そういうとこだよ、この野郎ッ「戻りました。片付けありがとうございます」
「おかえり」
おかえり。パーティーの後片付けは役に立てないからとマルシルさんとファリンさんを駅まで送って帰ってきた俺に、台所で洗い物をしながら、先輩が振り返らずに返した言葉。たった一言で、妙にそわつく。
先輩にクリスマスに家に来ないかと誘われて、お家デートだと張り切って来てみれば、そこには妹さんとその友人がいる、という事態に当初はショックを受けたものの、過ごしてみれば穏やかで優しい温かな時間に満たされた。父を知らず、7つで母を亡くし養母に育てられた俺は、一般的な家族というものがよくわからない。ドラマや小説の一般的な家族像というのは想像できたけれど、それはあくまで想像にすぎなくて……。けれど、今日、先輩たちのクリスマス会に呼ばれて、マルシルさんやファリンさんと過ごす中で、母と過ごした時間のあの安心感を、思い出せたような気がする。
そんな心地だったせいか、先輩の「おかえり」にも少し、過剰に心が反応してしまった。「ただいま」と応えていいんだろうか。
「そういえば、君が帰ってくるまで少し考えていたんだが」
「はい」
相槌を打ちながら、迷っている間に「ただいま」を返すタイミングを逃したな、とぼんやり思った。
「もしかして俺は、ファリンとマルシルが来ると伝えていなかったろうか?」
今更そこか。
「その、最初君の顔が変だったから」
ああ、と思い当たる。確かに最初、ドアチャイムを鳴らしてマルシルさんが出てきたとき、予想外で、少しショックで、表情が硬かった自覚はある。
以前の先輩なら、気づかなかったんだろうな。
そんな些細な変化に口元が緩むのがなんだか悔しくて、首に巻いていたマフラーを少しだけ持ち上げた。
「その、君はいつも気を回して察してくれるから、つい頼ってしまう。すまない」
と、言われて、それはどこのどいつの話をしてるんだと思う。
少なくとも俺は、ライオス先輩の思考なんて察せない。今回だって、マルシルさんとファリンさんがいるだろうなんてちっとも考えなかった。
いつだって予想外で思い通りになりゃしない。
都合よく勘違いしているのに乗っかってしまおうか。
それとも、先輩が喜ぶだろうとツテを使ってデカいケーキを予約して、先輩に使ってもらえるだろうかと悩みに悩んでプレゼントを買った健気な恋人のちょっとした恨みを晴らすためにちくりと言ってやろうか。
「まあ、確かに二人きりだと思い込んで来ましたけど。でも俺は参加させて貰えて楽しかったですよ」
考えた結果、少しばかりちくっとしておこうと口を動かしながら、鍵をポケットから取り出してテーブルに置いた。
「鍵、ありがとうございました」
二人を送って帰って来たとき、ドアチャイムを鳴らさずとも勝手に入っていいと渡された鍵だ。
「ああ、それは君に渡そうと思っていた合鍵だから、そのまま持っててくれていい」
「は……?」
「君がいつでも来てくれたらいいなと思っていたんだ」
ずっと流れていた水音が止まって、ライオス先輩が振り返った。
「ファリンもマルシルも、最近は忙しいのかあまり泊まらなくなって、来てくれると賑やかなんだけど、夜は少し静けさが気になるんだ」
先輩が軽く両腕を広げた。
「でも、今日は君がいる」
大学ではよく一人でいるから、一人が好きなのかと思っていた。それがこんな、寂しがり屋みたいな真似をする。ほら、やっぱり読めやしない。
初めて家に呼んだ恋人に合鍵を渡すなんて読めっこない。
ふらふらと吸い寄せられるように先輩の腕の中に収まった。腰と後頭部にしっかりと回される温かい腕。
耳許でライオス先輩が呼吸をしている。吐息がくすぐったくて、背筋が震えた。
今夜はこのまま泊まらせてもらう予定だ。用意していたプレゼントは、プレゼント交換でマルシルさんに渡ってしまったが、「受け取ってほしいものがある」とでも言ってねだったなら、彼ともっと親密になれるだろうか。
家でお泊りデートだと思っていたとき、何度もした空想が蘇る。深呼吸をしたら、先輩の匂いがして、もっと落ち着かなくなった。
背中に腕を回そうとしたとき、
「そういえば」
と、先輩の声が響いた。
「マルシルとファリンが来ると思ってなかったなら、君のプレゼントって俺に用意してくれたものじゃないのか?」
今更その話かよ。恋人と密着している最中に気になるのが予算3000円で用意したプレゼントのマグカップか。気を削がれたような気分で肩に埋めていた顔を上げた。
「ええ、まあ、元々はアンタにと思って選んだものすね」
恋人へのプレゼントなのに、予算を決められるなんておかしいなとそのとき気付けばよかったのに、クリスマスデートだと浮かれていた俺はその疑問を流してしまった。
浮かれて思考停止した俺が悪いのか。妹とその友達とのパーティーだと言う企画の全容を告げなかった彼が悪いのか。どう考えたって俺は悪くないと思う。思うけど、
「なら、俺がもらうべきだったんじゃないか」
そう言って、彼は露骨にしょげてしまった。こんなことでそんな顔をするなんて思わないじゃないか。
俺が彼のために用意したプレゼントを受け取れなかったなんて、そんなことで。
彼の薄茶の髪に指を差し込んで、乱暴に掻き回してやった。
「もう一回、選ばせてください。アンタが使ってるときのことを考えて、アンタが喜んでくれるかを考えて選ぶのがとても楽しかったんで」
先輩の目を真っ直ぐに覗き込んで、伝える。
「せっかく選んでくれた君の気持ちを蔑ろにしてしまった。すまない」
「いいす。もう一回、今度はちゃんと受け取ってくれたら」
「うん」
一つ頷いて、彼の表情が明るくなった。
「そうだ!明日買いに行こう。俺のと、あと君のマグカップも」
「え?」
いや、俺は合鍵というプレゼントを貰ったんで、と辞退しようとした。けれど、先輩は意気揚々と続ける。
「俺も君にプレゼントを用意できていないし、うちで使うためのマグカップも必要だろ」
「え」
この家で使うマグカップ。
つまり、専用マグを置くほど頻繁に来ていい、ということなんだろうか。
俺のマグを置くスペースがこの家の食器棚に用意されるということなのだろうか。
予想外に嬉しくて……。
「マグカップだけじゃない。茶碗と箸、あ、歯ブラシ?パジャマもほしいか」
まるで同棲でも始める勢いで俺のものを揃えようとするライオス先輩に、やっぱり俺は思う。
全然、全く読めない。察せない。
そういうとこだよ、この野郎ッ!
…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
ご閲覧ありがとうございました。