記憶の檻繁忙期とは言え、会社に泊まり込み、仕事を片付けて翌朝始発での帰宅。取引先の納期に間に合わせるため、仕方なく睡眠を削って仕事をしたが、流石に疲労感で全身が重い。擬音にすれば「ふらふら」という表現がぴったりなほど、疲れ切った足取りで自宅を目指して歩いていた。
男はまた、誰も待っていない一人暮らしのアパートに帰るのかと思うとさらに足取りが重くなった。
やや古びたエレベーターのボタンを押し目的の6階まで昇る。エレベーターの扉が開くと人が一人自宅の玄関の前で座り込んでいるのが目に入った。体育座りをして顔を膝に埋めるようにし、静かに呼吸していた。眠気で思考が回らない頭にも、衝撃が走った。パッと見、パジャマのような服を着たその人は、折れそうなほど細く、スリッパを履いていた。自宅の玄関の前に人がいる。驚いたが、よく見ると高校時代の親友ハンジだった。細い体を抱き抱えるように膝を抱いて寝ている体をそっと揺する。
「ハンジか?」
「っ、あ…リヴァイ?よかった引っ越してなくて」
ゆっくりと立ち上がった姿は記憶の中の彼女と程遠かった。第一にまだ3月の肌寒い季節にパジャマとスリッパでここにいる。そのパジャマもよく見ればパジャマではなく入院着だ。流石に何かおかしいと思い迷わず家に入れた。ブランケットでハンジを包んだ後に紅茶を出した。
リヴァイとハンジは高校の同級生だった。しかも三年間。入学した初日の座席でリヴァイの左隣に座っていたのが彼女だった。パッと見、男女共通のブレザーにネクタイの制服を着た彼女は男か女か不明であったが、下半身に視線を流せばスカートを履いていた事で判別した。
明るく快活な彼女は常にクラスのムードメーカーであった。そんな彼女が自分の親友だと触れ回ったのがリヴァイであった。高校在学中は毎日駅までの登下校を共にし昼も机を合わせて二人で一緒に食べた。漫画やドラマのように一目惚れではないが日々を共に過ごしているうちにリヴァイはいつしか彼女に惹かれていた。高校を卒業するまでこの気持ちはついにハンジには伝えなかったが、高校を卒業した3月。大学に通うために一人暮らしを始めた引っ越し祝いに尋ねてきたハンジにやや強引にキスをした。
そのキスが原因なのかその日以降ハンジに連絡しても返信が返ってくることはなかった。
親友から恋人になろうとする事はこんなにも失うものが多いのかと悲しんだ。
「一体どうしたんだ」
彼女が紅茶を飲み終わったのを確認した後に聞いた。
「リヴァイの顔、久しぶりに見たかった…なんて」
消え入りそうな声で呟いた彼女をよく見れば記憶の中の彼女と大きくかけ離れていた。快活だった彼女のキラキラと輝く瞳からは輝きが消え、元気だった茶色の癖毛は光沢がなくなり少し絡まっていた。
「辛い事があったのか?」
「きっとずっと辛かったのかも」
彼女の髪を梳かしてあげようと、ゴムで括ってあった髪の毛を解けば所々白く、丸く頭皮が見えていた。
リヴァイは会社に電話を入れ、熱が出たと言い訳して休んだ。今まで一日も欠勤してこなかったのだ。誰も疑う事はないだろう。