Body Swap「で、なんで俺たちなんだ?」
怪訝な顔をする風信に、慕情も不満げな表情を隠さない。
「帝君曰く、この術は力が強く法力も強い武神で試さないといけないらしい」
「それなら他にもいるだろ。裴将軍とか泰華殿下とか……」
「知らん! 帝君曰く、大体同じくらいの力で、その……気心が知れてる者同士がいいらしい」
後半部分に関して、帝君の認識ににわかに不安を抱いた風信は眉尻を下げた。
「き、危険はないんだろうな……?」
「私に聞くな! 帝君曰く……」不本意さを強調するかのように慕情は三たび繰り返す。「おそらくそれ程危険な事態にはならないだろうと」
「おそらく……それほど?」
「なんだその情けない顔は。とりあえず命令だ。さっさと片付けるぞ」
慕情は口をへの字に曲げたまま、袖から札を二枚取り出した。
「それが術の……」「うむ」
修位の高い武神二人がその術を使って法力を同時に交換し合うことで、両方の能力を一時的に得られる──そんな法術を霊文殿の神官が古書で発見したらしい。術を試してみる神官として、二人に白羽の矢が立ったというわけだ。だが、まだ誰も試したことのない術だ。何が起きるかは完全に未知数である。なにしろ強力な武神二人なのだ。
「俺の金殿がまた壊れるようなことにならないだろうな?」
「それは保証できないな」慕情がせせら笑う。
南陽殿の方が広いからと慕情が譲らなかった理由に気づくも、時すでに遅し。実験場に選ばれた自殿の無事を、風信は心の中で素早く祈願した。
二人とも決闘前のように体を硬くしながら向かい合い、しぶしぶ両手を体の前に上げた。そして互いの掌をそっとくっつける。二人の掌の間には札が挟まれている。
「では、互いに右手から法力を注ぐぞ。いいな?」慕情が言うと風信も頷いた。二人はそっと目を閉じる。
直後、二人は左手から相手の法力が流れ込むのを感じた。
凛として冷たい慕情の法力。
確固として熱い風信の法力。
明らかに自分と違う異質なものなのに、心地よい。
風信はこっそり薄く目を開けた。目を伏せた慕情の顔の美しさに思わず手が小さく震える。慕情が目を開け、風信は急いで目を逸らした。
掌の間に札が挟まってなければいいのに──そんな考えがよぎってしまったことを隠すように風信は顔をしかめた。
「さて、このくらいでいいか」
慕情の言葉に風信も若干残念な気持ちを押し殺して頷いた。そっと手を離す。
「別段変わった感じはしないな」
「そうだな。ちょっといつもより法力が多い気はするが」
「とりあえず試すぞ、弓矢を寄越せ」
手を出した慕情に風信はしばし躊躇した。
「……壊すなよ」
「私をなんだと思ってるんだ!」
目を怒らせる慕情に、風信は渋々、自身の弓矢を渡す。
互いの能力を引き継いだなら、慕情には風信の弓の能力が備わっているはずだ。
慕情が弦を引くと弓が霊光に包まれた。風信は目を丸くした。この霊弓は風信以外が持っても弦を引くことすら出来ないはずだからだ。驚く風信のまえで、引き絞った弓から放たれた矢は、遥か遠く空中に漂う的の中心を小気味よく射抜いた。
「ふん、これでは私の実力か術の効力かわからないな」と慕情が不遜に笑ったのと、風信が「なるほど、あながち出鱈目な術ではないらしいな」と顎を撫でたのは同時だった。気まずい静寂が流れる。
「ふん! では私の斬馬刀を振るってみればいい!」
「おう、よく見てろ!」
風信は慕情の斬馬刀をさっと奪うと勢いよく鞘から抜いた。
風信にとって斬馬刀を持つこと自体が初めてだというのに、何故か気がつくと体が動いていた。地を蹴る足。鋭く空を切る音。霊光とともに翻る刀身。風信がしなやかに着地した時、まるでその前に切り倒された妖魔の一軍が見えるようだった。
慕情は面白くなさそうに腕組みをした。その無言の表情が、風信の刀捌きの見事さを物語っている。
「ひょっとして俺は斬馬刀の才能もあっ……」
言いかけた風信を慕情が遮る。「なるほど大した術だな!」これ見よがしに目を丸くする。
二人の視線が冷たくぶつかり合った。
それぞれに自分自身の能力と地位を築いた二人にとって、今では互いの能力を羨むようなことはない。だが、こうして相手しか持っていない能力を自らの体で実感してみると、言いようもない恍惚感と漲る力を感じた。
「なかなか使える術みたいだな」「ああ、意外と悪くない」
認めるべくを認め、二人とも静かに矛を収める。
「ところで、私の元の能力はお前に吸い取られてないだろうな?」
慕情の言葉に一瞬視線を交わした二人は、同時に自分の武器を取り、くるりと互いに背を向けると、風信は弓を引き、慕情は刀を振るった。
「……大丈夫そうだ」風信がはぁと息をつくと慕情も「よし、問題ない」と頷いた。
「それにしてもなんだか……いつもより体が身軽に感じるような気がする」
風信は自分の体を軽く叩いた。
「あと、なんというか体の中心がしっかりするような」
「斬馬刀は腕で振るものではないからな」
慕情が肩を竦める。「体幹がしっかりしていないと使えない」
「ちょっと待て」風信が眉間に皺を寄せる。
「能力が備わるだけじゃなくて体も変わるのか……?」
慕情の表情もわずかに変わる。
「とりあえず顔は変わっていないようだが。能力に関係する部分については体も影響を受けるというこ……おい、何をしている⁈」
慕情が目を剥く。恐る恐る体のあちこちを触ってみていた風信が、袖から腕を抜き、上衣を脱ぎ始めたからだ。
「腕と胸はそれほど変わっていない。俺の筋肉は落ちてはいないな」
上のほうをぺたぺた触っていた風信の手が腹の方へ動くと、そこを調べるように撫でる。
「最近ちょっと腹回りの鍛錬が出来ていなかったんだが、なんかいい感じに腹筋が……。慕情、お前の腹筋のつき方は悪くない」
慕情は突然、自分の体が白日の下で裸にされたような気分になり顔が赤くなった。そんな慕情の様子に気づかず風信は左右に腰を捻っている。
「筋肉のつき方も混じっているのか……。ふむ、慕情、どうだこの俺たちの融合体の体は?」
「……アツい」
「お前にしては素直──」
笑いながら風信が顔を上げる。だが慕情は風信の方を見てはいなかった。
「体が暑い……!」
慕情は恐る恐るといった様子で胸のあたりに手をあてていた。
「それになんか……なんか、分厚い!」
思わず風信もまじまじと見つめた。どちらかというと慕情の体は細身だったはずだが、よく見るといつもより上半身に厚みがあり肩幅も僅かに広く見える。
風信は思わず慕情の上衣の合わせに手を伸ばした。
「な……なにをする!」
慕情が我に返りその手首を掴む。その勢いで僅かにはだけた胸元から、盛り上がった胸筋の端が一瞬見えた。
「恥ずかしがらなくても、俺はお前の体を見たことくらい……いや俺の体、か?」
「やめ……」
「慕情、これは実験だぞ。何が起きるか確認する必要が……」
その時、慕情が口を開いた。
「手をはなしやがれ!!!このクソ変態将軍め…!!」
怒鳴り声が響いた。
風信は固まった。だが固まったのは風信だけではなかった。慕情も自分の口から出た怒鳴り声と口汚い言葉にギョッとしたような顔をした。
「慕……情?」
思わず口元に手の甲を持っていった慕情は一歩後退り顔を真っ赤にしながら振るえる指で風信を指差した。
「お、お前のせいだ! お前が、そんな下品でどうしようもないうるさい奴だから!」
風信の額にも青筋が立つ。
「ふん! そうだな、いつだって何があっても俺のせいだって言うんだろう⁈ いや、ちがう、何か悪いことだけは俺のせいなんだよな? 誰かになにかをあげるのは大嫌いなくせに、自分を棚にあげるのだけは上手いときてる。お前は所詮そういう奴だ!」
風信は一息でそう言ってのけ──そしてぐるりと目を剥いた。
「おま…お前、今白目を剥いたな⁈ クソっ、腹が立つ!!」
その言葉に風信は眉間に皺を寄せた。
「俺、今白目を剥いたか……?」風信が恐ろしそうに小声で聞いた。
「あ、ああ」慕情の顔の上気も心なしか引いていた。
「性格は能力に関係ないよな…」「たぶん」
静寂がながれた。
「とりあえず、この術はそんなに長くは続かない、よな?」
「おそらく」
二人は見つめ合い、溜息をついた。
「なんなんだこの術は、まったく」
腰に手を当て首を振っていた慕情が顔を顰めた。
「しかしなんか下衣がきついな」
「腰回りにも筋肉がついたんじゃないか?」
「ふん、私だって元からついて……」
突然慕情の言葉が止まる。
「どうした」風信が聞くと、下腹の下の方へ手をやりながら慕情が再び怒りに染まった顔をゆっくりと上げた。
「こ……このクソ巨陽将軍……!!」
爽やかな天界の空に、玄真将軍のものとは思えない馬鹿でかい怒号が響き渡った。
「さて、術を試した結果はどうであった? 使えそうか?」
君吾が厳かな声で目の前の二人の武神に尋ねる。
「はい。……一応は」慕情が答える。
「一応? 何か不都合でも起きたか?」
風信と慕情は素早く視線を交わす。
「少しばかり、予想外の影響がありまして」風信が言う。慕情が続けて説明した。
「確かに相手の能力を得ることはできました。その意味では、実戦で利用できるかもしれません。しかしこの術は、相手の全てを受け入れられる者たちでないと利用は危険かと」
風信も沈痛な面持ちで頷く。「ええ。全てを、です」
君吾は、こめかみに手をやりながら小さく溜息をついた。
「お前たちの言わんとすることは、大体わかった。ご苦労だった」
下がってよい、と軽く手を上げると、二人は拱手した。
君吾は、神武殿を出ていく二人の背を見つめた。
神官の持つ一部が混ざりあうような術は、慎重に扱わねばならない──それを重々承知している君吾はしかし、あの二人を選んだ判断は正しかった、と思った。
理由の一つは、単に、あの二人なら何か起きようとも今以上に関係が悪くなるという心配がないからである。
もう一つの理由は──
彼らは、互いに認めるべくは認め、認めることを許せないところは決して認めようとしない。しかし実のところは、彼らはそのどちらの部分もすべて纏めて、お互いを認めているのだ。
──たとえ、二人とも頑なにそのことを認めようとしなくても。