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    主皆 / 自己設定甚だしい未来捏造

    #主皆
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    既知との遭遇「やあ」
     深みのある低音が頭上から振ってきて、皆守は顔を上げた。
     声の主は小さな円卓を挟んだ向こうで、インスタント珈琲の紙カップを片手にそびえ立っていた。そう、まさに「そびえ立つ」という形容が似合う長身の男で、そのうえひどく物々しい顔をしていた。目を中心にして左顔面を縦に割る物騒な刃傷の上に黒い眼帯を当て、さらにその上に細い金縁の丸眼鏡を掛けている。
     しかし当人は傷の存在をまるで気にかけていない様子で口端におだやかな笑みを兆し、小さく首を傾げてみせた。「ここに座っても構わないかな」
     ここ、と男が手で触れて示したのは椅子の背もたれで、皆守の向かいの空席だった。
     思わず周囲を見回す。日本支部の地階に設えられた職員向けのカフェスペースはがらりとしていて、というよりも皆守と男のほかにはそもそも余人が見当たらない。当然、席は他にいくらでも空いている。
     さらに言えば、皆守はその男と面識がなかった。
     ない――はずだ。しかし男は初めから、まるで昔からの知己に話しかけるような親しみを滲ませて皆守に接している。声も表情も柔らかく落ち着いて、皆守が答えに窮している今でさえ、断られることをまったく想定していない佇まいで返事を待っている。
     皆守は眉を顰めることさえ出来なかった。本来ならば不審を覚えていい場面の筈だが、男の態度があまりに自然なので、むしろ自分の記憶を疑ったほどだ。俺はこの男とどこかで会ったことがあるのではないか。それを忘れているだけではないのか。しかしこれほど顔に特徴のある男を、ひと目見て忘れるなんてことがあり得るだろうか?
    「ああ、まあ、どうぞ」
     逡巡の末、皆守は男を首肯で迎えた。男は安穏とした微笑みをわずかに華やがせ、ありがとう、とやはり深い声で言った。椅子を引いて腰掛ける。狭い円卓の下でゆったりと組まれた脚が天板の裏側をわずかに擦って、置かれたカップの中身を揺らめかせた。
    「初めて見る顔だね」
     と、男が言った。皆守は思わず安堵の溜息を吐いた。
    「そう……ですよね。焦りました、俺の記憶違いかと」
     男は穏やかに眦を撓めてみせた。「わたしはあまり此処には寄らないんだ。君は?」
    「ああ、いや、俺はそもそも部外者で」皆守は首に掛けていた赤いストラップを引いてみせた。上着の胸ポケットに差し入れていた入局許可証が胸の下にこぼれる。「《宝探し屋》の友人です。当人はちょっと席を外しているんですが。俺は彼の口利きで研究局の見学を」
    「遺跡研究局? 随分若く見えるが」
    「まだ院生です。博士課程を終えたら、ゆくゆくはこちらに」
    「勉強熱心だな。専門を聞いても?」
     植物生理学です、と答えながら、まるで面接のようだと皆守は知らず背筋を伸ばしていた。口ぶりからして男が協会関係者であることは疑うべくもない。だが少なくとも外見からは協会のどの位置に属する人間なのかはまったく推し量れなかった。
     皆守がロゼッタ協会を将来の職場と定めていることについて、遺跡研究局の人間はほとんど好意的に受け取っている。よほど人手が足りていないのか、それとも単に境遇を面白がられているのか、卒業を待たずに入る気はないかと打診されるほどだ。故に今更、抜き打ちで意気込みや技量を測る意味はないように思えはするのだが。
     皆守の緊張を感じ取ってか、ふいに男はおどけたように片眉を上げてみせた。
    「心配しなくていい。わたしは人事に関わる人間ではない。研究局とも今はほとんど無関係だ」
    「では……あの、失礼ですが」
    「君に興味がある」男は静かに珈琲を啜った。「ずっと以前から」
     男の、ひとつきり開いた瞳が鳶色をしていることに皆守は気がついた。胸の内側の柔らかいところをじかに突き刺してくるような無遠慮で明け透けな言葉といい、妙な既視感を覚えてつい両目を眇めてしまう。眩しいものを見るように。
     彼は。――この男は。
    「君の友人はいつまで君を待たせる?」
     葉佩に似ているのだ。
    「……待たせているのは俺のほうだ」
    「ふふ。取ってつけたような敬語が取れたな。いや、構わない。それで良い。わたしは別にお偉方でも何でもないんだ。今でこそ彼らの末席に名を連ねる身ではあるが、君は気にしなくてもいい」男は着ていたジャケットの右袖を捲った。古びた銅色の腕時計を一瞥し、袖の中に盤面を戻す。「久しぶりに顔を見ておきたかったが、じきに発たなくてはならない。君と話せただけでも僥倖だ。皆守君」
     男は当然のように皆守の名を呼び、時間がないと言いながら悠然と頬杖を突いた。
    「わたしたちは日常や常識からもっとも遠い存在だ。故にこそ、その対極にあるものを容易に引きずり込んでしまう。望むと望まざるとに関わらず。――思うにこの時間は、猶予ではないか?」
    「何が言いたい?」
    「日常のもたらす退屈はすなわち平和を意味する。けして悪いことではないさ。君はまだそちら側にいる。そちら側に居続けることを、選択できる。しかしひとたび選んでしまえば」
     男の指が紙カップの縁を叩いた。カップは容易く倒れ、底に残っていたわずかな中身が広い口に向かって滲み出す。男の瞳によく似た色がテーブルを汚す。
    「二度と戻れない。《秘宝》のため、ひいては世界のためと言えば聞こえはいいが、わたしたちの前に立ち塞がるものはけして少なくない。彼らの命を奪った上で顧みないのも仕事のうちだ。君にその覚悟は」
    「ある」皆守は即答した。「惜しいものがあるとすれば、それはあいつの命だけだ。あいつの存在が、俺の目の届かないところで失われることだけだ」
    「君の命はどうなる?」
    「ここにはもう無い。――持っていかれた」
     ふ、と男が溜息を吐くように笑った。
    「彼を見守ることが、ひいては君をも守るということか」
     テーブルにこぼれた雫を指の腹で拭い取り、男が席を立った。
    「話せて良かった」
    「満足したか?」
    「誤解のないように言っておくが、君を試したかったわけではないよ」
    「こっちは尋問されてる気分だったがな」
    「理由は最初に言ったとおりだ。君に興味がある」男はことさら愛想よく笑んでみせた。「息子がなぜ君を選んだのか、よく分かった。わたしには似なかったな。それでは、またいつか」
     最後まで旧友を相手にするような調子のまま、男は空のカップ片手にカフェスペースを出ていった。外廊下を遠ざかる足音がすっかり消えた後、どっと疲れて、皆守はぐんにゃりと円卓に突っ伏した。ひどく口が乾いていたが、そばで温んだ珈琲を飲む気にはなれなかった。
     それから五分と経たずに戻ってきた葉佩に頭を小突かれ、背骨を抜かれたような身体をのろのろと起こす。いかにも気怠げな皆守を見るなり葉佩は不思議そうに、ふたつ揃った鳶色の瞳を瞬かせた。
    「なしたの、後ろから幽霊にどつかれたような顔して」
    「どっちかと言うと影法師だったぞ。しかも正面からだ」
    「なんて?」
    「お前、」と皆守はふいに葉佩へ向き直り、「本当に俺で良かったのか」
    「……何の話してんだか知らんけど、俺にとっておまえが良くなかったことなんか一度しかないよ」
    「一度はあるのかよ」
    「振られたとき」
    「だから振ってないって言ってるだろ」
     お決まりのやり取りの終わりに葉佩が眦で笑うのを見て、親子というだけでそんな癖まで似てくるものかと皆守は内心呆れた。自分が親とは容姿がさほど似ていないから余計に。
     しかし彼は最後に、「自分には似なかった」と言った。あれは一体どういう意味だったのかと沈思しかけた皆守の前に、細かな傷の目立つ手が差し出される。
    「もう用事終わったから。帰ろ」
    「……あァ」
     握る手を頼りに気怠い身体を起こす。強く握り返してくる手から伝わるむやみに熱い体温が埒のない疑問を遠ざけた。誰がなんと言おうと、この熱を絶やさないために生きると決めたのだ。
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