あるいは、 デモ集会から帰り着いた家の居間、ランプの下でジェニファーはポストに入っていたいくつかの手紙を開けていた。
ひとつは、父方の親族、従姉アリソンからの手紙。今年で四歳になる彼女の息子の様子をはじめとした彼女の近況報告だ。その手紙の最後にあった一文に、ジェニファーは苦笑した。
"バクストン家の娘とあろう者が、何故政治運動に参加するの?嫁の貰い手がなくなってしまうわよ"
アリソンはただ純粋に、心配してくれているのだ。それはジェニファーにもわかっている。けれど、ジェニファーが女性参政権を求める政治運動に参加するようになったのは、前インド総督スコットを長とした、バクストン家の娘であるが故だ。
母国たる大英帝国が、植民地インドに何をしてきたのか。
英国兵に家畜同然に扱われ、虐げられる人々。誘拐同然に総督府に連れて来られた、ゴーンド族の少女マッリ。そして、何よりも……街で知り合った青年、アクタル……否、ビーム。マッリ救出のために総督府の庭に野獣を放ち、理不尽な拷問の前にも屈することのなかった彼の怒り。
それらを、ジェニファーはその目で見てきた。目の前で起きた非道から目を逸らすことはもう、できなかった。
だから、「兄を助けたい」と涙を溜めた目でそう言ったビームの為に、父の秘書エドワードの目を掻い潜り刑務所の地図を盗み出した時には、ジェニファーは覚悟を決めていた。
自分が大英帝国の植民地主義を正さねばならないのだ、と。
ラーマが指揮する独立運動には加われない。ビーム達と共にいたかったが、英国人の自分は彼らの弱みになってしまう。だから、帰国することにした。そして、母国を内から変えることで、彼らの力になりたかった。
けれども、そこには大きな壁があった。今のジェニファーには参政権すらないのだ。ただ、女である、というそれだけのために。
それが、女性参政権を求める女達の集会にジェニファーが参加するようになった理由だった。思い描く道程は、長く、遠い。しかし、それが己に課された使命なのだろうと思う。
もう一つの手紙をジェニファーは手に取った。封筒に差出人の名前がない。ただ、押されたスタンプが、当てどころが定まらず何度か転送されたらしいことを物語っていた。
── 一体誰から?
首を傾げながら、開封し中身を見る。中の便箋ににあった署名はK.ベンジャミン…知らない名前だ。少し歪な文字で綴られた文面は、子供の言葉のように単純で拙いが、勢いがあった。メアリという名の少女のことや兄のこと、彼らの近況が語られている。
──もしかして。
"あなたの幸せを願っている"
最後を締めくくる文の下に、見覚えのある模様が描かれていた。いつか見たバングルに躍っていたものと同じ模様。
──ああ、ビームなのね。
彼は、無事なのだ。少なくともこの手紙を書いたらしいひと月前は。
ジェニファーはビームからの手紙を、ただ抱きしめた。
彼の意志を灯した目を思い出す。あの時マッリにと託された、あのバングルには、どんなメッセージが込められていたのだろうか。せめて、兄と慕うラーマを助けた後に、彼が自分に向けてくれた笑顔は、嘘でなかったと信じたい。
──またあの日みたいに踊っても、いいだろうか。
社交界のパーティーで教わった、彼らの舞を。
指先でビューローを叩き、ラーマが奏でたリズムを思い起こす。
この踊りにパートナーは要らない。
デモの人混みで転ばない為に履いたフラットシューズで、床を、その下の大地を踏み締める。
纏わりつくスカートの裾を持ち上げ、ビームから教わったステップを踏む。
これは彼の大地の踊り。
これは彼の地の数多の祈り。
あるいは、この胸に秘めた一つの願い。
──あなたに、あいたい。