黄色い蜘蛛の糸通りから一本外れた路地裏。街灯が頼りなげに立っている。背面には壁、眼前には前髪で瞳が隠れた男の顔。
「キス、どうやってやるか教えてよ」
そんなことを言われても。既に男の顔は睫毛が触れるくらいまで近付いているし、吐息は自分の唇を撫でていて熱い。ここまで近いのに男の瞳は前髪に覆われていて見えないのだ。どんな顔をしているのか、分からない。彼女は視線を上げられず、男の吐息から逃れようと必死で顔を背ける。
「ねぇ、おねえさん」
「!」
背けたタイミングが悪かった。男の口元が丁度彼女の耳元に被ってしまった。男の柔らかくも圧の強い声が耳からずるりと入っていく。熱くて掠れたそれは彼女の脳天に直撃するような淫靡さがあった。びく、と肩を震わせた彼女。
お互いアルコールが入っているのは重々承知だが、数分前まではこんな雰囲気ではなかった。おかしい、どうしてこうなったのかと彼女は必死で男の胸元を押し返す。びくともしない、男の厚い胸元。無駄な抵抗だと、分かっているのだけれど。
「わ、私はおねえさんじゃない…」
「じゃあ、名前を教えて」
「な…」
「僕は桑名だよ」
先程の淫靡な声とは全く違う、無邪気とも聞こえる声音で桑名が呟く。唇が耳の縁に触れた。どろどろ、と何かが溶けていく感覚がする。彼女の直感は叫んでいた。
この男はヤバい。
逃げないとまずいことは分かっているのに、体が動かない。頭が動かない。脳内の危険信号が最大級の警告音を鳴らしている。
「こっち、向いて欲しいなぁ」
さらりと桑名の前髪が額にかかった。それが合図だったかのように彼女はゆっくりと顔を上げる。ぱちりと目が合う。その目はシトリンのような黄色で、鮮やかに煌めいているように見えた。ふに、と優しく触れるような口付けだったのは一瞬だけで、貪るようなそれに変わる。まるで蜘蛛の糸に絡まった気分だと彼女は思った。