レモンティーの話 都内でよくある小型スーパー。その道路沿いに箱ごと置かれている特価の500mlペットボトルに入ったレモンティー。
宝谷での練習の帰り道。葉流火と歩いて帰っていた時に、なんとなく視界に入った黄色いラベル。
「圭、どうしたの?」
その何となくを、珍しく葉流火が気に留めた。
「なんでもねェよ」
実際に、大した話ではない。けど、葉流火の視線は圭から離れない。こうなると、圭が答えるまで葉流火は納得しない。
「CMで見ただけだ」
視線を向け、ペットボトルを示す。朝食時に見たニュース番組のCMで映っていた紅茶飲料。“しあわせのはじまり”を謳い文句にしていたから、なんとなく覚えていた。それだけだ。
だから目に留まったと。
ネタ晴らしはしたからもういいだろうと歩き始めれば。
葉流火は圭を無視し、黄色いラベルのペットボトルをむんずと掴み、店内へと入った。
「は?」
追いかけるまでもなかった。入口からも見えるレジに、葉流火はそのまま直行したから。他にレジ待ちの客もおらず、圭が声をかける間もなく会計まで済んでしまう。
「圭」
店内から戻ってきた葉流火から差し出されたのは、スーパーのロゴが印字されたテープが貼ってあるペットボトル。
「……お前が飲むんじゃないか」
「飲んだら、怒るだろ」
「それを俺に渡すのか」
「飲みたいのかと思って」
真夏ほどでないが、春先にしてはそれなりに暑い日差しに晒されていただろう紅茶飲料。せめて冷えた物を買ってもいいのではないかと思ったのは一瞬。葉流火にそんな気遣いは求めてはいないし、必要もない。
ラベルの成分表を見れば、よく見る甘味料の名前が最初に書いてある。
じーっと圭を見る葉流火。
「飲めばいいんだろ」
ペットボトルのラベル裏面あった成分はスポーツドリンクにも入っているからと、自分を納得させる。
キャップを開け、一口飲み込む。
「甘いな」
メーカーの売りであるフルーティーな茶葉の香りも、レモンの甘酸っぱさも、生ぬるさでぼやけている。その上、温度のせいで甘みが必要以上に舌に残る。
「ほら」
ペットボトルを差し出す。葉流火は不思議そうな顔をしている。
「お前が買ったんだろ」
自分の許可なく要圭の意図を汲み取った清峰葉流火が悪いのだとは、口には出さない。表情にも出さない。空気でも悟らせない。
ただ、こんなイケないものを飲む共犯者にしてやると、視線で、口で、表情で、訴える。
葉流火は、いつもの無表情で受け取る。圭の意図など知らないように。──それが正解だ。
圭よりずっと大きな手がペットボトルを掴む。指先が触れ合ったのも、その予想外の温かさも、たまたまだ。
淡い琥珀色の液体を葉流火は口にする。
こくりと、太い割に静かに上下する葉流火の喉。
「……あまい」
微かにへの字に曲がる眉と口。
それはそうだろう。葉流火が甘味に触れる機会はあまりないのだ。
菓子類は食べないようにと葉流火に指示している。必要な栄養素が少ない割に、脂質と糖質ばかり多い食料を摂取する必要性は薄いから。
葉流火の母は料理にあまり砂糖を使わない人だから、なおさら甘みには慣れていないはずだ。学校給食のデザートやスポーツ飲料が一番の甘味ではなかろうか。甘い味付けを好む母がいる圭の方が、まだ甘さに慣れているだろう。
──葉流火がこの顔をしただけで十分だ。圭の意地悪で、不要な栄養やカロリーを摂取させる必要もない。
ペットボトルを葉流火から取り上げようと腕を伸ばし。圭から逃げるように上に持ち上がったペットボトル。
そうされると、圭にはどうしようもない。葉流火との差を事実として認識していても、ほんの少し、腹が立ってしまったのはやむを得ないはずだ。
「葉流火」
「俺が飲む」「ヤダ」「ぜんぶ、俺の」
重ねられる言葉は、葉流火の意思表示。野球でもないのに──いや、野球じゃないからか。
「……しょうがねェな」
常飲しなければ問題ないだろう。念のため明日のランニングを増やす分数を脳内で計算し。
ほら行くぞ、背中を叩き、歩き始める。
もう既に薄暗くなっているコンクリートの道を。