺は熟れる前の果実のが好きですね」
「わかった! よくわかった! もういい! お前直ぐに帰れ!」
ふとした疑問を口にしただけで。
「君前に会ったことあるよね?」
というナンパ野郎の常套手段扱いをされるとは。
ナンパ野郎は何度も声をかけてきたお前の方だろ?
詐欺師の鮮やかなすり替えの手腕に、不本意ながらも彼の想定通りに俺は憤慨した。
こいつはこうやって人の神経を逆撫でて、話を有耶無耶にする癖がある。
今の俺なら彼に軽口で返せるだろうけど。
澄んだ湖の瞳を持つきみと他の人を見間違えるわけもない……ってね。
当時の俺は元々精神的に余裕がなく彼にまんまと踊らされた。
「引く手数多の俺が……なんであなたに声掛けなきゃいけないんすか……しかも何度も?……暇じゃないんすよ?……こっちも」
「悪かったって……もうその話をするな」
「つーか……その話……気になるところがあるんすけど、あなたの話しぶりと、状況を鑑みるに何度もあなたに声をかけていた人を意図的に無視したってことですか?うわ、……そっちの方がどうかと思いますよ……」
普段なら誰に人格を否定されるようなことを言われても。
気にならないはずなのに。
なぜか彼に「人非人」と言われるのはとても嫌で。
つい先程倫理観が欠如した話を平然と口にしたお前が……人を語るのか?みたいな気持ちに駆られていた。
あと純粋にほんっとに彼と馬が合わない。
マジで顔を合わせる度に喧嘩した。
「だから! 人違いだって認めたろ! しつこい!! お前ほんとに帰れ!」
「あのう……あなたの事は未来永劫そういう目で見る事はないので、ご安心を!」
「そうか! お返事ありがとう! 今すぐ帰れ!! 」
彼はムッとしたように頬を膨らませていじけ。
「帰れ帰れって、……帰れるわけないでしょ!? ふつーに考えて! 俺は養母との大切な縁切ってここに来たんですよ!? 諦めてください」
声高らかに叫んだ。
……知るかそんなの……お前が勝手に切った縁だろと思いつつ。
目の前の彼に呆れ果てていたが。
悟られないように、何とか怪訝な表情を繕った。
「知ってください!!俺の事を!」
「やだよ!」
「後悔させませんって!」
「押し売りやめてくれ!」
お互い押し問答をして、ぜぇはぁ言いながら肩で呼吸をしていた。
ほんっとに頑固だよな……昔からきみは……。
*
この後当たり前だけど俺が折れる事になって。
なら、覚悟を見せてみろと、きみの友人を捕まえてきたんだっけか……。
この行動も今は失敗したな……と思いつつ。
彼を知るきっかけになったなとあの頃に思いを馳せた。
「なんです? これ」
「君の仲間だろ? 入口にいたから連れてきた。彼らと一緒に帰り……」
俺がそう言い切る前に、彼は靴底から短剣を取り出して。
黒髪の女性の首に突き刺した。
あまりにも悠然と人の急所に刃を抉り込ませる彼に。
本能的な恐怖を抱き、喉が痺れる感覚が襲った。
「えっ!? なにしてんの!?」
「何驚いてんすか……あんた魔王だろ」
「君の仲間だよ!?それを、殺すなんて !?」
「はぁ……何言ってんすか……馬鹿馬鹿しい。 ……もしかして、俺の事舐めてます?」
彼は心の底から興味が無い様子で、血を払うように刃で空を切った。
彼をこの地から追い払うために仲間の姿をしたドッペルゲンガーを意地悪く用意した俺は。
彼の纏う雰囲気というか……仕草に圧倒され。
彼といて不快な気持ちになり続ける事と、これから彼を敵に回す恐怖を天秤にかけていた。
腹は決まった。
「あ、なんだ……やっぱり人間じゃなかったのか……通りで感触が……あれ? ライオス……?」
俺は彼を敵に回す方を選んだ。
単純に理屈よりも、感情の上で彼とは心底分かり合えないと理解したからだ。
「君……本当に帰れよ……仲間を平気で刺せるやつなんて、信用出来るわけないだろ」
「俺の覚悟を舐めくさって無粋な真似したのはそちらでは? ご大層な鎧纏ってても中身は小心者ですね、ほんと。 言っときますけど、これが本物でも俺は殺しましたよ」
彼はそう言いながら俺を睨みつけた。
*
「人が一番嫌なことって、なんだと思います? 勝てるわけもない強大な敵に運命の導くまま巡り会った時? 彼方に飛び立って行った想い人の声すら思い出せなくなった時? 全く違います! ほんっと勉強不足も甚だしい!よく今まで生きてこられましたね? いいですか!? 人間という生き物の心に亀裂が入るのは。集団の中で自分が悪者にされる事と、自分だけが損をする事です! それも、本来与えられるべきはずの利益が与えられない時!はい!復唱して!」
「……」
「あなたの迷宮は畏怖の対象だからこそ、重要視されるんです! 最も今は俺の知人が暴れてるでしょうから。よっぽどの暇人はともかく、エルフがあなたなんかにかまけてる暇はありません!」
「ええっと……」
「私語は慎んでいただけますか?」
「あ、うん。」
先程まで殺気をまとっていた彼は「俺が考えた島の迷宮計画」みたいな話を訥々にしてきた。
うん、あの。
ほんとに意味わかんなかった。
さっきまでの身震いするような彼は……一体どこに……?
当時の俺は先程までとの温度差で思わず頭を抱えていた。
「話聞いてます? この計画は、あなたの今後の為でもあるんですよ?」
「正直……仲間を躊躇無く殺す君と俺は話したくは無いんだけど……。 そう何度も言ったよね? なんで帰んないの?」
彼は大袈裟に肩をすくませ。
呆れた表情をして、大きく溜息をついた。
「利害の一致はしてると思うんですけど……何が気に入らないんすか? 俺が、貴方を背後から刺すとでも? だから、首輪でも何でも付けていいって、そう何度も……」
──なんで俺がお前なんかと仲良くなるためだけに、そんな物騒なものをわざわざ用意しなきゃいけないんだよ。
人が目の前で死ぬのは嫌だけど、俺の視界の外で死ぬならどうでもいいし。
仲間すら躊躇無く殺すお前の行動の何を信じろと?
そう喉から零れそうになって。
当時の俺は、必死に笑顔を繕った。
「ええっと、うーん……いや……もういい」
「はあ……じゃあ続けますね。 茶々入れないで、きちんと俺の話し聞いてください」
彼は俺の機嫌を無視して話し続ける。
「つまりですね! やる気を失わせればいいと思うんですよ! この迷宮に足を踏み入れた所で、感情でも理屈でも損をすると理解させればいいんです!」
「──それは……どうやって?」
「あなたが魔物への探究心を抑え込めないように、俺は生涯を通じて人間を知り尽くしてきました。 その俺が仲間に入りたいとこうやって頭を下げているんですよ? 無下にするのは勿体無いと思いませんか? 」
──思わないよ。
早く帰って欲しい。
そう目で伝えても彼には届かなかった。
*
結局カブルーは翌日も、翌々日も、明明後日になっても城から出ていくことは無かった。
もちろん今も俺の目の前にいる。
そんな彼を当時の俺は追い出そうと色々躍起になり。
吐き気を覚えるほど魔物が嫌いだというし、そんな彼が魔物だらけの俺の城にいたら気が休まらないだろう。
俺も個人的に彼とは気が合わないと思うし……。
不本意ながら、彼が一番嫌がる事を考える事にした。
我ながら発想が貧困だとは思うんだが、彼が魔物を嫌いというのなら。
食事を振る舞う際はこれでもかというほど魔物を食わせてやろうとした。
かなり久しぶりに鍋を火にかけていると、ふとセンシが作ってくれた。
俺にとって生まれて初めて味わったほんとうに美味い飯について思いを馳せた。
彼の料理は迷宮の主になって、なんでも願いが叶えられる魔法を得た、今の俺にとっても特別なもので。
センシが迷宮で自給自足をしていた事も、誰かに教わったわけでもなく、試行錯誤の結果あんなに美味い飯を作り上げたというのが信じられず。
あの時の俺は彼の生き方に強く憧れていた。
元々村長の息子として、テーブルマナーやらなにやら叩き込まれていた俺にとって。
食卓というのは単なる試験の結果発表でしかなく。
妹のファリンが一人で飯食ってるのが、最初は羨ましかった。
今にして思えば彼女は両親に躾らしい躾を一切されていないらしく、彼女の所作は俺の見様見真似だった。
……本来前向きになるはずの飯をこんな事に使うのはどうかと思ったが。
当時の俺は本当にカブルーの存在について悩んでいた。
だって彼……頭がいいんだ。
俺が言った皮肉を数倍に煮詰めて返してくるんだ。
初日に提案された策も特にケチつける部分がないし。
今にして思うと、カブルーもきっといっぱいいっぱいだったんだろうな……。
まあ、話を戻そう。
つまり魔王の俺は勇者カブルーに食事を振舞ったんだよ。
とびっきりのご馳走を。
これからどんなものを口にするのか想像できるように。
極上の料理に舌鼓できるように。
料理の食材について、ひとつひとつ丁寧に。
ぜひ、魔物食を堪能してもらおうとね。
最初の頃のマルシルみたいに、ギャアギャア喚くとおもったら。
彼は薄ら笑いを浮かべて。
「これが、善意であれ、悪意であれ……あなたが俺に何かしてくれた事実が嬉しいです……」
なんて言われてしまった。
彼にとって魔物というのは本当に忌避するべきものらしく。
食材を口に運ぶ前の動作でしかないはずの、ナイフで肉を切り分ける時ですら笑顔の裏に嫌悪が見え。
俺の良心はちくりと傷んだ。
彼は笑顔で「わあ! おいしそうです!」なんて言う。
満面の笑みで頬張っているのに、一向に飲み込む気配がない。
魔物を体内に入れると魔物になってしまうという穢れ信仰が巷にはある。
彼もそれを気にする人間なんだろう。
魔物を食うだけで魔物になれるなら苦労しないんだがな……そうは思いつつ。
当時の俺は彼が不憫に思えた。
「おいしい?」
「う、うまいです!」
「どんな所が? 君はどんな味が好き? 魔物で食べてみたいやついる?」
「え、えっと……すみません。 その、あなたが俺に用意してくれた飯だから、好意を無下にしたくなかっただけで……本当は」
「──魔物なんて見たくもないし、食うなんて以ての外だよな……」
「そうです。 ……でも、あなたが用意してくれた食事には必ず手をつけます。 俺を仲間にしてくれますか? 本当はただ、あなたの力になりたいんです」
彼の瞳には嘘が無かった。
本当に一切の淀みがない。
当時の俺は彼の綺麗な瞳に圧倒されていた。
*
結局……俺が折れる事になった。
カブルーがなるべく快適に暮らせるように、この城で何が欲しいのか聞いてみたところ。
「え? 欲しいもの……? か、考えたこと無かったな……」
「……君が俺の城に来たのって、迷宮の主に願いを叶えて欲しいからなんじゃないの?」
「は? はあ!? 願いを人に叶えてもらう!? ……ばっ!? 何言ってんすか!! 俺は自分の優位性を証明したいのであって、ズルしたいわけじゃないんすけど! そもそも世間的な評価ではなく、自分の行動を省みて、俺がどう思うかなので!!」
真正面から向けられた。
取り繕われていない真っ直ぐな怒りの感情に。
俺はただただ圧倒されるばかりだった。
「あ、そ、そう。 ごめん……そ、そんなに……怒ると思わなくて……」
「リンシャのドッペルゲンガーを用意されても、それはあくまで俺の覚悟をあなたなりに、試していただけだと思うので。悪意は無いと思うんすけど。まじで今後そういうことは、言わないでください。 俺は自分で願いを叶えます。例えあなたを利用してでも」
彼は俺のをつり上がった目で睨みつけた。
当時の俺は彼が城から出て行ってくれることは諦めていて。
どうせ仲間になるなら彼には快適に過ごして欲しいと。
ただそれだけだったのに、何が気に触ったのか憤慨する彼に。
目を丸くするばかりだった。
「……迷宮という性質上どこにでも魔物がいるし、君は魔物が苦手らしいから……少しでも快適に暮らして欲しくて……要らぬ世話だったな……すまん」
「あ、いや……すみません……少し意固地になっていた気がします……元々俺……特に部屋にこだわりもなく……不眠症気味なんで、最低限の寝床さえ頂ければ……特に。あなたが、過度に気を使う必要も無いですし。──それよりもこの城……迷宮? の今後の運営についてのお話してもいいですか? 具体的な事を」
そう言いながら彼は眉根を寄せて笑った。
*
なんだか……目の前でころころ顔色を変える彼の事が不憫に思え。
当時の俺は馬が合わないなりに彼に歩み寄ろうとした。
「うーん……君の話を聞く前にひとつ……気になる点が」
「……なんですか?」
「不眠症気味って、大丈夫? 俺たちはもう食事も睡眠も必要ないけど、君たちにはまだ必要だよね?」
「は?」
またも彼が怪訝な表情になった気がして、怒鳴られるんじゃないかと思い、俺は身体を後ろに引いた。
なんでこの人意味わかんないことで直ぐに怒るんだろう……。
なんて……当時の俺は困惑していた。
「あの、カブルー? また俺なんか変なこと言った?」
「いえ……そんなこと出来るのか……と、ちょっと驚いて……この城での出来事は本当に別世界ですね……デメリットは無いんですか?」
「特に無いかな……時間になったら彼らの吸う酸素に必須栄養素を入れている感じ? みんな忙しくて……食事をとる暇もなくて。──センシ……ドワーフの仲間はこの迷宮のどこかで自給自足しているし。ハーフフットの仲間はこの状況でも家に帰ろうとしてて。センシと違ってパーティ結成時から居るので誤魔化しもきかないからこそ、閉じ込めるしかない……。俺と同じ目的を持ってくれているエルフの女の子は研究に明け暮れていて。……みんなには色々事情があるんだ。本当はみなで食卓を囲むのが一番だと思うんだけどそうもいかず……強制給餌するのもどうかと思うし……代案も思いつかなかったので、結果的にはこうなった。ええと、君のその不眠症も俺なら治せるよ?」
「……あなたにも食事は必要ないんですか? 」
「俺も必要ないよ。 もう七年くらい食べてない」
「つまり俺のためにわざわざ魔物食を作ってくれたわけですね、あなたが」
この時もそうだけど、カブルーはなにか含みを持つような言い方を良くするんだよね。
当時の俺は彼に責められてる気がして「え!?なに!? なんで怒るの!?怖いよー!助けてー!ファリン」なんて思ってたので、彼が嬉しそうにしてたのなんて気づかなかったんだ。
「う、うん。 久しぶりに鍋を火をかけたよ……その、君の食事を魔物で作ったのはワザとだけど……。なあ……君本当に帰らないの? この城はハーフフットの仲間が考案した罠でいっぱいだし、うろちょろするのは危ないよ?」
「俺は記憶力だけはいいので……教えていただければ対応できます」
「……うーん。 なんでそんなに俺の城にいたいの? 他にも迷宮があるんだよね? 君いわく、取るに足らない人を支えた方がいいんじゃない? 熟れる前の果実の方が好きなんだろ?」
彼の瞳に俺が映る程の距離に顔が近づいて。
「あなたがいいんです」
そう彼が呟いた。
*
──彼の策略は本当に敵に回したくないと思うものばかりだった。
「一階層にドライアド置いて全員花粉症にしましょう!」とか「とにかくこの迷宮に来ると損をすると彼らに叩き込みましょう!毒とかもいいですね!毒消しを買うのは割高ですし!金が無ければ深層に潜る事もできませんし……人が居ないのでこの当たりの物価は様変わりしましたし」とか爛々とした目で言われた。
「ドライアドは五階層の魔物だ……入口に用意したりなんてできないよ」
「一時的な措置でいいんです……そうですね一年くらい? この迷宮に足を運ぶと損をする。そんな噂が広まればわざわざこの迷宮を選びません。 あなたのおっしゃる通り、他にも迷宮は沢山ありますし……」
「なるほど……まあ俺に睡眠は必要ないし、お客さんが来た時に用意でもすればいいか……」
「あと、もうひとつお願いがあって……こちらが可能なのか分からないんですが……」
「なに?」
彼に耳打ちされたことは、到底成して得るはずも無いことで
「え? そんなことで人来なくなるの?」なんて当時の俺は思っていた。
*
「ライオス〜! 食事の時間ですよ〜!」
「あぁ、すぐに行くよ。 ごめん少し待ってて」
「はあい」
遠くで聴こえる彼のよく通る声。
長年の苦労の甲斐あって。
こうやって、あのライオスとゆっくり話せる時間ができた事に。
俺は心底ホッとした。
付け焼き刃でしかない、迷宮運営の知識なんて、役に立つわけもないと思っていたが。
思いの外俺の策は実を結んだらしく連日連夜客が尋ねてくることはなくなり。
最近は月に一度新米冒険者が。
騙されたのか、足を運んでくる程度に落ち着いた。
この迷宮は俺の思惑通り取るに足らない迷宮へと、世間の認識を変えられた。
まぁ、外では俺の主兼知人のエルフが愛する人を得られた喜びに震え。
再び誰かに奪われないようにと、暴れ回り。
長年秘匿されていた黒魔術の謎について知らされた短命種はエルフとドワーフに、無謀にも歯向かい。
そんな愚かな短命種の管理についてエルフとドワーフの方針は違いふたつの種族は冷戦状態だし。
世は正に混迷を極めていた。
壁から金を剥ぐだけで終わった、数年前とは全く違う。
人々は迷宮の最奥に行けば己の欲望を際限なく叶えられると知ってしまった。
知人を、友人を、恋人を、家族を捨て。
あらゆる人間は迷宮へと足を運んで死んで行った。
そんなこんなで外に秩序という秩序はもう無い。
誰も彼もが敵で、誰も彼もが味方だった。
そんな中で、食事を必要としていない彼と一緒に何かを食べる時間は。
彼が俺を真に気遣ってくれている証左で。
何故か俺はそれが嬉しかった。
「カブルーお待たせ……今日は肉焼いてくれたんだね……」
「一年前より大分できるようになった気がしますけど……あなたには劣りますね……今日も一緒にご飯食べてください。……俺はいつも通りセンシさんから貰った、野菜食います」
「君またセンシと会ったの? いいなあ……」
「彼もあなたに会いたがってましたよ……たまには会いに行っては?」
「ううん……でもなあ……」
「……あなたはここを離れられませんもんね……ひとつ伝言を頂きました。 2日後街に調味料を買い出しに行きたいので、入口を戻して欲しいと」
「あぁ、わかった。 忘れないようにするよ……彼の生活を脅かす訳には行かないし」
守るために魔王になった彼は、時折寂しそうに笑う。
その度に胸が締め付けられるような思いに駆られた。
俺では彼を満たせない。
彼に安寧を与えても、俺は真の仲間にはなれない。
彼とこうやって、何度も食事をしても……彼が求めるのは俺ではない。
それすら俺の喜びだった。
*
ライオス・トーデンという男は。
生まれて初めて俺の正体を見破った人間だった。
……とある理由があって迷宮の謎を解き明かそうと、陽だまりのような場所から出てきた俺は。
当たり前だが迷宮内で散々な目にあい。
自分で攻略するのは不可能だなと、あっさり諦め、他の冒険者をサポートする側に回ろうとしたが。
お眼鏡に叶うやつは残念なことに居らず……まあ、そりゃそうだよな。
迷宮攻略しに来てるやつにんな殊勝なやついるわけも無いか。
そう諦めようとしていた時に、彼の噂話を聞いた。
同じ志を持った人間には思えなかったが、なぜか赤字ギリギリになっても迷宮の最奥に行こうとする馬鹿らしい事は理解した。
金銭的な援助をすれば、彼らの実力なら迷宮を攻略する可能性もあるので一度話しかけてみたが。
何故か無視された。
取り付く島もないほど完璧に無視された。
それ以降何度も話しかけたがそれも無視。
財布をすってもダメ。
何かもう……意図的に無視されてるらしいことはさすがの俺も理解した。
彼は何故か一度も話したことがない俺を心底嫌悪している様子だった。
俺はそれがどうしても許せなかった
*
「君の策略ほんとうにすごいね……あれから……たまにしかお客さん来なくなったよ」
そう彼に柔らかに微笑まれた時。
無いはずの自尊心が満たされ、気持ちを自覚した。
しかし、この感情は単に「彼に特別扱いされたい」というこの状況に於いて至極真っ当なもので。
彼と唇を重ね、性行為に及びたいというような淫らなものではなく。
例えるなら主に誉めてもらいたいと、尻尾を振る犬のような、妙な感情で。
恋愛とは程遠く、単に大好きなご主人様が笑顔でいて欲しい。
そういう不思議な気持ちだった。
俺が持ち合わせていると思っていなかった幼子のような感情に酷く動揺した。
それもそのはず、褒められるという行為は、相手が自分より上の立場にある時のみ適応される事象で。
……つまり、ライオスに認められると嬉しいと自覚した俺は。
彼を自分よりも上の存在か、または同等に扱っている証左に他ならなかった。
決して他の人を下に見ているつもりは無いんだが。
やはり俺と彼らだと種族が違うとしか思えない。
子猫のような彼らに思う事は「仕方無いな」で、ライオスに思うことは「いい加減にしろ!」だった。
……もうこの時点で俺は彼を特別扱いしている。
生まれてこの方必要な言葉以外喋った事がなかったはずなのに、彼の前ではガサツで乱暴者な”俺”が勝手に出てくる。
初心者冒険者だった俺を徹底的に無視した彼を、何故か同じ世界にいると思った。
そんな愚か者の俺を彼女は救ってくれた。
陽だまりのようなエルフの女の子は目の下にクマをつくり。
クシを通していないボサボサの髪を適当に結んでいた。
その形相は昔本で読んだ魔女のようで俺は驚愕し。
ライオスも目を丸くていた。
「マルシル……」
幽霊にでも会ったかのように小さく呟いた。
「ねぇ〜ライオス……ユニコーンの角って……あれ?」
俺を瞳に捉えると、彼女は怪訝な表情をした。
「ライオス……この人誰?」
「あ、えっと……この人は」
「僕はカブルーと申します」
言い淀むライオスを尻目に、俺は彼女に話しかけた。
「ライオス! どうして私に相談しなかったの!」
「いや、これには訳が……」
「俺が勝手に乗り込んだんです」
彼女の翡翠色の瞳は、揺れていた。
「あなた……何者?」
「僕はカブルーと申します。 カナリア隊……ミスルンという人間の世話係を数年していました」
「カナリア隊……? ──!!
ライオス! ちょっと!」
小麦のような金色の髪と、褪せた金色の髪は背を向けて去っていった。
俺は、この場を離れる訳にもいかず。
背もたれに腰掛けないように浅く座った。
*
「すまん待たせた……」
数時間後に戻ってきたのはライオスだけだった。
「えっと……」
「あぁ、彼女に俺に監視をつけるべきと提案された感じですか? 当然だと思います。俺は構いませんし……というか……警戒心が強い貴方がこっそり俺に付けていたものを、彼女にも見せればいいだけなのでは?」
「その……それも、見せたんだけど……なんかライオスは甘いから! 私がやる! って怒られちゃって」
申し訳なさそうに背中を丸め、俺に謝る彼は……何故か嬉しそうな表情をしているように思えた。
なるほど、彼は彼女に好意があるのかと気づいた時。
チクリと胸がいたんだ。
*
まあ結果的にそれは気のせいだった。
魔女のような女の子のマルシルは。
プライバシーもへったくれもない監視にすら無抵抗の俺を「えっ……さすがにこれは嫌がっていいんだよ?」と何故か同情的に扱った。
「いえ、この程度の事……カナリア隊では当たり前でしたし……」俺がそう言うと。「えっそうなの!? カナリア隊ってそんな所なの……?」と何故か彼女は興味津々だった。
ライオスにそれとなく聞いてみたところ。「マルシルは……恋愛が好きなんだ……だから、君とその隊長さん? がそういう間柄なのかと浮かれている……んだと思う」なんて言うのでもうそのまま誤解してもらうことにした。
……特に困らないし。
俺の元主様は悪魔を手に入れても最初は正気だったが。
何故か悪魔を詐欺師となじり、心底嫌っている俺にまで嫉妬する始末だった。
俺と張り合おうとする彼の形相を見て、このままだと痴話喧嘩に巻き込まれて死ぬだろうと。
さっさかこの地に逃げ果せたわけだ。
……俺が世界を滅ぼす手助けをしたと言っても過言では無いんだよな……正直。
俺が悪魔から離れた結果ある程度は収まったと思いたいが……。