ペテンただの五月蝿い苦手な人種だった。最初は。
「っ、仁王!真面目にやらんか!!」
「はいはい、分かってるぜよ。」
飄々と何を考えてるかも分からない俺の態度はたいそう気に触るようで。
まぁ、元来真面目やら誠実やらと無縁の俺にとっちゃこの生き方がしょうに合ってた。
ただ真っ直ぐに真剣にテニスに打ち込んでる彼奴は眩しく少し羨ましい程だった。
それがどこか癪に障ると言うか、なんと言うか。まぁ、とにかく一生相容れない、部活内だけの存在だと思っていた。
「仁王!」
耳にキンと響いた声に心の中で舌打ちをして振り返る。
「なんじゃ、なーんもしとらんぜよ。」
「練習に戻れ。まだ全員のメニューが終わっていないぞ……!」
黒いまっすぐな視線が体に刺さるような感じがした。ひどく喉が渇いたような奇妙な感覚だった。
「……俺はもう終わってるじゃき。さっさと自分の練習に入る方が効率がええんじゃ。」
「それでもだ。全員の士気に関わる!」
わざわざ俺が居ない事に気がついてコートから追いかけて来た真田は少し息があがっていた。あいつなんか気にしてる場合じゃない…メニューをこなしてさっさとコートを出ていった俺に誰もがそう思っていた。こいつ以外。グッと目を細めて、少し睨む。
「気にしなさんな。俺が居ても居なくても差程変わらん。」
真田の真っ直ぐな視線を振り切って、後ろを向く。この謎の苦しさを振り払うように。
「そんな訳ないだろう!
仁王、お前は立海に必要だ、3連覇のためにも…!幸村が帰ってくるまで、俺たちは…。」
ひどく甘い言葉だった。
「おまんはいつもそうじゃ、幸村、幸村って。」
ふいに口をついた言葉は一瞬誰が放ったものなのか自分でもわからなかった。
幸村の辛さは俺たちが1番知ってることなのに。真田が3連覇を気負う理由も。
「…あ、………本当にほっといてくれんか。
もちろん3連覇に向けて手を抜くつもりもないし、幸村に優勝を届けるために負けはしないぜよ。」
言い訳のように吐き捨てて早々と足を進めた。後ろで俺の名前を呼ぶあいつも無視。
幸村の名前で苛立ったのは初めてだった。
いつも聞いてる名前のはずなのに。俺たちにとっての"神の子"なのに。あいつが俺以外に気を向けるのが気に入らない…?
「いや、ありえん…。」
もう何を考えても、気がおかしくなりそうで頭を強めに降った。
よく分からない感情は正直かったるい。校舎裏で猫を撫でながら、ため息をついた。
なぁ〜んと鳴いてするりと手に擦り寄ってくる白猫に少し心が癒された気がした。
「仁王…!」
白猫はばっと逃げ出した。もう一度大きめにため息を吐いて振り向く。
「なんじゃ…。今は休憩中ぜよ、猫と戯れようが文句を言われる筋合いはないきに。」
「そうではない。
実は、赤也が左相手に練習したいそうでな。あいつの向上心は目を見張るものがあるだろう?お前もここはひとつ、手を貸してはくれないか?」
今度は赤也か…。ふいに浮かんだ考えに頭がおかしくなったかと思った。ガンガンと強めに頭を叩く。本当におかしくなったか…?
「…大丈夫か?体調が悪いのなら」
そう言って顔を覗き込む真田に思わず体が仰け反った。らしくもない。
そもそも最近ふいによぎるこの変な感情は真田のせいであるのは一目瞭然である。分かっていてもこのイライラをぶつける気にはなれなかった。
「…赤也に練習をつければいいんじゃろ。適当に時間を見つけてやっとくなり。」
「そうか…ではお前に任せる。頼んだぞ。」
今、考えるべきことは3連覇のみ。そう思うことでしかこの感情は払拭することが出来なかった。
「最近、なにか悩んでいることはないか。」
珍しく二人きりになった部室で、真田が制服から練習着に着替えながら話しかけてくる。お前のせいだと正直に言ってしまえば楽になれるだろうか。いや、自分ですら何にイラついているのかわからないのに、真田に言ったところで真田には心当たりがない。完全な八つ当たりだ。
「別にないぜよ。というか珍しいのぅ、おまんが人の相談に乗るなんて。そういうのは参謀の仕事じゃろ。」
いつも通りに、なにもなかったように話せばすぐに納得したようで部室から出ていく。相変わらずちょろいというか、人を疑うことを知らないやつ。胸の辺りがぐっと押されるような感覚はここ最近ずっとだ。まとわりついてきてうざくて嫌な感覚なのにどこか、少しうれしいような変な感覚。名前をつけてしまえば、自分の知らないこの感覚を認めてしまうような気がする。真田が出ていった部室は先ほどよりも重い空気をまとっているようで、ラケットをもった手がいつもより重く感じた。
「仁王くんは分かりづらいように見えて、分かりやすい人ですね。」
この相棒は本当につかめない。分かりやすいなんて言われたのは初めてだった。分かりやすい…なんて言われるような行動もしていないのだから柳生の言う意味を理解することは難しかった。レンズ越しに少し見えた目に、今の胃の中をかき回されるような、気持ちの悪い感覚まで見透かされているようで寒気がする。
「…なに言っとるんじゃ。」
「どうやら君は自分自身を騙すのも得意のようですね。だからこそ、私からすればひどく臆病にうつります。仁王くん、人は悩み、考えながら解決しようと生きるものですよ。君はそもそも悩みそのものに蓋をしようとしていませんか。」
いつもなら説教じみた言葉は耳にも入らないくらいなのに、なぜかスッと脳にしみ込んだ。考えれば考えるほど、苦しくて辛くて自分が嫌になりそうだった。だから考えないように、俺が俺であるために封じ込めていたはずなのに。
「素直に…なんて自分には無縁の言葉だと思っていませんか。いくら君が優秀な詐欺師だからといっても、自分にまで嘘をつく必要なんてないんですよ。」
なにかが決壊する音がした。自分の気持ちも嘘も、曖昧なものではなく、答えはもう知っていたのに。
日も落ちて、コートのボールが見えづらくなってくる。とっくに下校時間は過ぎて光に群がる虫がバチバチと音を立てる外灯の明かりだけが頼りだった。籠に入ったボールをすべて打ち終わったときにふいに視線を感じて振り返った。
「なんでおまんがこんな時間にいるんじゃ。優等生は大人しく家に帰ってる頃じゃろ。」
今一番会いたくないやつ。自分が何をするかわからないから。
冷静な分析をしてみたところで現状を打開することはできない。一度箍が外れた思いはいつ爆発してもおかしくなかった。
「柳生に…最近お前の様子がおかしいと話を聞いた。確かにお前の言う通り蓮二の方が言葉を介した相談事には長けているだろうな。」
らしくもない声のトーンで話す真田になんともいえない気持ちが湧き出る。何が言いたいのか見当もつかない。
真田はコートをいつものように歩き反対側のコートに立った。足元に転がるボールを手に取りラケットを振りかぶる。小さく風が鳴いた後に俺のコートにボールは落ちていた。
「仁王、構えろ。」
自然に体が姿勢を作る。あいつのサーブを受けるにはそうするしかないからだ。先ほどよりも強い威力で飛んでくるボールをラケットの面にあてて返す。条件反射のように降ったラケットは、一瞬手首に重さを感じた後に軽快な音をたててボールを打ち返した。ビリビリと左手に感じたかすかな痺れが心地よかった。真田のまっすぐな打球が手に体に衝撃を与える度に、心の内がはじけては消えていくようなふしぎな感覚がした。
「はは…」
口から零れた渇いた笑いに真田はピタッと動作をやめた。まっすぐな瞳と視線が交差する。ボールがコートに落ちる。
「本当に不器用じゃな…」
カランと音をたてて手から滑り落ちたラケット。じわっと湧き出た汗が頬を伝った。
「…やはりお前や蓮二ほど器用にはなれんな。」
ぐっと帽子のつばを顔が隠れるほどに下げた。
「いや…おまんじゃない。俺が…」
今回に関しては真田の方が何枚も上手だ。重要な主導権はいつだってあいつが握っている。真田の一挙手一投足に振り回されるのは俺の方だから。
「のう、真田。」
それでもやられっぱなしは性に合わない。主導権を奪うのは得意分野だ。それがここ立海で培った戦い方だから。
「どうやら俺の悩みはおまんにしか解決できないらしい。」
反対側のコートでよくわからないとでも言いたげに眉を顰める真田に思わず笑みがこぼれた。触れられるほどの距離で手を伸ばすと驚いたように身体を固まらせいている。その無防備な体にさらに近づき、指先を真田の唇に触れさせる。一瞬身体が揺らいだが、離れようとはしない。すこしかさついた唇に、妙な背徳感を覚えながら、真田の唇から離した指を自分の唇に当てた。
「なっ…!」
驚いたように声を上げる真田を置いてラケットを拾いコートを後にする。先ほどの唇の感覚がまだ鮮明に残っているのを感じながら。
「仁王…!」
「覚悟しんしゃい、真田。今度は俺から攻めさせてもらうぜよ。」
真田の言葉を遮るように言い放つ。少しの罪悪感を感じながら横目でみた真田の頬が紅潮しているよに見えたのは願望が出たのだろう。明日になればどんなにひどい罵倒でもビンタでもいくらでも受け入れる。だから今日だけはこの思いに浸らせてほしい。自分勝手な気持ちをもってつく帰路で冷たい風が頬を撫でた。