やさしいおかあさま おかあさまはずっとずっとずうっと昔からメリニにいらっしゃるそうです。
僕のおじいさまのおじいさまのおじいさまのおじいさまの……とても古くからメリニで顧問魔術師をなさっています。
メリニの王族の子たちはみな、おかあさまを乳母として育ちました。
僕には弟が二人と妹が一人いますが、乳飲み子の妹を寝かしつけるおかあさまの歌声が聞こえるたびに、僕もああしておかあさまにうたを歌って寝かしつけていただいたことを思い出すのです。まだおかあさまに甘えたい気持ちはありますが、僕は長兄なので、弟に譲ってあげます。
僕にとって実の母である、今の王様、お父様のお后は、妹を出産してしばらくして亡くなってしまわれました。
おかあさまはとても嘆いて、国の誰よりも泣いていたのを覚えています。僕も上の弟もつられて、たくさん泣きました。下の弟はまだ幼く、死んでしまうということが理解できないようでした。妹は無垢な顔をしていました。時折むずがっては泣きましたが、おかあさまが泣きながらもあやしていました。
お父様は王としての威厳を保つためか、そっと一粒の涙だけをこぼされました。
おかあさまはたくさん怒りますが、その何倍も褒めてくれます。ファリンの子はみんなかわいくって、優秀だと言います。
ファリン様はライオス様の妹君で、ライオス王にお世継ぎができなかったためにファリン様がお婿をとられ子を成し、ファリン様の子が王になったのだそうです。
だから僕らは、みんなファリンの子どもだよ、とおかあさまは言います。
ファリン様は城を入ってすぐの場所に大きな肖像画が描かれています。
ライオス王と同じ、薄茶色の髪の毛に、透きとおるような白い肌と薔薇のように赤い頬をしたお姿です。ファリン様の胸や足にはなぜだか羽が映えていて、ふしぎな雰囲気をしておられます。
今は様々な血が混ざり、僕たちはファリン様とも、お婿のご先祖様とも違う容姿をしています。
(メリニは異種族の交わる国として大変に栄えているのです)
すがたかたちはちっとも似ていないと僕は思うのですが、好奇心旺盛で危ないこともしちゃうところがそっくり!なのだそうです。
たしかに僕は木登りなどをしては落っこちたり、うさぎの巣穴を覗き込んで手痛いキックをもらったりします。
その時はおかあさまが治癒魔術をかけてくださいます。
おかあさまの治癒魔術はその場では綺麗に治るのですが後が痛く、僕は怪我がおかあさまに見つからないよう逃げ回ったりしたものでした。
おかあさまはもうメリニに千年近くいらっしゃいます。千年というのは、僕にはとても長く思いました。メリニのトールマンの寿命は六十五年程度ですから、十代あってもおかあさまのお年には及びません。
昔のトールマンはもう少し寿命が短かったと聞きます。
寿命が伸びたのは建国王のライオス様が安定した食の供給や公衆衛生を広く国民に伝え、それがさらに発展し、受け継がれてきたおかげなのだそうです。
おかあさまがこの国を見つめてきた時間の長さは想像もつかないほど遠い遠い出来事のように思えました。
おかあさまは建国王であるライオス様とパーティーを組んでいて、その流れで顧問魔術師になったのだと言っていました。
でも僕は家庭教師から教わったメリニの歴史で知っているのです。
おかあさまは、建国王であるライオス様の最初で最後の妃であったこと。ライオス様は生涯おかあさまをただひとりの妃として、側室をとることもなさらなかったこと。
街の広場には、建国王とその妃の銅像が千年近い時が経っても大切に補修されて残っています。
お姿は変わっても、あのエルフのかわいらしいお方がおかあさまなのだなと広場を通るたび僕は嬉しくなるのです。
おかあさまは、今も建国王の妃として、メリニの母となり王のご意思を継いでおられるのです。
最近のおかあさまは、以前ほど快活ではありません。ほほえみは優しくいつもと変わりませんがどこか元気がない気がします。
ぼくは第一王子ですから、いずれは王になると思います。そのときはおかあさまが元気になるような政策をたくさんします。
でも弟がやりたいと言うなら譲ってもいいと思っています。僕はお兄ちゃんですから。
メリニという国は、家庭教師の言う他国の戦争だとか跡目争いだとかとは程遠く、不思議なほどのどかです。
だから、僕たちもそうなるのだと思います。
おかあさまがいつも口を酸っぱくして言う言葉があります。
『バランスのとれた食生活』
『生活リズムの見直し』
『適切な運動』
これは国是としても定められていて、そのおかげか国民たちはよくはたらき、よく食べ、よく動き、肥えることも痩せ細りすぎることもあまりないのでした。
けれど、たまにおかあさまがちょっとカロリーオーバーだけど……内緒だからね!と、クリームのたっぷり入ったドーナツを分けてくれるとき僕はとても幸せになるのでした。
やさしいおかあさまが見守る国はもうすぐ建国千年を迎えます。
これからさきの千年もおかあさまにはメリニを見守っていてほしいと思います。