きみにささやかな贈り物を「これ、女の人向けのものじゃないですか?」
「その通りだけどね。料理をするきみになら指輪よりもこちらの方が良いと思ってね。そう高価なものでは無いから受け取って欲しいな。」
間接照明が照らす洒落た喫茶店二階の年季の入ったウォールナットの机の上、高級感のある箱の中に、華奢なピンクゴールドのチェーンの真ん中にきらきらと煌めく小粒の石が光るネックレスが収められていた。高価なものでは無い、というのは嘘では無さそうだが、あくまで浄が身に付けているいかにも高級そうなスーツや眼鏡などに比べればの話だろう。恐らくデパートのカウンターで売られているもの、それだけで紫苑にとっては十分高級品だ。
「ふと入った店で店員のレディが成人のお祝いなどに贈るようなシリーズだと説明してくれてね、きみの顔が浮かんだんだ。もうすぐ誕生日なんだろう?」
浄に誕生日を教えたことはあっただろうか。記憶には無いが、紫苑は自分が話した言葉を逐一覚えている訳では無い。浄はまめな男だ、ふと話題に出した日付を覚えていたのだろう。
「ほら、付けてみてよ。」紫苑は慣れない手つきで小さな金具を止めた。贈り主にじっと見つめられながらネックレスを付けるのは、少し気恥ずかしかった。
慈玄は紫苑の胸元に窓からの夕日を受けて光る見慣れない輝く石を見つけた。美しくカッティングされたその石は、色や透明感からしてカオストーンには見えない。慈玄にアクセサリーの価値は分からないが、少なくとも慈玄が普段利用する服屋に並ぶシルバーアクセサリーよりは高価なものに見えた。基本的に地に足についた金の使い方をする紫苑がそういったものを買うところは想像がつかない、きっと最近よく一緒に出かけるというあの男から贈られたものだろう。
紫苑があの男に誘われて甘いものを食べに出かけるようになってから、紫苑の持ち物に見慣れないものが増えた。この間は教育地区の公園でパトロールをしていたら、胡散臭い笑みを浮かべたあの男が現れて「深水に渡してくれ。貰った菓子のお礼だよ。」と言って、なにか柔らかいものが入った洒落たロゴのプリントされた紙袋をことづけられた。もちろん何が入っているのかを見てはいないが、きっと最近紫苑が膝に掛けている、見慣れない淡い紫色のチェック柄のブランケットが入っていたのだろう。毎度洒落たお礼を渡す浄のことを、律儀な男だと思う。そういうところは尊敬できるとも思う。しかし、何故女性が好むようなもの、しかも身に付けるものばかりを贈るのかは理解に苦しむ。紫苑にもしやあの男と付き合っているのかと問えば、そういう仲ではないと言う。紫苑が誰と親しくしようと、慈玄の知ったことでは無い。しかし同居中の人間の持ち物から一二も歳上の胡散臭い夜職の影を感じるのはどうにも居心地が悪かった。
この間など、二人で使っているシャンプーがいつもドラッグストアで買っているものから洒落たボトルのものに変わっていたのだ。乾かした髪から花とバニラの混ざった甘い香りが漂うので、慈玄は歯を食いしばりながらライダーフォンの買い物メモに「シャンプー」と打ち込んだのだ。
いつもシンクの食器を片付け終わった紫苑が取り出すピンク色のチューブに入ったクリームも、きっとあの男から渡されたものだろう。今まではおばあちゃんの鏡台に置いてあるような、尿素〇%配合などと書かれた色気のないクリームを塗っていたのだ。今度浄と顔を合わせたらなにか文句を言ってやらないと気が済まなさそうだ。
浄は以前自分が贈った色付きリップクリームの色にほんのり染まった唇をぼうっと眺めていた。白いシャツの下にピンクゴールドの一粒ダイヤのネックレスが輝いている。紫苑には浄をおかしくさせる魔力があった。気立てが良くて気が利いて料理が上手くて……浄はそういう殆どの男が語る理想の女像に今ひとつ共感を示せなかった。それに、男より女性と一緒にいる方がずっと楽しい筈だったというのに。それが、一人で街に出かけてもついこれは紫苑に似合いそうだとか、紫苑を連れて来れば喜んでくれそうだとか、この食材は紫苑が興味を持ちそうだとか、そんな事ばかり思い浮かぶようになった。
浄は顔に手を当てて思考を追いやると、スマホを取り出して女性からのメッセージに返信を送っていく。浄にとって女性達と過ごす時間は、浄の抱えるものを少し軽くしてくれる、無くてはならない時間だ。自分との会話やデートで満たされた顔を向けてくれる女性と過ごす時間を、浄は愛していた。それがなんだ、紫苑と一緒にいると自分が自分で無くなるような感覚があった。あの柔らかい笑顔を向けられると、まるで着込んだ鎧を溶かされるような気分になる。彼の楽しげな笑い声を聞くと、初めて恋を覚えた男子高校生のように胸がときめいた。
二人っきりの時間に他の女性への返信を送るなど普段の浄にとっては言語道断の行為だが、浄にとって毎日のルーティンになっているこの行為が、なんとか我を取り戻すために唯一思いついた方法だった。
紫苑に何故女性ものばかり贈ってくれるのかと問われたことがある。紫苑に似合うと思ったものを選んだだけだと言った。それは嘘ではなかったが、なにより贈った色付きリップクリームの色に唇が色づき、水仕事でかさついていたキメの細かい手が潤うと、己に小さく芽生えた支配欲がふわりと満たされるのだ。可憐な花を摘み取るような真似はしたくない、より美しく咲くための手伝いをしたい、これは浄の本心だった。それに、誰かからのプレゼントだと分かるものの方が良い。紫苑が他の男と住む家に帰る背中を見つめるとき、部屋で自分の贈ったものを身につける彼の姿を思い浮かべると、胸のすく思いがした。
慈玄に紫苑への恋愛的な好意があるようには見えなかったが、起きがけから顔を合わせて毎日手作りの料理を食べさせる関係の相手がいることが、浄の嫉妬心を刺激した。
紫苑はあれをやってみたい、これが食べてみたいと自分を誘ってくるあっても、なにかものを欲しがることは一度も無かった。女性とのデートのようにキスやその先を求められることも無かった。故に紫苑のためになにかしてやれないと、自分が紫苑の何にもなれていないような気がしたのだ。まめに贈り物をするのは、殆ど自分のためかもしれなかった。