ウリへのセクハラウルリッヒには、そもそも”性”という概念が存在しなかった。
それは単に知識の欠如ではなく、彼自身の意識の在り方そのものが、そういったものを必要としない形で作られていたからだ。性欲というものを持たない彼にとって、それは理解の外にあるものだった。
だが、彼はその概念を持たぬがゆえに、それがどれほど他者の世界に深く根付いたものなのかを知らなかった。
ある日を境に、ウルリッヒは特定の者たちから繰り返し投げかけられる言葉に、得体の知れない感覚を覚え始めた。
「お前みたいな無機質な奴でも、抱かれたいとか思うのか?」
「興味ないって言うけどさ、試したこともないんだろ?」
「そういう感情がないなら、どうやって愛を知るんだ?」
最初のうちは、それらの言葉に意味すら見出せなかった。
ウルリッヒはただ「ボクには関係のない話だ」と淡々と返し、流し続けていた。相手が何を求めているのか、何を意図して言っているのか、全く理解できなかったのだ。
ウルリッヒは、その違和感を最初は軽視していた。
自分には不要な情報、自分には関係のない価値観。
そう思えば、耳に入ってきた言葉も、単なる無意味な雑音として処理できるはずだった。
だが、ある日、それは唐突に限界を迎えた。
いつものように、誰かが無遠慮に話しかけてくる。
「お前さ、本当にそういうの興味ないわけ? 一回ぐらい試してみたら?」
軽い調子で笑いながら言われるその言葉。
ウルリッヒは、一瞬、応答するべき言葉を失った。
——ボクは興味がない。ボクには必要がない。
それは何度も伝えたはずだ。それでも相手はやめようとしない。
そうして気がついた。
これは、彼らにとって”興味がない”では済まされない話題なのだ、と。
興味がないと言えば、それはただの「興味がない人」として処理されるのではなく、むしろ「興味がないなんておかしい」と認識される。
持たないことが異常であると、無意識に決めつけられているのだ。
ウルリッヒは無言のまま立ち尽くし、自分の頭部に満ちた磁性流体をほんのわずかに震わせた。
違和感が膨らんでいく。圧迫感のように、内側からじわじわと広がっていく。
「……そもそも性欲と言うものを理解できない。」
淡々と返すウルリッヒ。
それでも相手は笑う。からかうように、面白がるように、まだ言葉を続けようとしている。
その時——
「……気持ちが悪い。」
思わず口をついて出た言葉だった。
周囲が一瞬静まり返る。
ウルリッヒ自身、なぜその言葉が出たのか分からなかった。
だが確かに、心の奥底から湧き上がる感情は、明確な”嫌悪”だった。
気持ちが悪い。
“それ”を当然のものとして押し付けられることが。
“それ”を持たないことを奇異な目で見られることが。
“それ”を持たない自分を、修正しなければならない欠陥のように扱われることが。
ウルリッヒの頭部の磁性流体が、不快感を示すように波打った。
「……二度と、その話をボクするな」
低く、静かに、しかし確かな拒絶を込めてウルリッヒは言い放った。
もう笑い声は聞こえなかった。
相手は何かを言いかけたが、それを最後まで口にすることはなかった。
ウルリッヒは踵を返し、その場を去る。
彼の足取りはいつもと変わらなかったが、その背中には、明確な”拒絶”が刻まれていた。