レモンティーの話(変わっていた日常) 部活帰りに要くんが「アイス食べたい!」と言い出した。
暑い日差しのなかで練習した身体は疲れ切っていて、その提案は意外にも魅力的に感じられ。
急ぎ帰る予定も皆ないということで、学校近くのコンビニに野球部一年で寄る。
言い出した本人の要くんはコンビニに入ってもアイスの売り場には直行せず。
入口左手の雑誌コーナ──というより露出度の高い女子が表紙の雑誌をじっくり眺めた後に、ペットボトル飲料の冷蔵庫を視界に入れ。
「これ、モモちゃんが出てたヤツ!」
冷蔵庫の扉を開け、要くんが手に取ったのは黄色いラベルのレモンティー。見せつけるかのように堂々と掲げている。伝説の剣でも手に入れたか。
「テレビねェから分からん」
「録画派なんで、CMは飛ばしますね」
スポンサー泣かせの台詞を吐く二遊間。
要くんはそれにひどく衝撃を受けている。
清峰くんを見れば。やけに真剣にその黄色いペットボトルを見ていた。──清峰くんが好きそうな味でもない気がするけど。
はて、と首を傾げる。
「あの男のロマンが詰まったCMを知らないですって!球児が走ってるだけで女の子二人から想われるとか羨ましすぎでしょッ!朝から晩まで走ってるのに、なんで俺にはそーゆーのないの山?森?川?どこでランニングしたらいい」
要くんは二遊間の反応も、清峰くんの視線も気にしないとばかりにCMの内容を力説し出す。
「あのCMはランニングしてるところを見て好きになったんじゃなくて、元からその男子が好きな設定だと思うよ」
羨ましすぎると地団太を踏む要くんに、そのCMを知っている者としてツッコミを入れておく。
CMは大自然の中でランニングをしている球児と、その青年を想う女子二人の光景を描いたのであって、森の中を走っている球児に一目惚れした内容ではなかった。
「……買うのか?」
珍しく。清峰くんが要くんの行動を尋ねる。
野球とは無関係のことに、清峰くんが口を挟むのは珍しい。
「飲んだらモテるかもしれないし」
「ねェよ」「ないですね」
二遊間のコメメント。その鋭さは本日も大変頼もしい。
「いや、もうレモンティーの口になっちゃったし?希望は、最後まで捨てたくないしさ」
腹の立つ決め顔と決めポーズ付きで言ってるが、中身は一切ない。でも。
「僕も、久々に飲みたくなっちゃたかな」
「赤い方は飲んだことあっけど、黄色いのはなかったな」
「俺は無糖派ですね」
山田が黄色いラベルを取ると、藤堂くんと千早くんも同じものを取っていく。
要くんを酷評していた割に、自分も含めてレモンティーを手に取る二遊間。当然、「飲むんかい!」と要くんからの指摘が入るが。
「レモンティーの口になったから」
「レモンティーの口だし」
「レモンティーの口なんで」
間接的ではあるがメーカーのCMの効果が出ている。
「……葉流ちゃんも買う?」
四人の遣り取りを、眺めるばかりの清峰くん。いつもどおりと言えばいつも通り。
ただ、今日の清峰くんの雰囲気は引っ掛かる。
例えるなら。初恋の人と偶然道でばったり会っちゃったみたいな、懐かしいような嬉しいような複雑な感じ。──さすがの清峰くんも、ペットボトル飲料が初恋相手だなんてことはないだろうけど。ないよね?
「……」
「……」
「……」
「……清峰さーん。放送事故だと思うから、だんまりはやめよっか」
「……怒らないのか」
「なんで」
「甘いから」
「……もしかしてさ。智将時代の俺って、葉流ちゃんの食事にまで口出してた……?」
「うん」
どことなく白ける空気。同じプレイヤーという立場でバッテリーを組む幼馴染の食生活まで管理するなんて。智将要圭。清峰葉流火への愛が重すぎやしないか。
要くんは、がっと、冷蔵庫の戸を勢いよく開けて、黄色いラベルのペットボトルを掴むと、清峰くんにずいっと差し出した。
「葉流ちゃん」
受け取れと。第三者が見ても分かる要くんの意図。
清峰くんが腕を伸ばし、ペットボトルを手に取る。けど、手に取ったのは要くんが自分用にと腕に抱えているレモンティーだった。
「いや、なんでこっち」
要くんが清峰くんにと差し出したレモンティーも、腕に抱えていたのも同じ商品。だけど、自分用に渡された目の前にある方じゃなく、要くんが抱えてる方を取るその心理。要くんじゃなくても困惑する。
「甘いの、得意じゃない。でも、圭のだったら飲めるから」
世俗と切り離されているような清峰くんでも、このレモンティーが甘いという認識があったことに少し驚きつつ、清峰葉流火の要圭への愛も存在していたんだと察してしまい。
「勉強のおとも用に、カフェオレも買っておきますかね」
重いんだか甘いんだかよく分からない空気から逃げるために、千早くんがチルドカップの飲料が置いてあるコーナーに向かって歩き出す。
「俺はザビス買うか」
「僕もカフェオレ買おっかな」
それに続けと言わんばかりに藤堂くんも便乗。自分も着いていく。
「あ、俺いちごミルク買いたい!」
結局要くんも着いてきて。清峰くんも当然のように要君の後ろにいる。
五人は各々チルドカップや紙パックに入った飲料を手にし、レジへと向かった。
「結局、アイス買わなかったね」
コンビニ前で、みんなで買ったばかりのレモンティーのペットボトルの蓋を開ける。
「言い出しっぺが買ってねェし」
「ちょーど朝のテレビでやってたんだもん。CM」
「いいんじゃないんですか。そのためのCMですし」
みんなで向日葵を透かしたかのような液体を飲む。
レモンのほのかな酸っぱさと、ほどよい甘さが喉をつたっていく。その甘さと、冷たさが、運動後でくたくたになった身体に染みわたる。
気付いたら、半分ほど一気に飲み干してた。それは山田だけじゃなくて、藤堂くんと千早くんもだった。
「久々に飲んだけど、けっこうすんなり飲めちゃうね」
「だな」「ですね」
二遊間の口にもあったらしい。
さて。一番最初にこのレモンティーを飲みたいと言った要くんはどうだろうか。
要くんは三口ほど飲んだきり、まじまじと黄色いラベルを眺めていた。
清峰くんは、味を確かめるかのように一口一口丁寧に飲んでいる。
「口に合わなかった?」
「ん~?もっとこう、甘くて、飲みにくい感じがしてたんだけど」
自分で言った感想を確かめるように、もう一口、口に含む要くん。
「けっこう前か?コレ飲んだの」
「そーいや、いつ飲んだだっけ。記憶なくす前、とか?」
「智将時代ですか。たしかに、智将は甘いもの飲むイメージないですね。その時飲んでたら、今より甘く感じたかもしれないですね」
「ま、お前が買ったイチゴミルクに比べたら甘くねェだろ。紅茶だし」
要くんは、腑に落ちないという顔のままだ。
「なんか、すんなり飲めすぎて。こう、逆に違和感」
「いいんじゃないんですか。それが今の要くんなんだと思いますよ」
「清峰は……なんでそんな嬉しそうなツラしてるんだ」
藤堂くんの言葉に清峰くんを見れば、目尻が少し下がり、口角も少しだけ上がっていた。目にも宿っている光も柔らかだ。いつもが無表情なだけに、その顔はどうしたと聞きたくなる藤堂くんの気持ちはよく分かる。
「……?」
首を傾げる清峰くん。自覚はないようだ。
「せっかく買ったものですし、美味しく飲めるにこしたことはないと思いますよ」
千早くんは三分の一ほど液体が残っているペットボトルの蓋を閉め、コンビニで買ったビニール袋に入れた。
「じゃ、俺はこの辺で。明日も学校ありますしね」
「俺も帰るわ。夕飯の時間だしな」
「僕もそろそろ帰るね」
僕も藤堂くんも、ペットボトルの蓋を閉めて鞄に入れる。
「あ、うん。また明日」「また明日」
解散時にはまだみんなと一緒にいたいと駄々をこねることもある要くんだが、今日はやけに静かだ。レモンティーに、記憶を思い出させる何かでもあるのだろうか。
事情は分からないが、相談されたならともかく、他人がとやかく言うことでもない。
それに千早くんの言うとおり、明日のことを考えるならもう帰路についた方がいい。
僕たち三人は、バッテリーとコンビニで別れた。
◇
ヤマちゃん、葵っち、瞬ちゃんの背中を見送って。
「……葉流ちゃんはさ、なんでそんなに嬉しそうなの?」
気になったから、葵っちと同じ質問を葉流ちゃんにすれば。
「??」
「自覚なしね」
自分がレモンティーを取ったときから、葉流ちゃんの様子は落ち着かない感じだった。例えば、初恋相手にでも再会したような。懐かしいような、嬉しいような、少しだけ悲しいような感じ。
でもそれが。ペットボトルを開ける頃には、嬉しそうな顔になっていた。葵っちが指摘するほどに。
ただ、葉流ちゃんがそれ程喜ぶ理由までは検討もつかなかった。
「そんなに好きだったの、レモンティー」
「違う」
「うん。好きだったら飲んでるよね」
智将時代は葉流ちゃんの食生活まで口を出していたようだが、今の自分は葉流ちゃんの食生生活は管理していない。するつもりもない。
だから本当にレモンティーが好きなら、自由に飲んでるだろう。肩のことも何も考えず、投球するように。
「………圭が、飲んで。ヤマも、藤堂も、千早も、俺も、飲んでた、から」
たどたどしいけど、自分の気持ちを表そうとする葉流ちゃん。
たぶん。
智将と一緒に、この黄色いラベルの甘酸っぱい飲料を二人だけで飲んだんだろう。
当時の味覚の記憶は、自分の中にも残っていて。
その過去の記憶と今の圭が感じるものの差は、すぐには飲み下せなくて。
でも。嫌じゃない差だから。
「智将は知らんけど。俺は甘いの大好きだし、みんなともいっぱい遊びたいわけよ。もち、葉流ちゃんともさ」
葉流ちゃんの胸を軽くたたく。
「また、みんなでこうやって寄り道して食べたり、遊んだりしよーぜ!吉祥寺で桃パフェも食べれてないしさ」
そろそろ帰ろーぜと、葉流ちゃんに声をかける。
太陽が沈んできたから、昼間よりは空気は若干涼しい。
日は大夫落ちてきたから昼に比べたら暗い。でも、電灯、住宅から漏れている光、車のライトと明かりは多いから、薄暗さは感じない。
動かない葉流ちゃんの背中を軽くたたき、帰宅を促す。
葉流ちゃんが隣に並んだのを確認して、一緒にアスファルトの道を歩き出した。