触手の1本まで愛す。「あ。」
手に持っていたゴミ袋が地面に落ちた。
なんてことない仕事終わりの夜に、陰が落ちる。
生臭い匂い、獣のような息遣いと、なんとも形容し難い異様なシルエット。淀んだ空気。
まるでここだけ異空間だというように切り取られたみたいだった。
その異様なモノがこちらの気配に気づき、ぴたりと止まる。気付かれた。命が危機に晒されているはずなのに、なぜか、俺はその存在から目が離せなかった。あろうことか、「どうしたの?」と話しかけようとするほどには。
「 」
何かを言われた気がしたが、分からなかった。動物の鳴き声と同じ、人の言語ではない。
ソレは何か諦めたように身を縮こませ、グジュグジュと奇妙な音を立てながら"何かの姿"に戻っていくようだった。俺の全身を覆っていたデカイ影は、足元に少しかかるくらいにまで小さくなる。
自分で(なんで?)と思うくらいには、俺は冷静だった。
「センパイ。バレちゃいましたか」
人懐っこい声と仕草。まだ変形している最中でも、その雰囲気には見覚えがありすぎた。無意識に"コイツ"だ、と分かっていたのだろうか、俺は。
「オレ、エイリアンと人間のハーフなんス」
首を掻きながらへへ、と笑う。
目の前にいる青年は、あまり気に入らない鼻につく後輩、英里ユウタ。
ーーーこの時からだ、いけすかないと思っていたコイツを恐怖の対象として見始めたのは。
***
【触手の一本まで愛す】
ほのぼの微ホラーBL
***
新人バイト君・英里ユウタは、エイリアンの父と人間の母を持つ、エイリアン&人間のハーフなのだそうだ。
普段は人間の社会に溶け込むために人間の姿になっているが、体力を消耗するため、たまにエイリアンの姿に戻ることもあるのだと。
……どういうこっちゃ。
「俺を…襲ったり、しないの…?」
おそるおそる聞いてみる。
だって、エイリアンと言ったらまず、人間を襲うイメージだったから。頭からむさぼり食ったり、八つ裂きにしたり、卵を産ませたり…
俺は何もできないまま死んじゃうのかな。コイツに殺されるのか。…と思ってしまうのも、必然だろう。
だけど怯えてる俺に対して英里(人間の姿)は、あっけらかんとしていた。
「襲うぅ?ありえないっスよ!だって、カワイソセンパイは、大事なセンパイっスから」
にへへ、といつもと変わらない感じで笑う。
その笑顔と調子の良さが、俺からしたら妬みの対象だった。
この店で働いて3年目、いろいろ任されて信頼されるはずの俺が、新人のお前の陰に隠れている現状。
みんな何かあったら英里、英里くん、ユウタちゃんときた。俺なんていまだに"河井曽さん"なのに。
その人懐っこさと元気の良さが、俺にもあったらと何度思ったことか。
それでも根暗でネガティブな俺自身を認めてほしい、という矛盾に苛まれ…しんどい思いをしてきた。
光のあるところには陰があるって言うだろ?英里と俺が、まさにその状態だ。
「センパイこそ、怖くないっスか?オレがエイリアンと人間のハーフだって知って」
「…そりゃ、怖いよ。怖すぎるって」
じっと見てくる。俺は目を合わせない。合わせられない。苦手なんだ、そういうの。弱い自分を見透かされるような気がして。
でも、だんだんおかしいと思えてきた。だってこの状況、コイツが俺を襲う気さえなければ、コイツの弱みを俺が握ってるわけだ。だってエイリアンなんてバレたら即捕まるか、殺されるだろう。人間にとって脅威、敵でしかないんだから。
つまり、立場は俺の方が上だ。
…こんなことでしか優越感を味わえない俺は俺を嫌悪しそうになったけど、少しくらい、強気で出てもいいんじゃないのか。
「え、英里。あの、」
「センパイ、オレのことあんまり怖くなさそうっスね」
俺の小さい声を遮って、英里がニコニコ笑う。不意を突かれて、つい彼の顔をじっと見た。
意外と、そこまで笑ってない。口元はにっこりしてるけどなんか…目が笑ってないように見えた。
「いや…怖いよ。だって、」
「あ、やっとオレのことちゃあんと見た」
俺の話、聞く気ないのかな。
ちょっとムカついたけど、たしかに彼の言う通りだった。コイツがバイトで入ってきて3週間、マトモに顔を見てなかった。最初からあんまり気に食わなかったから。
「あのね、もしアレだったら、言ってくださいね。忘れたい、とか」
「…?どういうこと」
「ほら、オレ、そういうの使えるから。記憶操作?みたいな。消せるんスよ、記憶」
人差し指をチョイチョイと回して、英里は軽く言った。オレの事に関してだけ、ね。と付け加えて。
(まあ…エイリアンだから、そのくらいできるか…)
異星人と対峙しているこの異様な状況、だんだん俺の感覚も麻痺してきていた。
「別にいいよ。ていうか…覚えてても忘れても、たぶんあんまり変わんない」
ーーーとっくのとうに分かってたよ。
こんなことで優位に立てるはずがない。だって、コイツはエイリアンだって言ったって、みんなは信じない。英里がエイリアンの姿にならない限り、俺が大嘘つきの頭がおかしいやつに見られて終わりだ。
なにも変わらない。俺の暗さも、コイツの明るさも。
「……そうっスか!」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「いんやぁ、カワイソセンパイとオレだけの秘密できたみたいで、ウレシっス」
「はぁ?なんだそれ。へんなの」
はっ、と乾いた笑いを吐いた。嬉しい?そんなの1ミリも思ってないくせに。ああ、こうして相手を喜ばせる言葉をポンポン言えるものだから、周りにチヤホヤされるんだ。なるほどな。なんとなくギミックが分かった気がした。…だからって、別に何もないけど。
(ーーーだってカワイソセンパイ、いつもオレに冷たいから。)
英里の腰から飛び出た1本の触手が犬の尻尾のようにブンブン揺れていたことは、河井曽は知らない。
*
「英里くーん」
「はーい!なんスか〜」
「こっちのさァ………」
次の日。
昨夜の出来事は夢だったのかと思うくらい、何も変わらない1日を過ごそうとしている。
というか、たぶん夢だったと思う。
だって英里は何事もなかったように挨拶してきて、普通に仕事してる。もちろん、エイリアン要素はどこにもない。
(SF映画の見過ぎか………)
最近そういうモノにハマってたから、夢にまでエイリアンが出てきたのかもしれない。
きっと、そうだ。
今日も変わらない毎日が始まる。3年目の俺より、3週間目の英里が名前を呼ばれる。すっかりみんなの人気者で、あだ名なんてつけられて。俺なんて、ただ3年もいて仕事が少し出来るから話しかけてもらえるだけで、本来だったら……
そう思うと、ゾクッとした。
「ちょっと!なにボーッとしてんの」
「…あっ!は、はいっ!申し訳ありません」
いけないいけない、俺の悪いくせだ。何かあるとすぐ考え込んでしまう。目の前に客がいるのに、これなら怒られても仕方ない。
ーーーしかし、良くないことは連続で起こるものだ。
「、あれっ?」
「もーーー……何?なんか音鳴ってるけど」
「あ、ま、間違えました!えっと、取り消し…」
「ねえ、あなた新人でしょ?もっとベテランの人呼んできなさいよ」
ーーーグサッ。
たしかに、心に深く突き刺さった音がした。
指が震える。
視界がチカチカする。
(仕事ができない俺って?)
(存在価値が、あるのか?)
「あー。センパイ、オレがやりますから、商品読み込んでください」
隣に金髪が来た。
ーーー英里だ。
「え…あ、の」
「ほいほい。ほら、同じ商品2回読み込んだだけっスよ。これでまた読み込めば大丈夫っス」
「あら、あなたベテランの子?若いのにすごいねぇ」
「いやいや!オレ、まだ入って3週間っスよ」
「あらまぁ〜〜こんなにテキパキして有望ねぇ〜〜〜」
「そんなことないっスよ〜」
まだ、頭がドクドクしてる。
3年目なのに、新人だと思われた屈辱。
新人の英里に助けられた恥ずかしさ。
まだ手が震えてる自分の情けなさ。
…英里が来て助かったと、心の底からの安心。
「…あ、英里、」
「センパイ、ボーッとしてたでしょ。まあ、オレもそういうのたまにあるし、ドンマイってことで!」
「…………」
この時ばかりは、英里に対する嫌悪は無くなっていた。むしろ、感謝しなければならないとまで。
そして…
行き場のない嫌悪感は、真っ直ぐ自分の心に突き刺さっていた。
(くるしい)
英里が悪いんじゃない。英里が特別チヤホヤされてるんじゃない。
俺が、出来損ないなだけ。
それを認めたくなくて、罪もないアイツを妬んでたんだ。
(…泣きたい)
*
仕事終わりの夜。
いつものようにゴミ掃除を押し付けられ、俺はせっせとゴミを集めていた。
せめて、与えられた仕事は一生懸命こなす。それがゴミ当番でもしっかりやりきれば、いつかみんなに認めてもらえる。
他人を妬む前に、まず自分が頑張る。そんな当たり前のことも忘れてしまっていた。
(あ……)
そして、この時間は……
「…うわ」
「!」
びくり!とデカイ影が震えた。
俺を見て安心したのか、シュコ〜〜〜〜……と安堵のため息のような呼気が漏れる。
やっぱり、夢じゃなかったんだな。でも怖くはなかった。コイツには俺を襲う気なんて無いことは分かってるから。
またグジュグジュと音を立てて縮こまり、だんだん英里ユウタの姿へと戻っていく。本人からすれば、英里ユウタの姿に変身している、と言えるが。
「ふうっ。まーた見つかっちゃいましたね」
「そりゃそうだろ。俺、ゴミ当番だから」
「あれ?センパイ、オレがココ来てからずっとやってません?」
「………いいんだよ、そんなことは」
にへへ、と笑う。なにがそんなにおかしいんだか。
「センパイ、オレのこと誰にも言ってないっスよね」
「言わないよ。言っても信じてくれるわけないだろ」
「うん、うん。言わないよなぁ、センパイだったら」
なんだか上機嫌のようだ。人生楽しそうでなによりだよ。
そこで、俺はあることをふと思い出す。
「あ…そうだ。昼間、ありがと。助かったよ」
「あ〜いいんスよ、お互いサマって、言うでしょ」
昼間に英里が助けてくれたことは、感謝しなければならない。そういえば礼を言ってなかった。
よくよくちゃんと話してみれば、やっぱり悪いやつじゃなかった。そんなの、分かりきってたことだけどさ。俺が捻くれてただけだったんだ。
「……ん?」
…ふと地面を見ると、街灯のわずかな灯りに照らされてなにかがキラキラ光っていた。見覚えのあるアクセサリーだった。
昼間の嫌な記憶が蘇る。俺のこと新人だって言い放った、あの客が着けていた。たしか。
「なんでこんなところに…」
「ああ、それね。そりゃー、ねえ」
言葉を遮ったと思えば、なにか知ってる風に、英里は口籠る。
ーーー何?
なんか、胸騒ぎがする。
なんでこんなに頭が痛いんだろう。誰かに脳みそを鷲掴みにされてるみたい。
そういえば、いつもよりなんだか臭う。
ゴミだけの臭いじゃ、…ない?
「…なに?英里…なんか知ってるの…?」
「…………」
ゾクッ。
口元は笑ってるけど、目は全く笑ってない。
コイツの正体を最初に見た時と同じ恐怖が、また。
ーーーなんでなにもいわないの?
英里はこっちを見ていたけど、俺を見ていなかった。なんとなく、目の焦点も合ってない気がする。そこがどこか人間らしからぬ雰囲気をしていて、怖い。
「カワイソセンパイは知らない方がいいかなあ」
ひっ、と悲鳴が出そうになった。
冷たい手が、俺の手の上に重ねられた。
忘れた方がいいかなあ?と独り言なのか、俺に言ってるのか分からない喋り方で、何かを悩んでいるようだった。
「忘れた方がいいよね?」
「、は?」
「うん、その方がいい。じゃあ、家まで運ぶから、」
"オヤスミ。"
その声を最後に、俺の意識はブツンと途絶えた。