CALL 864全身を包む柔らかな光。
心地よい暖かさにぼんやりする意識の中、ゆっくりと瞼を開くとそこには先ほどまでの穏やかさからうって変わって慌ただしいスラムの喧騒が映し出される。
七番と書かれた看板。
とうに日が暮れているというのに目の前には長蛇の列。
皆健康とは言えず咳をする者や発熱でぐったりしている者も見受けられる。
「ケルタ!何してる?手を止めるな。」
忙しく働く先輩に声をかけられた青年はまだ虚ろな紫の瞳の目を擦り、銀色の短い頭を掻くと自分の服装を見る。
黒いワイシャツに白衣、スラックスに革靴。
首からは名札を下げている。
「研修中」の文字の下にはケルタ・モルビーの名が書かれている。
そういえば、とケルタは記憶を少し遡る。
自分は活動地域を絞らず世界中を渡り歩く医師団のメンバーとして数ヶ月前からこの団体に身を置いている研修医の一人で今はミッドガルの七番街で流行中の感染症の対策に来ているのだ。
はじめは世界をまたにかける医師団に入る事ができて浮かれていたケルタだが今はそのあまりの多忙さに団体に入った事を少し後悔している。
昼夜殆ど休み無く働き続けて頭はボーッとし、体が言う事を聞かなくなっているのだ。
様子がおかしい後輩を心配して先輩はひとまずどこかで食事と休養を取ってくるように言うとケルタを仮設診療所から追い出す。
診療所を出たケルタは覚束ない足取りでフラフラと街を歩く。
来たばかりというわけではないが七番街に来てから診療所を出た事はなく街のことは全くわからない。
行くあてがないが歩き回る体力もない。
とりあえず近くにあるセブンスヘブンと書かれた飲食店であろう店の入り口の階段をのぼり、扉をゆっくり開く。
そこには空っぽのテーブル席が数席と、正面のこれまた空っぽのカウンター席が数席、そしてその奥でグラスを拭く長い黒髪の女性の姿。
彼女は扉が開く音に気づいてゆっくりとこちらへ振り向くと
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
と柔らかな笑顔でケルタを出迎える。
その姿を見た瞬間、胸の中に波のように押し寄せる安堵感と胸を締め付ける何かにケルタは目の奥が熱くなるのを感じて慌てて彼女から目を逸らす。
彼女は客の不思議な反応に小首をかしげたが追求することはせず注文を聞く。
ケルタは店の余り物ですぐに出せるものを、という。
もう何日まともに食事を摂っていないか見当もつかない。
値段や味よりも一刻も早く何か食べたいのだ。
彼女は少し考えるとかしこまりました、と言ってカウンターに引っ込む。
少しして片手に水の入ったグラスともう片方の手に大きなクラブハウスサンドを持ってきてケルタの前に差し出す。
ケルタは差し出されたクラブハウスサンドに夢中でかじりつき、かぶりつくように水をガブガブと喉へ流し込む。
物凄い勢いで食べるケルタが1つ食べ終わる頃に皿にもう1つのクラブハウスサンドが乗っている。
水もなくなる前に注がれている。
まるで自分が猛烈に腹が減っていることがわかっているようだ、とケルタはぼんやり思う。
何にせよ気が利く女性だ。
店中のクラブハウスサンドを食べ尽くしたケルタはやがてテーブルに吸い付くように突っ伏す。
そこから彼女に呼びかけられる声と共に意識は遠くなる。
意識が戻ったケルタはキョロキョロと辺りを見回す。
簡素ながらよく整えられたベッドで横になっている。
自分の頭の横には黒シャツ、白衣、スラックス、名札がきちんとたたんで置いてある。
洗剤だろうか、爽やかないい香りがする。
自分の服は自分のサイズよりワンサイズ大きいノースリーブの一張羅になっている。
なんとなく恥ずかしくなったケルタはゆっくり起きると枕元に置かれていた自分の服に着替える。
着替えながら意識がなくなる前にもてなしてくれた女性の事を思い出す。
食うだけ食って眠った自分をここまで運んでベッドも貸してくれて自分の服を脱がして洗濯してたたんでおいてくれる。
なんとも気が利く女性だ。
...ん?脱がして洗濯?
急に先程の気恥ずかしさの正体を知ってケルタは自分以外他に誰もいないというのに思わず片手で顔を覆う。
ふと置き時計に目をやる。
日付も表示されるタイプのデジタル時計だ。
4月10日にこの店を訪れたはずだが時計は4月12日と映し出している。
その意味を理解したケルタはベッドから跳ね起きると慌てて目の前の扉を開く。
この扉は店に繋がっているようだ。
カウンターには自分をもてなしてくれた女性の姿はなく、代わりにおかっぱ頭の少女が座っている。
少女はこちらをちらりと見るとあ、お寝坊さんの人、とつぶやく。
一昨日前にここにいた女性の事を尋ねると買い出しに出かけているとの事だ。
お兄ちゃんが昨日のぶんのクラブハウスサンド全部食べちゃったから大変だった、という少女の言葉にケルタは目を丸くする。
あれは余り物ではなく前日から用意していた次の日のぶんを出してくれていたのだ。
礼と支払いを済ませたいが手持ちもなく昨日仕事を無断欠勤してしまった為、悠長に彼女の帰りを待つ訳にもいかずケルタは少女に必ず支払いに戻る、と女性への伝言を言付けると店を飛び出し診療所へ走る。
自分の疲れがピークであった事は周り全員が知っていたようで、とばずにまた出勤してきた事を逆に褒められる。
妙な気分だ。
一昨日までの忙しさが嘘のように、今日はケルタ一人でもさばききれる程度の患者の数だ。
ケルタは手際よく患者たちの診察を行う。
無断欠勤した自分のぶんも働いて感染者数を落ち着かせてくれた先輩たちを今度は自分が休ませる番だ。
ケルタの様子を見た先輩たちは教育係の医師を残して各々休憩へ入る。
明るい夜の街のその灯りも消える頃、ようやく本日の仕事が終了。
片付けも早々に終わらせたケルタはもらったばかりの給料袋を握りしめてセブンスヘブンへ走る。
扉を開くと朝話した少女の隣に女性が座っている。
どうやら伝言は伝えてくれたようだ。
バックヤードへ戻る少女に小さく手を振ると、女性は一昨日そうしてくれたように柔らかな笑顔でいらっしゃいませ、と言う。
その優しく美しい女性に見惚れそうになったが、少女がバックヤードの扉を閉める音で我に返ったケルタは握りしめていた給料袋をそのまま女性の前へ突き出す。
お釣りは取っておいてくれ、と。
女性は給料袋を手に取ると袋の口を開けて軽く袋を振る。
すると紙幣は出てこず、代わりに小銭がコロコロと女性の手のひらの上を転がる。
意識がハッキリしない中での飲食だったがそれでも明らかに「足りない」というのがケルタにもわかる。
予想外の出来事に慌てるケルタの様子に女性はクスッと笑うと864ギル、お預かりします、と言ってレジを開ける。
しかし何もせずレジを閉じると
「864ギルのお返しです。」
と言ってケルタの手へそのまま小銭を返す。
驚いて目を見開いたケルタに女性は
「今回はサービスです。また来てください。今度はお店が開いている時間に。」
と微笑む。
ケルタは看板の営業時間を見ると恥ずかしそうに頭をかく。
一昨日も今日も営業時間を大幅に過ぎてから駆け込んでいる事に気づく。
恥をかきっぱなしだが彼女とは長い付き合いをしたほうがいい。
なんとなくそんな気がしたケルタは女性の方を真っ直ぐ見て女性の誠意に応えようと思う。
「必ずまた来る。今度はちゃんと金を払わせてくれ。えーと...」
その先を促された女性はティファです、ティファ・ロックハート、と短く答える。
ケルタが頷くとティファも
「お待ちしています。ケルタ・モルビーさん。」
と笑う。
敬語もさん付けもいらない、と言いながらケルタは名乗った覚えもないのになぜ自分の名前をティファが知っているのか疑問に思ったが、自分が首から下げている名札の存在を思い出す。
ティファが自分の介抱をしてくれたのなら身元がわかるこの名札は当然見るだろう。
店を後にしたケルタはティファの事を思い返しながら考える。
これだけ良くしてくれた彼女の為に自分には何ができるのか。
実はケルタは自分が研修医としてコレルの診療所で働いた後今の医師団に加入する前の記憶がない。
わかっているのは自分は妙に医学の知識があった事、記憶がある一番はじめの格好やはじめから装備していた軍事用ヘッドセット、左腕の特殊なナックル武器から推測する限り戦士か何かをしていた事くらいだ。
自分が得意な事といえばチンピラを追い払うか医療行為くらいしかない。
それでも店の用心棒くらいにはなれるのではないか。
明日ティファに聞いてみよう。
そんな事を考えながらケルタは帰路につく。
次の日のティファの返事は大賛成。
ただし暴力沙汰はなるべく避けて、と釘を刺される。
その日からケルタのティファと店の用心棒生活が幕を開ける。