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    あかり

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    あかり

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    ※カブミス
    かぶが記憶喪失になってしまうはなしです
    ハピエンでごわす

    なみぎわによせ「あなたはどなたでしょうか」
     黒髪に青い目をした褐色の青年は、ミスルンにそう言った。
    「下手な冗談だ」
    「そう思われても仕方ありません。わたくしどもも、カブルー様の冗談であればどれほどよいかと……。しかし現状、このとおりです。頭を打った際に、記憶が一部失われてしまったようなのです」
     横に控えていた宮廷医師と治癒魔術師がミスルンに現状を伝えようと話しかけてくる。
    「どの程度だ」
    「人物は……城のものは全員わかりません。王のことも。自身のことすらも。精神自体は年齢相応で、生活習慣などは覚えているようで生活するのに問題はなさそうですが……」
    「技術も治癒魔術も、あらゆる方法を試しました。しかし医療でも魔術でも現状回復する手段はないのです」
    「手立てはないと?」
    「お力になれず本当に申し訳ないのですが、そうだとしか」
    「こういった症例は過去にも見たか」
    「ええ、何件か。しかしそのどれもがバラバラでした。記憶を取り戻すこともあれば、そのまま生涯を終えるものもおりました。一日程度でじょじょに戻るものもありましたし、何十年とたって老人になって急に思い出すものもありました」
    「そうか」
     つまるところ、なにもわからないということだ。

     部屋を出て、城の中を少し歩いた。
     ミスルンは城の人間にも顔馴染が多く、他国の人間とは思えないほど自由に歩くことができた。
     歩いて、階段をのぼって、物見台の上で、しばらく風にあたった。
     ミスルンにはカブルーの心を取り戻す方法がわからなかった。
     自分はエルフの中年男性で、カブルーは若い盛りのトールマンだ。おまけに同性だ。
     カブルーは元々大層な色男で、ミスルンと交際する際にたくさんの過去の女たちと関係を断つのに大変な一悶着があった。
     だから彼ほどの男がミスルンにまた感情を揺らすことなどないように思った。
     恋仲と告げてそうなんですかと賢いカブルーが一度は咀嚼したところで元の関係に戻れるはずなどなかった。
     好きこのんで中年男性の世話をし、傷だらけの体を抱きしめて大切にして、ミスルンを柔らかい宝石かなにかのように扱う男だった。
     ミスルンは、自分の人生というものは得た先から失われていくものなのだと思った。
     カナリアに入るまでの優越感も、迷宮での一時的な万能感と欲にまみれた虚影の女も、人生の中ではじめての思いを山ほどくれた大切ないとしい恋人も。
     トールマンの人生は短い。だから、ここで潔く身を引くのがいいだろう。……いいのだろうか。…………わからない。
     思い出すのは明日か一年か十年か死ぬまでか、それもわからないのだから。
     すぐに戻るのなら、カブルーは迎えに来てくれるだろう。愛しい恋人として。忘れてしまった無礼を詫びて。そしてその大きな腕で、ミスルンを抱きしめてキスをしてくれる。
     ミスルンはその日をただ待つしかない。
     恋人がいつか自分を迎えに来てくれることを。

     記憶の喪失以外に健康上の問題もなさそうだというカブルーは、療養のため自身の屋敷に返されることとなった。
     ミスルンはその役を買って出た。
     屋敷にはミスルンの私物も置いてある。回収がてら屋敷を案内するのはちょうどよかった。
    「ここが俺の家だったんですか。随分立派な屋敷ですね」
    「うん。お前が主だ」
     一般的なトールマンの稼ぎとカブルーの年齢を思えば三十そこそこの男が居を構えるには立派すぎる家だった。だがカブルーは国の要人でそこらのトールマンとの稼ぎは比べ物にならない。有り余る褒賞の使い道もなかった。
     カブルーが、あなたが帰ってきた時に一番に迎えたいからと城の部屋を引き払って建てた家だ。
     方向音痴のミスルンも、カブルーの屋敷では迷わない。もう何百回も辿った道だ。
     広い家を簡潔に紹介していく。
     ミスルンの言葉は充分ではないことが多いから、カブルーは時折疑問点を質問しながら話していく。
     最後に寝室を案内した。
     どの部屋も思い出深いけれど、ここは特別だった。
     部屋は一日も経っていないから、どこも変わっているところなどなかった。
     変わったのはカブルーとミスルンだけだった。
     広いベッドに、清潔なシーツに、あたたかな毛布。二人で選んだ絨毯に、部屋を飾る調度品。
     ベッド脇のチェストにはカブルーがミスルンのために集めた薬草や、軟膏や、香り入りのオイルや髪や肌の手入れ用品が何十種も入っている。
     欲を食われてからの人生は復讐だけが存在意義で、それ以外はなにもなかった。
     悪魔がいなくなったとき、自分にはもう何も残っていないのだと思った。
     そこに意味をしめしたのはカブルーだ。
     これからも食べて、寝て、誰かと感情をともにする喜びを得ることをしめして、手を取って立ち上がらせてくれた。
     食べかすの、残飯の、自分を抱きしめて、自分では向けられなかった傷を見つめる欲をくれた。
     涙が溢れた。性行為のとき以外で涙が出たのは、ライオスの催した妹を食べる宴でカブルーに心情を吐露して以来だった。
     あのとき流した涙は晴れやかな心の始まりのように思えた。カブルーが新しい欲を見つけることを提案してくれたあと、自身を見つめ直して、流れた涙。
     自身の心に長年刺さっていた刃が抜けて、血を流した変わりにもう痛みを抱えることもないのだと、治癒していくのを待つような気分だった。
     あのとき、カブルーは涙するミスルンを抱きしめたのだ。最初は優しく、次第に力強く、涙するミスルンの体を慰撫するように。
     今はただ悲しみ、懐かしさとこの日々の失われる惜しさと悔しさで泣いている。恋人は失われてしまった。
    「…………?」
    「ああ、ごめんなさい。先ほど会ったばかりだというのにこんな真似をして……けれど、そうしないといけないと思ったものですから……どうか軟派な男だと思わないでください……あなたに、そう思われたくないのです」
     ミスルンは、カブルーの胸に抱かれていた。
     恋人の腕の中は慣れ親しんだ温かさをしていた。
     二人はしばらくそうしていた。
     ミスルンは涙が落ち着いた頃に、胸を押してカブルーから離れた。
     カブルーは窓際に二つ並んだ椅子へミスルンを導いて座るようすすめ、話を切り出した。
    「あなたはどこへ住んでいるのですか」
    「市内に屋敷を一軒借りている」
     調査以外での最近の生活空間はずっとカブルーの屋敷だったが、屋敷があるのも事実だ。
    「この屋敷は、あなたの香りがします」
    「部屋の中にいるのだから当然だろう」
    「至るところに、人と暮らしていた気配があります。俺は自身のことも覚えていませんが、なんとなく人のことに関しては勘が働くというか、理解したいと思う気持ちが強いような気がします」
    「そうだな。お前は人をよく見ていて、人間関係の調整がうまかった。人の名も顔も立場も関係もなにもかも覚えられた。その点においてこの国で右に出るものはいないだろう」
    「随分有能だったんですね。この若さで国の主要人物なら、それもそうでしょうか。立派な屋敷に住んで、あなたのような恋人もいた」
    「…………」
    「俺には、知られたくない?」
    「お前は、カブルーとは違う」
    「……あなたからすれば、そうでしょうね」
     カブルーは悲しい顔をして笑った。気を持たせるような発言だと思った。こういうところが人の懐に入るコツなんだろうか。ミスルンにはできそうにない。
    「俺はあなたの恋人にはなれない?」
    「お前からすれば出会ったばかりの男によく言う。それに私はエルフの中でも中年の男だ。体も醜い。これからを思うなら……トールマンの女を、選ぶといい」
     身を切られる思いだった。こんな言葉は口にしたくなかった。
    「……俺は、頭を打って記憶を失ったんですよね」
    「そう聞いている」
    「記憶が戻れば、あなたの恋人に、戻れますか」
    「……うん」
    「わかりました」
     カブルーは窓を開け放つと、二階の窓から身を乗り出した。
     理解が追いつかなさそうな状況だったがミスルンは咄嗟に体を掴む。
     体格差がある分不利だし、カブルーの足元はバランスの取れない場所だ。一歩踏み出せば空に投げ出されてしまう。
     一瞬がひどく長い時間に思えるほど拮抗していた二人だが、ミスルンの必死さが勝った。
     カブルーは引っ張られた力のまま後ろへ倒れ込み、ころがって棚のかどにしたたかに頭をぶつけた。
    「はぁ、はぁ……二度とっ! こんな真似は、するな……っ!」
     ミスルンがカブルーへ覆いかぶさるようにして、頬を殴りつける。本気の一撃だ。
     一度殴るとタガがはずれて、続けて二度三度殴りつけた。また涙が流れて、鼻水がでて、口からもなぜか唾液があふれた。
    「ちょっ! ちょっ! ミスルンさん! 痛いです! 頭と顔がとても痛いです! なんで俺って殴られてるんですか?!」
    「……カブルー?」
    「はい、あなたのカブルーですが……」
     怪我の功名、という言葉があるが。
     今まさにぴったりとはまりこむ言葉だった。
     ミスルンは、まだくすぶる憤りと安堵とで胸の内が破裂しそうだった。
     涙だけが流れて、嗚咽が出て、滲んだ視界に困った顔色のカブルーがいる。
     カブルーは上半身を起こすと馬乗りになって泣いているミスルンを優しさと強さの混ざった抱擁をした。
    「なんだかよくわからないけど、俺が悪そうです……」 
    「悪い……」
    「すみません」

     経緯を聞いたカブルーはミスルンに深く詫びた。ミスルンが城へ戻らないのかと聞くと今日はあなたといますとカブルーは答えた。
    「しかし、二階から落ちて記憶を取り戻そうとするとは」
    「肝が冷えた」
    「しかしこれでわかったことがひとつあります」
    「なんだ」
    「俺は記憶を失ったとしても、たとえ何度そんなことがあっても、その度何度でもあなたに恋をするということです」
     賢しいくせに、ばかな男だ。そういうところが、愛おしい。
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