君の呪いは今日解ける 有能な年下の上司が、さっきからミスばかり繰り返している。そればかりか、暇さえあればぼんやりとどこか遠いところを眺めて、時折一人で百面相している。感情を制御するのに長けた上司がそうなる原因など、目良には一つしか思い当たらなかった。
「エンデヴァーと何かありましたか、ホークス」
「へ? へえぇ!?」
目良の言葉に顔を真っ赤にして、会長室のデスクに着いたホークスは、座った椅子を倒さんばかりに飛び上がった。
「な、な、な」
「あー、いいですいいです、言わなくて」
「何ですか自分で聞いといて!」
その反応から大体のことを察した目良が、疲れ目の目頭を揉んでもう一度抱えている書類に視線を戻す。横目で見るホークスは、「あ」だとか「う」だとか言ってもじもじした後、そっと椅子から立ち上がって目良の元まで歩いてきた。
年下の上司はそれでも今年齢30になるはずだが、目良の耳元に手を当てて、随分幼い仕草でひそひそと語りかけてくる。
「目良さん、あのね」
「はいはい、何ですか」
「俺、エンデヴァーさんと、お付き合いすることになって……」
ただでさえ小さい声の語尾が、みるみる萎んで消えていった。ホークスの顔を見ると、何がそんなに不安なのか、まるで10代の頃のように眉を下げて目良の反応を待っている。
「良かったですね、ホークス。ちゃんと何でも素直に言って、意見がぶつかったらよく彼と話し合うように」
「! はい!」
目良の言葉に、照れくさそうに頬を赤らめてホークスは幸せそうにはにかんだ。そんな様子を見せるものだから、最近バルクアップして目良よりずっと体格が良くなったホークスの頭を、目良もつい子どもにするように撫でてしまう。
ホークスがずっと、子どもの頃からエンデヴァーの背中を追ってきたのを知っている。最初は憧れから始まったその感情が徐々に形を変え、いつの間にか恋に、そして愛に変わったのを知っている。聞けば本人は笑って否定したが、その裏で妻帯者に抱いてしまった感情を捨てようともがいて結局できなかったのを知っている。
大戦後程なくして荼毘が亡くなり、末息子焦凍の成人を機に轟夫妻の離婚が正式に決定したときも、ホークスはエンデヴァーに自分の気持ちを何も言わなかった。ただただ精神的に辛い状況に陥ったエンデヴァーを、何の下心もなく献身的にそばで支え続けた。
そんなホークスの気持ちが、何がどうなったのかは知らないがとうとうエンデヴァーに掬い上げられ実る日が来たのだ。
幼い頃からホークスを知っている目良には、それが我が事のように嬉しかった。
奢ってあげるから付き合いなさいと珍しく目良からホークスを誘って酒を飲んだのが、三ヶ月前のこと。
仕事で忙殺されたクリスマスを終え、仕事納めに当たる12月28日。
ホークスの誕生日でもあるこの日、目良は公安の応接室でエンデヴァーと向き合っていた。
「……粗茶ですが」
「……ああ、ありがとう」
目良の煎れてきた熱い茶を水でも飲むように一気飲みしたエンデヴァーが、湯呑みを置いてじっと目良を見つめる。
「……ホークスのことなんだが」
ですよね、と目良は心の中で相槌を打った。ホークスのこと以外に、エンデヴァーがわざわざ突然自分を訪ねてくる理由が思いつかないからだ。
「はあ。喧嘩でもしました?」
「いや……」
「あの子は口と頭がものすごく回るので手を焼くかも知れませんが、根は悪い子じゃないんですよ」
せっかくの付き合い始めて初めての誕生日に喧嘩も切なかろうと、ついついらしくもなく親心を発揮した目良の言葉を、「お前には関係ないだろう」とエンデヴァーが険のある声で遮る。
「いや……すまん。そうじゃない。そうじゃないんだ、目良」
目良を睨んでいた目が見る間に力を無くし、肩を落として目頭を押さえるエンデヴァーに、一体何事かと目良は目を瞬かせた。
「……できれば、私にもわかるように説明していただければ」
フー、と長いため息を聞かせたエンデヴァーが、こくりと頷く。
「事の始まりはクリスマスだ。あいつは何が楽しいのか買ってきたクリスマスツリーなんぞ飾って、俺と一緒にチキンとケーキをにこにこ食べ、プレゼントにと新しい靴を寄越した。あいつも俺が渡した腕時計を嬉しそうに受け取っていた」
エンデヴァーと違ってなみなみ残っている湯呑みの茶を啜りながら、目良はとりあえずエンデヴァーの話を聞いた。話を聞いている限り、ここまで特に問題は無さそうに見える。
「それで……問題はその後だ。誕生日に欲しいものはあるかと聞いたら、プレゼントなら今日十分頂いたし、エンデヴァーさんが一番に誕生日をお祝いしてくれたらそれで結構ですと」
なるほど、それでもどうしてもプレゼントを渡したいエンデヴァーと本当に欲しいものが思いつかないホークスで喧嘩になったというところか。目良は納得して、うんうんと相槌を打った。ホークスは強欲を公言しているくせに、昔から自分個人のこととなると妙に無欲なところがある。
「俺は納得できなかったので、何かないのかと詰め寄った。そうしたらあいつは……顔を真っ赤にして、もしエンデヴァーさんが抵抗がないのであれば、一回でいいから抱いてほしい、と……」
ブーッ!
目良は口に含んでいた茶を盛大に吹き出した。何だか想像していた話の流れから逸れてきたではないか。というか三ヶ月も付き合って、まだ性的な接触をしたことがなかったのか。いや、子どもの頃から知っている子のそういう話、きついですって。
目良は無言でテーブルを拭いた。
「俺は、あいつのことを大事にしたい。あいつにそういう経験が少ないことも、なんとなくだが察している。だからそういうことも、もう少し段階を踏んでからと思っていたんだが」
あ、続けるんですね、その話。
目良はすっかりきれいになったテーブルを尚もおしぼりで拭きながらエンデヴァーの話を聞いた。
「ホークスのやつ、『俺だってそういう知識くらいあります! 公安のそういう訓練で、目良さんと寝たことありますから!』と……」
「あ〜〜〜」
オワタ。目良の頭が沈んで、応接室のテーブルがごんと音を立てる。先程エンデヴァーから感じた敵意はそういうことかと納得して、目良の口から深いため息が漏れた。
「……それで、その後ホークスとは?」
顔を上げられずテーブルに突っ伏したまま、目良が渋々口を開く。
「俺がくだらぬ悋気を起こしたせいで、三日口を聞いていない。ホークスも、『目良さんとはそんなんじゃなか!』と珍しく怒ってしまって」
「あ〜〜〜」
目良は頭を抱えた。まさか今誰よりも幸せになってほしい二人に自分が一石を投じることになるとは思わなかったのだ。
「エンデヴァー、それは全くの誤解で」
「……気を遣わなくていい。調べたんだ、公安の資料を。『ヒーローホークスへの性的実技講習・男性担当目良善見』……。資料を見ると、ホークスが15歳の頃、となっているな」
目良はやっとテーブルから顔を上げた。じっとこちらを見つめてくるエンデヴァーは眉間に深い皺を寄せている。
「……機密資料をよく見つけましたね。さすが元ナンバーワンヒーロー」
「……ではやはり」
「誤解だと言ったでしょう」
目良はエンデヴァーの言葉を遮り、もう一度繰り返した。
「まず、ホークスへの性的実技講習を行おうという動きがあったのは本当です。公安の闇ですね」
エンデヴァーは、眉を寄せたまま何も言わない。どうやらとりあえず目良の話を聞こうという姿勢にはなってくれたらしい。
「ホークスは聞き分けのいい子でしたが、このときばかりは泣いて渋りました。初めてはできるならエンデヴァーさんが良いと。なんとか本人に頼めないのかと。僕がホークスのあなたへの気持ちを知ったのはこのときです」
エンデヴァーは目を丸くし、目に見えておろおろした。
「まあ、あの時のあなたに言っても断られるのはわかっていましたし、そもそもあなたは妻帯者でしたしね。どうにかホークスを宥めて」
あのときは大変だったと、泣きじゃくる小さな背中を撫でて慰めたことを目良が懐かしく思い出す。
「結局エンデヴァーさんが駄目なら目良さんが良い、とホークスは後日僕を指名しました。でもまあ、残念ながら僕にはそういう稚児趣味? みたいなものはなくてですね。本当はこれも年齢的に大いにアウトなんですが、事前にホークスにAVを渡して予習させ、僕とホークスで適当に台詞を吹き込んだ音声データを用意して、SEも入れて編集しました」
「……つまり、この講習は」
「そういう体裁だけ整えた僕の昼寝時間です。二人で耳栓をして布団を被っていただけですよ。ホークスが音声データの再生をしながら適当に布団の下から剛翼をそれっぽく動かしてくれて……いやあ、あの時は本当によく眠れました」
後からどうして布団を被っていたのかと問われはしたが、ホークスが恥ずかしがったのでという理由で無理矢理押し通したのだ。AVから引っ張ってきたSEの水音やホークス渾身の演技もあってそれ以上の追求はなく終わった。
顔を覆って黙り込んでいるエンデヴァーを見ながら、目良は湯呑みに残っていた茶を飲み干した。
「……すまなかった」
「いえいえ。人のそういうのに口を出すのも野暮かと思いますが、良ければ抱いてやってください。彼は15歳の頃からずっと待っていたので」
頷いて席を立ったエンデヴァーに、「そういえば、もうホークスに誕生日おめでとうと言ってあげましたか?」と目良は聞いた。
難しい顔で沈黙したエンデヴァーに、「まだなんですね」とため息をつく。
「……彼は、産まれなければ良かったと言われ続けて育った子どもです。言葉は呪いになり、今も彼の中に残っている」
それはかつて公安職員が何度も解こうとして、解けなかった呪いだ。俺の誕生日? そんなに気を遣わないで下さいって〜と笑顔で躱され続けてきた。
「きっと、あなたにしか解けない呪いです。あなたがそういうのが苦手なのはわかっていますが、あの子が産まれてきてくれて本当に良かったと、ありがとうと、どうか一言声をかけてやってください」
「……わかった。ありがとう」
返ってきた言葉にほっと胸を撫で下ろす目良に頭を下げて、杖の音を響かせ、エンデヴァーが去っていく。二つの湯呑みを片付けて、応接室から会長室に、目良は内線を繋いだ。電話の向こうのホークスは、もうすぐ仕事が終わると言う割に何やら浮かない声をしている。
「ホークス、大丈夫ですから、今日は安心して彼のところに帰りなさい」
電話の向こうのホークスが訝しんで、どういうことかと問うてくるのを、まあまあと宥めた目良はそのまま続けた。
「いいですか、ホークス。もし彼に痛いことや苦しいことをされたら、夜中でもいいのですぐに僕の家まで逃げてきて下さい。タクシー代は出します。住所はわかりますね。はい、よろしい」
タクシー代は後で元ナンバーワンヒーローに請求するつもりで、軽く目良が請け合う。
「あ、言い忘れてましたがお誕生日おめでとうございます。彼によろしく」
あらぬ疑いをかけられて、仕事納めのこの日に仕事を遅らせられたのだ。せめて今年くらい、先に誕生日を祝う権利を譲って貰ってもいいだろう。