サンタの秘密を知っているか「クリスマスはサンタが来るんだってチヒロが言ってんだけどな」
サンタなんて、どこで知ったんだか。
六平は口を右に左に器用に動かしながら呟いた。
町との交流はなく陸の孤島のような山で暮らす六平家には、新聞も届かない。テレビとラジオの機体はあるのだが、押入れの奥に仕舞われたまま、前に見かけた時は埃を被っていた。雑誌は俺が定期的に持ってくるが、それ以外の情報源は無に等しい。
チヒロ君に絵本を届けることがあるけれど、選ぶのは電車や動物の本ばかりだ。あとは武器の図録か。どんな幼児も抗えないというパンの絵本を持ってきたこともあるのだが、チヒロ君は一瞥すらしなかった。一瞬も興味を示さない。面白くなった俺はデカい声で音読した。「僕の顔をお食べよ!」。しかしそれでもチヒロ君は興味を示さず、動物図鑑を開いて虎の縞の数を一生懸命数えていた。チヒロ君、君はやっぱり六平の息子やな。センス悪いわ。
「サンタなあ……」
六平は変顔で誤魔化しているが、チヒロ君がどこでサンタの存在を知ったのか、全く心当たりが無いようだった。
六平が、とぼけた振りで俺に嘘をついているなら、もっと嘘っぽい顔をするはずだった。嘘っぽいというか、犬がバレバレの隠し事をしている時の顔をする。本当はすぐに見抜いてかまってほしいくせに、知らないふりをする時の犬の顔。俺は六平が嘘を大げさにアピールするときの顔が好きなのだが、本日の案件は本当に知らないはずだ。
チヒロ君にサンタを教えたのは俺だからだ。
子供は親が知らない自分だけの秘密が大好きだ。六平に隠れて、お菓子や、ゲームを渡すこともあったが、なんと言っても内緒話がいちばん盛り上がった。いわく、東京には兎耳のお姉さんがいる、酒を飲めば筋肉が増える、溶けそうに柔らかいティッシュがあるから六平に内緒で今度買ってくる。ティッシュと一緒に鼻が溶けそうになるから試そうや。ジンジャーエールは焦茶のやつの方が美味いし、それも今度買ってくるから……。そういった戯言シリーズと一緒にサンタの存在も教えてしまったのだ。「六平には秘密やで」と言い添えたし、その瞬間は秘密を共有した奴特有の後ろ暗い含み笑いをしていたのだが。プレゼントを配り歩く魅惑のおじさんの存在は、黙ってはいられなかったらしい。チヒロ君も少しは子供らしいところがあるのか。俺らの世話ばかりしているから、大人びているように見えるけれども。
「父親でもサンタ情報の出所は分からんのか。子供って何を聞きつけてくるかわからへんな」
俺は白々しく相槌を打った。六平は情報源が俺だということに、全く気がついていないようだった。腕を組み、「うむ、うむ」とわざとらしく大袈裟に頷いていた。おまえ、少しは俺を疑えよ。
六平はいつもそうだ。戦争の時だって今だって、俺が言うことを疑わない。少しは自分で情報を探せ、とくさしても、笑って受け流されるだけだった。「俺は刀を作る以外は能がないからな」、と。情報収集はお前の方が向いているんだろうが、ということだろうが、嬉しくねえわ。ちゃんと言えや。
「だからな、お前がサンタやれよ」
俺がぼんやりしている間に、六平は全く関係の無いことを思いついていた。また、ろくでもないことを、だ。
「あ?いつも『俺は良い父親になる』って言うてるやんけ。六平がサンタをすればええやろ」
「俺もサンタをやる」
「ダブルサンタか?アイドルコンビ結成しちゃうか?」
「いや、お前は闇のサンタな」
「なんやそれ。サンタの意味あるんか?」
「あ!る!」
「うるせえ!デカい声で断言したら意味が伝わるわけちゃうねん!」
「え?伝わらへんかった?闇のサンタの意味」
「伝わるわけないやろ。なんやねん闇って。忍びか?暗殺か?厨二なんか?」
「サンタって普通は闇やろ」
「ちゃうやろ。サンタはサンタやろ」
「そうか………………何の話だっけ?」
「サンタの役割分担の話や。六平が普通のサンタで、俺が闇のサンタなんやろ?俺は何したらええんや」
「それな!」
顔の八割が口になったといっても過言ではないデカい口を開けて六平は笑った。なんや知らんけど、話が通じたんが嬉しかったらしい。俺も嬉しいわ。
「柴は夜になったらチヒロの枕元にプレゼントを置いてくれ。一緒に飴のひとつも置いてやったらもっといい」
「なんやそれ、普通のサンタやんけ。六平は何するん?」
「俺は、白い口ひげをつけて、赤い帽子をかぶって、ケーキを食べる係な!」
「食べる係な!って大声で言うな!ケーキくらい息子に食べさせたれ!」
六平に突っ込みながら、俺はチヒロ君に何を渡すか考え始めていた。
普段、俺らの話を大人しく聞いているチヒロ君は欲が薄いようにみえた。
あの子は、本当は何が欲しいんやろう?
「サンタさん」
「はい?」
山の夜は冷えるな、と思いながら用を足した後だった。トイレのドアを開けるなり、チヒロ君に呼びかけられた。暗い廊下の隅に立つチヒロ君は輪郭がぼやけて見える。座敷童か?
普段は俺と六平がふざけてばかりなので、落ち着いて観察することもなんてなかったが、そばに立つと、チヒロ君の背が伸びたことを実感する。一五〇センチを超えただろうか。学校に行っていれば来年は中学生になることを思い出した。
「いきなり何?サンタは六平やろ?」
「昼のサンタは父さんだけど、夜のサンタをしてるのって柴さんですよね」
「知っとったんか」
「隠せてると思ってたんですか?」
疑問形であったが、煽る気は無いようだった。俺たちが昼のサンタと闇のサンタではしゃぎ、盛り上がっていることなんて、この子にとっては当たり前のことなんだろう。今さら呆れるほどのことではない。
「チヒロ君が何も言わへんから、分かってへんって思ってた」
チヒロ君は返事もせず、俺を見つめていた。なに?俺のことアホやと思ってる?まあ、アホやけど。
チヒロ君は棒立ちで黙ったまま、俺の顔を見つめ続けていた。特徴的な赤黒い瞳がずっと俺を狙っている。怒ったり、馬鹿にしているとは思わないが、だからといってこの状況を楽しんでいるとも思えない。何がしたいんやろう?
どうしていいのかわからないのでつっ立っていると、二人の間に乾いた冷たい風が吹いた。ぶるり、と腰が震える。もう一回しょんべん行っとくか。このまま見つめ合っていても仕方がない。
「柴さん」
「はいはい?」
トイレに引き換えそうとした時、ついにチヒロ君が口を開いた。
「今年のお願いは」
「あ、直接お願いすることにしたんやな。さすがチヒロ君。現実的や」
自分が返した感想を聞いていたのか、いないのか。チヒロ君は頷きもせず、語り続けた。
「キスがいいです」
「は?」
「二十四日の夜に俺とキスしてください。父さんには秘密で」
チヒロ君はかすれた声でそう言うと、秘密を共有した奴特有の後ろ暗い含み笑いを浮かべた。笑顔にさす影は、秘密のせいだけではないかもしれないが。
予想外のお願いに口を開けたままの俺の顔を、チヒロ君は穴でも開けるかのように鋭く見つめ続けた。俺はそこで頷いた。無言の圧に負けたのは癪だったが、嫌な気持ちにはならなかった。なんというか、おもしろい。
「今年のプレゼントは、俺たちだけの秘密やで」
チヒロ君は口元に宿した闇を一層濃くして微笑み、頷いた。
クリスマスイブは仕事を入れない。六平と自分が六平家のサンタになってからの習慣だ。この年も例年通り酒とつまみとケーキをもって山の家を訪れた。いつもと違うのはチヒロ君宛てのプレゼントがないことだ。いや、無いわけではないが。
対初心者向けの練習でもしてきた方が良かっただろうか。初心な若者なんて、最近は相手をするどころか、お目にかかることもない。もちろん自分は欠片も思い出せない。
「たのもう!」
道場破りの俺を、既に口ひげと赤帽を装着した六平が出迎えた。毎年のことだが、鼻の下の白いフサフサと、顎髭の黒いトゲトゲが全く噛み合っていなかった。何やねん。なんで鼻の下に脱脂綿ぶら下げてるみたいになっとんねん。
ゲラゲラと笑う俺たちを確認にきたチヒロ君は、廊下でふざけ続ける大人たちに言い渡した。「じゃあ、お茶をいれますね」。
チヒロ君の声音は冷静で、いつもと何も変わらないように聞こえたが、俺の横を通り過ぎる時にメモを落とす程度には緊張していた。
メモを俺が拾うと、チヒロ君は焦った。咄嗟に六平の方を振り向き、奴が俺たちに背を向けていることに安心していた。たぶん本当は、メモをすれ違い様にさりげなく渡したかったんだろう。いざという時に格好つけられない思春期の情けなさが愉快だった。が、笑うとややこしくなると思い、素直にメモをチヒロ君に渡す。メモは無言で自分に押し返され、チヒロ君は走って台所に向かっていった。
「じゃあ」
ケーキとチキンを平らげ、飯を山盛り食い、大人たちが酒盛りを始めた頃、チヒロ君は自室にひきあげた。
俺と六平はしばらく二人で飲み騒いでいた。が、俺は次第に時計が気になってきた。
「ちょっとトイレ」
「行くなよ。ここで用を足せばいいだろ」
「……あほか。汚れた床、六平が片付けるんか?」
「いーや、柴が片付けるだろ」
「嫌に決まっとるやん。トイレ行くで」
行くな、と言われた偶然に動揺した姿がバレてはいないだろうか?
席を離れるついでに六平の様子を窺ったが、酔っぱらった六平が何を考えているのかは、さっぱり読めなかった。
指定の時間に玄関口に向かう。覗くとチヒロ君は既に待っていた。壁にもたれかかることもなく、すっと真っ直ぐ立っている。廊下の灯りはつけられておらず、玄関外の裸電球だけがぼんやりと光っていた。
この家は山の中だ。年末の廊下は氷のように冷たい。その分、静かなような気がした。歩いても音がしない。
そっとチヒロ君の前に立つと、若者は腕を上げ、俺の両頬を包んだ。夕飯後は部屋に戻ったのだと思っていたが、ずっと待っていたのかもしれない。チヒロ君の指は硬く、冷たかった。酔ってほてった頬に冷えた指が気持ちいい。
底冷えのするクリスマスの夜、俺はチヒロ君にキスされた。
小鳥のついばみみたいな遠慮がちな口づけだった。
正直に言えばもどかしい。
好奇心も手伝って、俺は舌先で唇のふくらみをつついたが、押し返すように噛みつかれた。若く激しい舌が乱暴に口の中へ押し入り、歯茎を内頬を喉奥を蹂躙した。若者の舌は戸惑う俺の舌に絡み、強く締めつける。同時に、吸い込まれた唇にきつく噛みつかれた。
普段から冷静で大人しく、欲が少なく淡白なタイプかと思っていたのに、この激しさだ。
俺は何も分かっていなかったのかもしれない。若いとはいえ、内側に何を抱えているかかは、開陳されるか無理やり暴くまで、分からないのだ。そして、子どもはいつまでも、幼児のままではない。
なおも噛みついてくる少年をゆっくりと剥がす。離れていく二人の間で唾液が糸を引いた。かなり太い糸だったが、数秒もせずにふつりと切れた。激情も消える時は一瞬だ。
顎に張りついた切れ端を手の甲で拭った。
「こんなんでプレゼントになった?」
「はい」
シンプルな返事で答えたチヒロ君の顔は、暗がりでよく見えなかったが、呼吸はまだ少し乱れていた。俺が拭い去ったと思った激しさを、この子はまだ残してるのかもしれない。
唇だけが玄関のぼんやりとした光を反射していた。若者の唇は、薄くなめらかで張りがある。少しでも噛めば、君の隠れた激情と一緒に、赤い血が滲み出す。その君の激しさは、これからもきっと、俺しか知らんのやろう。他の誰にも、暴かれなければ、という条件つきやけども。たぶん、そんなやつおらんしな。
なあ、チヒロ君。
君がキスに隠していたことがあるように、俺にも内緒にしていることが、幾つかあるんや。
君とのキスをどこで誰と上書きしてるか、とか、そういうことを。
いや、でも、俺たちが秘密にしているつもりのことなんて、君はとっくに知っていて、今さら呆れるほどのことでもないんやろうな。
〆