0.5章「俺、医師団を抜けてここに残ろうと思うんだ。」
カウンター席に座り、ティファの瞳の色のような深い赤色のカクテルの入ったグラスを右手でクルクルとまわしながらケルタは言う。
その言葉を横耳に聞いたティファは他の客の料理を作りながら微かに笑う。
ケルタがこの街に来て半年と少し。
流行していた感染症も収束。
ケルタはその功績が認められ、来季から晴れて「お医者さん」になるのだ。
それを機に医師団は次の戦場、カームへ向かう予定となっているがミッドガルのスラムには感染症以外にも問題はある。
上から流れてくる汚染水や大気汚染などにより引き起こされる健康被害だ。
簡易診療所にくる患者の症状の殆どがこの公害が原因であり、子供の姿も多く見られる事にケルタは心を痛めている。
特にセブンスヘブンで保護されているマリンくらいの歳の子を見ると気が気でない。
ティファに話した時点で街に残るケルタの意志は殆ど決まっている。
他の客へ料理を運んだ後、カウンターを挟んでケルタの前へ来たティファは
「そのほうが助かるな。私も、この街も。」
と言うとケルタの前に小さなケーキを出す。
それを見たケルタははにかむように笑う。
チョコで作られたプレートには「出世祝」と書かれている。
普段は健康のために甘いものや酒を注文しないケルタだが実はどちらも好物であることをティファは知っている。
今日くらいは、との店側からケルタへのささやかなおもてなしだ。
無愛想だが腕はよく、整った顔立ちと誠実な仕事ぶりで街の人気者になりつつあるケルタが街に残ってくれるのはティファとしても嬉しい事である。
ケルタが来る夜の時間帯は店のかき入れ時である為彼がこの店の用心棒をつとめ始めてからは店も繁盛、治安も保たれている。
端正な顔立ちと医者という職業からは想像もつかないような太い腕とシャツの上からでもわかるほどの厚い胸板は、争いなど起こさずともトラブルを未然に防ぐのには充分なものだ。
しかし時にはその雰囲気でも止められないトラブルもある。
ケルタが小さなケーキにフォークを刺そうとした時、隣の席にいかつい男が座り、その周りをぞろぞろと男たちが囲む。
ケルタの隣の席の男はケルタに出されたケーキを横目で睨むと
「コイツにはサービスして俺たちにはなしか?いけないなぁ、依怙贔屓は!」
と怒鳴り、カウンターから身を乗り出す。
ティファは困ったような顔で男たちに謝罪すると仕事に戻ろうとしたがそれは叶わずカウンターを出たところを男たちに囲まれる。
彼女がただのバーテンダーで無いことは彼女の傷だらけのナックルに塗る薬を処方しているケルタは知っていたが、店で彼女得意のパフォーマンスをさせるわけにもいかない。
ケルタは静かにフォークを置くとリーダーと思われる男の肩を掴む。
「おい、俺は静かに飲みたいんだ。騒ぐなら出て行ってくれ。」
言われた男は逆上し、ケルタの胸倉を掴むと上等だ!表出ろ!とそのままケルタを引きずりながらぞろぞろと男たちを引き連れて店から出ていく。
心配そうにこちらを見るティファにケルタは大丈夫、すぐ終わる、と口パクで伝える。
数だけは多いが見たところただの酔っぱらいのチンピラだろう、とケルタは周りを取り囲む男たちを見ながら思う。
左腕のグローブにちらりと目をやる。
なぜつけているのかわからないが気がついた時にはもう左腕についていたグローブ。
肩までゴチャゴチャと機械が張り巡らされているので取り外しが面倒でずっとこのままだ。
以前色々触った時に突然強力な電流が体中を駆け巡り、強烈な痛みが左腕を襲った事を思い出すとケルタは身震いする。
神羅のソルジャー相手ならまだしもたかだかチンピラ程度にこんなものを使えば死人が出る。
そんな事を考えているうちにチンピラたちがどこから持ってきたのか、鉄パイプを取り出して殴りかかってくる。
ケルタは小さくため息をつくと、左脚を引き、腰を少し落とすと両の拳を小指から固く握り込み、左手を顔の横、右手を顔の前に構える。
一瞬、同じ構えで構える誰かが見えた気がする。
ケルタはチンピラが振りかぶった鉄パイプを右腕で受け、チンピラの視界の外から軽く鼻っ柱に左拳をつく。
軽いつもりだったがチンピラの鼻からバキッという鈍い音が聞こえてその体は頭ごと後方へと吹き飛ぶ。
医者という職業柄、人にケガを負わせるのはタブーなのだが加減を見誤ってしまったようだ。
そんな事を気にする間もなくもう一人が殴りかかってくる。
いちいち攻撃を防ぐのも面倒だと思ったケルタは素早くチンピラの懐に入ると鳩尾に一撃、右の拳を刺す。
チンピラは声も出せずにその場に崩れ落ちる。
今度はリーダーが鉄パイプを両腕で持って思い切り振りかぶる。
必要以上にケガ人を増やしたくないケルタはガードを下ろすとその鉄パイプを威力そのままに首で受ける。
攻撃を当てられたリーダーは確かな手応えに期待するように顔を上げたが、そこには全くの無傷で立つケルタの姿が。
リーダーの顔からスッと笑顔が消える。
「これ以上無駄に争ってケガ人を増やしたくない。ケンカがしたいなら他を当たってくれ。」
表情一つ変えることなく静かな声で言うケルタに恐怖を感じたのか、チンピラのリーダーは残りの男たちを連れて逃げるように闇夜へと走っていく。
ふと店の方を見ると、扉の前にティファの姿がある。
ケルタはティファに向かって親指を立てる。
それを見たティファがこちらに走ってくる。
どうやら先程のチンピラたちは普段は昼に来てティファにちょっかいをかけていたようだ。
他の客からも苦情が入っていたらしい。
それにしても、とティファはケルタを見る。
「ケルタの型、ザンガン流だったんだ。」
構えでわかるよ、と構えてみせたティファの構えもケルタがよく知るザンガン流だ。
彼女は同じ師の元で教わった同士を見つけて嬉しそうだ。
だがケルタはザンガンに直接型を教わった覚えはない。
誰にどこで教わったのか、全く覚えていないのだ。
しかし今は余計な混乱をティファに与えるべきではない。
そう思ったケルタはザンガン流の話を早々に切り上げ、彼女に小さな三日月型のピアスを差し出す。
「これは俺がしているヘッドセット型の通信機の子機なんだ。言語入力に反応して通信できる。CALLと言った後にナンバーを言うと対応の親機に繋がる。ナンバーは...」
子機をつけたティファがナンバーは?と繰り返し聞く。
ケルタはひと呼吸置くと、864(ハチロクヨン)と答える。
聞き覚えのあるナンバーにティファは覚えやすいね、と笑う。
店に戻ったケルタはティファに子機の使い方を説明しながら出世祝のケーキに舌鼓を打つ。
これからますますティファや店の為に働けると思うと嬉しい。
この数年後、ケルタもまた星を巡る戦いにティファたちと共に身を投じていく事になる。