ココアのおまじない「……っ、?」
授業中、ツキツキと主張する腹部の痛みに思わず手を添えて眉を顰める。
昼食を撮り終わった5限目の授業。先生の話を真面目に聞き板書をするもの、ウトウトと船を漕いでノートにミミズを書いてしまうもの、後者の方が多い中、司はなれない痛みにひやりとする。
もしかして、もうすぐ例のアレが来るのだろうか。そう考えて気分がズンと下がっていくのを感じた。
「(今日はレッスンがありますのに…)」
初潮を迎えてから数年経つが未だにこの痛みと不愉快さには慣れないもので、痛みが酷くなるようなら後で薬を飲んでおこうと思う。
というのも司は毎回生理が重いタイプではなく、数ヶ月に1度とてつもなく症状が出るほうだった。けれど生理痛なんて予測できるものでもないため来なければ分からないと言った最悪のルーレット状態だ。
幸運と言うべきか、今日の授業は残すところこの五限目だけだ。激しく動くレッスンがあるもののとりあえず今の授業を乗り切ろうと一旦頭を切りかえてノートに綺麗に板書をするのだった。
帰り際、生徒会室に立ち寄ると創に声をかけられた。どうやら創は副会長として桃李と校内を見廻る予定があるのだとか。
「朱桜さん、大丈夫ですか?顔色が少し悪いような…」
そんなに悪いだろうか?自身で顔をぺたぺたと触ってみるが違いがわからなかった。特段顔が熱いとか、冷たいとかはない気がする。
「そうでしょうか?いつもと変わらないと思っていたのですが。」
「僕の心配し過ぎならそれでいいんですけど、朱桜さん最近忙しそうですから…。あまり無理しないでくださいね」
「えぇ、今日はlessonが終わったらゆっくり休むことにします。ありがとうございます、創くん」
とんでもないですと微笑まれて、じゃあこれあとは僕が渡しておきます。と司の手からするりと書類が抜き取られる。桃李に渡そうと思っていた書類だ。何を言うまもなく創からしっかり休んでくださいねと念を押されてしまっては生徒会室を後にする他なかった。
「ス〜ちゃん、なんか調子悪い?」
「えっ?」
Knightsのレッスン中凛月に発せられた一言に固まってしまう。自分ではできているつもりだったがどこかおかしかっただろうか?ダンスがズレていた?それとも歌がよくなかった?
「いや、パフォーマンスはいつも通りだったよ。大丈夫。けどなんか顔色が少し悪い気がして」
少し休憩しようかと提案されて頷く。凛月が座りこんだ足の間においでと言うので失礼しますと一言詫びて座り込む。司の髪をさらさらと撫でてくれるのが心地よい。
「寝不足とか?それとも、もうすぐきそうなの?」
ここには2人以外誰もいないのだが気を使っているのか小声で話す凛月が少し可愛らしかった。
「えぇ、そうなんです。今日創くんにも心配されてしまいました」
困ったように笑うと凛月も心配そうな顔をして司の頭を撫でた。
「ス〜ちゃんあんまり無理しちゃダメだよ。きつくなったらいつでも保健室に行って休むこと。レッスンもきついなら俺かKnightsの誰かにすぐ教えて?わかった?」
「えぇ、わかりました。もう凛月先輩ったらそんなに心配なさらなくても」
あまりの心配性に司がくすくす笑うと凛月が頬をぷくっと膨らませてむくれてしまう。普段は気だるげでかっこいいのにこういうところでキュンとさせてくるところがまた、ずるいと思う。
「彼女の体調心配するなんて彼氏として当たり前じゃん、ス〜ちゃんには元気でいて欲しいの〜」
確か2年生になったばかりの頃だっただろうか。Knightsの王として、朱桜家の代表として、ニューディの代表として動き始めた司は忙しい時期と生理が重なり倒れてしまったことがある。
司としては本当にたまたま症状が重い時期と重なっただけで反省はすれど特に気にする出来事ではなかった。次からはしっかり薬を飲んであまり仕事を詰め込みすぎないでいようかな、くらいだったのだ。
けれど凛月にとってはどうにも衝撃的な出来事だったらしくベッドで目を覚ました司に何があったのかをさめざめと問いつめられたものだから、羞恥が勝ってKnightsの誰にも相談することがなかったこの話をすることになった。
いわく「元気なス〜ちゃんがあんなにぐったりしてるの初めて見たから」らしい。それからというもの凛月はありえないくらいの過保護を発揮していつもと何か違うとすぐに声をかけてくれるようになった。
前々から髪型を変えた時や少しメイクを変えた時なども褒めてくれたがそれに加えて体調面の気遣いが増えた、といった感じだ。
司としても倒れたのはライブの直後だったため、多大な迷惑をかけたことを気にしているのであのようなことはもう起きないように気をつけているつもりだ。実際に倒れてから今まで重い症状が来なかったこともありそこまで困ったことは無い。
「何かあれば凛月先輩を頼らせていただきますね。」
後ろにいる凛月の顔を覗き込むように言うと満足そうに笑いいつでも飛んでくからねと言った。
「お疲れ様でした〜」
大手出版社から出る女性向け雑誌の表紙となる撮影。Knightsとして、朔間凛月として雑誌の表紙を飾ることは大して珍しいことではないが女性向け雑誌として誰もが知る雑誌のしかも表紙となれば流石の凛月でも緊張した。Knightsの中でもモデル業をこなす泉や嵐ではなく凛月を指名してもらったというのもまた緊張の材料であった。
凛月としては万全な状態で臨んだ撮影は思ったよりも早く終了した。カメラマンにもスタッフにもその場にいたプロデューサーにもバッチリOKをもらい、自身でも今日は上手くいったかな〜、なんて思っている。
凛月の今日の仕事はこれで終わりということでタクシーを手配してくれているらしい。なんと手厚いことだろうかと感動しながらその間プロデューサーと談笑する。
『凛月先輩』
『ごめんなさい、迎えに来て欲しくて』
ふと何気なくスマホを開くと司からメッセージが届いていた。メッセージから何事かと慌てて送られてきた時刻を確認し、5分前なことに安堵する。プロデューサーに一言断りを入れて通話ボタンを押す。
『…もしもし、凛月先輩?』
「うん、俺。いま仕事終わったからすぐ迎えいくね。ス〜ちゃんどうしたの?」
『ごめんなさい、お仕事中でしたよね…?』
「んーん。今日はもうおわり。ちょっとはやくおわったの」
何があったのだろうか、明らかに調子が悪そうな声に心配になる。それよりも、どうしたの?と声を柔らかくして尋ねると司はもっと消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
『お腹が、いたくて。それでひとりじゃ帰られなくて…』
再度、ごめんなさいと呟く司を抱きしめたくてたまらなかった。大丈夫だよと言って頭を撫でてやりたい。
「ス〜ちゃんすぐに行くから大丈夫だよ。あともうちょっとだけ、待てる?」
『はい…。』
「いい子。じゃあ一旦切るね?すぐ行くから」
司がちゃんと返事をするのを待ってから通話を切る。
「司ちゃん?体調悪いの?」
凛月の返事から予想したのだろうプロデューサーが心配そうに声をかけると共にタクシーが到着したことを教えてくれる。
「そう。今動けないみたいだから迎えに行ってくるね、お疲れプロデューサー」
お疲れ様、気をつけねと言う彼女に手を振って急いでタクシーに乗り込む。
昨日の司との会話で今日は1日学院にいることは把握済みなので行き先を迷うことなく告げてタクシーのドアを閉める。
「夢ノ咲学院までお願いします。」
緩やかにブレーキが踏まれ校門より手前で車か停車する。少し待っていて欲しい旨を伝えてタクシーから降りる。
卒業してそう日が経っていないため、あまり懐かしさは感じない学院では午後の授業中なのか賑やかさはない。来客用の入口から迷うことなく保健室に直行する。凛月からすれば夢ノ咲の保健室は庭みたいなものである。
あまり音を立てないようにドアをスライドさせると保険医があらと驚いた顔をしている。
「朔間くん、久しぶりね。朱桜さんの迎えに来てくれたのかしら。」
ESができてから佐賀美から別の保健医と交代し、凛月はすっかり打ち解けている。卒業してからも覚えられているということは凛月を超えるような睡眠魔の生徒はいないのだろう。
「そうです。ス〜ちゃんは?」
「こっちで寝てるわ。相当キツかったみたいでねぇ。ごめんなさいね、両親以外だと朔間くんが適任と思って」
司と凛月が付き合っていることはKnightsと真緒や凛月の兄くらいしか知らないと思っていたが意外とバレてしまっているものなのだろうか?微笑ましげな顔をされて少しだけむず痒くなる。
そんなことよりもス〜ちゃんだとこれまた静かにカーテンを開ける。
「ス〜ちゃん、ス〜ちゃん来たよ。」
「り、つ先輩?」
「うん、待たせてごめんね。きついと思うけど起きられる?」
「はい。」
ベットに寄って少しだけ肩をとんと叩くと閉じられたまぶたが開いて綺麗なすみれ色が現れた。けれどいつもの強い意志を宿すものではなくてかなり心配だ。しゅんと眉を下げて心底申し訳なさそうにするス〜ちゃん。変わってあげられないしんどさも痛みも歯がゆく思いながら優しく頭を撫でる。
寮に帰ったらたくさん暖かくして望むことはなんでも叶えてあげたい。あぁ、もちろんス〜ちゃんに特製ココアもいれなきゃね。少しでも痛みが和らぎますように。