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    ながめ

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    ながめ

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    騎士パロタル蛍 いつも通り好き勝手書いてる
    こういうのが一番楽しい ネームドモブあり
    舞踏会編前編

    Untitled「……」

     稽古を終えて汗をかいたあと、タルタリヤはダンスの特訓があるからとその場所をあとにして。残された蛍は湯浴みをしながら先刻のことを思い出して不貞腐れていた。
     あれから何度も剣を交えたけれど、結局のところ蛍はタルタリヤから一本もとることはできなかった。簡単に剣を弾き飛ばされ、無力化させられる。少なくとも剣の腕ではタルタリヤの方が上で、これは不意打ち用の短剣でも忍ばせるべきかと本気で考えてもいいかもしれない。
     ぶくぶくと泡を吐きながら、悔しいと本気で思う。三つも年上の、体も成年に近いタルタリヤに敵わないのは当然だが、当然を当然で済ませたくなかった。何故って己は王族で、仮にも王位を継ぐ資格がある人間で。自分の身ひとつ守れないのは情けないと思うのだ。

    「姫様はご機嫌ななめですね」

     侍女たちに隅々まで綺麗にされるのをされるがままにしていれば、侍女頭は不思議そうに首を傾げる。たっぷりのお湯に身を沈めながらザブザブと音を立てて髪を梳かれるのはとても心地いいが、彼女の言う通り蛍の心は安穏ではなかった。

    「みんなはさ、どうして私に仕えてくれているの?」

     ぽつりとこぼした主人の問いに、侍女たちは顔を見合わせて何か思い至ったように頬を緩ませた。何故ってそれは、いままで頑なに兄王子と自分たちだけにしか心を開かなかった主人が新しく騎士を迎えたから。つまりは、それ関連だろうとアタリをつけたのだ。

    「最初こそ家の命令による使命感でしたけれど、姫様にお仕えしているうちにそんなことどうでもよくなりましたよ」
    「そうそう、こんなに可愛らしい姫様、私たちが守らなきゃ〜って」
    「もしかしてもしかして、あの新参の騎士についてですか!?」
    「こら、言っちゃ意味ないでしょ」

     好き勝手に喋る侍女たちへ曖昧に微笑む。そう、彼女たちはおしゃべりで噂好きなのだ。なので余計な情報は与えない。主人に関する秘密は徹底的に守り抜くけれど、王宮内の情報を事細かに把握している。蛍が剣を振り回すような王女であることが知られていないのは、ひとえに彼女たちのおかげと言っても過言ではないのだ。

    (……そう、仕えるきっかけがあるはずなんだけど)

     そんな彼女たちだって、侍女に選ばれるのには理由がある。反対派閥だったら選ばれることはないし、派閥内でも過激な思想を持つ家でもダメだ。現国王はそういうところはキッチリしている。
     今でこそ蛍を妹や娘のように可愛がる彼女たちだが、そのきっかけだって実家がほどよく中立に近い蛍派閥の家だったからに過ぎない。
     ──それなのに、あの男にはなにもない。ただ蛍の命令で専属騎士になっただけなのに、わかりやすく忠義を誓ってくれている。
     何をもってあの男は己を主と慕うのだろうと蛍は疑問に思っていた。
     己が命じたから? 当然、そうだろう。そのはずだ。だって己には何もない。主と慕ってもらえるのうなものがあるとは、到底思えないのだ。

    『なんで? それだって立派な選択じゃないか。俺は姫様に選ばれたことを誇りに思っている。誰よりもね』

     嬉しいことに、タルタリヤにとっては違うようだった。じゃあ彼がそう思う理由はなんだろう。
     けれど己には何もないと思っているからこそ、その答えを得ることはできなくて。
    己のことがわからないことと同じくらい、彼のことを何も知らないのだ。
     スカークに拾われた、それ以前のことを知らない。今の蛍と同じ年にこの国に拾われたことだけ風の噂で聞いたけれど、どうして騎士になったのかを知らない。結果的に彼は騎士になって、その果てに蛍の専属騎士になった。
     詮索して無理やり過去を知りたいわけじゃない。それでもあれだけの忠誠を誓ってくれる彼を信頼するには、彼のことを何も知らない事実が蛍の心を苛むのだ。

    (わたしは彼をこの国に縛っていない?彼から家族を奪っていない?)

     聞けばいいのに確かめるのが怖かった。そう問いかけて、もし帰りたいと言われたら。ようやく自分が見つけた蜘蛛の糸を引きちぎられるような気がして。
     この寂しさを理解してくれる人を手放すことになったら、兄さえも失ってしまったあと、蛍は己が誰に縋ればいいのかわからなくなってしまう自信があった。無尽蔵の忠義に惹かれていたからこそ、彼の出どころ不明の忠義が恐ろしくて仕方がない。
     妹がいると言っていた。それでも最後まで一緒だと言ってくれた。捧げられる忠義に見合うものをあげたいのに見つからない。騎士ってそういうものじゃない?と彼は言うかもしれないけれど、天秤が釣り合わないのは蛍が納得できなかった。

    「私は、彼の忠誠に何を返してあげられるんだろう」

     生誕祭が終わってしまえば、王家の問題にタルタリヤを本格的に巻き込むことになる。蛍の代理人としてタルタリヤが矢面に立つことだってあるかもしれない。
     己が他人の上に立つ立場だということを理解しているのだ。それでも、自分のたった一振りの剣である彼には、何かを返してあげたかった。強欲だろうか、それともこれすらも傲慢な悩みなのかもしれない。
     タルタリヤを騎士にすることは、選択肢の一つでしかなかったはずだった。けれど本音を隠して「そう」と選んだ彼は、彼だけには真心を返してあげたい。そうすればきっと、この権謀渦巻く王宮の中で彼を一番に信頼できるから。

    (でも私の本心を伝えたらがっかりされるかもしれないじゃない)

     それでもどう付き合えばいいのかわからなくて、本音を聞く勇気もあるはずもなく。蛍はぶくぶくと湯船に沈んでいくのであった。


    ◇ ◇ ◇


    「……なに」
    「いや、綺麗だなと思って」
    「化粧しているからね」
    「そうじゃなくて、姫様の正装ちゃんと見たのは初めてだなって」

     季節に合わせた、プラムの花を思わせるドレスを身に纏う。白い生地に黄を差して、スカートの裾にダイヤが散りばめられていた。髪を飾るベビーブルーのリボンはタルタリヤからのプレゼント。それをめざとく見つけて、タルタリヤはニンマリと笑む。
     気合を入れて主役に臨むこの日に、己がプレゼントしたものが彼女を飾る一つであることに心が満たされていった。

    「付けてくれたんだ」

     タルタリヤの声に、蛍はリボンの端に触れて「ああこれ」と反応する。

    「……せっかくの誕生日の贈り物だもん」
    「嬉しいなぁ。気合が入った姫様の格好もいいね」
    「あなたのお披露目ってことは、私のデビュタントも同義だからね」

     蛍の城内での立場を考えると、彼女は戦場にでも向かうような気分なのだろう。いつもより少し強張った表情の主人の手を取って、タルタリヤは緊張を解そうと戯けてみせた。

    「それじゃあ姫様、あなたをエスコートする栄誉を俺に頂けますか?」
    「これからはずっと、この栄誉はあなたのものよ」
    「はは、光栄だな」

     タルタリヤが腕を差し出せば、蛍は何も言わずともその腕に己の腕を絡めた。一歩踏み出せばコツ、とヒールの音がする。
     まだあえかな少女だというのに、社交界に出るための完全武装を決め込んだ主人の背伸びをする様といったら可愛らしいことこの上ない。
     視界の端でキラリと何かが煌めいたのを見て、蛍のドレスの黄色が金糸であることに気が付いた。なるほど、プラムというよりはインテイワットの花である。

    (国の象徴も大変だな)

     近くで見ればドレスはとても繊細な素材で作られていることに気付いた。レースに引っ掛けないようにしなければいけない。一体修繕費で己の給料何ヶ月分が飛ぶのか想像もできなかった。

    「……緊張してる?」
    「そうね、貴方がきちんと踊ることができるか不安かも」
    「安心しなよ、ちゃんと踊れるようになったから」
    「本当かなぁ……」
    「本当。姫様の騎士の言うことが信じられない?」
    「騎士団いちの問題児だし」
    「過去の話を掘り返さないでよ」

     離宮から城内へ渡り歩き、ホールへと続く長い廊下を歩く。既にホールには招かれた者たちで溢れかえっているのだろう。幾重にも重なった談笑の音が漏れ聞こえてくる。
     長い廊下の先には既に待機していた王や兄王子たちの姿があり、空は蛍に気がつくとひらりと手を振った。蛍は分かりやすく肩を跳ねさせて兄のもとへと近付こうとするが、ホールの中から喇叭が響くのを聞いて諦めたのだった。

    「夜はこれからだから、ね」
    「……そうだといいけど」

     列の一番後ろに並んで、二人でコソコソと会話をする。空の横に控えていたダインスレイヴが一度だけ振り返ったが、すぐに視線を元に戻してしまった。

    「俺、こっちに来るのは初めて」
    「そうね。こっちは幹部クラスばかりだし、若造のあなたが来ることはないもの」
    「陛下の警護っていう名誉な役だしね。……あ、団長と目が合った」

     かつての上司に手を振れば、騎士団長はギョッとした表情になる。無視すればいいだけなのに、可愛いところもあるものだとタルタリヤは心のうちで笑った。
     ガコン、と音がして扉が開く。列に続いて扉を潜った瞬間、眩しい光と頭を割らんばかりの拍手が襲ってきた。

    (……ここが、姫様の戦場)

     たくさんの人、人、人。国内外を問わずに招かれた賓客たちのなんと多いことだろう。この国の影響力の大きさに驚きながらも、向けられる視線の多さに辟易する。
     今日は主人が初めて正式に社交場に出る日だ。この日を待ち望んでいた人間も多いだろう。生誕祭ということもあって、蛍は今日の主役の一人と言っても過言ではない。
     腕を取る主人の手は震えていない。[[rb:お披露目の場> デビュタント]]だ、ピンと背筋を伸ばしていつものようにお手本の王女様の顔をしているのだろう。そして己はそんな彼女に添えられた武器の一つ。
     「あなたのお披露目なんだから」と蛍は言った。ならばせめて主人の目の前を蹴散らす剣として、完璧にエスコートしてみせようと思うのだった。


    ◇ ◇ ◇


     挨拶に来る人たちと会話をする主人の横で、タルタリヤは微笑みを崩すことなく警護をしていた。本当ならいつも通り無表情でいることも考えたが、主人の生誕祭というめでたい日にそんな顔をするのは無粋だと考え直したのだ。
     国内の貴族や国外からの賓客が絶え間なくやってくる。簡単な挨拶をして生誕を言祝いで、の繰り返し。これだけ聞いていると、流石に上辺だけの言葉か本心からの言葉かタルタリヤにも判別がつくようになった。つまり、主人の敵が誰であるかということを。
     さて、主人である蛍のもとへと訪れる者たちの中でもとくに神の子と呼ばれる各国の有権者たちは、とりわけ蛍と睦まじい様子で話をしていた。風と共に謳う者、契約の天秤を持つもの、永遠と刹那を識る者──彼らはみな、どこか凡人とは違うオーラを纏っていた。彼らはいわゆる国の象徴で、政治の実権を握ることはないのだという。
     タルタリヤは心のうちの闘争心が疼くのがわかった。たぶん彼らは、武芸の道も達者なのだろう。なんとなく己の直感がそう告げていた。たとえば立ち方や歩き方、視線の巡らせ方、どれも凡人のものではなかったから。
     そうしてまた何人かを見送って、事前に告げられていた貴族たちの情報と顔を一致させていく。そろそろタルタリヤの脳みそがキャパシティオーバーを引き起こすところで、見知った顔が挨拶に来たのだった。

    「姫様におかれましては、ご機嫌麗しく。生誕おめでとうございます」

     黒を基調としたコートに、ハッとするような赤が映える。燃える炎のような髪の持ち主は、周りの淑女たちの視線を集めるような微笑を浮かべて蛍の手に口付けを落とすフリをした。

    「……ぇ、」

     「ディルック!?」と、大きな声が出そうになったのを済んでのところで飲み込む。そんなことをしたら真横に立つ可愛いご主人様に足を盛大に踏まれることがわかっていたので。声を飲み込んで──間抜けにも──口を開いたまま茫然とディルックを見ていれば、そのまま視線がかち合った。

    「初めまして、僕はディルック・ラグウィンド。モンドで爵位を頂いている。君が噂の騎士殿だな」
    「……どうも、ご丁寧に。姫様付きの騎士の、タルタリヤです」

     そこに立っていたのは、あの日城下町の酒場にバーテンダーとして立っていた青年だった。いかにも「初対面です」という態度のまま握手を求められ、タルタリヤはそれに応じる。
     ……通りでどこかで見たことがあるわけだと心の中でごちる。ラグウィンドといえば国内外でも有名なワイナリーを経営している家で、今は若い嫡男が当主についているともっぱらの噂だった。噂は嫌と言うほど耳にするしきっと何度か姿を見る機会はあったのだろうが、顔なんてものは興味がなければ覚えない。社交界に疎いことが仇となった瞬間だった。

    「そちらへ遣わせた商人はどうだったかな」
    「ちゃんと欲しいものが手に入ったよ、ありがとう」

     あの日と同じように会話をする二人をにこやかに見つめていれば、やがてオーケストラの楽器の音色が響き渡り始めた。それはタルタリヤが向き合うべきワルツの始まりの合図である。

    「行くといい。君たちは今日の主役なのだから」

     ディルックは視線でホールを見遣って、早く行くように合図をする。視線の先、ホールには続々と人が集まっていて主役たちを待ち望んでいた。それはもちろん、蛍たちの周りでそれとなく会話に聞き耳を立てていた人間たちも同じだった。

    「さて、姫様。踊っていただけますか?」

     タルタリヤの形ばかりの申し出に蛍はクスリと笑みをこぼす。この人はどうしてこう、芝居がかった仕草をするのだろう。既視感を覚える仕草がほんの少しくすぐったい。

    「喜んで、私の騎士様」

     ディルックへ礼を告げてから、差し伸べられたタルタリヤの手のひらに己の手を乗せてホールの中心部へと向かう。人の波が割れていくさまを見ながら、代わりに多くの視線を独り占めする感覚に蛍は心が高揚したのがわかった。
     緊張と興奮の両方が心を波打つ。もうタルタリヤがきちんと踊れるかなんてものは関係ない。この夜を境にタルタリヤは蛍の騎士として大陸全土に知れ渡るし、空が遊学に出てしまう。望まない王位継承権争いが激化するのは目に見えている。何も知らない、お行儀のいいお姫様でいる時間はこれで終わる。──もう後戻りはできないのだ。


    ◇ ◇ ◇

    「なんだ、踊れるじゃない」
    「猛特訓したからね」

     タルタリヤの足運びに身を任せて、足音を立てないようにほどよく力を抜いて優雅に踊る。己は妖精、そう念じながら蛍はタルタリヤとワルツを踊っていた。
     意外なことに、タルタリヤのリードはほぼ完璧といって差し支えないほどの出来になっていた。背筋は伸びていて、足運びにも迷いはない。周りを見る余裕はあるし、なんならちょっとした世間話をすることだってできる。
     これまでダンスの経験はないと言っていたくせに、たった数日練習するだけでこれだ。持って生まれた運動神経の良さとリズム感でここまでできるのだから、騎士って恐ろしいと思う。猛特訓した、という割にはいたって涼しい顔をしているところは、やっぱりむかつくかもしれない。

    「斜め後、銀髪赤目、赤い外套の男」
    「フェーデ子爵。お兄ちゃんの派閥の人」

     ワルツを踊りながら、先刻答え合わせのできなかった貴族たちの確認をする。すぐに顔を覚えられるのは、タルタリヤが騎士団に所属していたからだろうか。蛍は問われるたびに一瞬だけ視線を遣って、すぐに返答するのを繰り返していた。

    「さっきから姫様のことずっと見てる。何かした?」
    「いつもお兄ちゃんと会うのを邪魔してくるだけ。お兄ちゃんの番犬だと勘違いしているお馬鹿さん。……ダイン以外に番犬なんていらないのにね」

     嫌いな顔を見てしまい、蛍はわずかに眉間に皺を寄せる。それに目敏く気付いたタルタリヤはほんの少し顔を近付けて、蛍の耳に咎めるように囁いてきた。その距離の近さにほんの少し蛍は身構えかけたが、ダンス中だしこんなものかと思い直す。この人は犬、犬……そう唱えてなんでもないフリをした。

    「むくれないでよ、せっかくの誕生日なんだからさ。……あ、もしかしていつも手紙を握りつぶす人?」
    「……そうよ」

     目元がピクリと動いたのが自分でもわかった。そして返答のトーンもわずかに低くなってしまう。これでは図星だと言っているようなものだけれど、クッションに八つ当たりをする醜態を見られたのだから今更だった。
     思わず目を伏せてしまう。いつも兄と会うのを邪魔してくる嫌な人。監視でもするような視線が本当に蛍の気に障るのだ。
     すっかり黙ってしまった主人の姿に、タルタリヤはとんだ藪蛇だったとちょっぴりだけ後悔する。直前まで己を映していた美しい瞳が瞼に隠されてしまったのだ。それがひどくつまらなかった。
     こんな近い距離にいるのだから、今ばっかりはその瞳に己だけを映せばいいのに。あの琥珀が己を映す瞬間が、いっとう好きなのだ。

    (──えい)

     思考の海に落ちてどこか違うところを見てしまった蛍を振り向かせるために、タルタリヤはいままでルール通りに運んでいた足を初めて誤った。
     あえてテンポをずらして、蛍の動揺を誘う。ほんのわずかなタイミング、外からみても気付かないような一瞬だった。

    「え、わ……っあ!?」

     ワルツはパートナーと息を合わせて踊るのが必定。しかし急に重心をずらされた蛍は小さく驚いてタルタリヤの足を踏んだ。しかしそれすらも織り込み済みのタルタリヤは、そのままくるっとターンする。遠心力の力で体を持ち上げて、ふわりと地面に着地するまでの猶予を与えられた。ドレスの裾が広がって、ホールにまた一輪の花が咲いた。

    「ハハっ!どうだい、驚いただろ」
    「し、んぞうに悪い!」

     大きな声を上げなかったのを褒めて欲しいくらいだった。一瞬の出来事に焦りながら、まるで何事もなかったかのように普通のステップに戻る。周りの人間たちはきっと何が起きたかなんて気が付かない。そんな幕間の出来事だった。
     そのまま一曲踊り切って、最後にカーテシーを一つ。拍手喝采のもと輪の外へと出れば、わっと人に囲まれた。
     名乗りをあげたあとに口々に感想を放つ彼らに蛍は「ありがとう」と返す。その中から国王と懇意の仲である侯爵夫人がやってきて、蛍と雑談に花を咲かせ始めた。

    「姫様、お誕生日おめでとうございます。素敵なワルツでしたわ」
    「ありがとう。社交界の花と呼ばれる貴女に褒められるなんて光栄です」
    「お時間が許せば、是非息子とも……。いえ、騎士様からのお許しが先かしら」

     歳が近い子息がいる侯爵家として社交辞令になりつつあるダンスの誘いを言いかけて、夫人ははたと動きを止めた。手元の扇の後ろから視線をやった夫人につられて、蛍は隣のタルタリヤを見る。彼はたくさんの令嬢に囲まれて、我先にと声を掛けられていた。

    「騎士様、私と踊ってくださいませんか?」

     隣に主人がいるにもかかわらず、それを無視して話しかけてくる令嬢たちに夫人は「呆れた」と溢す。
     ましてや蛍は王女で今日の主役の一人だ、不敬どころの話ではない。けれど蛍は怒りというよりは夫人と同じように呆れが先に来た。なんともまあ、人気者なことで。
     蛍は夫人に一度微笑んでから、さてどうしたものかと思考を巡らす。こんなことができるのは、己が舐められている証拠である。顔を覚えるのは得意だし、まずは彼女たちがどこの家の人間かを確認してから──なんて考えているうちに、黄色い歓声があがった。
     至近距離で上がった歓声にぎょっとしながらタルタリヤを見れば、彼は令嬢たちに極上の笑みを浮かべていた。それも主人である蛍が見たこともないものを。そう、タルタリヤはとんでもなく顔立ちがいい。甘さの残る顔立ちで、問題児とはいえ騎士団内でも実力は高かったとくれば、「騎士」に夢みる令嬢たちからはそれは人気が高いだろう。
     今までは騎士団として警護をしていたからワルツに参加することもできなかったが、こうして参加者になったのであれば話は別だ。とにかく──蛍の騎士は、とんでもなくモテるらしい。

    「騎士様、お名前は?」
    「是非わたくしとも──」

     口々に囀る令嬢たちに微笑みを浮かべたまま、タルタリヤは無言で蛍の腰をぐいと引いて、主人の小さな体に寄り掛かる。断りなくそこまで距離を詰めることを許した覚えはない。なにを、と言いかけるよりもタルタリヤが口を開くほうが早かった。

    「悪いね、踊るのは主人の手のひらの上だけって決めてるんだ」

     その姿に周りの令嬢は今度は別の悲鳴をあげた。別の令嬢には仇でも見るような視線を向けられ、別の面倒ごとが発生したことに蛍は気付いた。世にも面倒な、色恋沙汰だ。貴族の間では若い令嬢にこれまた若い騎士をつけるのが流行っていることを思い出して──ああ、なんて面倒なんだろう!
     己は決して「そういうつもり」で彼を騎士に選んだつもりじゃないのに。いや、ほんの少し下心はあったけれど。それは決して疾しいものではないのだ。少なくとも刺すような視線で見てくる令嬢たちよりは。
     およそ舞踏会に似つかわしくない悲鳴を聞いて訝しげに振り返る人間が増えてきたところで、収拾のつかなくなった空間にどうしたものかと頭を抱えそうになる。こんなところを反対派閥の人間に見られては、また揚げ足を取られてしまう。諸悪の根源たる従者の手のひらを手袋越しにつねっても、彼は笑顔のままだった。つまり、効いていない。どうしてくれるんだ、この騒動。
     とにかく場を納めるために蛍が口を開こうと息を吸ったところで、いたずらっけな声が割って入ってきた。

    「やぁ、随分と楽しそうじゃないか。僕も混ぜておくれよ」

     自由に姿を変える水のような、掴みどころがない声。御伽噺に出てくる妖精はきっとこんな甘い声しているだろう。少女のようで少年のようなその人物は、目が醒めるような深い青を纏ってそこにいた。

    「ご機嫌よう、諸君!この素晴らしい夜に姫様と歓談する栄誉を僕にも分けてくれないかな」

     誰だってその人物を見間違えることはない。水色が混じった白髪に、特徴的なオッドアイ。大陸のトレンドの最先端を征く彼女こそ、蛍の親友の一人であり──水の国の神子であった。
     フォンテーヌにおいて並々ならぬ影響力を持つ相手に、周りを囲んでいた貴族たちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げていく。蛍の横に立っていたはずの夫人は満足そうな顔でいつのまにか席を外しており、蛍に向けてひらりと手を振って喧騒から離れていった。

    「フリーナ、ご機嫌よう」
    「ご機嫌よう、そして誕生日おめでとう、蛍!」

     両手をギュッと握られて、可愛らしい笑みが近付いてくる。心からの言祝ぎに冷えかけていた心がだんだんと温かくなっていくのがわかった。
     蛍はフリーナに釣られて、口角を上げて同じように笑う。愛想笑いじゃなくて、きちんと心からの笑顔を。

    「ありがとう。フリーナも、遠路遥々ありがとうね」
    「他でもない君たちの生誕祭に、親友たる僕が行かないなんて選択肢はないからね。……さて蛍、最初のパートナーとのダンスは踊ったわけだけど……次は僕が名乗りをあげていいかな?」
    「私たち、女同士だよ?」
    「ふふん、なんのために僕がこの格好をしていると思うのさ」

     フリーナは女性だが、格好は男性のそれに近い。夜会となればドレスを着るのが常識だが、フリーナはいつも真っ青のジャケットとハーフパンツを着て夜会に来ていた。燕尾とは違って魚の尾鰭を思わせる意匠はまるでフリーナのために誂えたようなもので、最近のフォンテーヌのトレンドらしい。

    「フォカルロスが空と踊るなら、僕は君と踊りたいんだ」

     蛍の手を取って口付けを落とすフリをして。そうして蛍を見上げた彼女はお茶目にウインクを飛ばしていた。


    ◇ ◇ ◇

    「もったいねぇなぁ」

     フリーナと連れ立ってダンスホールへと戻っていった主君を見送ってから少し。聞き覚えのある声に振り向いたタルタリヤは、それがかつての同僚のものであることを思い出した。

    「よう、久しぶり」
    「……そうだね、1ヶ月ぶりかな」

     片手を上げて挨拶をする元同僚に軽く会釈をして、二人揃ってホール全体を見渡せる2階へと向かう。階下ではたくさんのドレスが花開き、その中心では蛍とフリーナが仲睦まじい様子でワルツを踊っていた。真っ白い花が咲けば青い尾鰭がそれを追いかける様子は、とても目を楽しませてくれた。

    「残念だよなぁ、お前も」
    「なにが?」

     そんな様子を見ながら飛び出た同僚のぼやきに、タルタリヤは首を傾げる。同僚の視線の先はタルタリヤと同じ蛍とフリーナだったが、憐憫が帯びたそれはタルタリヤの気に障るものだった。

    「王子殿下なら大出世だけど、姫様付きじゃあな」

     出世、という言葉にタルタリヤの心の奥が反応する。嫌な響きの言葉だった。まるで蛍や彼女の兄である空を道具として見るような冷たい言葉だったから。
     この国では騎士というものは形骸化したというのは暗黙の了解だ。物語に語られるような忠義の騎士を体現する人間は、もはや数えるほどしかいないだろう。国直属の騎士であるはずの騎士団の人間ですら、王族に対してこの態度なのだ。とうの昔にわかっていたはずなのに、こうして突きつけられると遣る瀬無い気持ちになる。
     知るはずがないのだ。彼らが肩書きとしてしか見ないお姫様が、どんなことを考えているかなんて。知らずに己の利益だけを考えるからこそ、その本質から目を逸らして都合のいい部分だけを見ようとする。

    「……君はさ、どんな理由で騎士になったわけ?」

     だから聞いてみようと思った。騎士の国に生まれた彼らが、何を思って騎士になったのか。
     チラリと横目で同僚を見れば、彼は鳩が豆鉄砲を食ったように、きょとんとした表情を浮かべていた。まるでそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったように。数秒の沈黙のあと、彼は背中を丸めておかしそうに笑うのだった。

    「何を言うかと思えば……っはは! そんなの、やることがないからに決まってる。貴族の次男坊ってのは、家を継ぐことができないんだよ。だからこうして騎士になるしかないんだ。お国のためにってね」

     己と似ているようで違う理由に、タルタリヤは心が凍てつく感覚がした。騎士の国と謳われど、その心が正しく受け継がれているかなんてものは別の話だ。高潔な騎士なんてものは所詮御伽噺の中にしか存在しないのだと、笑われたようで。
     己はそれ以外に選択肢がなかった。選ばねば殺される環境で、騎士それに縋るしかなかったというのに。この男は、この国の騎士は、惰性で騎士の道を選ぶというのだ。
     貴族に生まれながら商いを行なっているディルックとも、また違う。生まれを理由にせず、己のやりたいことを見つける強さをも持たないかつての同僚に、タルタリヤは心底がっかりしたのだ。
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