「その驕りが命取りになったね、僕がこの隊の長だよ」
騎馬で乱戦になり、こちらの姿を見とめた瞬間、振り上げた剣を打ち下ろすことを躊躇った。その大きな隙を見逃すほど、戦いに不慣れなわけではない。
細身のロッドで胴を突かれ、重装備の自重に堪えられず落馬したハイランドの敵将を馬上から悠々と見下しつつ、魔法兵を率いる一隊の隊長であるところの少年は無慈悲に、感情の篭らない冷たい声で言い放つ。
「子どもと侮った無能と、落馬の醜態。今更逃げようだなんて——させてやるほど、僕は鈍間じゃないよ?勘違いも甚だしいね、ここは戦場だ」
口元には感情のない笑みを浮かべ、右手を掲げた。
「知れ、己が身の丈というものを」
放たれた容赦の無い言葉と力は、周囲の空間とハイランドの兵たちを巻き込んだ大きな竜巻となって、天に向かって突き上げた。
凄まじい風があたりを駆け巡るも、その力を放った当の本人は髪の毛一本乱す事無く、落ち着き払った様子で正面をただじっと見つめるのみで微動だにしない。
次第に吹き荒れた暴風は弱く凪いでいったけれど、彼らが『戻って』くる気配は無く、そこにいた痕跡は足跡のみを残し、何処かへと吹き飛ばされていったらしい。
ルックは、馬を反転させると背後に控える同盟軍魔法兵たちを振り返る。怯えた様子で此方を見つめている兵たちに、怜悧な眼差しのまま、敵将に対する時と変わらない声で号令をかけた。
「帰還する、他の隊に遅れをとるな」
※※※
「君の兵たちはどうした」
「邪魔なんだよ、有象無象は」
単騎で駆けて来たらしいルックのあまりにもな物言いに、馬上を見上げたティルは一瞬言葉に詰まる。煩わしげに顔にかかった長い髪をはらいのけつつ、ルックは明後日の方角に向けて悪態をついた。
「僕独りで片付く事を、弱い奴らがよってたかって。頭数で競り合うのが戦じゃないのにさ」
嫌になる。
表情は普段と大差なく、相も変わらず能面のように硬い。
忌々しげなその横顔の見つめる先、平原で繰り広げられている乱戦をティルも視界に入れた。目視では、同盟軍が少々押し戻されているような陣形の崩れがちらほら出ている様子にみえる。
「リオウが押されているな」
「地の利がないうえに、こちらは軽装備が多い。あっちは重装備の騎兵だらけだ。機動力ひとつとっても、付け焼き刃の軍と練度が違う」
「ルックの隊も?」
「あいにく、3年前に無理やり騎馬訓練だけはうけて僕は馬に乗れるけど、雑兵に馬をやる余裕はないし、大多数は歩兵と変わらない。無駄死にしたい馬鹿が多すぎる」
「無駄死に、か」
「今回も後方支援のみ、貴方はでしゃばらずに戦場の外で控えていていただきたい」と、シュウから念を押されている。戦場に「トランの英雄」がいては、同盟軍やハイランド軍にも影響が出てしまうし、リオウの立場を守るためにも必要な配慮ということは理解はできた。
しかし、とティルは注意深く最前線の動きを注視する。何かおかしい、という漠然とした感覚でしかない、確信ではない何かが胸騒ぎというかたちで危機感を煽る。
「大義名分の下、名誉の死だとでも」
普段より高い位置から見下ろされながら、喉の奥で哂う様な音と共に吐き出された言葉は、辛辣な響きに思えた。しばし翠と見つめ合い、競り負けるように金の双眸を伏せる。
「耳障りのいい言葉ではあらわせない、これは——そうだな、エゴ……かな」
凝視する、その先にある戦をエゴと言ったかつての軍主の様子を、ルックはシニカルな笑みを貼り付けたまま鼻で笑った。
馬上から見下ろした頭頂部に揺れる2本の濡羽色の髪が、力無くうなだれているようにも見えた。普段にないその様子で、先程の乱戦から休みなしのささくれだった心が多少凪いだ気さえする。
「君の口から其の言葉が出るのは、正に言い得て妙だね」
「退けない。退かない理由があるから、な」
言葉と共におもてを上げ、視線は真っ直ぐ眼前の景色を俯瞰する。ルックの予想に反して、強い瞳は力を失ってはいなかった。
同盟軍の深紅と、ハイランドの紺碧が土煙に塗れて入り混じる戦場に、何かを見出そうとするようにして、視線を留めたまま動かない。それに倣ってルックも其方に視界を移したが、そこにはただ命を奪い、奪われるやり取り以外のものを見出すことはできない。
「それだけの為に?」
「それだけの為に」
揺るぎの無い声で返すティルを横目で窺う。いつか見た、「過去の人」が重なり揺れた。
三年前の戦場で見た、あの横顔と寸分違うことの無い其れが、まだそこで獣の瞳を光らせている。
「往く。背と脚を貸して」
説明もなく、馬に語りかけ鼻面をひと撫でしたティルは、言葉と同時にルックの前に飛び乗ると、手綱を奪って背後で声を無くしている同乗者に声をかけた。
「つかまれ、押し通る。援護を」
「ちょっと!!!」
同意を得るつもりはない単語のみの命令に、今の軍主は君じゃないだろとかなんとか、そんな悲鳴のような抗議は黙殺され、迷いなく馬を駆って走り始めた小柄な体躯にしがみつくしか術のないルックは、後でどうしてくれようと内心で毒づいた。