「葵ちゃんじゃん!おひさ!」
バッセン近くのラーメン屋の暖簾を千早と潜ろうとしたところで、知己の声が聞こえた。
声の方向を振り向けば、プリン頭でジャージを着た女性──越谷がいた。その隣には、ツインテールのスーツ姿の見知らぬ女性。
「会うのは久しぶりっすね。ホーキ持ってるってことは、仕事帰りっスか?」
「そ。近くで怪異退治あってさ。今日は時間も時間だから直帰。ラーメンでも食べて帰るかっつーっことで、ココに。仕事終わりには肉っしょ!この辺でラーメンと肉食べるんなら、この店一択だべ」
ホーキを肩に担いだ越谷が見るのは、藤堂が今まさに入らんとしている店。
確かに、ここのチャーシュー麺は有名だ。チャーシューに厚みがありながら、適度な脂身のそれは女性でも無理なく食べられるほど。そのほどよい豚肉の脂身に合わせた醤油ベースのスープと中太麺もまたウマい。
がっつり食べたいという欲を叶えつつ、こってり系は遠慮願いたいというタイプの希望を叶える店。
越谷の隣にいる女性は小柄で、大食漢には見えない。越谷の欲求と、隣にいる同僚を配慮したラーメン店ならここになるだろう。人生だけでなくラーメンの師匠の越谷なら納得の選択だ。
「「お知り合いの方ですか?」」
藤堂と越谷のツレから漏れたのは、同じ疑問。確かに事情を知らぬ人間が見たら謎の接点だ。世代も性別も違う。
越谷と視線を合わせる。それぞれ、紹介し合おうと頷きあう。
「カナち。紹介すんわ。あーしのバッセン仲間でラーメン同志の藤堂葵。高校……何年生だっけ?」
「二年生っス」
「そうそう。花も恥じらう高校二年生。ぴっちぴっちの現役DK」
「でぃーけー」
「葵ちゃん。あっしの隣におわしまするが、我が社マジルミエの頼れるブレーンで魔法少女。カナちこと桜木カナ」
「は、はじめまして!桜木カナです!本日はお日柄もよく、越谷先輩には日頃から大変お世話になっておりまして……」
「カナち。これ見合いでも仕事でもないから」
がっちがっちに緊張する桜木。年上ではあるが、ツインテールという可愛らしい髪型とも相まってほっこりする。己の姉の図々しさと厚かましさと比べてしまうので。同じ成人女性でもこの違い。あの太々しさは年ではなく性格ゆえだと再確認する。
「初めまして、桜木さん。越谷さんとはバッセンで会って、ラーメンの好みも似てるっつーんで世話になってます。俺の方が年下なんで、気楽にしてください」
「はいぃ!!」
カチコチの返事が返ってくる。かえって緊張させてしまったようだ。
藤堂のガタイは同年代に比べてもいいし、金髪・長髪・三白眼のために威圧感を与える。だから初対面の相手には配慮しろと姉から指摘を受け、気を付けたつもりだったが失敗だったようだ。越谷とは、初めてバッセンで会った時からフラットに会話ができているのだが。越谷の性格によるものが大きいのだろう。
それはそれとして、隣の相棒を紹介する。
「こっちは俺と同じ野球部でチームメイトの千早瞬平。今はバッセン行った帰りです。バッセンで何食べるか賭けてて、今日は俺が勝ったんで。ラーメン奢ってもらいにココに来ました」
「初めまして、越谷さんに桜木さん。藤堂くんと同じ小手指高校に通ってる千早瞬平です」
にっこりと笑う。スマイルゼロ円。さすが、年上とのやり取りは慣れている。おじさんでも野球関係者でもない分、楽な遣り取りなんだろう。同じスマイルゼロ円でも、いつもの八割増しで決まってる。
「うっす!よろしく!」「よろしくお願いします」
気持ちよく挨拶を返す越谷と、ぺこりと頭を下げる桜木。
そこまではよかったが。
「……どうしたんスか?」
越谷は顎に手をかけて、藤堂と千早を見ている。
何か気になることでもあるのだろうか。
暫しの間の後、越谷はうんうんと一人納得したかと思うと藤堂の背中をばんばんと力強く叩いた。
「よかったなー!葵ちゃん!無事付き合えたんだ!」
「は?」
「隣にいるメガネくんっしょ。葵ちゃんの好きな子って。よっし、ここはお姉さんが奢ったる。祝言だ。遠慮しなさんな!」
越谷の勢いと比例して固まる千早と桜木の空気。
「……藤堂くん」
千早の呼びかけに、びくりと反射的に肩が動く。
「俺、付き合う時に言いましたよね。『誰にも喋るな』って」
ぎぎぎと、何とか横を振り向けば、千早の満面の笑みがあった。心の内と不一致の表情を外に出せる千早は本当に器用だ。
「説明してもらえますよね。場所は、……藤堂くんの家でいいですか?」
頷く以外の選択肢は、藤堂にはなかった。いくら今日のバッセンの賭けで勝ったのが藤堂で、千早にラーメンを奢ってもらうことが確定していてもだ。
千早の言う通り、付き合っていることは誰にも漏らすなと告白した時に言われた。その上での、千早が見知らぬ相手からの祝いの言葉。千早の怒りも尤もだった。
完全に濡れ衣ではあるが、どうやって千早の疑念を晴らそうか。藤堂は頭を抱えた。
「すんません、越谷さん。桜木さんも、家にまで来てもらっちゃって……」
「いいってことよ。元を辿れば、あーしが原因?なんだし」
千早は藤堂だけを尋問にかけるつもりだったようだが、そこに待ったをかけたのが越谷だった。曰く、「ダチのピンチに逃げ出すんなんざ、女がすたるってもんよ」とのこと。──俺はそんな危険な目に遭いそう見えたのか。
千早からも否やはなかった。越谷からも話を聞きたかったようだ。
桜木は、自分は部外者だから帰ると申し出たが、越谷が引き留めた。乗り掛かった舟だし、第三者がいた方が冷静かつ安全な話し合いができるという越谷の意見によって。
千早にボコられる未来でも越谷には見えているのか。そうツッコみたかったが、安全かつ速やかに千早の誤解を解きたかったのも事実なので、越谷の提案に従うことにした。
戦々恐々としながら、三人を自宅に案内する。
姉と妹は外出でいないので、三人にはダイニングテーブルに座ってもらう。冷蔵庫に冷やしてある水出しの麦茶をグラスに注ぎ、机に置き、藤堂も椅子に座り。
──どこからともなく、ゴングの音が聞こえた気がした。
「藤堂くん」
「はい」
「まず、君と越谷さんの関係は?」
「んな大げさなもんじゃねェよ。バッセンで会ううちに、知り合いになっただけ。どっちもラーメン好きだから、バッセン帰りに一緒に食いに行ったり。あとは、そうだな。越谷さん、いろんな店よく知ってから、どこのラーメンがうまいとか聞いてるんだよ」
「……君のチョイスにしては、いい感じのイタリアンに連れてかれることがありましたが。なるほど、越谷さんの紹介でしたか」
ラーメンの情報だけで、ここまで察することができる千早の頭が今は怖い。やましい話ではないが。
千早への好意を自覚するようになってから、藤堂は千早が好みそうな飲食店を調べるようになった。
ただ、千早の性格と舌を満足させられるような店を藤堂は知らない。
そのために頼ったのが越谷だった。姉もその手の店は詳しいようだが、姉に訊くと深堀されて面倒なので、越谷に訊いたのだ。
越谷から紹介してもらった店は、バッセン後や休日、千早と一緒に行ったりもした。千早の好みにあったようで、よくこんなお店を知っていると感心されたのだが。内心では藤堂がその店を選んだことに違和感があったらしい。
「正確にはカナちと、ウチの営業の翠川情報な。あーしはラーメンと肉出る店しか知らんから」
越谷の隣に座る桜木にも世話になっていたらしい。
藤堂がメッセで質問したとき、越谷は詳しいヤツに訊いてみるわー、と返ってきたが。なるほど。その詳しいのが桜木だったらしい。
「他に君、越谷さんに何を喋ったんですか?」
「喋ったけど喋ってねぇ!千早の名前も出してなきゃ写真も見せてない!ただ、話の流れで好きなヤツのことになって。……好きなヤツいんだけど、告れないとか、そんな感じの」
「女子ですか」
「男でもすんだろ」
「メガネくん、葵ちゃんの話はホントだから。クラスが同じの、眼鏡かけててツンデレで負けず嫌いで野球が大好きな子に恋しちゃってるって、甘酸っぺぇ話しか聞いてねぇから」
「越谷さん、それフォローになってないです」
的確な桜木のツッコミが入る。
「どうして俺と藤堂くんが付き合ってると?」
千早の疑問は尤もだった。藤堂は千早の特徴は越谷に伝えた──性別を除いて。千早と付き合うようになったのはつい最近だが、その報告だって越谷にはしていない。
だというのに、藤堂と千早が一緒にいただけで、越谷は自分達が付き合っていると見抜いた。
先程会った時に越谷が得られた千早の情報と言えば、「眼鏡で野球をする」ということぐらい。それに千早は男。世間一般では藤堂とはお付き合いをしない性別で、藤堂の恋人と断言するには判断材料が足りないはず。
千早が「藤堂が千早とのアレコレを洗いざらい越谷に喋っていた」と濡れ衣をかけたのもやむを得ない話ではあった。
越谷に三人分の視線が集まり。
「勘だべ。」
ドヤァと言い切る越谷。そういういえば、こういう人だった。
一気に肩の力が抜ける。
証拠も何もないのに、信じさせる何かがある。千早も先ほどまでのイラつい空気が消えているので、越谷の言葉を信じたのだろう。
「……藤堂くんが女子だったら、こんな感じだったんですかね」
「いや、この人の方が豪快っつーか、ずっとスケールがでけェよ……」
「さすが現役魔法少女。丹力が違いますね……」
「越谷さんは魔法少女としても優秀で格好いいですけど、魔法少女の平均水準ではないです。魔法少女にも、いろんなタイプの人がいます」
暗に越谷は規格外だと桜木が指摘し。それもそうか、と千早ともども藤堂は納得する。
こうして藤堂への疑惑は、越谷のおかげで意外なほど呆気なく晴れた。そもそもの事の発端が越谷だったというのは、脇に置いておく。
せっかくだから夕飯を一緒に食べないかと越谷と桜木を誘ったが、また別の機会にということで辞退され。現役魔法少女二人は帰って行った。
「今日はラーメン、すみませんでした。今度奢ります」
「それは別に。俺もびっくりしたし」
千早からの素直な謝罪。バツが悪いのだろう。
元はと言えば、男同士が並んでいるだけで付き合っていると見抜く越谷の勘が規格外だっただけだ。──恐るべし、越谷仁美。魔法少女こえェ。いや、越谷は魔法少女の平均ではないと桜木が言っていたか。
「夕飯どうするよ?腹減っただろ」
「作る気力ありますか?」
「あんまねーから、パスタ茹でっか。ソースは市販ので。サラダだけ作るわ」
「手伝いは?」
「野菜洗うから、水きって、レタスちぎって皿に乗せてくれればいいや」
そうして藤堂は鍋に水を入れ湯を沸かし。千早と食べる夕飯の支度を始めるのだった。