誰かの恋 行きつけの喫茶がある。
落ち着いた雰囲気で、南方由来のコーヒーという苦みの強い飲み物や様々にブレンドされた紅茶、軽食やデザートなんかを置いている。
メリニは広いがコーヒーを置いている喫茶はここだけだ。遠方からの輸入になるため少し値段は張るが飲むと少しばかりツウになったようで好んで飲んだ。
ぼくは物書きをしている。とはいえそこまで有名なわけではない。
この喫茶はメインストリートから少し離れた場所にあるから、ものを書くにはちょうどよいのだ。
かしましく騒ぐ婦人もいないし、店のマスターは寡黙だ。いいのか悪いのか、客の出入りもそこまで多くはない。
時折ぼくと同じように喧騒を逃れてやってくるのであろう常連が何人かベルを鳴らす以外、あとはコーヒーや紅茶を淹れるこぽぽ……という音が聞こえてくるばかりだ。
ぼくはこの喫茶が実に気に入っている。
たまに頭の栄養にヌガーを食べるが、それもまた絶品である。
その日の客は初顔だった。
週に1、2度通うばかりのぼくなので、見たことのないものもいるのかもしれない。だが目立つ組み合わせだったので一度見れば忘れないだろうというふたりだ。
褐色のトールマンとエルフの組み合わせだった。
エルフは一般的なものとは少し容貌が違った。絵物語なんかで見るエルフは長い耳に美しい容姿をしているが、そのエルフは耳は短く、右目が不自由で瞳も光をとおさないかのようにくろぐろとしていた。
物語の挿絵でしかエルフを見たことがないトールマンはエルフと聞けば耳が長く中性的な美しさで輝く容貌のものを思い浮かべるだろう。そんな空想のエルフとは全く異なる容姿をしている。中性的ではあったが、かつて美しかった婦人がやつれてしまったかのような風体だった。
狭い喫茶だから、そう席は多くない。
ふたりはぼくの斜め後ろに腰をかけた。
ふたりは注文について何やら相談していた。快活そうな声はおそらく、いかにも明るそうな褐色肌の青年で、少し物憂げな声がエルフの方だろう。
マスターが注文を取りに行くと、「コーヒーと紅茶、それから季節のタルトをひとつ」と褐色の青年が注文をした。
「クレープシュゼット」
「食べたいんですか?」
「うん」
「そちらもひとつお願いできますか」
マスターは注文を受けると丁寧にコーヒーと紅茶を淹れる作業を始めた。
店内に豊潤な香りがただよう。匂いだけで心を落ち着かせてくれるのだ。この店は。
「穴場なんです。ここ」
「うん。静かだ。表通りの店はどこも騒がしい」
「あなたと外に出ることはそうありませんからね。腰を落ち着けるならゆっくりと過ごせる場所がいいと思ったんです。今日回った中で、どこか気に入ったところはありましたか?」
「市場にそばの実があった。あれを挽いて粉にする」
「もう挽いてあるものも売っているみたいですよ。最初はそちらから始めたほうがいいのでは?」
「そうなのか……ではそうしよう。あとは何が必要だろうか」
「器も作っているんですよね?」
「うん。いくつか作ったが、うまく自立しないか途中で割れてしまった。なかなか難しい」
「どの道も極めるには時間がかかるものですからね。あなたにはその方がよいのかもしれませんが」
「お前のいなくなったあと、わたしが困らないように?」
「最近意地悪になりましたね、あなたは」
「お前の考えていることが意地の悪いことなのだ」
「そういう意味で言ったんじゃありません。趣味は広く長くできるものがあったほうがいいでしょう。欲の芽生えにも影響するでしょうし」
「ならばお前には、焚き付けた分見ていて貰う必要があるな。お前は責任の取れる男か? カブルー」
そこで一度会話が途切れた。マスターがコーヒーと紅茶を持ってきたからだ。
「ありがとうございます。乳や砂糖は使いますか?」
「うん」
ポットを鳴らすカチャカチャという音が聞こえる。この店を知っていてコーヒーが何か特に聞くことなくコーヒーを頼んだのなら、快活な青年の方がコーヒーで、エルフの方が紅茶だろうと当たりをつけた。
「お前の飲んでいる黒いのはなんだ」
「コーヒーですよ。南方で取れる木の実を乾燥させて、ローストしたものです。苦みがありますが来るたびに酸味や香りが変わっておもしろいんです」
「わたしものむ」
「熱いですから、ふーふーしてくださいね」
「ふーふー…………。…………にがい」
「中央では紅茶文化が盛んですからね。それに比べるとだいぶ苦みは強く感じるでしょう」
そこへちょうどよくタルトとクレープシュゼットがやってきたようだ。マスターはよく人を見ている。
「ほら、ミスルンさん。あまいのが来ましたから、これで口直ししたらどうです」
「うん。…………あまい」
「そうですか。よかったです」
この二人の関係は一体どんなものなのだろうか?
話を聞いているとトールマンの青年の方が随分世話を焼いているようだが、口調は敬語だ。
見た目でエルフの年齢などわからないが、二十代そこそこ程度の青年と、成人はしているであろうエルフとでは少なく見積もって六十近い差があると思われた。
最初に思い浮かんだのは愛人だった。
彼らの会話にはそういった要素が含まれているように思えた。
耳の短さといい、目の不自由なのといい、介添人が必要な人物だろうというのは憶測がついたのだがそれ以上のものが彼らには間違いなく存在している。
「よかったのか。忙しいのだろう。外に出たりなどして。眠りたかったのではないのか」
「たまには市井へ出て街を見て回らないと。それも仕事のうち、です。いえ、それは嘘ですね。ごめんなさい。今日はあなたとただ出かけるのが楽しみだった、というだけなんですけど」
「わたしも」
物憂げな声が一層儚げに聞こえる。よく耳をこらさねば聞こえなかった。ぼくはいつの間にかそのふたりの恋愛模様に夢中になっていたのだった。
「お前と、ともに街をみて、こうして話ができて…………嬉しかった」
ぼくはその言葉にひどく感銘を受けた。感激に打ち震えていた。
なんとうつくしさと儚さを影に潜めながらも、情熱的なのだろう!
物憂げな表情をしていても、容貌から美しさが抜けたものだとしても、彼は炎を胸に宿しているのだ。
「まだ時間があります。昼間は街を見て回りましたから、夜は屋敷でゆっくり過ごしましょう」
ぼくはその二人が気になって、なんでもないようにさり気なさを装ってちらりと振り返った。
手が重なっていて、空色の瞳をした青年の顔はひどく幸福そうだった。
ぼくは認識を改めた。
この二人は恋人である。互いを愛しあう無二の存在である。
彼らはゆっくりと軽食を楽しみ、店を出た。ぼくは創作意欲に火がついていた。
持っていた羊皮紙のメモに思いつくかぎりのなぐり書きを残した。
「ねえねえ、知ってる? 最近街で話題の本があるんだって」
「へえ、どんな本なんですか?」
「恋愛小説でね、目と耳の不自由な未亡人のエルフが、トールマンの青年と恋に落ちるっていうラブストーリー!」
「短命種と長命種の恋愛モノは相変わらず人気ですね」
「でもね、私もそれ、読んだんだけどね……なんだかカブルーとミスルンさんにそっくりなんだよね」
「え?」
「黒い巻き毛に褐色肌で空色の瞳の青年と、エルフだけど事故で長い耳と片目を失った黒い瞳の未亡人が出てくるの。会話なんかもそれっぽいし」
「偶然ですよ。偶然。創作者ってのはないところから色々と出してくるものですから」
「そうかなー? 貸してあげるから気が向いたら読んでみて」
それじゃあね、とマルシルは去っていった。
カブルーは目を通すだけ遠そう、と空いた時間に本を開いた。
そこには確かに、千倍ほど美化され装飾された自分たちがいた。読めばわかる。
この作者は知り合いではないはずだが、本の中で愛し合う二人は自分とミスルンをモデルにしたに違いない。
読み終わるまで、恐ろしいほどの羞恥の時間が続いた。
「発禁にできる権力が欲しい……」
かくしてカブルーは政治の道を邁進していくことになるのであった。