育ち育み結ぶもの「おはようございます、ライオス先輩」
春休み明け、登校第一日目。いつもの待ち合わせ場所に彼は立っていた。桜の花びらが舞い散る中嬉しそうに笑う彼は、少し驚くほどに人目を引いた。けれど、俺はそんなことよりもずっと違和感が強くて、いつもなら立ち止まることなく連れ立って歩き出していたはずの足を止めた。
「なんだい、それ」
「どれですか?」
「その言葉遣いだよ」
「ああ……」
彼は得心したようにそう声を漏らすと、両腕を開いて見せた。
「俺も今日から中等部なので、『ライオスくん』は卒業しようかと思いまして」
得意げな笑顔を浮かべて、そんなことを告げる彼の手は大半が袖に隠れている。制服の採寸から帰ってきた彼が、『ライオスくんと同じくらい大きくなるから大きめを注文した』と語っていたのを思い出す。俺も四年前は大きめの制服に着られていたよなあ、ということも。それから、そんな俺を見て、『ライオスくん、かっこいい!』と目をキラキラさせていた彼のことも。
メリニ学園は初等部からあり、彼、カブルーとは俺が初等部六年のときからの幼馴染みだ。初等部二年に転入してきたという四つ下のカブルーと初めて言葉を交わしたのは、学園の青空集会のときだった。
この学園では毎年、再興したメリニの初代王ライオス一世の偉業を讃えて、初等部合同で魔物肉を調理し食べる行事がある。
調理を終え、食事を終え遊び始める生徒も出る中、じっと皿を見つめたまま動かないカブルーを見つけたのだ。
「何か食べられないものでも入ってたのか?」
そう、俺が声をかけると彼はびくりと体を揺らして見上げてきた。
「ええと、魔物が……」
怖くて……と小さく続けられた。俺は首を傾げた。
魔物は確かに危険なものだけど、ここに用意されるのは下処理まで終えた食材に近いし、調理方法も安全が確立されたものだ。
何より俺などはこの行事がこの学園を選んだ理由の一つであるから、目の前の美味しそうな料理が「怖い」というのはよくわからない。
わからないが、魔物は危険なものであるし、ライオス一世により広められたとはいえ、魔物食を嫌う人は今でも多くいるという。
小さな唇を噛み締めて動かない巻き毛の頭を見下ろしながら、俺は口を開いた。
「なら、俺がそれを食べようか。君はこっちを食べたらいい」
そう言いながら彼の隣に腰を降ろした。彼には持っていたおにぎりを差し出した。初等部高学年以上は、おにぎりやサンドウィッチの持ち込みが許されていた。
それ以来、彼の目には俺が英雄のように見えているらしい。ライオスくん、ライオスくんといつでもどこでもついてくるようになった。
とはいえ、わがままを言うわけでもなかったし、なんなら俺が好きなものについて話を始めると、大きな青い目でじっと俺を見つめながら話を聞いてくれるものだから、俺にとってもカブルーは可愛い歳下の幼馴染みという存在になっていた。
そんなカブルーが今日から中等部。しかも『ライオスくん』から卒業するという。
少し寂しいような心地がしながら、学園に向かって歩き始めた。
「じゃあカブルーは明日から一人で登校するのか……」
「は?」
何気なく呟いたつもりの俺に、返されたのは低音のそんな短い音だった。
「え?なんでそうなるんすか?」
がしりと腕を掴まれて、カブルーを見ると、彼はひどく深刻な表情でこちらを見ていた。
「君が俺を卒業するって言ったんじゃないか」
「俺は呼び方を先輩に変えるって言っただけで、アンタを卒業するなんて一言も言ってない!」
そんな主張をして、カブルーがぐうっと唇を噛んだ。眉間に深く皺が刻まれていく。
たまに俺が、ひどくカブルーを傷つけるようなことを言ったときに彼はこんな表情をすることがあって、俺は彼のこの表情を見て失敗したと悟ることがあった。
ああ、しまったな、と思った時、スゥーと音がしてカブルーの肩が上がって、それからフゥー……と再び彼の肩が下がった。
「……カブルー?」
覗き込むように屈んだ俺の眼前に、彼の褐色の人差し指が突きつけられた。
「言っとくけど、俺は、絶対一生、アンタから卒業なんてしないし!明日も明後日も来年も、先輩と登下校するのは俺ですから!」
はぁはぁと肩で息をしながら宣言された。
ついさっき感じてた寂しさなんてあっという間に塞がれてしまった。
「返事!」
とカブルーに促されて「わかった」と返すと、真新しい学ランに包まれた腕が俺の腕に巻きついてきた。
再び歩き出しながら、ふと思いついた。
「中等部も今日は、午前だけだろう?帰りにどこかで食べていこうか?」
「いいんすか!?」
大袈裟に喜ぶカブルーに慌てて付け加える。
「そんな大した店には行かないぞ」
「わかってます。俺が嬉しいのは先輩が放課後デートに誘ってくれたからです」
彼が、俺と二人で出掛けることをデートと呼ぶのは、今に始まったことじゃない。
変わらぬ近い体温の温かさと、少しだけ距離を感じる言葉遣い。
来年まではこの距離感か、となんとなく安堵を感じながら、桜の舞う学園への道を、これまで通り、連れ立って歩いていく。