養母到来 エルフのケーキが嫌いだ。
幼い頃からミルシリルに執拗に食べさせられ、美味しいと言わなければ泣かれた。
いらないといってもエルフのケーキは常についてきた。
だからエルフのケーキは嫌いだ。もう一生分食べた。
「ミスルンさんは、エルフのケーキって好きでしたか?」
「……過去の私は、嫌いだった。好きだと思ったことは一度もない。ただ当たり前にあったから食べざるをえなかった。今はなんとも思わない」
「ああ、やっぱりどこの家庭でもそういうものなんですね。なんだってあんなものが郷土料理なんでしょう。発展もせず、延々と残っているなんて」
「エルフは変化を嫌う。食料事情の厳しい時代からずっとああだから、今の食事感覚や味覚とは違うだろう」
「俺はもっとエルフのケーキがおいしかったらあの部屋を出なかったかもしれません。その点で言えばエルフのケーキが不味かったことに感謝しています」
「ならば私も感謝するべきだろうな」
「ええ、エルフのケーキが不味いことに乾杯しましょう」
朝っぱらからベッドの上でワインを傾けていた二人に、来客の知らせがあった。エルフの美しい女性ですという使用人の言葉に、一気に嫌な予感がする。
服を着込んで階下へ降りる前に、寝室のドアが開いた。
「きちゃった……♪」
「ミルシリル……来る前には手紙を寄越すようにと……」
「だってお前は忙しいと聞くし、いつ会えるかわからないじゃないか。だから屋敷でケーキでも焼いて待っていようと思ったんだ。ちょうどよくお前がいてよかった……♡」
「ちょっと待ってください! まだ着替えてませんから一旦部屋を出て……」
「おしめも変えてやったろう? 裸など恥ずかしがる必要もない」
「そんな小さい頃から預けられてませんよ」
「私もまだ服を着ていない」
「……?! み、ミスルン?!」
最悪の邂逅だった。
ミルシリルの過保護さから言って、ミスルンとの交際を喜ぶことはないだろう。
おそらく一般的なトールマンの女性だとしてもうまく関係性を構築できないに違いない。嫌な姑になるか、距離感が近すぎて嫌がられるか、どちらかだろうと思う。
そのうえ養母は元カナリアで、名家の出だ。
ミスルンとは面識があるだろうと思われた。
どのような関係かはわからないが、あまり相性はよくなさそうではある。
「なぜお前がカブルーの部屋に……? どうして服を着ていない……?」
「私とカブルーが恋仲で共寝をした朝だからだ」
「こ、恋仲だと……? カブルーとミスルンが……?! と、ともね……?! か、カブルーに手を出したのか! 手籠めにしたんだな!?」
「恋仲だ。手籠めにはしていない。私は女役だ」
「ああ……なんてこと……そんな……カブルー、本当なのか? お前はジョークの類が好きだったから驚かせようとしているんだろう。そうだろう? そうだと言ってくれ。お前はエルフの女には興味がなかったじゃないか……どうしてこんな中年男性エルフに……? いいように弄ばれているのではないのか?!」
「ミルシリル……あなたには残念かもしれませんが俺とミスルンさんは本当に恋仲です」
「カブルーはちいさいころから聡明で利発で巻き毛がかわいくて汗をかくと錆の匂いがしてその匂いがまたかぐわしくて頭から立ちのぼる香りはどの香より匂いが良く私の修行にも食らいついてきてその決意の固さにも芯があって優秀な子で……」
ミルシリルはぶつぶつとつぶやいている。
現実を見まいとしているようだった。
「ミルシリル」
「なんだ?! お前がカブルーを堕落させた手練手管についてでも自慢げに話そうと言うのか?! 排泄の世話も食事の介助も私がしてやったと言うのに!」
「カブルーはエルフのケーキが嫌いだ」
沈黙が流れた。ミルシリルは、ひどく長い間をあけて、カブルーの名を呼んだ。
「……………………カブルー?」
「ミルシリル、あなたにはっきり言えなかった俺が悪いんです。あなたを悲しませるのが嫌だった」
「私は…………間違っていたのか………………? ずっとお前に嫌われていたのか……………………?」
「あなたを嫌ってなどいません。エルフのケーキが苦手なのは事実です。けれどそれ以上にあなたには恩を感じています。あなたから教わった剣は俺を守ってくれている。あなたがくれた学や知識も国政に役立っている。なにより命を救ってくれたことを。ウタヤで生き残ってから飢えもせず、奴隷にもならず、ここまで育ったのは奇跡のようなものです。あなたが俺の恩人であることには一つの間違いもありません。感謝しています」
「か、カブルーッ……なんていい子なんだお前は……ッ」
「そうだろう」
「お前は育ててないだろうがッ!」
喧々諤々と二人が、主にミルシリルが怒ってミスルンがいなす姿を見て、この二人は案外相性の悪くないものなのかもしれないとカブルーは思った。
「ミスルンさんとミルシリルはどういった関係なんですか?」
「こいつの作った迷宮跡で、こいつを最初に見つけたのが私だ。その後もカナリア復帰に向けて助力した」
「うん。そういうこともあった」
「少しは感謝しろ! 欲が食われたお前を慈悲で殺してやることもできたんだぞ!」
「ならば、ミルシリルはミスルンさんの恩人ということなんですね。ありがとうミルシリル。この人を救ってくれて」
「今は救ったことを後悔している……」
「ありがとう」
「……っ! お前、感謝もできるようになったのか……」
「うん。私はこの男にとても感謝している。お前の育て方はケーキ以外はよかった」
「ケーキはダメなんだな…………」
「このメリニは食の都と称されるほど豊富な食がウリなんですよ。折角ここまで来たのなら、俺がいつも何を食べて、何を好むか好きなものを知ってほしい。そしてあなたにも、この都の食文化を知ってほしい。それでは駄目ですか? ミルシリル」
「カブルーが案内してくれるのか?」
「ええ、たまには、ははに恩返しをしなくては。俺が守っていくこの国を、あなたにも見てほしい」
「か、カブルー……! 立派になって……まだほんのよちよち歩きの年齢だというのに……!」
「子供扱いはやめてください……」
「私もいく」
「親子水入らずに水を差すな! 全くおまえは……! まあ、昔よりは大分マシになったな……」
カブルーはこのどこかチグハグながらも妙に噛み合った二人を見た。
養母とミスルンの年齢は一歳しか違わないし、二人ともエルフの中では中年なのだが。
妙な幼さと幼稚さ、無垢さがコントのような奇妙な共鳴を生み出していた。
「では行きましょう。とっておきの店や場所を紹介しますよ」
メリニの街は朝日に輝き、人々の今日を照らしている。
カブルーは服を着替え終えて、養母の手を取った。