寝落ち電話しようとする🍅🌸の話慣れた手つきで布団を敷き、部屋の電気を消す。いつも寝る時間よりもまだ早い時間だが、とっくに風呂も歯磨きも済ませており、後は寝るだけの状態だ。いつもと違うのは布団の上でスマートフォン片手に梅宮の連絡を待っていること。
満月がカーテン越しに部屋の中へと薄明るい灯りを灯す中、正座をしてスマートフォンを握りしめる。しんと静まる部屋の中で聞こえるのはドクンドクンと騒がしい自分の心臓の音だけ。心臓が口から飛び出そうとはまさにこのことだ。早く連絡が来て欲しい反面、一言目に何を話すか考え終わるまで来ないで欲しいとも思う。何とも矛盾した気持ち。でも、このドキドキは嫌いじゃない。
「まだ、こねぇのかよ……」
桜が梅宮からの連絡を待っている理由。それは遡ること数時間前、梅宮に言われたある一言のせいだった。
◇◆◇
「寝落ち電話?」
「そう。寝落ち電話、しないか?」
まだ太陽がさんさんとアスファルトを照らす昼下がりの時間、ポトスで昼食を食べながら梅宮は桜にそんなことを言った。
今日の昼食のメニューはことは特製のたまごサンド。たまごサラダがたっぷりと入ったサンドウィッチは、桜がポトスでよく頼む数少ないメニューのうちの一つだ。一口噛めば、ふんわりとしたパンに挟まれたまろやかだがピリッとした黒胡椒の効いたたまごサラダと、シャキシャキとしたレタスが口の中に広がる。うん、今日も変わらずに美味い。通常のメニューよりもレタスが少なめに入っているのは野菜嫌いの桜を思っての特別仕様だ。本当は一枚も入っていない方が嬉しいのだが、桜が野菜を食べないと「ちゃんと野菜は食べないとダメだぞ!」と煩く言ってくる某総代がいるから、少なめにしてもらうことで妥協してもらっている。その某総代改め、梅宮が桜の隣で食べているのはBLTサンドだ。中に使われているレタスとトマトは梅宮自らが屋上の菜園で作ったものである。桜がきっと一生かかっても食べれなさそうなサンドウィッチを「うま〜♡」と満面の笑みで食べ進める梅宮を横目に、桜も負けじと手に持ったたまごサンドを食べ進める。
ちなみにこの二種類のサンドウィッチを作ってくれたことははと言うと、夜の営業に向け買い忘れたものがあるからと桜と梅宮に留守を頼み店を出て行った。「表の看板もクローズに変えたし、お客さんは来ないからちょっとだけ留守番してて!」と言われた通り、店内に新しく客が入ってくることはない。束の間の二人きりの時間だ。
「寝落ち電話ってなんだ」
「そのまんまの意味だよ。寝る時に電話してそのまま電話しながら寝る」
「ふーん」
「あんまり興味なさそうだな」
口元をペロっと舌で舐めながら桜にそう言う梅宮に「興味ねぇっていうか、普段こうやって話してるのに、家帰ってまで話す内容ねぇなって思ってる」と正直に返す。わざわざ電話しなくても、こうして隣にいる時に話せばいいだけでないのか。それに、直接話す方がなんというか、ちゃんと話してる気がするし。
「別に特別なこと話そうってんじゃないぞ?いつもこうやって直接話してるのが、電話に変わるだけ」
「なら今直接話せば……っ!?」
「どうした?」
「………梅宮っ、おまえ」
桜が話しているタイミングを見計らったかのように、隣同士で座っているカウンターテーブルの下でそっと梅宮の手が桜のそれに触れた。キッ、と桜が梅宮のことを睨もうが効果はないようで、ただ笑って返されるだけ。そのうち梅宮の手はスゥー、と桜の手の甲を滑り、やんわりと掌ごと握り込まれる。所謂恋人繋ぎだ。そのままずいっと、梅宮が身体ごと桜へと近づく。その距離、三十センチ。
身体を動かそうものなら、直接触れ合う距離に梅宮がいる。
「おいっ!」
「確かに、直接会ってる時じゃないと出来ないこととかもあるけどさ」
「っ、近い、梅宮」
いつことはが帰ってくるか分からないというのに梅宮は気にしていないのか、グイグイと桜への距離を詰める。そのうち繋がれていない方の梅宮の手が桜の頬へと伸び、スリッ…と優しく撫でた。
「う、めみや」
「桜。目、閉じて」
有無を言わせない言葉にぎゅっ、と目を閉じる。そのままこれから来るだろう衝撃に備えていれば、聞こえてきたのはリップ音では無くカシャ、というシャッター音。その音に閉じていた瞼を開ければ、目に入ったのは梅宮の顔では無くスマートフォンだった。
「……は?」
「やった、桜のキス待ち顔ゲット」
してやったり顔でこちらを見る梅宮に、漸く状況を理解した桜の顔が真っ赤に染まる。
「梅宮!てめぇ!何撮ってんだ!!」
「いやぁ桜が目閉じて待ってる姿が可愛くて……つい?」
「つい?じゃねぇよ!!今すぐ消せ!ついでに記憶も消せ!!」
「却下しまーす」
「ふっざけんな!!おい!!」
椅子から立ち上がり梅宮のスマートフォンに手を伸ばすが、体格のリーチ差は大きく桜の手が届くことはない。こんなところでも、恵まれた梅宮の身体との体格差を感じてしまう。それでも構わずに梅宮へと再び手を伸ばせば、逆にその手を掴まれそのまま梅宮に身体を抱き寄せられた。
「おい!」
「んー?」
「は・な・せっ!!」
「それは出来ないな、せっかく桜に触れられたのに。……もうちょっとだけ、な?」
「〜〜っ、少し、だけだからな」
「ん、ありがと」
梅宮のお願いに桜がめっぽう弱いことをきっと梅宮は知っている。知っていて、こういう時に使ってくるのだから狡い。桜だって、梅宮に触れられるのが嫌なわけではないのだ。
「桜ぁ」
「なんだよ」
「さっきの話だけどさ」
「あの、寝落ち電話がってやつか?」
「そうそう。早速今日やろうぜ」
「今日かよ」
相変わらず抱きしめられたまま会話は進んでいく。梅宮の方が身長が高いため、必然的に桜が上を見上げて話をしなければならないのは正直言って大変だ。でも顔を見ないで会話をする選択肢は無いため、そのまま上を見上げたまま梅宮を見つめる。そうすればちゅう、と桜の額に熱が触れた。
「隙あり♡」
「おまっ!……するなら、口にちゃんとしろ」
「え、いいのか?」
「一回!だけだからな!」
そう桜が言うが早く、梅宮の唇が今度はちゃんと桜の唇に触れた。離れる直前にぺろ、と桜の唇を梅宮の分厚い舌が舐め、熱は離れていく。
実はさっき寸止めされたのが心残りだったから、なんていうのは梅宮には内緒だ。
「今日の夜、寝る準備終わったら電話かけるから。出てな?」
「わ、かった」
桜が頷いたのを確認して「じゃあそろそろことは帰ってくるだろうから」と梅宮の身体がするりと桜から離れる。
こうして梅宮と桜の間で、初めての寝落ち通話の約束が取り交わされたのだった。
◇◆◇
「二十二時くらいに掛けるからな」と別れ際に言われ、家についてから桜は爆速でやるべきことを終わらせた。現在時刻は二十一時五十八分。なんとか二十二時前には終わらせることができたようだ。
もうすぐ、梅宮と約束した時間になる。電話なんてまともにしたことがないから何を話せばいいか分からない。梅宮はいつも通りでいいと言ってたけど、いつも通りってなんだ。いつもどんな話してたっけ。……やばい、思い出せない。どうしよう。
そんなことを考えていたら、手に握ったスマートフォンが軽快な音を鳴らした。来た……!宛先をみれば、今しがた連絡を待っていた梅宮から。言った時間ぴったりにかけてくるところが梅宮らしいなと思う。
ずっと連絡を待ってたとバレるのが恥ずかしくて、数コール置いて電話に出れば「こんばんは、桜」と電話越しの梅宮が言葉を発した。
「よ、よぉ」
「さっきぶりだな。もう寝る準備終わったか?」
「おう」
「そうかぁ。布団にも入ったか?」
「ま、だ……」
「あれ?そうなのか?」
「布団の上に、座ってる」
「なんだそれ」
梅宮がけらけらと笑う。電話越しの梅宮の声はいつも聞いている声と違って、少し低い。なんだか、いつもの梅宮とは違う人間のように感じて、桜の心臓がドクンと跳ねる。
「そのまま電話してると寒いだろうから、布団はいりな」
「でも、電話したままだと寝ずれぇ」
「スピーカーにすれば、横になったままでも電話出来るぞ。やり方分かるか?」
「ど、どうやんだ」
梅宮に教えてもらった通りに操作すれば、無事音声はスピーカーに切り替わり、耳に当ててなくても梅宮の声がはっきり聞こえるようになった。これなら確かに布団に入った状態でも話をすることができる。そのまま布団に入って掛け布団を被りながら横になり、スマートフォンを耳元に置く。
「上手く出来たか?」
「ん、出来た」
「そりゃ良かった」
「う、梅宮は」
「ん?」
「梅宮は、今何してんだ……?」
「オレも、桜と同じようにベッドに横になって、桜の声聞いてる」
そう話す梅宮の声はやっぱりいつもより低くて、なんだかもぞもぞする。話し方もいつもよりもゆったりしてる気がして、なんというか……大人だ。それに、耳元にスマートフォンを置いたおかげで、脳内に梅宮の声が直接響き渡り、ぞくぞくとした甘い痺れが桜の身体を駆け巡る。
「なんか」
「なんか、どうした?」
「なんか、いつもの梅宮じゃねぇみたいで……変な、気持ちになる」
「……桜」
「なんだよ」
「それ以上は、言っちゃダメだからな」
「なんのことだ?」
「あー、分かってないならいいよ」
「なんだよそれ」
少しムッとした声で桜が返せば、「そういうところだぞ」と梅宮が電話越しに小さくため息を吐く。
「そんなこと言われると、今すぐ部屋飛び出して会いに行きたくなるから。これ以上はダメ」
「なっ……!いきなり何言ってんだよ!?」
「しょうがないだろ!……電話越しのせいか桜の声いつもよりも可愛いし、変な気持ちになるなんていきなり言い始めるし」
「はぁ!?」
唐突な梅宮の言葉に、桜の体温がブワァ!と一気にあがる。真夏でもないのに身体が暑くてしょうがない。
「だから、これ以上は変な気持ちになるから、そういうこと言っちゃだーめ。……分かった?」
「お、おう」
わけもわからずそう返せば「いいこ」と電話越しの梅宮が笑う。その声はいつも以上に甘く、蕩けそうな声だった。
「お前だって、人のこと言えねぇからな……」
「なんの話だ?」
「……オレだって、梅宮の声聞いてると会いたくなるから、ダメ」
「…………桜」
「ダメだ」
「すぐ帰るから」
「何時だと思ってんだよ」
「今のは桜が悪い。……三十分で着くから、このまま電話繋いでて」
「はぁ!?まて。梅宮、なんか音」
それまで静かだった梅宮の電話越しの音がガタガタと騒がしくなる。耳を澄ませば衣擦れの音や、バタンと扉を閉めるような音が聞こえてきた。まて、まさか。
「近くなったら言うから、そしたら玄関の鍵開けてくれ」
「まさか、こっち向かってんのかよ!?」
「そのまさかだけど。さっき三十分で着くって言っただろ」
「本気だとは思わないだろ!?今すぐ引き返して帰れ!そして早く寝ろ!」
「無理。もう桜のこと抱かないと寝れねぇ」
「だっ……!何外で話してんだバカ!」
走って桜の家へ向かっているのか、ハァ、ハァと梅宮の息の切れる音が電話越しに桜の耳へと届く。
「桜が言ったんだからな、会いたくなるって」
覚悟して待ってろよ、と電話越しに告げる梅宮にドクドクと心臓が煩い。明日が休みでよかった。
間も無く来るであろう梅宮を一人部屋で待ちながら「あぁ、今日はもう寝れねぇな」と悟る桜なのだった。
この後どうなったのかは、二人を空から見つめる満月だけが知っている。